2008/01/06

レポート、やっと、完成。。。

テーマ「21世紀における新しい東アジア国際秩序を展望しなさい。その上で、秩序形成の基軸となる理念、思想、価値について論じつつ、新たな地域構想を具体化、実現するにはどのような実践的努力が必要かについても論じなさい。」

 2007年11月に、ASEAN+3首脳会議が開かれるなど、「公式の統合」は進んでいる。この会議の共同声明として、次のように、これまでの、そして、これからの東アジアの国際秩序が展望された。

「われわれは、過去10年間の成果を振り返り、既存の協力を強化し、ASEAN+3協力の将来の方向性を提示した。ASEAN+3協力は、ASEAN共同体を実現するために引き続きASEAN統合を支持すると同時に、長期目標としての東アジア共同体の形成に貢献するものである。[1]
 
1997年~1998年のアジア金融危機を契機始まったASEAN+3プロセスが、長期的には、「東アジア共同体」形成までを視野において進展していることは、東アジアにおいて、少なくとも国家間のレベルで、新しい国際秩序[2]を作り出そうという機運が高まっていることを示している。しかし、現段階においては、これからの東アジア国際秩序、また、「東アジア共同体」のあり方は、不透明である。このことは、逆に、これからの取り組み如何によって、そのあり方が変わるということを示している。私たち一人一人が、東アジア国際秩序の変容に、「積極的に取り組むこと」が出来るかどうかが、試されていると言うことができるのではないか。

さて、「東アジア共同体」、そして、これからの東アジア国際秩序を考えるに当たって、一つのベンチマークとなるのが、ヨーロッパにおけるEU統合である。ヨーロッパにおける統合の方法が、即座に、東アジアで適応することができるということはないであろうが、その統合の過程を見ることで、私たちは多くの示唆を得ることが出来る。また、その統合の結果としての経済的な利益や安全保障上の利益などを見ていると、私たちは、それに魅了され、憧れさえもってしまう。このように、EU統合のアプローチを「直接的」には利用はできないが、「間接的」に、利用していくことになるのだろう。

ところで、ステレオタイプではあるが、EU統合の「成功」の要因として、「ヨーロッパ的価値」の共有や、経済的な発展などの同質性を挙げることがある。そして、それを持って、同質性が低いから、「東アジア共同体」は難しいとされる。確かに、東アジアは、経済的な発展の度合いで言えば、日本のように成熟国家がある一方で、中国のように、今まさしく、経済発展している国もある。また、何かしらの価値の共有が、なされているとも考えにくい。よって、「東アジア共同体」への道が困難であるということは分かる。

しかし、東アジアの諸国を見たときに、圧倒的に、「若い」国、つまり、今まさしく経済発展を目指している国が多いことに気づく。そして、どの国も経済発展のために、基盤技術の形成や、環境問題の対策など、同時並行的に様々な問題を抱え取り組んでいる。もちろん、このような問題は、一国だけでは解決することが出来ない。そこで、その問題解決の担い手になることが出来るのが、日本のような東アジアにおける先進国だろう。日本は、「戦後」の経済発展の結果、世界有数の経済大国となり、基盤技術のノウハウや、環境対策についても、世界有数の技術を持っている。ただし、「成熟」国家化し、社会の活力は失われ、また、少子高齢化などの問題を抱えているのが現状である。多少強引ではあるが、この東アジアにおける「若い」国家と「成熟」国家が、互いに長所と短所を「補完」しあっていくことが出来るのではないか。そうすることで、「若い」国は、基盤技術の形成や環境技術の移転によって、経済発展できるようになるだろう。また、「成熟」国も、「若い」国との接触を通して、かつての「熱い気持ち」を取り戻し、自国の問題、少子高齢化や環境問題を「積極的」に解決していくことが出来るようになるのではないか。この「補完」という考え方を基盤に、「東アジア共同体」または、これからの東アジア国際秩序を目指してはどうだろうか。

