2007/10/17

一歩後退、二歩前進。

もう若くないんだと、焦りを感じる日々を過ごしています・・・。

今日も、新聞が読めていないと、相当凹んでいます。明日の予習をしなければいけない。明日は、1時間目に、難解な公共経済学がある。

ミクロ経済学の応用の応用だから、難しいんです。議論の焦点は、例外についてが多くて、だから、その正統を理解していない僕にとっては、ハフーって感じです(涙)。。。

今、日経新聞の私の履歴書に出ているのは、スタンフォードの名誉教授の青木昌彦先生である。今、彼の『比較制度分析に向けて』という本をのんびりと読んでいるのだが、難しいですね。

でも、連載を読んでいると面白いですよ。1960年前後の状況、特に、学生運動についての知見を得ることができる。その中で興味深いのは、青木先生の周りには、後に有名になる学者などが多くいたということであろう。

西部先生とかについても言及されていて、60年前後の学生運動や、その後、彼らの果たした役割について興味がある人はぜひとも読んで下さい。中曽根内閣の時の、首相のブレーンだった学習院大学の教授の先生のことも出ていた。

彼らの挫折は、その後の彼らの知的な活動に、どのような影響を与えることになったのか!

2007/10/16

関先生の「国際経営」第2回目講義

関満博先生の「国際経営」の授業を月曜日3時間目に真面目に、聞いています。でも、聴講なので、単位をとる必要もないので、毎授業の内容をここで復習したいと思います。

この授業は、授業というよりも、お話という感じですね。学者のお話というよりも、ジャーナリストのお話を聞いている感じですね。まぁ、でも、話の内容は面白く、最後まで、聴講できそうな感じです。ただ、授業を手抜きしているという感もありますね。何か話をすればそれでいいのか!

もちろん現場も重要ではあるが、全体の構造も重要であろう。僕の願いとしては、最初くらいは、世界の経済の大きな流れについて構造分析をして欲しかった。現場に裏付けられた構造分析なら、とても大きな刺激を受けることができるだろう。

さてさて、今期の授業では、中国の南の方の香港のあたりから、ベトナムまでの経済地域の発展などについて議論するそうです。

日本企業にとって、中国市場は、とても重要であることは明らかであろう。生産市場としても、または、販売市場として重要だ。

特に、南の地域は、近年、超急速に発展していると言う。広東省では、ホンダ・日産・日野・トヨタが進出し、また、下請け会社も共に来ているということだ。

この地域の経済発展を大きく印象付けられる話として空港の話があった。今、その地域にあるハブ空港においては、3本目の滑走路が建設中とか。5本を作ることが計画されているとのこと。

今ある、2本目の滑走路は、4800メートルとか。日本にある普通の空港は2500メートル。ジャンボ機でも、3600メートル程度。どうして、4800メートルなのか?

それは、スペースシャトルの離陸にも使えるためとのこと。

また、3本目の使い方は既に決まっている。それは、Fedexにレンタルするそうだ。それまで、Fedexは、フリィピンに拠点を置いていたが、それを今度、香港の上の方に移すそうだ。それは、何を意味するのか?

この地域はスゴク良い地域らしい。それは、上は北東アジア、下は東南アジアと、その中心にある。巨大運送会社の拠点移転の意味することは何か?

政治と経済の微妙なつながりなどを考えることができて、大変、面白い授業である。

眠いので・・・。

2007/10/15

悪戦苦闘?

毎日、毎日、授業に追われ、泣きそうです。少し、微妙に、泣いています。特に、授業中は、分からなくて・・・。

今期は、公共経済学、労働経済学、ゲーム理論、地方財政論が主戦場です。ただ、ゲーム理論は、夏の貯金があることもあり、楽です。冬学期は、夏で学んだ直感的な理解の上に、定義などを数学的に証明していく授業であります。

地方財政論も、時事ネタが大半を占める授業で、丁寧に、経済理論と実証の架け橋についてレクチャーがあるので、何とかなりそうです。労働経済学も、ミクロとかの知識がある程度はあるので、楽です。

困ったのが、公共経済学で、ガビーーーーーーーン。って感じです。まぁ、諦めずに、取り組んで行こうと思うのです。

全て、Aを取る、予定で勉強します。

さてさて、今日は、4時間目に東アジア国際関係史の授業があり、いつものように、真面目に出席した。ただ、今日は苦しかった・・・。

今日は、最初に、少し前の、南北の首脳会談についての話で、その歴史的な意義などについて議論された。そして、学生に対して、その意義についてエッセーを書くことを求められ、また、書いた後には、発言を求められた。

率直に言おう。僕は、最近、全く、時事について行っていなくて、勿論、事実については知っていたが、それ以上については、全く、情報を持ち合わせていなかった。

そういう状況下で、先生に当てられ、「知りません・・・」と心で唱えながら、首を横に振るしかなかった。

自分の勉強不足を痛感した。

ただ、本題の方については、内容はほとんど既知だった。大学も4年も入れば、成長するんだと、何かしら実感する。だからこそ、逆に、その成長を実践する場としての時事分析において、自分が全く不十分な対応しかできなかったことが、悔しかった。

先生、ごめんなさい。もっと勉強して、先生に、キラーパスを送ります!!!

