2008/01/13

ちょっとした【読書感想】天谷直弘『「坂の上の雲」と「坂の下の沼」』

戦後直後から、80年前半まで、通産官僚として、日本の最前線で活躍されてきた方の本である。(経歴の詳細については、Googleして下さい)

この本の最後に、付論として「産業政策について」という部分がある。簡潔に、明治の開国以来の日本の産業政策のあり方について、描かれていて、勉強になった。

p.288の最後の段落が、僕には、印象的だ。

「これまで産業政策はまずまず成功をおさめ、わが国のほとんどの産業は国際市場で競争できるようになりました。いまや産業政策は廃止すべきでしょうか?通商産業省は解体すべきでしょうか?私たちはそう思いません。現在は、日本も、アメリカ、ヨーロッパも、『石油時代』から、『情報時代』へ飛躍する過程にあるというのが私たちの見方です。私たちはいまや歴史の分水嶺を越えようとしているのです。この歴史的偉業を遂行するためには、新しい技術の開発、国民の再教育、社会的、経済的、政治的制度の見直しなどが必要であり、さらに国民の価値観や倫理観を変革して新しい状況に対処する必要があります。先進工業国のこうした転換により、発展途上国の経済も、国際貿易の構造も大きな影響をこうむるにちがいありません。これはまさに地球的な規模での変革といえましょう。」

第10章は、「『坂の上の雲』と『坂の下の沼』」という題で、戦前の日本と、戦後の日本を比較しながら描かれていて、僕は、その先見性に驚かせられた章である。

戦前の途中までの、日本の「輝かしい」成長。(「輝かしい」時代の中でも、批判されるべき点は多いが)その後の、第2次世界大戦、特に、アジア・太平洋戦争への、「どうして、そのような事態に至ったのか不明な」転落。

戦後の1970年前半までの高度経済成長。

この論文は、1977年に書かれている。戦前と同じように、転落していくことが、示唆されている。


以上。時間切れ。
産業政策とか、日本の歴史とかに、興味がある方は、読んでみると良いのではないかと思います。

2008/01/11

天気がいい

テーマの趣旨:「地方の疲弊、地域間格差が懸念されているが、自分の住む自治体の経済状況や財政状況を調べて、その課題を明らかにした上で当該地域を再生させるために地域自治体の果たすべき役割、および国のありうる支援について提言せよ」

1.「有名大学」への進学は重要

和歌山県南部出身の私にとって、東京と地元との違いは、あまりにも大きなものであった。東京には、大きな本屋(今では、インターネットが発達して、不便度が減少したと言うことができるかもしれないが、しかし、本を手に取って見ることの重要性は無視することはできない。ただし、私が地元にいる時は、まだ、インターネットは未発達だった)などがあり、スゴク恵まれた環境にあると、考えたし、今でも、そのように考えている。もちろん、私の地元には、東京に無いものもあるので、どちらが良いということはできない。しかし、明らかに、東京と地元は大きく違った。

 高校は、地元の和歌山県立田辺高校に通った。地元では、1番校だった。情報が不足していたことがあり、多少苦労しながら受験勉強をして、大学に入学した。私の高校からは、7年ぶりくらいの合格だったと記憶している。

 和歌山県の北部に、智辯学園和歌山高校がある。進学校として有名である。この高校と、有名大学への進学実績を比較してみると、その差は大きい[1]。所謂「有名大学」への昨年度の進学実績として、東京大学、京都大学、大阪大学、一橋大学、東京工業大学、慶応義塾大学への合格者の人数を見ていくことにしたい。田辺高校は、東大0人、京大2人、阪大2人、一橋1人、東京工業0人、早稲田4人、慶応1人であった。智辯和歌山は、東大19人、京大32人、阪大22人、一橋3人、東京工業2人、早稲田38人、慶応19人である。

 東京の都立国立高校とも、比較して見よう[2]。国立高校では、東大16人、京大5人、阪大1人、一橋19人、東京工業11人、早稲田130人、慶応64人だった。国立高校と田辺高校との差も大きい。

 どうして、このような差が生じるのか。確かに、田辺高校と智辯和歌山とは公立と私立の差がある。しかし、国立高校は、田辺高校と同じ公立である。

このレポートでは、こうした、地域間における高等教育の選択の「格差」について、見ていくことにしたい[3]。勿論ではあるが、どの大学を受験して入学するのかについては、誰にでも、その機会は与えられている。よって、田辺高校の生徒が、所謂、「有名大学」を選択することができないというわけではない。智辯和歌山高校や国立高校と、同じように、その選択の機会は開かれている。しかし、選択の機会が開かれていることが、入学に結びつかないことは明らかである。その前提として、入学試験に合格しなければ行けない。つまり、入学試験の難易度によって、選択することができても、選択することができなくなるのではないか。よって、例え、「有名大学」で学ぶことを志望していても、入学試験の難易度のために、諦め、選択することができなくなっているのではないか。それが、田辺高校の何かに構造的な問題としてあるとするならば、それは、高校、また、それを管轄する県は、それを是正していくことが必要なのではないか。そして、近年の田辺高校の進学実績を見る限り、構造的な問題だとしか言いようがないように思われる[4]

