テーマの趣旨:「地方の疲弊、地域間格差が懸念されているが、自分の住む自治体の経済状況や財政状況を調べて、その課題を明らかにした上で当該地域を再生させるために地域自治体の果たすべき役割、および国のありうる支援について提言せよ」
1.「有名大学」への進学は重要
和歌山県南部出身の私にとって、東京と地元との違いは、あまりにも大きなものであった。東京には、大きな本屋(今では、インターネットが発達して、不便度が減少したと言うことができるかもしれないが、しかし、本を手に取って見ることの重要性は無視することはできない。ただし、私が地元にいる時は、まだ、インターネットは未発達だった)などがあり、スゴク恵まれた環境にあると、考えたし、今でも、そのように考えている。もちろん、私の地元には、東京に無いものもあるので、どちらが良いということはできない。しかし、明らかに、東京と地元は大きく違った。
高校は、地元の和歌山県立田辺高校に通った。地元では、1番校だった。情報が不足していたことがあり、多少苦労しながら受験勉強をして、大学に入学した。私の高校からは、7年ぶりくらいの合格だったと記憶している。
和歌山県の北部に、智辯学園和歌山高校がある。進学校として有名である。この高校と、有名大学への進学実績を比較してみると、その差は大きい[1]。所謂「有名大学」への昨年度の進学実績として、東京大学、京都大学、大阪大学、一橋大学、東京工業大学、慶応義塾大学への合格者の人数を見ていくことにしたい。田辺高校は、東大0人、京大2人、阪大2人、一橋1人、東京工業0人、早稲田4人、慶応1人であった。智辯和歌山は、東大19人、京大32人、阪大22人、一橋3人、東京工業2人、早稲田38人、慶応19人である。
東京の都立国立高校とも、比較して見よう[2]。国立高校では、東大16人、京大5人、阪大1人、一橋19人、東京工業11人、早稲田130人、慶応64人だった。国立高校と田辺高校との差も大きい。
どうして、このような差が生じるのか。確かに、田辺高校と智辯和歌山とは公立と私立の差がある。しかし、国立高校は、田辺高校と同じ公立である。
このレポートでは、こうした、地域間における高等教育の選択の「格差」について、見ていくことにしたい[3]。勿論ではあるが、どの大学を受験して入学するのかについては、誰にでも、その機会は与えられている。よって、田辺高校の生徒が、所謂、「有名大学」を選択することができないというわけではない。智辯和歌山高校や国立高校と、同じように、その選択の機会は開かれている。しかし、選択の機会が開かれていることが、入学に結びつかないことは明らかである。その前提として、入学試験に合格しなければ行けない。つまり、入学試験の難易度によって、選択することができても、選択することができなくなるのではないか。よって、例え、「有名大学」で学ぶことを志望していても、入学試験の難易度のために、諦め、選択することができなくなっているのではないか。それが、田辺高校の何かに構造的な問題としてあるとするならば、それは、高校、また、それを管轄する県は、それを是正していくことが必要なのではないか。そして、近年の田辺高校の進学実績を見る限り、構造的な問題だとしか言いようがないように思われる[4]。
このような「格差」の結果が少しずつ現れている。その顕著な例が、この地域圏における医者不足であろう。結果として、和歌山県立医科大学医学部において、和歌山県の出身者を推薦制度で学生を受け入れるようになっている。これは、近年、受験の競争が最も激しいと言われている医学部において、その競争をそのままにしていると、和歌山県出身の学生が受験ではじかれ、結果として、和歌山県内に勤務する医者が育たなくなる危険性を受けてのことだと考えられる。
医学部の例が顕著ではあるが、地方にいても、「有名大学」への大学の選択を取ることができるような環境にしていくことが必要である。
論を進めるに当たって、一つ確認したい。ここでは、「有名大学」への進学が「良い」とか「悪い」とかを議論しようとしているわけではない。もちろん、例えば、2007年10月15日号の『プレジデント』の「『学歴格差』大図鑑」などからは、「有名大学」へ行くことのメリットが多く書かれているし、決して「有名大学」へ行くことのメリットは否定はできないであろう。こうしたメリットを踏まえて、多くの高校生が、「有名大学」を目指していると考えられる。そうした中で、こうしたメリットを求めて、「有名大学」を目指しているのにも関わらず、地域間の高等教育の選択の「格差」によって、諦めざるを得ないという状況を、ここでは、問題にしていきたいと思う。
2.現状分析・問題点の指摘
①わたしの町の紹介
ここでは、和歌山県南部の田辺市を中心とする地域圏について紹介していこう。この地域圏は、田辺市、白浜町、すさみ町とみなべから形成されている。おおよそ、12万から15万人規模の人口規模である。
田辺市は、新大阪駅から(最速で)2時間、県庁所在地の和歌山市から(最速で)1時間の場所にある。白浜町に南紀白浜空港があり、羽田まで1時間で行くことができる。1人3便から2便、運行している。
田辺高校は、この田辺市を中心とする地域圏の中で、最も学力の高い高校である。この地域圏に住んでいる学力の高い者は、ほとんど、田辺高校に通うことになる。少数ではあるが、中学または、高校から都市圏に出て行く者もいる[5]。和歌山北部の智辯和歌山中学・高校に通う者もいる。ただし、早朝は交通の便が悪いため、その数は少ない。よって、田辺市の地域圏に住む者は、田辺高校を選択せざるを得ない環境にあると言える。