2007/10/11

テレビ出演されたい方へ

先ほど、NHKのディレクターの方と、少しお話をしました。理由は、NHKの番組に出演してほしいとのことでした。

僕は、その収録日に、用事があったので、丁重にお断りをしたのですが、もしも、お友達で、出演したいという優秀な人がいれば紹介してほしいとのことだったので、ここで、そのお知らせを書きます。もしも、興味がある方は、今日または明日までに連絡下さい。

どうして、そもそも、そんな声が掛かったのか?

それは、少し前に、「日本のこれから」のアンケートに回答したことが原因なようだ。この番組は、様々な意見を待つ市民を招いて討論するものであり、その多様性を確保するために、僕の回答が目に留まったそうだ。そして、出演の依頼という形になった。

少しいろいろと、お話を聞いていると、この番組のアンケートに回答すると、出演につながるようだ。年内に、もう1回、番組を作るそうなので、テレビデビューしたい方は、回答してみてはいかがでしょうか。

まぁ、その前に、少し考えて、回答を作成する必要がありますが。

ちなみに、交通費と食事代が出るそうです。

2007/10/10

『経済学の使い方』を読む???

三輪芳朗+J・マーク・ラムザイヤー『経済学の使い方』を少し読む。

少なくとも、卒論においては、彼らの議論を踏まえた上で検討しなければいけないことを痛感。

三輪先生は東大経済学部の教授である。この本は、そして、一連の彼の本は、明らかに東大経済学の他の教授を含めた、これまでの日本の経済史や経営史の常識を潰すものである。

(明らかに、岡崎先生や奥野先生などを批判している箇所があり、少し、言い過ぎなのではないかと思う箇所もある。)

別に、この本では、特殊な方法によって、議論をひっくり返そうとしたものではない(と思われる)。ただ、これまで「通念」としてあったことを、データを使って実証的に分析したところ、「通念」が成立しないことが判明するのである。

この本は、明らかに、日本の知識層に大きな影響を与えてきたマルクス主義に対する嫌悪感から書かれている。そして、「通念」に疑いもなく従う人々をマルクス主義の影響下にあるとしている。それから脱却するためには、それを疑い、実証することだと言っている。

p.20-21では、「社会科」を要領よく記憶する科目・分野だと信じ込んでしまうと、次のような思考パターンになると述べている。

「(1)教科書や新聞などに書いてあることは疑う余地のない『真実』だと考えてしまう。このため、『思考停止』状態に陥り、『結論』を鵜呑みにするのが状態となる。
(2)内容が曖昧でほとんど意味のない記述を前にしても、『正確な意味を確かめ、明確化する』という当然の作業の作業をしなくなる。このため、『理解』せずに、書かれていることを鵜呑みにする。
(3)『なぜそうなのか?なぜそうなるのか?なぜそう理解するのか?』などという事象の発成メカニズム、因果関係に対する関心を持たなくなる。さらに、他のメカニズム、代替的な説明の可能性についても考えなくなる。『なぜ』という問いを忘れ、『メカニズム』に対する関心を失う。
(4)観察事実や、他の書物などの記述に照らして教科書などの記述・説明との食い違いに気づいても、それを契機に、教科書の内容に関して疑問を抱いたり、代替的な説明の可能性に関心を抱くなることがなくなる。
(5)執筆者・読者が以上の思考パターンを受け入れると、主張の妥当性を示し、読者を説得する必要性がなくなる。このため、説得のための証拠が教科書などから消え、読者・執筆者双方が、証拠を示して説得することが必要だと考えなくなる。」

とのこと。自分にも、当てはまることが多いので、何かしらギクリとする。

まぁ、いわゆる「通説」などに対して、きちんと吟味することが必要だとのことですね。たとえ、権威の○○先生が言っていても、それがきちんとした証拠を揃えた上で、議論をしているのかどうかを確認する必要があるということですね。

そのためには、議論を追うという忍耐が必要ですね。

「考え」において、この本は、スゴク役に立った。僕自身、物事を曖昧に理解する癖があり、そのため、きちんとアウト・プットできなくて、スゴク悩んでいた。多少時間がかかるかもしれないが、ゆっくり、議論を追っていくことを今日から始めようと思う。

さてさて、この著者の一連の研究によって、日本の高度経済成長の「通説」が多く、引っくり返された。今度、岩波新書で、武田晴人先生が高度経済成長について書かれる予定だ。

この三輪先生の議論を武田先生は、どのように受け止めるのか???