 このような「格差」の結果が少しずつ現れている。その顕著な例が、この地域圏における医者不足であろう。結果として、和歌山県立医科大学医学部において、和歌山県の出身者を推薦制度で学生を受け入れるようになっている。これは、近年、受験の競争が最も激しいと言われている医学部において、その競争をそのままにしていると、和歌山県出身の学生が受験ではじかれ、結果として、和歌山県内に勤務する医者が育たなくなる危険性を受けてのことだと考えられる。

 医学部の例が顕著ではあるが、地方にいても、「有名大学」への大学の選択を取ることができるような環境にしていくことが必要である。

 論を進めるに当たって、一つ確認したい。ここでは、「有名大学」への進学が「良い」とか「悪い」とかを議論しようとしているわけではない。もちろん、例えば、2007年10月15日号の『プレジデント』の「『学歴格差』大図鑑」などからは、「有名大学」へ行くことのメリットが多く書かれているし、決して「有名大学」へ行くことのメリットは否定はできないであろう。こうしたメリットを踏まえて、多くの高校生が、「有名大学」を目指していると考えられる。そうした中で、こうしたメリットを求めて、「有名大学」を目指しているのにも関わらず、地域間の高等教育の選択の「格差」によって、諦めざるを得ないという状況を、ここでは、問題にしていきたいと思う。
 
2.現状分析・問題点の指摘

①わたしの町の紹介

ここでは、和歌山県南部の田辺市を中心とする地域圏について紹介していこう。この地域圏は、田辺市、白浜町、すさみ町とみなべから形成されている。おおよそ、12万から15万人規模の人口規模である。

田辺市は、新大阪駅から(最速で)2時間、県庁所在地の和歌山市から(最速で)1時間の場所にある。白浜町に南紀白浜空港があり、羽田まで1時間で行くことができる。1人3便から2便、運行している。

 田辺高校は、この田辺市を中心とする地域圏の中で、最も学力の高い高校である。この地域圏に住んでいる学力の高い者は、ほとんど、田辺高校に通うことになる。少数ではあるが、中学または、高校から都市圏に出て行く者もいる[5]。和歌山北部の智辯和歌山中学・高校に通う者もいる。ただし、早朝は交通の便が悪いため、その数は少ない。よって、田辺市の地域圏に住む者は、田辺高校を選択せざるを得ない環境にあると言える。

 田辺高校の学生は、その大半が、大学に進学している[6]

 次に、地域の問題点を見ながら、どうして、「有名大学」への選択が大事なのかについて見ていくことにする。
 
②地域において、「有名大学」への進学が必要とされる理由
 日本が抱えている重要な問題の一つに高齢化問題がある。2005年には、高齢化率20.4%を記録し、まもなく、超高齢化社会へと、その段階を移そうとしている。田辺市は、25.2%、白浜町は27.6%、みなべ町は25.5%など、軒並み、国の高齢化率を超えて、進行している[7]。このように高齢化が進んでいくと、ますます、社会保障への需要が増し、具体的には、医者のニーズが高まる。上で、見たように、この地域の医者は不足気味であり、地元出身の医者の育成が急務となっている。

 昨今、景気の回復が叫ばれているが、地方では、その実感は持ちにくい。完全失業率を見ると、田辺市では、6.38%、白浜では6.51%となり、これは日本全体の4.4%よりも高い[8]。この「格差」が昨今の現象であるのか、もともとそうであったのかについては不明であるが、地域において、取り組んでいかなければいけないテーマであろう。取り組み方としては、地域を活性化する中で、その問題を是正していく道が考えられる。このような新しい選択を取るときに、欠かせないのが、地域活性化の担い手であろう。勿論、「有名大学」出身者が、イコール「有能な社会人」「有能な担い手」ということはないであろうが、『プレジデント』2007年10月15日号などから、その割合が多いのも事実であろう。もちろん、地方出身者全てが地元に戻る必要はないであろうが、多種多様な人材を、その地域が有していることは、その地域における潜在的な力になることは確かであろう。このような観点からも、地方における「有名大学」への進学が望まれる。

 どうして、地元の人材において、多種多様な人材を育てておくことが必要なのか。それは、転入者数で見ると、田辺市で1.4%、白浜で2.1%の増加があるのみで、大きな転入者は期待できない[9]。それは、特段に人をひきつけるような産業や施設がないことからも明らかであろう。確かに、和歌山県の先進的な取り組みであった「緑の雇用事業」で、200人程度の方々が、移り住んできたということはあったようである。しかし、知事の交代によって、昨今は、「緑の雇用事業」について、取り上げられることはない。結局は、地域における「人材」は、地域出身者になるのであろう。

③「有名大学」への進学の難しさ
 どうして、地方から、「有名大学」への進学が困難になっているのだろうか。この点に関しては、有名進学塾の不在、学校で教えている内容の格差や、大学に関する情報の格差など、様々な側面を指摘することができよう。

