2007/12/31

よいお年を!!!

2007年12月31日

レポート3つとも、完成せず。最初の一つ目も、進まず、泣きそうですが、そこは気合ですね。

さてさて、今年1年間、いろいろ、お世話になりました。このブログを読んで下さっている方々には、今年、相当ご迷惑を掛けました。

今年1年間、本当に、ありがとうございました。

来年は、いろいろ、夢はありますが、とにかく、公務員試験に上位合格して、内定を獲得することを最優先にして、努力していきたいと思います。来年も、よろしくお願いします。

さてさて、あと少ししてから、和歌山に帰ります。。。

【心に残る言葉】
「究めようとしないからつまんないんだよ」

「こうして75歳の僕が20歳の君に教えれば君が75歳になった時、君は僕よりもっと素敵な75歳になるよね」

「どうぞ、自分を安売りしないでください」

「おごってもらったら2回お礼を言え。おごってもらった時と次にその人に会った時」

「しぶとく生き抜け。たまには息抜け」

「人間、ある時には見切りが肝心」

「Do the hard right not easy wrong
困難で正しい道を選べ」

「準備は120、発表は80」

「変化は機会」

「デリカシーを!」

「夢を追いかけることは、自分の足元を見つめることから始まる」

【自治体生き残りのための10ヵ条】
① 情報公開を徹底させること
② 国際化、高齢化を素直に受け入れること
③ 地域の素材で勝負すること
④ 国頼み、都道府県頼みから脱却すること
⑤ 官も民も、総力戦で地域の生き残りを模索すること
⑥ 安全、安心の地域社会を構築すること
⑦ 中央と地方のつながりを深めること
⑧ 公共事業頼りから環境保全、国土保全に力を注ぐこと
⑨ 住民自治の仕組みを充実させること
⑩ 共助の地域社会を構築すること

2007/12/30

いつまでも、見ているだけなのは、ツライ。。。

正月も、近づき、そんな中で、一人東京に居るのは、何となくではあるが、社会に疎外されたような、ウツウツを抱えてしまいます。

今日は、朝、久しぶりに、(というよりも、何年ぶりかな)ある友人から、メールが届き、何となく、驚きました。皆、いろんな道に進んでいるということを確認すると共に、僕も、頑張らなければいけないという気持ちを新たにしました。

さてさて、

【心に残る言葉】
「次の人が仕事しやすい環境を作るように心がけて自分の仕事をする」

「うどんを食べる時は、うどんのことだけ考えていればいい!」

「他人様から褒められたことは自分の長所だから、もっと褒められるように頑張ればいいんだよ」

「誰にでもできることをやるのが大切」

「『やればできる』というのは、『やらないからできない』の言い訳なんですよ」

「ありのままが最強!もっと素直に、もっと強く!!」

「これから、いろんなことがあるだろうけど、寂しがるなよ」

「仕事のストレスは仕事でしか返せない」

「上司のために部下がいるんじゃない。部下のために上司がいるんだ。だからちゃんと俺を使え」

【鈴木他著『MBAのための経営史』第1章】
まとめ

 本章は、日本の企業を解明する方法を考察し、以下の点が明らかとなった。

 第一に、アメリカの大規模製造企業が、必ずしも普遍性を持った大規模組織のモデルではなかった。それは、アメリカのように通常の財(モノ)の取引において組織が市場に代替することだけが企業の出現ではないからである。労働力(ヒト)や資本(カネ)といった資源配分においても、組織が市場に代替することはありえる。
 
第二に、大企業がそれ自体、どこでも、いつでも、優位であるとはかぎらず、中小企業や金融・サービスも優位性をもちえた。大規模な企業がその内部において規模や範囲の経済性による優位を築くように、中小企業や金融・サービスも、集積を形成し、外部性を組織化してより柔軟に経済性を達成することができた。
 