その「補完」関係について見ていくと、日本企業が東アジア諸国に進出し、そこで生産を行うなど、「補完」関係は、これまでも行われてきた。しかし、その進出の目的は、安い現地の労働力の活用だったりするなど、その関係は、ある意味、日本側からの一方通行だったと言うことができよう。そこにあるのは、「発展途上国」と「先進国」の関係性であり、「下」と「上」の関係にあると言えるだろう。しかし、昨今、この関係に変化が起きつつあり、「若い」国と「成熟」国の関係になりつつある。つまり、より対等な関係に近づいているということができるだろう。このレポートでは、その変化を描きつつ、これからの東アジア国際秩序、そして「東アジア共同体」について論じていくことにしたい。

まずは、東アジアの発展の構図について、簡単化して、歴史的に振り返ってみよう。第2次世界大戦後、東アジア諸国は、次々と、独立していく一方で、「冷戦」の中、それぞれの道を歩んでいくことになる。そこで、ひときわ目立つ経済発展を最初に遂げたのが西側陣営の日本である。日本は、「中進国」として、戦後当初は進んでいくことになった。1950年から1973年までのGDP成長率は年率9.2%で、これは同じように戦後高度成長を記録した西欧諸国を大きく上回る結果となった[3]。その結果、日本の産業構造は大きく変化し、そして、1964年にはOECDに加盟するなど、先進諸国の仲間入りを果たすまでに発展するに至った。次に、1970年代に入る頃から、韓国、台湾、香港、シンガポールといった「四匹の龍」が登場してくる。これらの諸国地域はアジアNICS、NIESと呼ばれ、世界の奇跡として称賛されていくことになる。さらに、その後、東アジアの他の諸国、タイ、マレーシア、フィリピン、インドネシア等のASEAN諸国が発展を遂げていくことになる。近年、特に、注目を集めている中国も発展を始めた。1978年末に経済改革、対外開放、「緑の革命」に踏み出し、90年代に入ってから、際立った経済発展を実現していくことになった。そして、中国近辺のベトナム、カンボジア、ラオス等も、90年代以降、一気に改革、開放の道に踏み込んでいくのであった。そして、1995年以降には、東南アジア諸国は、先行するシンガポール、タイ、マレーシアなどの「先進国」と、ベトナム、カンボジア、ラオス等の「後発国」が、一つの新たなASEANとしてまとまり、新たな時代に進もうとしている。そして、1997年以降のアジア通貨危機において、「東アジア共同体」の議論が盛り上がるようになり、今日に至るのである。「冷戦」期においては、西側陣営の日本、韓国、台湾などの地域諸国の発展が進み、「冷戦」の緊張緩和、そして、崩壊を契機に、中国やベトナムなどの東側陣営の経済発展が進んできた。そして、今日、その西、東の枠組みが崩壊し、その枠を越えて東アジア全体、そして、世界全体と同時に、経済発展が進んでいる段階にあると言えよう。

次に、このような東アジアの発展の構図を押さえた上で、「補完」の関係の変化について見ていくことにしよう。一方的な、日本企業が安い労働者を求めて進出するという「補完」関係から、どのように変化していっているのだろうか。「日本から東アジアへの関係」と、「東アジアから日本への関係」の変化について、それぞれ見ていくことにしよう。