 新潟の津南で「教育改革」に挑んでいる、小熊牧久県立津南中等教育学校校長は、この「格差」について次のように指摘している[10]。「本県の一般的な意識からすれば、難関大学に行くことが桁外れに難しいように思われている向きがある。山間地にあってはこの思いはもっと極端になる。理由は明快で、その種の大学に行く人が極めて少なかったからである。長年にわたる学力の地域間格差の結果がこのような意識になって現れてくる。しかも、県内にあっても学力の地域間格差は極端に大きく、進学者の出身地のほとんど、新潟市をはじめとする都市部に限定されている。」とある。情報の「格差」について強調されている。「有名大学」への進学者が少ないことから、「有名大学」について語られる機会が極めて少なく、そのため、「有名大学」について考える材料も地元には少ない。結果、考えないようになり、また、自分には無理だと思い込んでしまい、勝手に情報格差のハンデを背負ってしまうことになる。このことは、私の経験とも、整合的である。

 以上のように、「有名大学」を意識することが重要であることが分かってきた。このことは別に地方だから無理だという簡単な図式で見ることはできない。それは、上の引用からも、新潟市などの都市部では問題の程度が低いということなど、重要なのは、意識する機会があるか無いかどうかによるのだろう。このことは、『プレジデント』の2007年10月15日号の特集からも言うことができる[11]。地方出身だからといって、必ずしも、都心の公立高校や私立高校に、進学実績で劣っているとは言えない。
 
3.政策提言
 
 以上、見てきたように、地方によっては、「有名大学」への進学が困難になったりすることがあるようである。実際に、私の出身地域では、大問題になっていると思われる。このことは、地方における医者不足や、「人材」不足など、地域にとって、大きな問題となっている。ここでは、その問題を解決するに当たって、どのような政策が取ることができるのかについて見ていくことにしよう。

 まずは、そもそも、私的消費の要素が強い高等教育へのアクセスに対して、公共部門が介入する必要があるのかについて見ていくことにする。

①どうして、公共部門が介入する必要があるのか[12]

 知識・情報・技能等を総称して人的資本というが、人的資本の社会的価値は、その所有者にとっての指摘価値より高い。この意味で、人的資本およびその形成を目的とする教育活動は、正の外部性をもつと言われている。

 人的資本の蓄積が本人の利益を増進させることはいうまでもないが、人的資本が正の外部性をもつ財であるということは、本人が負担する人的資本投資費用と、それが生み出す社会的便益との関係に「歪み」が生じる可能性を意味する。

 投資は、自分の私的費用と私的便益とを基準にして、決められる。本人にとっての最適投資量は、
      私的限界便益=私的限界費用 (1)
 となる点で決まることになる。

 次に、社会的に最適な投資基準を考えると、
      社会的限界便益≡私的限界便益+外部限界便益=社会的限界便益 (2)
 となる。

 このようにして、投資が決められることになるが、利己的な個人の場合、
私的純便益=私的便益-私的費用
を最大にしようとするので、人的資本のように正の外部性を持つ財への投資は、その選択が利己的個人にゆだねられたとき、過小に終わることになる。

 如何にして、社会的に最適な投資を実行させることができるのだろうか。個人が利己的であるという事実を変更することができないとすると、(1)は不変である。そうすると、(2)を(1)と両立させるためには、外部限界便益に等しい限界費用補助を投資者に与えればよいということになるだろう。結果、利己的な個人に社会的に最適な投資量を選択させるには、社会が投資費用の一部を肩代わりすることが必要である。

 地方出身者は、生涯その地域と関係を持続していくことが多い。そういう意味でも、長期間、その地域と関わるという点において、初期段階における人的資本の形成は正の外部性がより大きくなると考えられる。

 では、このように公的支出が妥当であることを踏まえ、「あるべき」政策について見ていくことにしよう。

②地域間における高等教育の選択の「格差」に対する政策

 教育政策手段として、バウチャー制度や、価格補助金制度について議論されることが経済学においては多いように思われる。今回明らかにしたように、「有名大学」への興味関心の欠如が、選択の「格差」である場合、これらの制度を用いることによって、興味関心を啓発することはできそうである。例えば、バウチャー制度の場合、「有名大学[13]」に入学すれば、県の補助で無料にすることが考えられる。また、価格補助金制度についても、同様に、「有名大学」に入学することで、一定の補助が与えられることになる。

 このように金銭的なインセンティブにおいて、興味関心を高める政策以外においても、直接的に興味関心を高める政策も考えられるであろう。例えば、地域の中学生・高校生を「有名大学」に社会見学に連れて行き、そこで、大学への興味を喚起させる。これは、例えば、智辯和歌山中学では、修学旅行として取り組まれていたり、上記の津南中学では、早稲田大学などの訪問をしたりして、取り組まれている。時々、一橋大学でも、団体の中学生や高校生を見たりする。また、島根県の島の中学校の修学旅行の一貫として、一橋大学を訪れているという話も聞いたことがある。
 他にも、昨今、大学の入学生獲得競争は高まり、独立法人化した旧国立大学も、その戦線に参戦しつつある。どの大学も、優秀な学生の確保に必死なのである。こういう状況を踏まえ、県が、「有名大学」を集め、合同で説明会を開くなどの対策も考えられる。