 第三に、どのビジネスが優勢に向かうかは、それ自身の優位性だけでは決まらなかった。そのビジネスが置かれた政治経済的な環境が重要な役割を演じた。

【勉強】
予定通りに、進まず。やばい。このまま、和歌山に帰ると、相当、やばくなるので、まずは、全てを横において、レポートを取り組もうと思う。
 

2007/12/28

やばい、時間が。。。

【大学でドラマの撮影】
学割をゲットするために、学校に行くと、何かの撮影が行われている。

教務課筋からの情報によると、TBSの伊東美咲さん主演の「エジソンの母」というドラマの撮影だそうです。2008年1月11日放送らしいです。

3日前くらいには、伊東さんも、来られたそうで、三日前なら、僕も、学校の周辺をふらふらしていたような・・・。残念。。。

ドラマの撮影なので、スゴク多くのスタッフの方々がいて、また、野次馬がいて、騒々しい雰囲気でしたね。

でも、凛とした寒さの中、大学の景色は、最高にきれいですね。兼松前から、図書館に向けての場所で撮影していたのですが、そこはホント、最高にキレイなスポットです。(兼松講堂の美しさはスゴイです。僕は、その美しさに、毎回、背中をシャンとさせられます。)

まぁ、大学LOVEな気持ちと、伊東美咲さんLOVEな気持ちを持つなら、ドラマ「エジソンの母」を見ては如何でしょうか。僕は、一身上の都合で、見ませんが・・・。

【心に残る言葉】
「上司の悪口は言ってもいいが、同僚の悪口は言うな」

「遠距離恋愛は、信じないまでも疑わないこと」

「お前がやった失敗で、オレがやってないものはないんだよ」

「本番で泣くな、練習で泣け」

「ゆっくり休んで、しっかり治してください」

「憧れはすべてのことの原動力です」

「今日やったことは明日もやる。今日やらなかったことは明日もやらない」

「ため息は、ついていいんだよ。悪い空気は吐かないと、いい空気が入ってこないでしょ」

「どうしたらいいか分からんって時は、本当はどうするのがいいか分かっているけど、まだそうしたくないんだけやから、分からん分からんって考えるな。そうする時が、そのうち勝手に来る。」

【関満博『地域産業の未来』再読】
昨日、掲載したレポートを書くために、ネタ探しの一貫で、この本を再読した。しかし、どうも、自分が何を書くのかが明確にならないので、どうも、昼間からウツウツしている。何でもいいから書くということになれば、関先生の意見に、歴史問題の重要性を付け加えた形の、何とも平凡でダメなレポートになりそうである。

さてさて、どうしよう?

【帰省】
12月31日の夜行で、和歌山に帰ります。

それまでに、勉強を進めないと、ホント、やばい。

寝不足厳禁。

年賀状を、ランチ後に、やっと、書き終えることが出来ました。今年は、昨年の反省(全て手書き)を踏まえ、いろいろ考えながら、取り組みました。簡単に言うと、昨年と比べると手抜きですね。よく言えば、要領よく。まぁ、時間の制約が強くあるので、どうしようもありません。

送り手も、少し絞ったことも、昨年と比べると、楽になった点でしょうか。2年前は、大臣に年賀状を書いていたので、そういうのは、結構、ストレスですよね。書く内容に慎重になってしまうからです。

でも、その点に関しては、今年も同じです。というのは、送り手一人ひとりと、今年1年で、いろんなことがあったので、それに合わせて、気の利いた文章を書こうとすると、案外と難しくて考え込んでしまって、楽しくはあるのですが、苦しくもあります。

まぁ、これが年賀状です。


【心に残る言葉】
「他人に言われて、グサリ!ときたらそこは自分の弱いところ。カチン!ときたら自分の固いところ」

「ヒマはできるんじゃない。作るんだ。」

「どんな作家でも、みんな好きにならなくてはいけないよ」

「仕事なら、時間をずらしてもらうことができるけど、遊びの時は、君が来るまでみんな待っていなければならない。プライベートの時こそ遅刻するな。」

・・・このペースで続けると、少し時間が掛かるので、今回から倍を書くことにします。

「幸せは現地調達」

「手は抜いてもええから、気は抜いたらあかん」

「メールより電話、電話より会いに行け」

「自分ほど自分を裏切る奴はいない」

【レポートの構想】
明日、東アジア国際関係史のレポートを、1日限定で書こうと思っているので、その素案を、少し書く。

「テーマ:21世紀における新しい東アジア国際秩序を展望しなさい。その上で、秩序形成の基軸となる理念、思想、価値について論じつつ、新たに地域構想を具体化、実現するにはどのような実践的努力が必要かについても論じなさい。」

素朴な疑問として、「秩序」とは何かから議論しなければ行けないのか?