田辺高校の学生は、その大半が、大学に進学している[6]。
次に、地域の問題点を見ながら、どうして、「有名大学」への選択が大事なのかについて見ていくことにする。
②地域において、「有名大学」への進学が必要とされる理由
日本が抱えている重要な問題の一つに高齢化問題がある。2005年には、高齢化率20.4%を記録し、まもなく、超高齢化社会へと、その段階を移そうとしている。田辺市は、25.2%、白浜町は27.6%、みなべ町は25.5%など、軒並み、国の高齢化率を超えて、進行している[7]。このように高齢化が進んでいくと、ますます、社会保障への需要が増し、具体的には、医者のニーズが高まる。上で、見たように、この地域の医者は不足気味であり、地元出身の医者の育成が急務となっている。
昨今、景気の回復が叫ばれているが、地方では、その実感は持ちにくい。完全失業率を見ると、田辺市では、6.38%、白浜では6.51%となり、これは日本全体の4.4%よりも高い[8]。この「格差」が昨今の現象であるのか、もともとそうであったのかについては不明であるが、地域において、取り組んでいかなければいけないテーマであろう。取り組み方としては、地域を活性化する中で、その問題を是正していく道が考えられる。このような新しい選択を取るときに、欠かせないのが、地域活性化の担い手であろう。勿論、「有名大学」出身者が、イコール「有能な社会人」「有能な担い手」ということはないであろうが、『プレジデント』2007年10月15日号などから、その割合が多いのも事実であろう。もちろん、地方出身者全てが地元に戻る必要はないであろうが、多種多様な人材を、その地域が有していることは、その地域における潜在的な力になることは確かであろう。このような観点からも、地方における「有名大学」への進学が望まれる。
どうして、地元の人材において、多種多様な人材を育てておくことが必要なのか。それは、転入者数で見ると、田辺市で1.4%、白浜で2.1%の増加があるのみで、大きな転入者は期待できない[9]。それは、特段に人をひきつけるような産業や施設がないことからも明らかであろう。確かに、和歌山県の先進的な取り組みであった「緑の雇用事業」で、200人程度の方々が、移り住んできたということはあったようである。しかし、知事の交代によって、昨今は、「緑の雇用事業」について、取り上げられることはない。結局は、地域における「人材」は、地域出身者になるのであろう。
③「有名大学」への進学の難しさ
どうして、地方から、「有名大学」への進学が困難になっているのだろうか。この点に関しては、有名進学塾の不在、学校で教えている内容の格差や、大学に関する情報の格差など、様々な側面を指摘することができよう。
新潟の津南で「教育改革」に挑んでいる、小熊牧久県立津南中等教育学校校長は、この「格差」について次のように指摘している[10]。「本県の一般的な意識からすれば、難関大学に行くことが桁外れに難しいように思われている向きがある。山間地にあってはこの思いはもっと極端になる。理由は明快で、その種の大学に行く人が極めて少なかったからである。長年にわたる学力の地域間格差の結果がこのような意識になって現れてくる。しかも、県内にあっても学力の地域間格差は極端に大きく、進学者の出身地のほとんど、新潟市をはじめとする都市部に限定されている。」とある。情報の「格差」について強調されている。「有名大学」への進学者が少ないことから、「有名大学」について語られる機会が極めて少なく、そのため、「有名大学」について考える材料も地元には少ない。結果、考えないようになり、また、自分には無理だと思い込んでしまい、勝手に情報格差のハンデを背負ってしまうことになる。このことは、私の経験とも、整合的である。
以上のように、「有名大学」を意識することが重要であることが分かってきた。このことは別に地方だから無理だという簡単な図式で見ることはできない。それは、上の引用からも、新潟市などの都市部では問題の程度が低いということなど、重要なのは、意識する機会があるか無いかどうかによるのだろう。このことは、『プレジデント』の2007年10月15日号の特集からも言うことができる[11]。地方出身だからといって、必ずしも、都心の公立高校や私立高校に、進学実績で劣っているとは言えない。
3.政策提言
以上、見てきたように、地方によっては、「有名大学」への進学が困難になったりすることがあるようである。実際に、私の出身地域では、大問題になっていると思われる。このことは、地方における医者不足や、「人材」不足など、地域にとって、大きな問題となっている。ここでは、その問題を解決するに当たって、どのような政策が取ることができるのかについて見ていくことにしよう。
まずは、そもそも、私的消費の要素が強い高等教育へのアクセスに対して、公共部門が介入する必要があるのかについて見ていくことにする。
①どうして、公共部門が介入する必要があるのか[12]
知識・情報・技能等を総称して人的資本というが、人的資本の社会的価値は、その所有者にとっての指摘価値より高い。この意味で、人的資本およびその形成を目的とする教育活動は、正の外部性をもつと言われている。