 以上のように、様々な政策を考えることはできるが、問題は情報の非対称性にあり、その是正に取り組んでいくことが必要である。この情報の非対称性は、その地域の問題であり、よって、高等高校の管轄を行っている県が、問題の解決に取り組んでいくことが、規模の経済性を見ても、明らかであろう。その上で、各地域の人材政策の一環として、市町が、追加的に政策を行っていくことは、重要なことであろう。



参考文献:
・永谷敬三『経済学で読み解く教育問題』東洋経済新報社、2003年。

雑誌:
・『プレジデント』2007年10月15日号、プレジデント社。
・『財界にいがた』2007年10月号、財界にいがた。

ホームページ:
・田辺高校
 http://www.tanabe-h.wakayama-c.ed.jp/high-1.htm
・和歌山県統計情報館
 http://www.pref.wakayama.lg.jp/prefg/020300/wtoukei.htm

[1] 雑誌『プレジデント』2007年10月15日号、p.91。
[2] 雑誌『プレジデント』2007年10月15日号、p.88。
[3] 高等教育の機会の「格差」については、ここでは、扱わない。
[4] 資料①を参照。
[5] 詳細については、不明。
[6] 資料①を参照。
[7] 「平成19年度 100の指標からみた和歌山」を参考。http://www.pref.wakayama.lg.jp/prefg/020300/100/index.html
[8] 同上。
[9] 同上。ただし、この転入者の内訳については不明である。昨今、白浜において、老人ホームがたくさん作られ、域外から多くの高齢者が移入しているという話がある。
[10] 小熊「本県に必要なかつての教育水準と地域間格差の解消」『財界にいがた』10月号、p.129-135。
[11] 雑誌『プレジデント』2007年10月15日号、p.87-93。
[12] 永谷敬三『経済学で読み解く教育問題』東洋経済新報社、2003年、p.18-23を参考に書いている。
[13] あまり「有名大学」について、きちんとした定義を与えずに使用してきた。もしも、「有名大学」への入学に有利な条件を与えることになれば、その定義が問題になることは明らかであろう。

2008/01/09

晩飯会 in 国立

ちょっとした用事で、都心から帰り、少し休んでいると、電話が鳴る。携帯にメールが届いている。見てみると、電話の留守番着信メール。それを見ると、畏友からだ。

その瞬間、キン・コン。部屋の鐘がなる。軽装していたので、直に、部屋を出るわけにも行かず、慌てて、「はい」と良いながら、服を着る。

帰ろうとした畏友を呼び止めた。ディナーのお誘いだった。もう一人、美人の畏友もいた。

正確に記録はしていないが、2時間ほど、話す。

今日は、腐ったモヤシを昼に食べ、不調で、更に、アウトプットが不調で、ブルーだったので、ホント、救われた。不調な時は、人と話すのがいい。畏友と話すのがいい。

そんなわけで、感謝。

モヤシから変な匂いがする時は、あんまり、食べないほうが、良いということを、今日は身にしみて感じました。

2008/01/06

Today is the first day of the rest of your life.

明日から、学校が始まる。テストまで、残された時間は短い。その上、ただ今、もう一つ、ハードなレポートを抱えているので、スゴク憂鬱である。金曜日提出。

さてさて、明日は4時間連続の日である。まぁ、分からないことは分からないと、率直に言おうと、思う。

さて、今現在、レポート一つ(残り2つある)と格闘しているのだが、進展していなくて、憂鬱である。ただ、憂鬱だからと延期すると、5時間のとこが、15時間になってしまうので、気合を入れて、終わらせようと思う。


百貨店【大丸】
創業1717年、下村彦右衛門正啓が京都伏見に呉服屋「大文字屋」を創業。1728年に名古屋に進出時に「大丸屋」の屋号で営業。1907年、大丸呉服店成立。百貨店の店舗数18店。

百貨店【松坂屋】
創業1611年、織田信長家臣、伊藤蘭丸祐道が名古屋で呉服小問商「いとう呉服店」を創業。1768年に上野松坂屋を買収。1910年、いとう呉服店を設立。1925年、商号を松坂屋に統一。百貨店の店舗数は9店。


現在、J・フロントリテイリングに経営統合。
引用:『日経ビジネス』最新号


【華恵さん】
文章がお上手らしい。そういうことで、見てみた。
http://www.chikumashobo.co.jp/new_chikuma/hanae/index.html


【女優戦国時代】
20歳前後に、優れた女優さんが多いという話を聞いた。確かに、僕は知らないが、有名だという女優さんも多く入るので、確かに、多い。どうして、このようなことが起きているのだろうか?

その前の時代には、どのようなことが起きていたのか?その前の時代には、女優さんは、少なかったのですか?