スゴク楽しみだ。

僕の卒論でも、三輪先生の本を読み、それに対して、何かしら言及できるようにしたい。

以上。

2007/10/08

「北朝鮮帰国船」について

NHKスペシャル「北朝鮮帰国船」を見た。国際政治が人々の人生を大きく歪めてきた「事実」が描かれていた。正直、考えさせられた。きついし、重いし、何ともいえない、「現実」の厳しさをヒシヒシ感じさせられるものであった。

この番組は、「帰国船」で帰った人からの「告発」、総連元幹部の「告発」、また元北朝鮮工作員の証言そして、各国(アメリカ、ソ連、旧東ドイツや日本など)の外交資料から浮かび上がる「事実」によって、構成されている。

全体として、北朝鮮の内実の「悲惨さ」に焦点が当てられていて、帰った元「在日」の人々の「悲惨な」生活や、北朝鮮政府から「在日」の人々に対する「要請」とかが描かれていて、北朝鮮は悪いよねとか、総連は悪いよねとかになってしまう感じがする。

「北朝鮮帰国船」に対して、「日本」国民は、どのような反応を示したのか。僕の理解では、当時の各紙をあげて、日本中をあげて、「在日」の人々を北朝鮮に送り出そうとした。

『毎日新聞』の1959年2月1日によると、次のような記述があったそうだ(自分で調べたのではないので、嘘かもしれません)。「帰国希望者をその希望地に送ってやることは、人道的に正しいし、国際法的にも広く認められている原則だからである。そればかりでなく、帰国希望者に対する北鮮側の受け入れ体制もできているとうわれるから、これが実現すれば、日本側も生活保障費の軽減や治安問題で少なからぬプラスとなり、送る側にも送られる側にも好都合ということになる。」

国民の投書として「送還に踏み切ったことは外交史上特筆に価する」とのこと。

このあたりの「事実」に対して、どのように理解すればいいのだろうか。過去の「事実」として、このようなことがあって、それを今日の私たちは、どのように理解すればいいのだろうか。「事実」を知るだけでいいのか。「事実」を知ることはどのような意義があるのか。

もちろんではあるが、日本中をあげて、どうして、「北朝鮮帰国事業」を後押ししたのかについても、番組の中において、述べられていた。アメリカの外交文書の中に記録されていた、当時の日本の政策決定者たちの考えが番組では、引用されていた。

書かれていはいたが、全体として、日本の「責任」という部分が、欠落していた番組だった。どうして、そうなのかは、もちろん不明。

描くことができない領域なのかもしれない。日本の「帝国意識」の結果起きてしまった日本の歴史的な「誤り」を、NHKという公共電波では流せないのかもしれない。また、どうして、そのような「誤り」が起きたのかについても、歴史的研究が進んでいないことも理由かもしれない。

表面的には、北朝鮮の体制や総連に対する「批判」と見ることができるかもしれないが、裏には、それを「支えた」日本社会や、政府、国際社会に対しても「批判」していると読み解くことができるのかもしれない。

手元にある資料から、この北朝鮮帰還問題の参考文献を挙げると・・・
高崎宗司他編著『帰国運動とはなんだったのか封印された日朝関係史』平凡社、2005年。
和田春樹「帰国運動とは何だったのか(下)」『論座』朝日新聞社、2004年6月。
テッサ・モーリス=スズキ「特別室の中の沈黙」『論座』朝日新聞社、2004年11月。
同「明らかになった岸政権の思惑」『論座』2005年3月。
小此木政夫監修、東北アジア問題研究所編『在日朝鮮人はなぜ帰国したのか』現代人文社、2004年。


「戦後」研究の必要性を痛感した。「戦後」についての歴史研究が全く進んでいない。「戦後」の日本の「負」の側面についての研究があまりされていない。(「負」の側面ばかりを見る必要性はないが、歴史的な現実として「負」の側面があった時に、それを描かないのは、「事実」を歪んだ形に見ることになるということは確かだろう。)

勉強不足のために、どうして歴史研究が必要なのかは不明。つまり、歴史研究の今日的な意義については、分からない。(分かろうという努力は継続中だけど・・・)

例えば、今回の事例の場合、この事実さえあまり、知られていない。よって、知る必要はある、学ぶ必要はある。どうして、知る必要・学ぶ必要があるのか?どのようにして学ぶ必要があるのか?