人的資本の蓄積が本人の利益を増進させることはいうまでもないが、人的資本が正の外部性をもつ財であるということは、本人が負担する人的資本投資費用と、それが生み出す社会的便益との関係に「歪み」が生じる可能性を意味する。
投資は、自分の私的費用と私的便益とを基準にして、決められる。本人にとっての最適投資量は、
私的限界便益=私的限界費用 (1)
となる点で決まることになる。
次に、社会的に最適な投資基準を考えると、
社会的限界便益≡私的限界便益+外部限界便益=社会的限界便益 (2)
となる。
このようにして、投資が決められることになるが、利己的な個人の場合、
私的純便益=私的便益-私的費用
を最大にしようとするので、人的資本のように正の外部性を持つ財への投資は、その選択が利己的個人にゆだねられたとき、過小に終わることになる。
如何にして、社会的に最適な投資を実行させることができるのだろうか。個人が利己的であるという事実を変更することができないとすると、(1)は不変である。そうすると、(2)を(1)と両立させるためには、外部限界便益に等しい限界費用補助を投資者に与えればよいということになるだろう。結果、利己的な個人に社会的に最適な投資量を選択させるには、社会が投資費用の一部を肩代わりすることが必要である。
地方出身者は、生涯その地域と関係を持続していくことが多い。そういう意味でも、長期間、その地域と関わるという点において、初期段階における人的資本の形成は正の外部性がより大きくなると考えられる。
では、このように公的支出が妥当であることを踏まえ、「あるべき」政策について見ていくことにしよう。
②地域間における高等教育の選択の「格差」に対する政策
教育政策手段として、バウチャー制度や、価格補助金制度について議論されることが経済学においては多いように思われる。今回明らかにしたように、「有名大学」への興味関心の欠如が、選択の「格差」である場合、これらの制度を用いることによって、興味関心を啓発することはできそうである。例えば、バウチャー制度の場合、「有名大学[13]」に入学すれば、県の補助で無料にすることが考えられる。また、価格補助金制度についても、同様に、「有名大学」に入学することで、一定の補助が与えられることになる。
このように金銭的なインセンティブにおいて、興味関心を高める政策以外においても、直接的に興味関心を高める政策も考えられるであろう。例えば、地域の中学生・高校生を「有名大学」に社会見学に連れて行き、そこで、大学への興味を喚起させる。これは、例えば、智辯和歌山中学では、修学旅行として取り組まれていたり、上記の津南中学では、早稲田大学などの訪問をしたりして、取り組まれている。時々、一橋大学でも、団体の中学生や高校生を見たりする。また、島根県の島の中学校の修学旅行の一貫として、一橋大学を訪れているという話も聞いたことがある。
他にも、昨今、大学の入学生獲得競争は高まり、独立法人化した旧国立大学も、その戦線に参戦しつつある。どの大学も、優秀な学生の確保に必死なのである。こういう状況を踏まえ、県が、「有名大学」を集め、合同で説明会を開くなどの対策も考えられる。
以上のように、様々な政策を考えることはできるが、問題は情報の非対称性にあり、その是正に取り組んでいくことが必要である。この情報の非対称性は、その地域の問題であり、よって、高等高校の管轄を行っている県が、問題の解決に取り組んでいくことが、規模の経済性を見ても、明らかであろう。その上で、各地域の人材政策の一環として、市町が、追加的に政策を行っていくことは、重要なことであろう。
参考文献:
・永谷敬三『経済学で読み解く教育問題』東洋経済新報社、2003年。
雑誌:
・『プレジデント』2007年10月15日号、プレジデント社。
・『財界にいがた』2007年10月号、財界にいがた。
ホームページ:
・田辺高校
http://www.tanabe-h.wakayama-c.ed.jp/high-1.htm
・和歌山県統計情報館
http://www.pref.wakayama.lg.jp/prefg/020300/wtoukei.htm
[1] 雑誌『プレジデント』2007年10月15日号、p.91。
[2] 雑誌『プレジデント』2007年10月15日号、p.88。
[3] 高等教育の機会の「格差」については、ここでは、扱わない。
[4] 資料①を参照。
[5] 詳細については、不明。
[6] 資料①を参照。
[7] 「平成19年度 100の指標からみた和歌山」を参考。http://www.pref.wakayama.lg.jp/prefg/020300/100/index.html
[8] 同上。
[9] 同上。ただし、この転入者の内訳については不明である。昨今、白浜において、老人ホームがたくさん作られ、域外から多くの高齢者が移入しているという話がある。
[10] 小熊「本県に必要なかつての教育水準と地域間格差の解消」『財界にいがた』10月号、p.129-135。
[11] 雑誌『プレジデント』2007年10月15日号、p.87-93。
[12] 永谷敬三『経済学で読み解く教育問題』東洋経済新報社、2003年、p.18-23を参考に書いている。
[13] あまり「有名大学」について、きちんとした定義を与えずに使用してきた。もしも、「有名大学」への入学に有利な条件を与えることになれば、その定義が問題になることは明らかであろう。

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