分からない。。。

レポート、やっと、完成。。。

テーマ「21世紀における新しい東アジア国際秩序を展望しなさい。その上で、秩序形成の基軸となる理念、思想、価値について論じつつ、新たな地域構想を具体化、実現するにはどのような実践的努力が必要かについても論じなさい。」

 2007年11月に、ASEAN+3首脳会議が開かれるなど、「公式の統合」は進んでいる。この会議の共同声明として、次のように、これまでの、そして、これからの東アジアの国際秩序が展望された。

「われわれは、過去10年間の成果を振り返り、既存の協力を強化し、ASEAN+3協力の将来の方向性を提示した。ASEAN+3協力は、ASEAN共同体を実現するために引き続きASEAN統合を支持すると同時に、長期目標としての東アジア共同体の形成に貢献するものである。[1]
 
1997年~1998年のアジア金融危機を契機始まったASEAN+3プロセスが、長期的には、「東アジア共同体」形成までを視野において進展していることは、東アジアにおいて、少なくとも国家間のレベルで、新しい国際秩序[2]を作り出そうという機運が高まっていることを示している。しかし、現段階においては、これからの東アジア国際秩序、また、「東アジア共同体」のあり方は、不透明である。このことは、逆に、これからの取り組み如何によって、そのあり方が変わるということを示している。私たち一人一人が、東アジア国際秩序の変容に、「積極的に取り組むこと」が出来るかどうかが、試されていると言うことができるのではないか。

さて、「東アジア共同体」、そして、これからの東アジア国際秩序を考えるに当たって、一つのベンチマークとなるのが、ヨーロッパにおけるEU統合である。ヨーロッパにおける統合の方法が、即座に、東アジアで適応することができるということはないであろうが、その統合の過程を見ることで、私たちは多くの示唆を得ることが出来る。また、その統合の結果としての経済的な利益や安全保障上の利益などを見ていると、私たちは、それに魅了され、憧れさえもってしまう。このように、EU統合のアプローチを「直接的」には利用はできないが、「間接的」に、利用していくことになるのだろう。

ところで、ステレオタイプではあるが、EU統合の「成功」の要因として、「ヨーロッパ的価値」の共有や、経済的な発展などの同質性を挙げることがある。そして、それを持って、同質性が低いから、「東アジア共同体」は難しいとされる。確かに、東アジアは、経済的な発展の度合いで言えば、日本のように成熟国家がある一方で、中国のように、今まさしく、経済発展している国もある。また、何かしらの価値の共有が、なされているとも考えにくい。よって、「東アジア共同体」への道が困難であるということは分かる。

しかし、東アジアの諸国を見たときに、圧倒的に、「若い」国、つまり、今まさしく経済発展を目指している国が多いことに気づく。そして、どの国も経済発展のために、基盤技術の形成や、環境問題の対策など、同時並行的に様々な問題を抱え取り組んでいる。もちろん、このような問題は、一国だけでは解決することが出来ない。そこで、その問題解決の担い手になることが出来るのが、日本のような東アジアにおける先進国だろう。日本は、「戦後」の経済発展の結果、世界有数の経済大国となり、基盤技術のノウハウや、環境対策についても、世界有数の技術を持っている。ただし、「成熟」国家化し、社会の活力は失われ、また、少子高齢化などの問題を抱えているのが現状である。多少強引ではあるが、この東アジアにおける「若い」国家と「成熟」国家が、互いに長所と短所を「補完」しあっていくことが出来るのではないか。そうすることで、「若い」国は、基盤技術の形成や環境技術の移転によって、経済発展できるようになるだろう。また、「成熟」国も、「若い」国との接触を通して、かつての「熱い気持ち」を取り戻し、自国の問題、少子高齢化や環境問題を「積極的」に解決していくことが出来るようになるのではないか。この「補完」という考え方を基盤に、「東アジア共同体」または、これからの東アジア国際秩序を目指してはどうだろうか。

その「補完」関係について見ていくと、日本企業が東アジア諸国に進出し、そこで生産を行うなど、「補完」関係は、これまでも行われてきた。しかし、その進出の目的は、安い現地の労働力の活用だったりするなど、その関係は、ある意味、日本側からの一方通行だったと言うことができよう。そこにあるのは、「発展途上国」と「先進国」の関係性であり、「下」と「上」の関係にあると言えるだろう。しかし、昨今、この関係に変化が起きつつあり、「若い」国と「成熟」国の関係になりつつある。つまり、より対等な関係に近づいているということができるだろう。このレポートでは、その変化を描きつつ、これからの東アジア国際秩序、そして「東アジア共同体」について論じていくことにしたい。

まずは、東アジアの発展の構図について、簡単化して、歴史的に振り返ってみよう。第2次世界大戦後、東アジア諸国は、次々と、独立していく一方で、「冷戦」の中、それぞれの道を歩んでいくことになる。そこで、ひときわ目立つ経済発展を最初に遂げたのが西側陣営の日本である。日本は、「中進国」として、戦後当初は進んでいくことになった。1950年から1973年までのGDP成長率は年率9.2%で、これは同じように戦後高度成長を記録した西欧諸国を大きく上回る結果となった[3]。その結果、日本の産業構造は大きく変化し、そして、1964年にはOECDに加盟するなど、先進諸国の仲間入りを果たすまでに発展するに至った。次に、1970年代に入る頃から、韓国、台湾、香港、シンガポールといった「四匹の龍」が登場してくる。これらの諸国地域はアジアNICS、NIESと呼ばれ、世界の奇跡として称賛されていくことになる。さらに、その後、東アジアの他の諸国、タイ、マレーシア、フィリピン、インドネシア等のASEAN諸国が発展を遂げていくことになる。近年、特に、注目を集めている中国も発展を始めた。1978年末に経済改革、対外開放、「緑の革命」に踏み出し、90年代に入ってから、際立った経済発展を実現していくことになった。そして、中国近辺のベトナム、カンボジア、ラオス等も、90年代以降、一気に改革、開放の道に踏み込んでいくのであった。そして、1995年以降には、東南アジア諸国は、先行するシンガポール、タイ、マレーシアなどの「先進国」と、ベトナム、カンボジア、ラオス等の「後発国」が、一つの新たなASEANとしてまとまり、新たな時代に進もうとしている。そして、1997年以降のアジア通貨危機において、「東アジア共同体」の議論が盛り上がるようになり、今日に至るのである。「冷戦」期においては、西側陣営の日本、韓国、台湾などの地域諸国の発展が進み、「冷戦」の緊張緩和、そして、崩壊を契機に、中国やベトナムなどの東側陣営の経済発展が進んできた。そして、今日、その西、東の枠組みが崩壊し、その枠を越えて東アジア全体、そして、世界全体と同時に、経済発展が進んでいる段階にあると言えよう。

