今年も、また、日本の首相や外務大臣は、国連総会に出席しないそうだ。
率直に言おう。なぜ、日本の姿勢を世界に「主張」できる絶好の機会をわざわざ捨てるのか!「主張する外交」なら、きちんと「主張」できる場所で「主張」しろ!
昨年も、自民党総裁選挙のために、国連大使が代理であった。今年も、同じそうである。
日本の政治家の外交音痴に、スゴク悲しくなる。
これは、まるで、世界に、日本は「主張」する内容を持たない図体だけがデカイ国家であるということを主張しているようなものなのではないか。
僕なら、ガツンと、日本の国際社会における役割を、言ってやりたいな。日本は、非軍事面で、世界で、NO1の「貢献」をする。日本は、憲法9条の理念を理解し、その理念に基づいて、世界での役割を果たす。
核兵器の開発及び実験について、いかなる国についても例外なく、反対する。そして、保有国に対しては、核の放棄を求める。
思い付きを書くと、戦後日本は所与としての国際社会に適応していったので、今日においても、適応していこうという傾向が強いのかもしれない。だから、国際社会において、日本が積極的に発言しようとしないのも、そこに原因があるのかもしれない。
しかし、日本は経済的に大きく成長していった。戦後日本が、国際社会に適応しようとしていった1950年代後半から60年代中頃までとは、大きく異なっている。そのあたりの「変化」に対して、きちんと理解することによって、また、相対化することによって、現状の見方も、より良いものになると考えている。
逆に、「変化」を理解できずに、昔のような認識を引きずっているいることは、「国家」の進むべき道を誤ることにつながるであろう。
●面白そうな芸術家
インパクトの強い、考えさせられるような絵がある。
●映画「釣りバカ日誌」を見たよ!
面白い映画であった。同時に、毎回のことではあるが、「地方」の活性化ということについても考えさせられるものであった。お時間と気分に余裕のある方は、ぜひぜひ、見てください。1000円で、見ることができますよ(皆、1000円)。
この映画は、毎回のように、軽く、そしてコミカルに描かれていて、僕は、スゴク楽しみながら見ることができる。
毎回、思うのではあるが、西田さんというのは、スゴク魅力的で、「独特」な雰囲気のする役者ですね。何か、スゴイ感じがします。このスゴサは何に起因するのだろうか。ある方は、声が良いと言っていた。これは、深い問題ですね。
でも、「釣りバカ」に限定して考えると、やはり、この「ハマちゃん」のキャラクターにも、惹かれる部分があるのも事実ですね。人生を楽しんでいる。100%で楽しんでいる。そして、その周辺にいる人々をもハッピーにさせる。
僕は、このキャラクターに、一つのワークライフバランスのあり方を見ている部分がありますね。そして、僕自身も、そのような生き方に、共感しているんですよね。
さてさて、今回は、壇れいさんが、「ハマちゃん」ガールとして、出演されていました。壇さんは、スゴクきれいな方ですね。声が、何となく印象として残っています。サントリーのCMも、スゴク印象的ですよね。
そろそろ、「地方」の活性化という点について見ていきましょう。明らかに、この作品は、そのあたりについて、意識していたでしょう。それは、例えば、開発の中止が決まった後の飲み会での若者の「若者が町を守り、作る」のような発言から分かる。
そして、「地方」というのが衰退している中において、今必要なのは、若者の力であり、団結であり、アイデアであることを考えると、この発言は、それを後押しするものであったのであろう。
少し前に、湯布院に行き、そこが活性化している一つの理由は、若者の存在であるということを感じました。若いということの持つエネルギーの大きさに、僕自身も21歳でまだまだ若いのですが、再確認させられたような感じがします。
また、どちらか言うと、そういう「若さ」は、どんどん出していっていいのだということを考えさせられた。それは、お寺のお母さんの方の発言から若者を応援しているということが伝わり、社会を動かすのは若者であり、それを応援してくれる大人はいるということを表現していたのではないか。
行動するか、行動しないか。社会を動かすのは、大人ではなくて、若者なのだということを感じさせられた作品であった。そういうメッセージが強く感じさせられる映画であった。
また、最近、「流行っていない」社会運動を肯定的に描いている点も印象的であった。時代の変化を感じさせられる映画なのかもしれない。
ここで描かれていることが、どの程度、事実に基づいているかは、不明である。
しかし、最後に描かれていることから思ったことは、日本において、人材の活用が上手くなされていないということである。つまり、相当な知識や能力を持っている人たちを社会で生かしていくというメカニズムが、日本では、欠如しているのではないか。または、彼らを使うことができる人が少ないのではないか。
例えば、今日、学校の先生のレベルの低下が問題とされている一方で、他方では、博士の使い捨てが起きている。必要とされているところで、足りずに、他の場所では過剰に供給されている。この事態を、改善することはできないのか。
僕は、「制度」を改めることによって、比較的容易に、この問題を直すことができるのではないかと思う。例えば、修士にあがる人たちに、教職免許の取得を義務付けたりすることなどが考えられるであろう。
社会というのは、「制度」とかによって、強く規定されている。これを改善することによって、社会をより良い方向性に持っていくことができるという点において、「制度」設計という仕事は重要だし魅力的なのだと思ったりもしています。
●今日からの課題
毎日、「私の履歴書」を一人以上を読む。
理由:ミクロな視点から眺めることで、より深い歴史分析をする。
今日:今村昌平『映画は狂気の旅である』

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