僕は、最近、経済を中心に勉強しているので、経済的な相互依存関係の深化のあたりを、どういう形でかで、描きたいと考えています。その時に、中心とするのは、外的(円高、途上国の追い上げとか)内的(経済大国とか)日本の経済・社会システムの変化ということを中心にしつつ、それを、どのように受け止め対応していくのかについて、これからの国際化のあり方について議論できればと、少し思います。

事例としては、企業の海外展開における外国人労働者の位置づけの変化とかを見ていくことになるのか。

これ以上は、あんまり考えていないけど、繰り返しになりますが、結論としては、日本の経済・社会システムが変化しなければ行けないという所にもっていきたいと思います。

(昨日、経済産業省の説明会聞いた話に、すごく、啓発された面のある議論になるかもしれませんが・・・)

【『フォトジャーナリスト13人の眼』】
久しぶりに、パレスチナとかの、市民の安全保障とかが脅かされているという内容の本を読んだ。久しぶりだったので、こういう視点を忘れていた。「あっそうだ、こんな世界もあったんだ」という、感じですね。

今日、半分、オフ気味だったので、図書館から、予約して借りていた、この本を読みました。

アメリカの悪行、国内間での争い、国際社会の無関心への告発が多かった。

特に、アメリカの悪行については考えさせられた。というのは、日本も、1945年から1952年の間は、実質的にアメリカに占領されていたということを、少し思い出し、今、イラクとかアフガニスタンとかで悪行を重ねるアメリカが日本で、悪行をしていないわけがないということを、考えるに至りました。

もしかしたら、アメリカは、日本のことが、大好きだったので、日本に対してはやさしかったのかもしれません。

まぁ、こういう見方というのは、なかなか支持されないですよね。

戦後の日本は、アメリカによって、作られ、そして、今も、アメリカの「支配」の下にあり、「冷戦」後は、アメリカの搾取の元に置かれているという、「陰謀論」の気持ちは分かるのですが、これも、なかなか、今の僕には、支持できません。

ただ、今現在の、アメリカの政策を見ながら、過去を見たときに、違った視点を与えてくれることは間違いないですよね。

対日占領政策への評価の仕方とか。

ある歴史家は、歴史を書くということは、過去により現在の説明である、と言っていました。もしも、過去の歴史がアメリカ様々だとしたら、現在のアメリカの政策を批判する視点は出てこないのかもしれません。ニワトリの卵とかの話ですが、現在のアメリカの政策に批判的な感情なり思いを持たない人は、過去のアメリカの政策を批判的に捉えなおすことが出来ないのかもしれません。

歴史も現在も勉強する必要があるという話しでした。

【映画「ワンダとダイヤと優しい奴ら」「デーヴ」】
それなりに面白い映画だとは思います。ただ、優先順位は低いですけどね。

「デーヴ」は英語だったので、楽しめなかった(明らかに勉強不足・・・汗)。

「ワンダ・・・」は、アメリカ人のイギリス観とかの部分は面白かったが、コメディーですね。

と言うわけで、気晴らしで、かつ、あまりエネルギーの要るコメディーを希望しない場合は、見てもいいのではないかと、少し思います。

2007/12/26

「ガツン」

「ガツン」と今日も、やられました。
やばい。やばい。勉強は進まず、かつ、会話力・プレゼン力も低い。ガツンです。
「反発」のエネルギーで「ガツン」と、やってやりましょう。

まずは、年賀状書きからですね。

【心に残る言葉】
「あなたはあなたを楽しませようとしているものによって楽しまされてはいけない」

「人間は一人では生きられない。あなたは生きているんだから、一人ではない。安心しなさい。」

「良い本と良い友達を持ってください」

「恩は返すだけじゃくって恩送りって言葉があるんだよ。私たちに返すんじゃなくほかの人にしてあげたらいい」

【『法とは何か』読了】
法とかを考えるに当たっての基本的な考え方を、いくつか勉強。

これを基礎に、憲法。民法。勉強します。

【政策】
政府の行う政策について、議論しようと仕掛けたが、「ガツン」と遣られました。全く、アホです。

基本は、市場メカニズム。それが機能しないとき、政府の出動。

このあたりを基本に、考える必要がある。

【予定】
勉強進まず。
年賀状書きも進まず。
家に、いつ帰れるのやら。レポート、3本、書かないと行けません。

【占領と改革】岩波書店ホームページより
雨宮昭一『シリーズ日本近現代史(7) 占領と改革』 

「新憲法の制定、女性参政権、教育の民主化、農地改革、財閥解体など一連の戦後改革は、占領政策によるものとされてきました。しかし実は、改革の原点は占領政策にはなく、戦前・戦時の社会から継承されたものだったのです。占領開始からサンフランシスコ講和条約調印までの戦後十年を、斬新な視点で描きだします。」