次に、このような東アジアの発展の構図を押さえた上で、「補完」の関係の変化について見ていくことにしよう。一方的な、日本企業が安い労働者を求めて進出するという「補完」関係から、どのように変化していっているのだろうか。「日本から東アジアへの関係」と、「東アジアから日本への関係」の変化について、それぞれ見ていくことにしよう。

まず、最初に、「日本から東アジアへの関係」の変化について見ていこう。ここでは、中国の事例を見ながら、その変化について見ていきたい。ここでは、日本企業の海外人材の活用が、より高度化していることを確認していこう。日本経済新聞の2007年12月31日[4]に次のような記事があった。「日本の有力企業が中国拠点で長期雇用を前提にした人事制度整備に乗り出した。松下電器産業やホンダは個人の働きぶりや能力を評価して給与に反映する成果主義的な人事制度を導入。企業に長期雇用を促す『労働契約法』が来年1月に施行されるのを機に従来1~3年ごとだった社員の契約期間を3~5年程度に伸ばす動きも広がる。日本の労働力人口が減少するなか、中国を今後の成長を支える人材供給源と位置づけ、人材を長期的に確保・育成する体制作りを急ぐ」とある。このような動きの背景には、日本の労働力人口の減少以外にも、優秀な社員の定着を促すために、欧米企業並みの対応をしなければ行けないということも指摘されている。そして、トヨタ自動車は「現地法人の幹部育成に向けて教育制度も拡充する。トヨタ自動車は出資先企業の管理職にトヨタ流の仕事の進め方を伝授する共同研修を始めた」とある。こうして、日本企業の海外展開のあり方が、その国の人々との、より高次での「補完」関係に移行していることが確認できた。このような関係の移行については「長期雇用を前提にした制度導入で人件費負担は膨らむが、日本企業の間では『現地の事業を高度化していくうえで避けて通れない』との見方が強まっている」とある。明らかに、「日本企業の中国戦略は新段階」に入っていることが分かる。

もう一つ、事例[5]を見ていこう。3K色の強い鋳造、鍛造部門は日本国内での生産力確保に懸念が生じており、中国への依存が模索されてきた。しかし、鋳造の場合、初期投資が大きく、また、人的要素などの課題のために、なかなか日本からの進出が進まなかった。そのような中で、大連丸祐工業有限公司は、鋳造部門の中小企業として最初に進出の選択をした。結果は果敢な進出が功を奏し、日本では集めにくい若い人を大量に雇うことができ、また、日本の中小企業では、なかなか採用しにくい理工系大卒が活躍しているなど、中国において人材が十分に育ってきている。このようにして、「成熟」した日本では、集めにくい人材を、「若い」国で確保し、日本企業の活路を見出そうとしている姿が浮かんでくる。

「日本から東アジアへの関係」について2つの事例を見てきた。共に、日本の労働力人口減少や3K的な仕事の不人気などの日本国内の問題を解消するために、「若い」中国との「補完」関係を築いていこうという姿勢が見られる。

次に、「東アジアから日本への関係」について見ていく。ここでも、中国の事例を見ながら、確認していきたい。

家庭用ミシンモーターの世界シュアを80%握っている山本電気は、コストを下げるために、上海や台湾に、積極的に進出していた[6]。家庭用ミシンモーターは技術的にも確立されていることもあり、日本の本社は、開発型企業への 転進を模索することになった。しかし、福島県の地方小都市の中小企業では、理工系大卒など望むべくもなく、人材調整に苦慮していた。そのように人材調達に苦慮している頃、中国からの留学生が飛び込んでくることになる。山本電気は、海外展開をしていたこともあり、中国人の優秀さを理解していたので、採用し、そのことで、口コミで次々に留学生が入社するようになり、その中には、東京の有力国立大学の大学院卒もいた。このことに関して、社長の山本司氏にいわせると「うちみたいな中小企業には、理工系大卒などこなかった。就職難で最近は日本人の理工系大卒もくるが、集団面接で英語で討論してもらおうというと、日本人学生はみんな逃げ出す」とのことである。その結果として、10数人の開発部隊の中心は中国人スタッフになっているとのことである。また、一般に外国人を雇用した場合に、直辞めるなどの問題が指摘されているが、その最大の原因は短期契約などの身分が不安定なところにある。山本電気では、労働組合への加入を勧め、事実上、終身雇用の枠の中に取り込むなど、外国人労働者の労働環境の整備も進んでいる。以上のように、日本の中小企業が、国内の人材難などを背景に、外国人留学生を中核的人材として採用し、そして、その中で、次の発展を目指そうという姿が浮かんでくる。こうして、日本の中小企業は、ますます、グローバル企業へと変貌していることが分かる。

