2007/10/08

「北朝鮮帰国船」について

NHKスペシャル「北朝鮮帰国船」を見た。国際政治が人々の人生を大きく歪めてきた「事実」が描かれていた。正直、考えさせられた。きついし、重いし、何ともいえない、「現実」の厳しさをヒシヒシ感じさせられるものであった。

この番組は、「帰国船」で帰った人からの「告発」、総連元幹部の「告発」、また元北朝鮮工作員の証言そして、各国(アメリカ、ソ連、旧東ドイツや日本など)の外交資料から浮かび上がる「事実」によって、構成されている。

全体として、北朝鮮の内実の「悲惨さ」に焦点が当てられていて、帰った元「在日」の人々の「悲惨な」生活や、北朝鮮政府から「在日」の人々に対する「要請」とかが描かれていて、北朝鮮は悪いよねとか、総連は悪いよねとかになってしまう感じがする。

「北朝鮮帰国船」に対して、「日本」国民は、どのような反応を示したのか。僕の理解では、当時の各紙をあげて、日本中をあげて、「在日」の人々を北朝鮮に送り出そうとした。

『毎日新聞』の1959年2月1日によると、次のような記述があったそうだ(自分で調べたのではないので、嘘かもしれません)。「帰国希望者をその希望地に送ってやることは、人道的に正しいし、国際法的にも広く認められている原則だからである。そればかりでなく、帰国希望者に対する北鮮側の受け入れ体制もできているとうわれるから、これが実現すれば、日本側も生活保障費の軽減や治安問題で少なからぬプラスとなり、送る側にも送られる側にも好都合ということになる。」

国民の投書として「送還に踏み切ったことは外交史上特筆に価する」とのこと。

このあたりの「事実」に対して、どのように理解すればいいのだろうか。過去の「事実」として、このようなことがあって、それを今日の私たちは、どのように理解すればいいのだろうか。「事実」を知るだけでいいのか。「事実」を知ることはどのような意義があるのか。

もちろんではあるが、日本中をあげて、どうして、「北朝鮮帰国事業」を後押ししたのかについても、番組の中において、述べられていた。アメリカの外交文書の中に記録されていた、当時の日本の政策決定者たちの考えが番組では、引用されていた。

書かれていはいたが、全体として、日本の「責任」という部分が、欠落していた番組だった。どうして、そうなのかは、もちろん不明。

描くことができない領域なのかもしれない。日本の「帝国意識」の結果起きてしまった日本の歴史的な「誤り」を、NHKという公共電波では流せないのかもしれない。また、どうして、そのような「誤り」が起きたのかについても、歴史的研究が進んでいないことも理由かもしれない。

表面的には、北朝鮮の体制や総連に対する「批判」と見ることができるかもしれないが、裏には、それを「支えた」日本社会や、政府、国際社会に対しても「批判」していると読み解くことができるのかもしれない。

手元にある資料から、この北朝鮮帰還問題の参考文献を挙げると・・・
高崎宗司他編著『帰国運動とはなんだったのか封印された日朝関係史』平凡社、2005年。
和田春樹「帰国運動とは何だったのか(下)」『論座』朝日新聞社、2004年6月。
テッサ・モーリス=スズキ「特別室の中の沈黙」『論座』朝日新聞社、2004年11月。
同「明らかになった岸政権の思惑」『論座』2005年3月。
小此木政夫監修、東北アジア問題研究所編『在日朝鮮人はなぜ帰国したのか』現代人文社、2004年。


「戦後」研究の必要性を痛感した。「戦後」についての歴史研究が全く進んでいない。「戦後」の日本の「負」の側面についての研究があまりされていない。(「負」の側面ばかりを見る必要性はないが、歴史的な現実として「負」の側面があった時に、それを描かないのは、「事実」を歪んだ形に見ることになるということは確かだろう。)

勉強不足のために、どうして歴史研究が必要なのかは不明。つまり、歴史研究の今日的な意義については、分からない。(分かろうという努力は継続中だけど・・・)

例えば、今回の事例の場合、この事実さえあまり、知られていない。よって、知る必要はある、学ぶ必要はある。どうして、知る必要・学ぶ必要があるのか?どのようにして学ぶ必要があるのか?