事実として、この事例を知った。国際化の中で、韓国や北朝鮮と会う機会が増大する中で、このような事実を知っていることは、最低のマナーであろう。

このことは分かる。

次の段階が分からない。この事実を知って、どう「反省」すればいいのか。(この事実は、まだ歴史的な事実ではない。終わっていない。)

よく「歴史とは・・・」とか言われるけど、分かんないんだよね。何を言っているのか。もちろん、分かったような気がするけど、わかんない。つまり、分かんない。

歴史を学ぶということと、現在とを、どのように結びつけたらいいのかな?

例えば、冷戦史について考えると・・・。

藤原『国際政治』の第12章「戦争とその変化」では、冷戦の起源から崩壊、冷戦後の戦争の変化についてまで描かれていた。

冷戦の起源については、ソ連責任説やアメリカ責任説、ネオソ連責任説(用語の使い方は目茶目茶の可能性大。)が書かれていて、ベルリン危機そして朝鮮戦争によって、冷戦が本格化。スターリンの死によって、一時、緩和するが、フルシチョウ政権の基盤強化と平行して、対立が激化。ケネディー政権とは、キューバ危機によって、核戦争の一歩前まで行くことに。

この危機が基点となって、米ソの間で、抑止体制の働くことに。この抑止体制が働くためには、相手が合理的な判断をできるという確証が必要であり、キューバ危機によって、それが判明することになった。米ソの間で、緊張緩和が進んだが、次にソ連と険悪になりつつあった中国が64年に核を保有。

当時、文化大革命中であり、中国の危険大。69年には、ソ連との間で、国境紛争。他方、アメリカはベトナム戦争の泥沼化が進行。このような状況下で、72年のニクソン訪中。これに焦ったソ連も、アメリカとの間で、軍縮。大国間での緊張緩和が進んだが、70年代の後半になると、各地で革命が起きる。全てがソ連が理由というわけではないのであるが、カーター政権は、弱腰の圧力を受ける。

ソ連のアフガン進行を受け、アメリカはそれまでの緊張緩和路線を修正し、強行に。そして政権は、共和党レーガンに。新冷戦の勃発。ところが、ソ連では、ゴルバチョフという新リーダーが、積極的に緊張緩和に貢献。また、ソ連の自壊も始まり、冷戦終了!

冷戦後残ったのは、唯一の超大国アメリカ。

以上が、僕のこの本を読んで理解した冷戦のエッセンスではあるが、この理解だと、今のアメリカの「力」を過大視してしまうとうな間違いを犯すのではないか。冷戦は、アメリカの「勝利」で終わったのか?

ここでは、簡単に、冷戦は多様なアクターが冷戦を突き崩すような働きをしたということだけを指摘しておこう。ここの藤原先生の分析では、枠組みとして国家を見るということであるが、この章では、明らかにヨーロッパの国々の役割が見落とされている。

この本を読みながら、歴史理解の不備が、現状分析の不備に結びつくことを発見。ただし、これは現状認識の歪みが、歴史を曲げたという可能性もあるけど。

眠い・・・。

2007/10/04

21歳、最後の日に考えた

時は流れる。流れる。そんな、感じがしました。

自分は、あまり変化していないのに、「周りの人々」(=自分と関わりがあった・ある人たち)の変化を聞いた時に、時間が物凄く流れていることを痛感。


ただ今、3つほど課題を抱えているのに、まだ1つ目さえクリアーできていない。泣きそうだ・・・。まぁ、明日も、泣きそうな顔を心の中でぐっと我慢して、溜息とかもグッと我慢して、元気に勉強したい。たとえ疲れていても、それを人前で見せると、それは他人にとっては、大変に不快なことですからね。


少し前に、中国に行き、その時、自分のために、いくつかお土産を買った。その一つが、牛の置物。机の前に置いています。何となく、最近、牛のように、のんびりと構えていることが重要なのではないかと思うからです。

昨日、小松『中田英寿誇り』を読む。昔から、世界を舞台に活躍する中田さんに興味があった。世界舞台に行くだけではなく、そこで活躍している点に何かしら惹かれる部分がある。

「全力で生きる」ということが、スゴク強調されていたことだと思う。そのあたりの「思い」を、思い出させてくれる本であった。

何となく思うこととして、中田さんは、どのように世界を見ているのかな。