もう一つ事例を確認していこう。ここでは、神戸市の「新しい中国人街プロジェクト」を見ていくことにする[7]。日本企業の海外進出と比較し、外国企業の日本進出が極度に少なく、地域に外国企業を誘致するのは喫緊の国家的な課題となっている。また、地方自治体にとっても、地域に新たなインパクトを与えるものとして外国企業への関心が高まっている。この神戸市のプロジェクトは、阪神・淡路大震災の復興事業の一つとして位置づけられ、中国そしてアジアを視野に入れた一つの産業拠点を形成しようとするものである。この地域に中国を中心とするアジア企業の一大集積を図り、神戸経済にインパクトを与え、震災復興の中心的な役割を演じてもらおうという期待がある。神戸市は、もともと、外国人が日本で最も住みやすい町として知られ、中国人、韓国人、インド人、ベトナム人が多く居住している。そのため、子弟の教育機関、医療機関、漢方薬店、レストラン、食材店など、日本で生活するためのインフラが充実している。このようなインフラを背景に、神戸市は、留学生の就業や企業を支援したり、最初の日本進出拠点になることができるようにアジア企業を支援したりしている。この事例は、地域の中に、アジアの新しい動きを招き入れることで、発展を目指し、その中で、日本も変革していこうという動きであろう。

以上のように、「日本から東アジアへの関係」と「東アジアから日本への関係」について、その変化を検討してきた。国内的(労働人口の減少とか)また、国外的な要因(法制度の変更とか)に作用され、日本企業が大きく変化していることが確認された。海外展開するに当たっても、外国人労働者がどんどんと重要な役割を担うようになり、また、国内においても、中核的な人材になったり、地域の活性化の起爆剤として期待されるようになったりしている。国家間の、これからの「東アジア国際秩序」は、まだ、不透明であるが、このように、経済レベルにおいては、どんどんと、その「補完」的関係は進展している。
 「冷戦」も終わり、これから、やっと、東アジア全体で相互交流を行うことができるようになった。勿論、北朝鮮については、まだ、不確実な側面が多く、これからも注意していかなければならない。ただし、この問題も、北朝鮮を東アジア、そして、世界の相互交流の中に、如何に入れていくのかという視点を中心に、その中で、他の様々な問題を解決していくという姿勢が必要なのであろう。繰り返しになるが、「東アジア国際秩序」は、まだ、どのようになるかが、不透明であり、私たち、一人ひとりの取り組みが重要になってくる。経済活動を見ると、日本と東アジアとの「補完」関係は進行し、その中で、それに対応して日本も変化を遂げつつある。大きな変化の時代を迎えるに当たって、私たち一人ひとりの取り組みとして重要なのは、その変化に、「どれだけ積極的になれるか」、ということであろう。



参考文献:
・関満博『地域産業の未来』有斐閣、2001年。
・『日本経済新聞』2007年12月31日。
・マンガス・マディソン著、政治経済研究所訳『世界経済の歴史 1820年-1992年』東洋経済新報社、2000年。

ホームページ:
外務省 http://www.mofa.go.jp/mofaj/

[1] 2007年11月20日「東アジア協力に関する第二共同声明」外務省ホームページ。
http://www.mofa.go.jp/mofaj/area/asean/asean+3/syunou.html
[2] 同上。「われわれは、東アジア統合は、相互利益のための開かれた、透明で、包括的な、前向きなプロセスであることを改めて強調し、域内の平和、安定、民主主義及び繁栄を達成するために国際的に共有された価値を支持する。東アジア域内及び域外の永続的な平和と繁栄の共有に向けたビジョンに導かれ、われわれは、新たな経済の流れ、進化しつつある戦略的な相互作用、並びに、変化と新たな力学に対応可能な開かれた地域アーキテクチャーの実現に向けてすべての関心国及び機関を引き続き関与させるとの信念に今後も導かれていく。」
[3] マンガス・マディソン著、政治経済研究所訳『世界経済の成長史 1820年~1992年』東洋経済新報社、2000年、p.110-111を参照。
[4] 『日本経済新聞』2007年12月31日、p.1。
[5] 関満博『地域産業の未来』有斐閣、2001年、p.107-110を参考に以下書いていくことにする。
[6]関満博『地域産業の未来』有斐閣、2001年、p.101-103を参考に書いている。
[7]関満博『地域産業の未来』有斐閣、2001年、p.61-65を参考に書いている。