事実として、この事例を知った。国際化の中で、韓国や北朝鮮と会う機会が増大する中で、このような事実を知っていることは、最低のマナーであろう。

このことは分かる。

次の段階が分からない。この事実を知って、どう「反省」すればいいのか。(この事実は、まだ歴史的な事実ではない。終わっていない。)

よく「歴史とは・・・」とか言われるけど、分かんないんだよね。何を言っているのか。もちろん、分かったような気がするけど、わかんない。つまり、分かんない。

歴史を学ぶということと、現在とを、どのように結びつけたらいいのかな?

例えば、冷戦史について考えると・・・。

藤原『国際政治』の第12章「戦争とその変化」では、冷戦の起源から崩壊、冷戦後の戦争の変化についてまで描かれていた。

冷戦の起源については、ソ連責任説やアメリカ責任説、ネオソ連責任説(用語の使い方は目茶目茶の可能性大。)が書かれていて、ベルリン危機そして朝鮮戦争によって、冷戦が本格化。スターリンの死によって、一時、緩和するが、フルシチョウ政権の基盤強化と平行して、対立が激化。ケネディー政権とは、キューバ危機によって、核戦争の一歩前まで行くことに。

この危機が基点となって、米ソの間で、抑止体制の働くことに。この抑止体制が働くためには、相手が合理的な判断をできるという確証が必要であり、キューバ危機によって、それが判明することになった。米ソの間で、緊張緩和が進んだが、次にソ連と険悪になりつつあった中国が64年に核を保有。

当時、文化大革命中であり、中国の危険大。69年には、ソ連との間で、国境紛争。他方、アメリカはベトナム戦争の泥沼化が進行。このような状況下で、72年のニクソン訪中。これに焦ったソ連も、アメリカとの間で、軍縮。大国間での緊張緩和が進んだが、70年代の後半になると、各地で革命が起きる。全てがソ連が理由というわけではないのであるが、カーター政権は、弱腰の圧力を受ける。

ソ連のアフガン進行を受け、アメリカはそれまでの緊張緩和路線を修正し、強行に。そして政権は、共和党レーガンに。新冷戦の勃発。ところが、ソ連では、ゴルバチョフという新リーダーが、積極的に緊張緩和に貢献。また、ソ連の自壊も始まり、冷戦終了!

冷戦後残ったのは、唯一の超大国アメリカ。

以上が、僕のこの本を読んで理解した冷戦のエッセンスではあるが、この理解だと、今のアメリカの「力」を過大視してしまうとうな間違いを犯すのではないか。冷戦は、アメリカの「勝利」で終わったのか?

ここでは、簡単に、冷戦は多様なアクターが冷戦を突き崩すような働きをしたということだけを指摘しておこう。ここの藤原先生の分析では、枠組みとして国家を見るということであるが、この章では、明らかにヨーロッパの国々の役割が見落とされている。

この本を読みながら、歴史理解の不備が、現状分析の不備に結びつくことを発見。ただし、これは現状認識の歪みが、歴史を曲げたという可能性もあるけど。

眠い・・・。

2007/10/04

21歳、最後の日に考えた

時は流れる。流れる。そんな、感じがしました。

自分は、あまり変化していないのに、「周りの人々」(=自分と関わりがあった・ある人たち)の変化を聞いた時に、時間が物凄く流れていることを痛感。


ただ今、3つほど課題を抱えているのに、まだ1つ目さえクリアーできていない。泣きそうだ・・・。まぁ、明日も、泣きそうな顔を心の中でぐっと我慢して、溜息とかもグッと我慢して、元気に勉強したい。たとえ疲れていても、それを人前で見せると、それは他人にとっては、大変に不快なことですからね。