まず、最初に、「日本から東アジアへの関係」の変化について見ていこう。ここでは、中国の事例を見ながら、その変化について見ていきたい。ここでは、日本企業の海外人材の活用が、より高度化していることを確認していこう。日本経済新聞の2007年12月31日[4]に次のような記事があった。「日本の有力企業が中国拠点で長期雇用を前提にした人事制度整備に乗り出した。松下電器産業やホンダは個人の働きぶりや能力を評価して給与に反映する成果主義的な人事制度を導入。企業に長期雇用を促す『労働契約法』が来年1月に施行されるのを機に従来1~3年ごとだった社員の契約期間を3~5年程度に伸ばす動きも広がる。日本の労働力人口が減少するなか、中国を今後の成長を支える人材供給源と位置づけ、人材を長期的に確保・育成する体制作りを急ぐ」とある。このような動きの背景には、日本の労働力人口の減少以外にも、優秀な社員の定着を促すために、欧米企業並みの対応をしなければ行けないということも指摘されている。そして、トヨタ自動車は「現地法人の幹部育成に向けて教育制度も拡充する。トヨタ自動車は出資先企業の管理職にトヨタ流の仕事の進め方を伝授する共同研修を始めた」とある。こうして、日本企業の海外展開のあり方が、その国の人々との、より高次での「補完」関係に移行していることが確認できた。このような関係の移行については「長期雇用を前提にした制度導入で人件費負担は膨らむが、日本企業の間では『現地の事業を高度化していくうえで避けて通れない』との見方が強まっている」とある。明らかに、「日本企業の中国戦略は新段階」に入っていることが分かる。

もう一つ、事例[5]を見ていこう。3K色の強い鋳造、鍛造部門は日本国内での生産力確保に懸念が生じており、中国への依存が模索されてきた。しかし、鋳造の場合、初期投資が大きく、また、人的要素などの課題のために、なかなか日本からの進出が進まなかった。そのような中で、大連丸祐工業有限公司は、鋳造部門の中小企業として最初に進出の選択をした。結果は果敢な進出が功を奏し、日本では集めにくい若い人を大量に雇うことができ、また、日本の中小企業では、なかなか採用しにくい理工系大卒が活躍しているなど、中国において人材が十分に育ってきている。このようにして、「成熟」した日本では、集めにくい人材を、「若い」国で確保し、日本企業の活路を見出そうとしている姿が浮かんでくる。

「日本から東アジアへの関係」について2つの事例を見てきた。共に、日本の労働力人口減少や3K的な仕事の不人気などの日本国内の問題を解消するために、「若い」中国との「補完」関係を築いていこうという姿勢が見られる。

次に、「東アジアから日本への関係」について見ていく。ここでも、中国の事例を見ながら、確認していきたい。

家庭用ミシンモーターの世界シュアを80%握っている山本電気は、コストを下げるために、上海や台湾に、積極的に進出していた[6]。家庭用ミシンモーターは技術的にも確立されていることもあり、日本の本社は、開発型企業への 転進を模索することになった。しかし、福島県の地方小都市の中小企業では、理工系大卒など望むべくもなく、人材調整に苦慮していた。そのように人材調達に苦慮している頃、中国からの留学生が飛び込んでくることになる。山本電気は、海外展開をしていたこともあり、中国人の優秀さを理解していたので、採用し、そのことで、口コミで次々に留学生が入社するようになり、その中には、東京の有力国立大学の大学院卒もいた。このことに関して、社長の山本司氏にいわせると「うちみたいな中小企業には、理工系大卒などこなかった。就職難で最近は日本人の理工系大卒もくるが、集団面接で英語で討論してもらおうというと、日本人学生はみんな逃げ出す」とのことである。その結果として、10数人の開発部隊の中心は中国人スタッフになっているとのことである。また、一般に外国人を雇用した場合に、直辞めるなどの問題が指摘されているが、その最大の原因は短期契約などの身分が不安定なところにある。山本電気では、労働組合への加入を勧め、事実上、終身雇用の枠の中に取り込むなど、外国人労働者の労働環境の整備も進んでいる。以上のように、日本の中小企業が、国内の人材難などを背景に、外国人留学生を中核的人材として採用し、そして、その中で、次の発展を目指そうという姿が浮かんでくる。こうして、日本の中小企業は、ますます、グローバル企業へと変貌していることが分かる。

