2007/09/14

Book Report

●吉田裕『アジア・太平洋戦争』岩波書店、2007年。を読む

戦後世代だが、戦争経験世代からの影響を強く受けた研究者の「アジア・太平洋戦争」の描き方を批判する。僕には、この本が、確信犯的(?)に、東条、天皇、政策決定者たちの戦争責任を、描いているようにしか思えない。というのは、そこにあるのは、「国家指導者たちの誤った政策の犠牲者」としての国民しかないからである。

Digest:
①「アジア・太平洋戦争」について
 ・「アジア・太平洋戦争」について、本書では、41年12月に始まり45年9月の降伏文書調印で終わった   戦争、とする。
 
 ・『岩波講座 アジア・太平洋戦争』では、満州事変・日中戦争・「太平洋戦争」という一連の戦争を、「アジア・太平洋戦争」という広義の概念で把握することを提唱。
 
 ・この問題関心を継承しつつ、本書では、「太平洋戦争」にかわる戦争の呼称として、「アジア・太平洋戦争」と呼ぶことにする。それは、他の呼称を見出せないからである。

②問題意識
 
 ・現在の日本社会について、「1991年の湾岸戦争の頃から」「戦争の現実、戦場の現実に対するリアルな想像力が急速に衰弱している」と見ている。そのために、「報道の渦のなかで」「最前線の塹壕の中にはいつくばって死の恐怖と戦っている兵士の存在や、戦争にまきこまれた民間人犠牲者の存在は、すっぽりと抜け落ちていた」のではないか。歴史学は「直接に体験していない事象を想像する」ことを可能にする役割がある。「そうした戦争や戦場の現実に対するリアルな想像力」を歴史を使って、「回復」するのが、1つ目の問題意識。

 ・「戦後処理は、日本人の意識の中でも、まだ終わっていない」、「戦争責任[1]という問題に対して正面から向きあってこなかった」、と感じている事実がある。「こうした状況を踏まえ、本来ならば戦後処理の前提となるべきはずの戦争責任の問題を強く意識しながら、アジア・太平洋戦争の時代を自分なりに再構成する[2]」というのが2つ目の問題意識。

 ③本書の構成
 はじめに
 第1章 開戦への道
  1三国同盟から対米英開戦へ
  2戦争の性格
  3なぜ開戦を回避できなかったのか
 第2章 初期作戦の成功と東条内閣
  1日本軍の軍事的勝利
  2「東条独裁」の成立
 第3章 戦局の転換
  1連合軍による反攻の開始
  2兵力動員をめぐる諸矛盾
  3「大東亜共栄圏」の現実
  4国民生活の実情
 第4章 総力戦の遂行と日本社会
  1マリアナ諸島の失陥と東条内閣
  2戦時下の社会変容
 第5章 敗戦
  1戦場と兵士
  2本土空襲の本格化と国民
  3戦争の終結へ
 おわりに
 あとがき

 ④「戦争認識」「平和意識」について(「おわりに」の要約)
  ・「前線と銃後の悲惨で凄惨な現実」
   →戦後の日本社会の中に、軍隊や戦争に対する強い忌避感や国家が掲げる
大義への根深い不信感を定着させることに。
  ・「冷戦への移行」
   →(国際政治)「寛大な講和」
   →(国内政治)公職追放の解除
     →戦争「指導者の国民に対する責任が曖昧に」
 
 以上の事態が、国民意識の上に影響を与える。その結果、以下のような平和意識や戦争認識が生まれることになる。

・「加害の記憶が封印され、国民は戦争の犠牲者であり被害者であるという認識を基盤にして、独特の平和意識が形成された」「そうした平和意識は、アジアに対する加害の歴史を忘れさせることによって、はじめて成り立っていた」
 
・「国家指導者に対する反感や不信感」が、「被害者的な戦争観と結びつくことによって、戦争の責任は軍人を中心にした国家指導者にあり、自分たちは国家指導者たちの誤った政策の犠牲者だとする国民意識が広範に形成された」。それだけに、「戦争責任の問題が、なし崩し的に曖昧化されたことによって、多くの国民が割り切れない思いを抱くことになった」
 
・「冷戦の論理」によって、日本社会は戦争責任、戦後処理の問題にひとまずの決着をつけた。それは、経済復興から高度成長へと突き進んでいく時代の中で、戦争時代を「遠く過ぎ去った過去」、「振り返るに値しない過去」とみなす風潮を生んだ。そして、そのことは戦争体験世代に対して戦争体験を語ることを諦めさせるように働き、戦争体験の継承を妨げることになった。

 しかし、以上のような戦争認識や、平和意識は大きな岐路に立たされることになる。
 
 ・アジア諸国からの対日批判の本格化
   →被害者としての自己認識を基盤にした平和意識は通用しない
 ・戦争体験世代の急速な減少
   →直接の体験や実感に支えられた戦争認識や平和意識に大きなかげりが見え始めた

 今日の戦争認識や平和意識というのが、「直接の体験に基づかない『戦争の記憶』の占める比重が決定的」になりつつある。


Impression on this book
 ①「国家指導者たちの誤った政策の犠牲者」としての国民しか描けていないのではないか。加害者としての国民を如何に描くか? 