少し前に、中国に行き、その時、自分のために、いくつかお土産を買った。その一つが、牛の置物。机の前に置いています。何となく、最近、牛のように、のんびりと構えていることが重要なのではないかと思うからです。

昨日、小松『中田英寿誇り』を読む。昔から、世界を舞台に活躍する中田さんに興味があった。世界舞台に行くだけではなく、そこで活躍している点に何かしら惹かれる部分がある。

「全力で生きる」ということが、スゴク強調されていたことだと思う。そのあたりの「思い」を、思い出させてくれる本であった。

何となく思うこととして、中田さんは、どのように世界を見ているのかな。

2007/09/29

休み、あと2日

●生活習慣について

今日は、少し変則的な生活をしたので、溜息ばかりが出てしまい、周りの皆さんには、大変に不愉快な思いをさせることになってしまった。反省したい。

急にリズムを崩すと、どうも次の日に、ドット疲れがやってくる。まぁ、しかし、次回からは、顔には出さないように努力したい。


●映画を2本見る

オフに、映画を見た。しかし、両方とも、オフに見るべき映画ではなくて、難しくて、内容があって、考えさせられるものであった。

①映画「光の雨」
 この映画は、いわゆる「連合赤軍」が如何にして、「浅間山荘事件」に至るまで、軌跡をたどって来たのかが描かれている。この映画では、主に、その事件の前史が描かれていた。

 率直に言って、この内容の映画は、夏休みにも見ていたので、その映画との比較という観点から見ていた。夏に見ていたのは、若松監督「実録・連合赤軍」である。

 違いを言うと、今日見た映画の場合は、役者が演じた感想までも含めた形での映画であったのに対して、若松監督の映画は、その事件だけを描くものであったということがある。ただ、いわゆるリアリティーという点においては、若松監督の映画のほうが迫力があった。

 もしも、日本の60年代70年代の社会変動とか、及び、冷戦における社会変動とかに興味がある方は、見てみても良い映画なのではないかと思う。もちろん、題材が題材なので、賛否両論があろうが、議論させる価値があるという点でも、一見してみる価値があろう。

②映画「名もなきアフリカの地で」

 この映画も、見ていて、考えさせられるものであった。ナチスドイツの結果、亡命をすることになったユダヤ系ドイツ人について描かれている。

 少し思ったのは、ヨーロッパとアフリカの結びつきである。というのは、僕にとって、アフリカは遠い存在であるので、何かしらヨーロッパとの接点の中で描かれていたので、興味深かった。

 ジェンダーの問題についても考えさせられた。これは、ここ数日、シンシア・エンロー著『戦争の翌朝』を読んでいて、国際政治とジェンダーを考えていたことも多少影響しているのかもしれない。アフリカに亡命することで、これまでの収入を維持できない「父親」は、「母親」に対して、権力を行使できなくなった。また、このことは、女性の独立、つまり「主婦」から「自立した女性」への道を開くことになった。結果、夫婦関係は冷え上がり、「父親」は軍に志願して、亡命して失った「男」らしさを回復しようとしたのである。とかとか、この映画はジェンダーの視点で、論じることができるものであった。

●重要

明日で、「どんど晴れ」が最終回である。残念。

比嘉さんの笑顔は、周りを明るくするような感じがする。スゴイ笑顔だと思う。

2007/09/23

お知らせ 4

明日から、木曜日まで、日本を離れます。

2007/09/18

「勉強」は嫌いだ!

●「どんど晴れ」を見る。

最近、毎朝、この番組を見ています。話も終盤なので、面白くなってきています。比嘉さんが、より美しくなっていることも、印象的である。淡い色の着物がスゴク似合っていますね。

さてさて、今は、加賀美屋は、外資による買収の危機にある。夏美は、如何にして、この危機を乗り越えることができるか!