もう一つ事例を確認していこう。ここでは、神戸市の「新しい中国人街プロジェクト」を見ていくことにする[7]。日本企業の海外進出と比較し、外国企業の日本進出が極度に少なく、地域に外国企業を誘致するのは喫緊の国家的な課題となっている。また、地方自治体にとっても、地域に新たなインパクトを与えるものとして外国企業への関心が高まっている。この神戸市のプロジェクトは、阪神・淡路大震災の復興事業の一つとして位置づけられ、中国そしてアジアを視野に入れた一つの産業拠点を形成しようとするものである。この地域に中国を中心とするアジア企業の一大集積を図り、神戸経済にインパクトを与え、震災復興の中心的な役割を演じてもらおうという期待がある。神戸市は、もともと、外国人が日本で最も住みやすい町として知られ、中国人、韓国人、インド人、ベトナム人が多く居住している。そのため、子弟の教育機関、医療機関、漢方薬店、レストラン、食材店など、日本で生活するためのインフラが充実している。このようなインフラを背景に、神戸市は、留学生の就業や企業を支援したり、最初の日本進出拠点になることができるようにアジア企業を支援したりしている。この事例は、地域の中に、アジアの新しい動きを招き入れることで、発展を目指し、その中で、日本も変革していこうという動きであろう。

以上のように、「日本から東アジアへの関係」と「東アジアから日本への関係」について、その変化を検討してきた。国内的(労働人口の減少とか)また、国外的な要因(法制度の変更とか)に作用され、日本企業が大きく変化していることが確認された。海外展開するに当たっても、外国人労働者がどんどんと重要な役割を担うようになり、また、国内においても、中核的な人材になったり、地域の活性化の起爆剤として期待されるようになったりしている。国家間の、これからの「東アジア国際秩序」は、まだ、不透明であるが、このように、経済レベルにおいては、どんどんと、その「補完」的関係は進展している。
 「冷戦」も終わり、これから、やっと、東アジア全体で相互交流を行うことができるようになった。勿論、北朝鮮については、まだ、不確実な側面が多く、これからも注意していかなければならない。ただし、この問題も、北朝鮮を東アジア、そして、世界の相互交流の中に、如何に入れていくのかという視点を中心に、その中で、他の様々な問題を解決していくという姿勢が必要なのであろう。繰り返しになるが、「東アジア国際秩序」は、まだ、どのようになるかが、不透明であり、私たち、一人ひとりの取り組みが重要になってくる。経済活動を見ると、日本と東アジアとの「補完」関係は進行し、その中で、それに対応して日本も変化を遂げつつある。大きな変化の時代を迎えるに当たって、私たち一人ひとりの取り組みとして重要なのは、その変化に、「どれだけ積極的になれるか」、ということであろう。



参考文献:
・関満博『地域産業の未来』有斐閣、2001年。
・『日本経済新聞』2007年12月31日。
・マンガス・マディソン著、政治経済研究所訳『世界経済の歴史 1820年-1992年』東洋経済新報社、2000年。

ホームページ:
外務省 http://www.mofa.go.jp/mofaj/

[1] 2007年11月20日「東アジア協力に関する第二共同声明」外務省ホームページ。
http://www.mofa.go.jp/mofaj/area/asean/asean+3/syunou.html
[2] 同上。「われわれは、東アジア統合は、相互利益のための開かれた、透明で、包括的な、前向きなプロセスであることを改めて強調し、域内の平和、安定、民主主義及び繁栄を達成するために国際的に共有された価値を支持する。東アジア域内及び域外の永続的な平和と繁栄の共有に向けたビジョンに導かれ、われわれは、新たな経済の流れ、進化しつつある戦略的な相互作用、並びに、変化と新たな力学に対応可能な開かれた地域アーキテクチャーの実現に向けてすべての関心国及び機関を引き続き関与させるとの信念に今後も導かれていく。」
[3] マンガス・マディソン著、政治経済研究所訳『世界経済の成長史 1820年~1992年』東洋経済新報社、2000年、p.110-111を参照。
[4] 『日本経済新聞』2007年12月31日、p.1。
[5] 関満博『地域産業の未来』有斐閣、2001年、p.107-110を参考に以下書いていくことにする。
[6]関満博『地域産業の未来』有斐閣、2001年、p.101-103を参考に書いている。
[7]関満博『地域産業の未来』有斐閣、2001年、p.61-65を参考に書いている。

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