  例えば、東条は、「総力戦の時代の政治指導者」として、「メディアを意識的に利用した最初の政治家」であった。また、「絶えず国民の前に姿を現わし、率先して行動し決断する戦時指導者という強烈なイメージをつくり出そうとしていた」。これは、東条が「総力戦の時代は、多数の国民の積極的な戦争協力を必要不可欠なもの」とし、「そうした時代にあっては、力強い言葉と行動で、直接国民に訴えかけるタイプの政治指導者が求められる」ということを、理解していたからだという。
  
 こうして、東条の「作戦」は、成功し、「各地で国民に熱烈に歓迎」されることになる。そこで描かれるのは、東条の「作戦」に騙された国民である。
  
 どうして、このような描き方がされるのか。それは、「国家指導者に対する反感や不信感」を基底にしているからではないか。

 日本国民を「犠牲者」としてだけ描かないためにも、積極的に戦時体制を支えた部分や、戦場における兵士の戦争犯罪とかの加害の部分について、見ていく必要があるのではないか。

②「社会変容」について
 第4章の2節では、総力戦の遂行が、経済だけでなく、旧来の社会秩序や社会関係を大きく変化させたという歴史的現実について描かれている[3]。結果、日本社会の近代化・現代化[4]が進行することになった。

 ここでは、総力戦の遂行の結果、会社組織の「所有と経営の分離」が進行や、農村における規制地主制の後退などが描かれている[5]

 総力戦の遂行が部分的に近代化・現代化を進めたことは確かであろうが、しかし、新たな矛盾を生み出したことも忘れてはいけない。この節では、この点が欠落している[6]。 

 例えば、総力戦の下において、労働力不足を補うために、朝鮮の民衆に対して「強制連行」が行われた。

③株について[7](面白かった点)
  戦争中でも、マーケットが開いていたことに驚く。マーケットは、社会の動きに、いち早く反応して、上下するという、よく聞く話を、ここで確認させられた。
  
[1] 「日本国家と日本人の対外責任の問題だけでなく、日本の国家指導者たちの国民に対する責任の問題も視野に入れて考えたい」(p.ⅲ)

[2] このことに関して、「戦争の時代と地続きの時代を生きてきた」世代の研究者としての「果たすべき責務」としている(「あとがき」より)。

[3] アメリカナイゼーションについては、少し横に置いておく。

[4] 「近代化」「現代化」について、著者は、定義をしていない。これらの言葉遣いに関して、人によって、違うようである(山之内靖「方法論的序論」『総力戦と現代化』p.46)。
 例えば、森「総力戦・ファシズム・戦後改革」では、以下のように区分することを提案している。「『近代』を富と教養を独占したブルジョアと地主による名望家社会として規定し、『現代』をそれまで疎外されていた労働者と農民主体の登場による民主化・組織化・大衆化を前提とした大衆社会として規定し、両者を明確に概念区分すべきと考える。・・・」

[5] 他にも、労使関係、女性の社会進出、伝統的な「家」制度の解体、学生の軍隊経験が書かれている。
 少し「学生の軍隊経験」について見ると、「学徒兵は、当時の同世代の若者の中で、2-3%を占めるにすぎないエリート集団である。その彼らの軍事経験は、この国の学問や文化のあり方にも大きな影響を及ぼしているはずである。そのことを、さまざまな角度から多面的に検証してみる必要があるだろう」とある。これは、おそらく、吉田先生の先生である、藤原彰先生とかを念頭に入れての文章であろう。

[6] もちろん、全体を読めば著者がこの点を無視していないことは分かる。この節は、アメリカナイゼーションの議論を含めて、戦時・戦後の連続説を要約したものと見ることができるであろう。

[7] p.203-204。p.215。において、株式市場について言及されている。


●これからの予定
24日から27日まで、東京を離れます。

そのために、23日までに、様々な課題をこなす必要があり、頭がガンガンしております。まぁ、楽しんでこなしていこうと思います。

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