印象的なのは、外資=悪という感じで、描いている点であろう。このような描き方をすることはできるのは、日本ではNHKくらいなのではないか。民放だと、様々な利害関係から、外資を悪く描くのは不可能であろう。

映画では、「燃ゆるとき」において、外資を悪と描いていた。

いつか、外資の描き方も、学問的対象になるであろうことは、明らかであろう。その時に、この「どんど晴れ」とかを見て、思うんだろうね。日本人は、外資が嫌いなんだ、と。

●三輪『経済学の使い方』を少し読む

この本を少し読みました。まぁ、もっと、読んでも良かったのですが、どうも考え込んでしまうので、進まなかったということがありました。

この本では、徹底に、実証ということを大変に重視されている。そして、具体的に実証を行うことで、それまでの通念とかから脱却することを唱えている。私たちの周りに、如何に、実証とかを伴っていない通念とかが多いことを問題としている。

例としては、日本の高度経済成長期における政府の役割、ここでは産業政策が取り上げられている。僕なんかの理解では、日本の初期の経済成長期おいて、政府の役割は大きく、産業政策は大きな成果を挙げたということになっている。

しかし、著者は、この「通念」に対して、実証で戦いを挑み、ひっくり返そうとしている。中身の細かい吟味は、まだであるが。

まぁ、経済学の使い方、また、議論の詰め方とかについて、具体的な事例を通して説明されているので、大変、良い本だと思いました。

僕の卒論でも、本の要約では危険で、一つ一つ一次資料に基づきながら、事実を積み重ねていくことの必要性を感じた。日本研究なので、それ相当に、このことは進めていけるだろうとは、楽観視はしているのではあるが。

社会まで、如何にして、卒論に含めていくかが、僕の今の課題であろう。

あと、如何にして「通念」から脱却していくのかも重要である。具体的には、中村政則先生とか、渡辺治先生とかの、左翼系の先生の偏りに対して、どの程度、私は、相対化することができるであろうか。そのためには、安易な要約ではなくて、やはり、地道な研究が必要なのであろう。

上の偏りに対して、意識的にならなければいけないと考えたとのは、下の文献を読みながら考えたことである。

●『思想』を読む。

最新刊の『思想』を眺めました。1000号記念として、特集が組まれていて、今回は酒井先生を司会に間宮先生、中島先生の座談会の記録が載っています。

題は、戦後から1965年までの思想空間みたいな感じでした。僕は、卒論において、戦後の60年代まで見ていくつもりなので、何か面白い情報がないかどうかを探した。

率直に言って、面白かった。戦後における「保守」にも、2つの種類があることなどを知った。大きな議論として、戦後を「保守」と「革新」の対抗関係として描くことの単純さを痛感することになった。

どうしてはいけないということは分かったが、具体的に、どのように描けばいいのかについては、不明ではあるが。少し前に読んだ、米谷『アジア/日本』の戦後バージョンみたいな感じでしたね。

結局は、明らかなことなのですが、戦後においても、思想が重層的に絡まっているということ、そして、それを読み解いていかなければいけないということを、発見した。そして、そこにある戦前・戦時との「連続」と「断絶」にも丁寧に見ていく必要がある。

日本史における研究の蓄積が、今の段階においては、「戦後改革」あたりまでのようなので、僕の卒論が新しい何かを生むことができたらと、大きな野心を持って、取り組んでいきたいと考えている。


●図書館にて

今日は、図書館を出たところ、吉田先生とすれ違った。一瞬、本の批判をしようかと頭を過ぎるが、面識がないので、我慢した(笑)。

ただ、吉田先生にとって、僕は悪い学生であっただろう。というのは、昨年の冬学期の授業を毎回、前の座席で、寝ながら聞いていたので・・・。吉田先生の声を聞いた瞬間に眠たくなるので、辛かったな。

「敬老」の日

ゴードン『日本の200年』の上をやっと、読み終えました。久しぶりに江戸時代から戦時期までの歴史を勉強した。通史という形で、江戸時代から書いているので、「連続」ということに対して、大いに意識させられる本であった。

