2007/11/12

授業の復習

三時間目に、関先生の国際経営の授業があった。今日は、本とか論文とかで読んだことがないアイデアを議論していたので、興味深い授業であった。

ただ、関先生は、前回と同じことを「確信犯」的に繰り返すので、少しうんざりすることもあった。ただ、話の仕方とか、黒板の書き方とか、参考になる。

農村の変容と、工業化との関係について議論された。中国では、農村における「改革」が、農村における余剰労働力を生み、結果、都市への労働供給につながるようになる。また、都市近辺の農村では、その立地を生かして、都市への農作物の販売の結果、「万元戸」に。都市周辺では、さらに、土地活用の結果、その農民たちは、土地からの収入を得るようになる。

農村で生まれた「金持ち」の余剰金は、「鎮」(昔は、人民公社であった組織。だいたい、3万人規模であった。現在は、小さい行政単位)が運用することに。・・・(以下、省略)

話を聞いていると、中国の農村が変容していることから、かつて日本でも、似た現象が起きていたことを考えた。

そして、その過程で、日本の農村は、大幅に変容を迫られ、解体されていったのだ。戦前においては、農村においては、「前近代」的な地主・小作関係にあった。戦時期になると、農村物の生産を確保するために、生産者優位の政策が進められ、従来の地主・小作関係は解体の道を進み、小作が農村において大きな存在を占めるに至る。その流れが、戦後の改革でも、進められ、農地解体。結果、土地の配分が進み、農民の生産力が増大。また、豊かな農民層が形成されることに。彼らが、戦後初期の日本の大きな消費者となる。

農村の過剰な労働力が問題になる頃、都市部では労働力不足になり、彼らは、「集団就職」で都市部にやってくることになる。そして、日本では、「高度成長」が達成されていくのである。

社会・経済の大きな変化のもとで、近代化・現代化が進行していくのを確認する。

ただ、忘れてはいけないのは、近代化・現代化の中で、同時に、それと「補完的」な関係となる、負の制度的なものも、同時に定着していくことである。

僕の卒論では、その高度経済成長の変化を近代化・現代化だけの側面だけでなく、それと「補完的」な負の側面についても見ていく。おそらく、中国でも、その社会の近代化・現代化の影で、それと「補完的」な形で、負の側面も、定着していっていることは間違いないであろう。

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