2008/01/03

ガピョーン(*^_^*)。。。

どうも、調子が上がってこないので、ウツウツしています。ストレスなのか、舌に出来物が出来て、何となく痛く、それが更に、ストレスです。

さてさて、
【心に残る言葉】
「今より若い時はないのよ!」

「苦手は、自分で作り出すものだから、克服せなあかん」

「エネルギーは、使ったぶんだけわいてくる」

「こっちがあるからあっちができない、じゃないよ!あっちもこっちも両方やるんだよ!」

「できない理由を探して逃げるな。その間は絶対にできない」

「自分の中にあるたくさんの矛盾を認めることから人は進歩するんだと思う」

「失敗は生きている証拠」

「今やったら、はよ終わることを、後回しにすんな。2,3分で終わることが、1,2時間になんねん。あほらし。」

「頑張ったら、頑張っただけ。楽したら、楽しただけ。ちゃんとそういうふうになってる」

「直す時は、一時の恥じ。直さぬは末代の恥だよ!」

「自分に余裕がある時に人に気を使うのは、ある種、当たり前のことで、自分がしんどい時に、どれだけ周りに目を向けられるかが、踏ん張りどころだよ」

「自ら機会を創り出し、機会によって自らを変えよ」

「僕はね、仕事というのは、結局はいかに自分の感性や言葉で翻訳するかということなんだと思うよ」

「別に、命を取られるわけじゃない」

「ヒトの反応は自分の鏡。そのヒトに自分が接しているように返してくれるんだ」

    心に残る言葉、終わり

【読書感想文】
岩下『北方領土問題』を読む。ぱらぱら読む。

僕の知識では、本の内容が詳細だったので、難しかった。よって、軽く主張とかを読んだという感じです。

僕は、和歌山出身なので、イマイチ北方領土とかがイメージを持つことが出来ない。ステークホルダーとしての漁業関係者について、知識を持っていないと、この問題へ実効性のある議論をできないのではないかと思った。

というのは、「そもそも論」とかになると、日本もロシアも、それぞれ意見があるので、どうやって、その利権などを分割するのかについて議論が収斂していくことになると思われるので。

まぁ、読んでいて、この問題が進展しないのは、話を進めることのコストのほうが、その時に得られるであろう利益よりも大きいからだと思った。

この問題を解決するのは、政治家の決断なのだということを、痛感。日本の政治家たちが、如何にして、国内の支持を取り付けることができるかがポイントだ。

【映画】
「ニライカナイからの手紙」
「コーチ・カーター」

部屋にDVDがあると、見てしまうので、危険だ。。。

上の映画は、蒼井優さん主演の映画で、それなりに面白かった。「ニライカナイ」という言葉を、懐かしく思う。というのは、この言葉は、高校1年と3年の担任の先生が毎日作成されていた学級通信の題名だからである。

「コーチ・カーター」は、いろいろ考えさせられた。人的資本への投資によって、社会の公平性と効率性を高めるという点に興味があり、そのような視点から、この映画を見ていた。

アメリカの90年代以降の貧困地域での話である。その中で、如何にして、人生を切り開いていくのか。より良い人生を築いていくのか。そこで重要なのは、教育の機会へのアクセスであり、それを導く教師であり、その教師の「情熱」であろう。

少し前に、「フリーダム・ライターズ」を見た。この映画も、上の映画と同じような感じだった。日本でも、程度の差はあるとは言え、同じようなことが起きているのではないかと思った。

「格差社会」の中で、如何にして、一人ひとりの心に「熱い思い」を持つことが出来るようにするのか。

社会のあり方を、考えるに当たり、金銭的な面よりも、そういう気持ちを、どのようにしていくのかについて関心があります。特に、成熟国家日本にとって、そのような感情が持ちにくいから、より喫緊の課題と言えるでしょう。

2008/01/02

あけましておめでとうございます。

このブログをお読みの皆様へ


あけましておめでとうございます。

昨年は、いろいろな所で、多くの方に、お世話になりました。ありがとうございました。

今年も、いろいろ、よろしくお願いします。少しでも、自分のオリジナルな何かを残すことが出来るように、いろいろな場所で、努力していきたいと考えています。

さて、先ほど、白浜から、飛行機で帰ってきました。家は、良いですね。普段の十数倍ぐっすりと、睡眠を取ることが出来たように思います。親パワーですね。

12月31日に、夜行バスで帰り、1日に電車で白浜に行き、家に帰り、そして、祖父母の家に行って、お墓参りをし、その帰りに、お寺にお参りに行きました。

その寺は、上野樹里さん主演の映画「幸福のスイッチ」に、登場していましたよ。

そして、美味しいものを家で食べて、寝て、1月1日が過ぎました。

2日は、朝起きて、朝飯を食べた後に、山仕事を命じられ、夕方の少し前まで、働いていました。父と弟が切った木を運ぶということで、父と兄弟三人で、大量の木を6時間くらい運んでいました。その木は、祖父母が薪として使うようだったので、喫緊の課題でした。

そして、晩飯に美味いものを食べて、飛行機で帰ってきました。そして、寒い部屋にいる、今に至ります。

まぁ、そんなわけで、僕のオフが終わりました。これからは、レポートと、種々の課題を一つずつ、丁寧にこなしていこうと思います。昨年のように、前日に、お酒を飲んだ中で、レポートを書くことがないように、計画性を持って、取り組んでまいります。

今年も、よろしくお願いします。