「断絶」と「連続」は、歴史学の重要な課題なので、僕自身も、卒論では、そのあたりの問題意識もクリアーにしておきたい。

ただ、通史なので、各トピックスに関しての記述は十分だとは言えないだろう。(日本の近代化・工業化が成功した箇所などに不足を感じる。)だけども、大まかな内容をつかむという点、また、読みやすいという点などを考えたときに、この本は良い本だと思う。感じとして、入江昭先生の『日本の外交』のようである。文章とかの流れが似ているような感じですね。

まぁ、明後日にでも、下巻を読もうと考えている。

本を少し整理していると、ウェーバーの本が5冊ほど、出てきた。読まなければいけないと、思うのだが・・・。こういう本の場合は、内容を理解したかどうかよりも、読んだかどうかの方が重要なんですよね(?)。

橘木『格差社会』を最終章を除いて、読んだ。日本の現状の格差社会について丁寧な議論がされている。そして、その深刻の度合いが深まっていることに対して、大きな危惧を感じる。

この本を読んだ目的の1つ目は、卒論において、ここで描かれているような書き方で、50年代とか60年代の日本経済を統計を使いながら表現したいというのがあった。読んで、僕に何が不足しているのかが、少し分かった。エクセルの使い方と、統計学の知識、一次データ。

2つ目の目的は、やはり今日の格差社会に関する問題関心だ。何が起きているのか、何が問題なのか、そしてどうすればいいのか?

この格差社会の話は、とても学際的な切り方が可能な領域であり、それは、この問題の難しさを逆に示していたりもする。そして、そこには、人の主観も大きな働きをするであろう。

主観ということを考えたときに、どうしても考えなければいけないのは、「自分は何か」ということであろう。どのように育ってきたのかとかとかの自分の歴史というものと、真剣に取り組むことが、必要であろう。

この点がきちんとできていない発言は、他人に対して、何も響かないだろう。自分自身の問題を相対化しながら考えなければいけないのである。

少し思いつきで問題だけを書くと、いわゆる「失われた10年」を子供時代に経た私たちは、どのような形で、自分自身の中に「影」を背負っているのだろうか。どのような形で私たちを形成することになっているのか。

私たちにとって、私にとって、「失われた10年」は何だったのか?そして、それは、どんな形で、私を私たちを規定することになっているのか。

眠たくなったので、以上。

2007/09/16

Bye the Clock

日本外交と「国連」


今年も、また、日本の首相や外務大臣は、国連総会に出席しないそうだ。

率直に言おう。なぜ、日本の姿勢を世界に「主張」できる絶好の機会をわざわざ捨てるのか!「主張する外交」なら、きちんと「主張」できる場所で「主張」しろ!

昨年も、自民党総裁選挙のために、国連大使が代理であった。今年も、同じそうである。

日本の政治家の外交音痴に、スゴク悲しくなる。

これは、まるで、世界に、日本は「主張」する内容を持たない図体だけがデカイ国家であるということを主張しているようなものなのではないか。

僕なら、ガツンと、日本の国際社会における役割を、言ってやりたいな。日本は、非軍事面で、世界で、NO1の「貢献」をする。日本は、憲法9条の理念を理解し、その理念に基づいて、世界での役割を果たす。

核兵器の開発及び実験について、いかなる国についても例外なく、反対する。そして、保有国に対しては、核の放棄を求める。


思い付きを書くと、戦後日本は所与としての国際社会に適応していったので、今日においても、適応していこうという傾向が強いのかもしれない。だから、国際社会において、日本が積極的に発言しようとしないのも、そこに原因があるのかもしれない。

しかし、日本は経済的に大きく成長していった。戦後日本が、国際社会に適応しようとしていった1950年代後半から60年代中頃までとは、大きく異なっている。そのあたりの「変化」に対して、きちんと理解することによって、また、相対化することによって、現状の見方も、より良いものになると考えている。

逆に、「変化」を理解できずに、昔のような認識を引きずっているいることは、「国家」の進むべき道を誤ることにつながるであろう。


面白そうな芸術家

インパクトの強い、考えさせられるような絵がある。


映画「釣りバカ日誌」を見たよ!


面白い映画であった。同時に、毎回のことではあるが、「地方」の活性化ということについても考えさせられるものであった。お時間と気分に余裕のある方は、ぜひぜひ、見てください。1000円で、見ることができますよ(皆、1000円)。

この映画は、毎回のように、軽く、そしてコミカルに描かれていて、僕は、スゴク楽しみながら見ることができる。

毎回、思うのではあるが、西田さんというのは、スゴク魅力的で、「独特」な雰囲気のする役者ですね。何か、スゴイ感じがします。このスゴサは何に起因するのだろうか。ある方は、声が良いと言っていた。これは、深い問題ですね。

でも、「釣りバカ」に限定して考えると、やはり、この「ハマちゃん」のキャラクターにも、惹かれる部分があるのも事実ですね。人生を楽しんでいる。100%で楽しんでいる。そして、その周辺にいる人々をもハッピーにさせる。

僕は、このキャラクターに、一つのワークライフバランスのあり方を見ている部分がありますね。そして、僕自身も、そのような生き方に、共感しているんですよね。

さてさて、今回は、壇れいさんが、「ハマちゃん」ガールとして、出演されていました。壇さんは、スゴクきれいな方ですね。声が、何となく印象として残っています。サントリーのCMも、スゴク印象的ですよね。

そろそろ、「地方」の活性化という点について見ていきましょう。明らかに、この作品は、そのあたりについて、意識していたでしょう。それは、例えば、開発の中止が決まった後の飲み会での若者の「若者が町を守り、作る」のような発言から分かる。

そして、「地方」というのが衰退している中において、今必要なのは、若者の力であり、団結であり、アイデアであることを考えると、この発言は、それを後押しするものであったのであろう。

少し前に、湯布院に行き、そこが活性化している一つの理由は、若者の存在であるということを感じました。若いということの持つエネルギーの大きさに、僕自身も21歳でまだまだ若いのですが、再確認させられたような感じがします。

また、どちらか言うと、そういう「若さ」は、どんどん出していっていいのだということを考えさせられた。それは、お寺のお母さんの方の発言から若者を応援しているということが伝わり、社会を動かすのは若者であり、それを応援してくれる大人はいるということを表現していたのではないか。

行動するか、行動しないか。社会を動かすのは、大人ではなくて、若者なのだということを感じさせられた作品であった。そういうメッセージが強く感じさせられる映画であった。

また、最近、「流行っていない」社会運動を肯定的に描いている点も印象的であった。時代の変化を感じさせられる映画なのかもしれない。

博士が100人いる村


ここで描かれていることが、どの程度、事実に基づいているかは、不明である。

しかし、最後に描かれていることから思ったことは、日本において、人材の活用が上手くなされていないということである。つまり、相当な知識や能力を持っている人たちを社会で生かしていくというメカニズムが、日本では、欠如しているのではないか。または、彼らを使うことができる人が少ないのではないか。

例えば、今日、学校の先生のレベルの低下が問題とされている一方で、他方では、博士の使い捨てが起きている。必要とされているところで、足りずに、他の場所では過剰に供給されている。この事態を、改善することはできないのか。

僕は、「制度」を改めることによって、比較的容易に、この問題を直すことができるのではないかと思う。例えば、修士にあがる人たちに、教職免許の取得を義務付けたりすることなどが考えられるであろう。

社会というのは、「制度」とかによって、強く規定されている。これを改善することによって、社会をより良い方向性に持っていくことができるという点において、「制度」設計という仕事は重要だし魅力的なのだと思ったりもしています。

●今日からの課題

毎日、「私の履歴書」を一人以上を読む。

理由:ミクロな視点から眺めることで、より深い歴史分析をする。

今日:今村昌平『映画は狂気の旅である』