楽しみですね。。。「斬新」さに、期待ですね。。。

2007/12/25

寒い。寒い。寒い。

【心に残る言葉 NO.3】
「人は、短所ではつまずかない。長所で苦しくなる」

「すべてにおいて、理屈が説明できるようにならなければ、その仕事ができるとは言えません」

「予定は守らなくていい。でも、約束は守りなさい」

「何事も始めることが50%の成功」

「青春の夢に忠実であれ!」
・・・高校3年生の冬、大学受験もそろそろ本番が近くなり、期待と同時に焦りや諦めの気持ちが出てなかなか勉強がはかどらなかった時に、高校でいつでも相談に乗っていただいた先生から言われた言葉。

【『法とは何か』】
読書経過中。今日中に、読む予定が・・・。自分の能力の限界と、集中力の脆さに。。。

【個人と集団との関係】
 よく言うことなのであるが、僕は集団が苦手である。というよりも、集団に対する信頼感が低い。だからといって、集団に入ることを完全に拒否することもしない。

明らかだが、個人で出来ることは限られている。何か実現したいのなら、組織に入り、その中で、実行していくしかないというのは、一つの現実なのではないか。

高校の時に、クラスの人々の欺瞞的な行為を、机を引っくり返しそうな怒りをもちながら、見ていた。また、そのような雰囲気自体が、僕を苦しめた。どうして、そのような欺瞞的な行為を、全体は許容するのか。どうして誰も何も言わないのか。

僕は、当時、まだ、自分の感情を示すということを知らなかったので、集団から、縁を切るという手段によって、自分の「正義」を守ろうとした。

そうこうする中で、いろいろ考えた。まずは、一人は、孤独であるということ。一人の力は、微小なこと。実現したいことがあれば、一人では無理で、集団の中に入らなければ行けないということ。

そして、今僕は、集団は嫌いだが、集団に入らなければ、実現したいことが出来ないから、入ろうと希望している。

その組織にいる人たちの何人かは、次のようなことを言っていた。「組織の中で、皆で、何かを実現することが楽しい。だから、自分は組織に入った。」

僕も、このことを否定するものではない。おそらく、この時に、重要な分かれ道があるとするなら、組織というものに対する主観的な感情であろう。

それに対して、好意的な感情を抱くか?それとも、敵意を抱くか?一般的な組織に対しては、敵意を抱いたとしても、好意を抱けるような組織のあり方というのは、どのようなものなのか?

・・・

【課題】
全く、日程表が進まない。ウツウツ。ウツウツ。やばい。やばい。勉強の密度を高めるとともに、気合の程度を高めるしかないのではないかと観念しています。。。

2007/12/24

外は寒い。。。

就職活動の一環で、メールして返事が来ないのは、何となく精神的にストレスです。一つのことに集中すれば問題ないのにも関わらず、それが出来ない。僕は、脆いです。

さてさて、
【心に残る言葉】
「反省は、太く短く」

「見たところまでうまくなれる」

「1年目は、とにかく会社に来なさい。
2年目は、仕事を覚えなさい。
3年目に初めて先のことを考えなさい」

「凡人になろうとする人は、凡人でない」

【アヒルと鴨のコインロッカー】

伊坂幸太郎『アヒルと鴨のコインロッカー』を読んだ。電車とか、歩きながらとか、疲れた時に、読み、やっと、読み終えることに成功。

女性の書いた小説だと、作者を確認せずに読んでいました。というのは、文章の感じが、爽やかな感じがして、このような文章は女性だと、僕の中では信念があったからです。

そんなわけで、ふっと表紙を見て、男性が書いているのを確認して、ほんの少しビックリ。

さてさて、この本は、畏友が面白いと言っていたので、読んでみました。実際、面白かったです。文章が、スゴク爽やかな感じがして、僕は好きでしたね。

内容も、推理小説?と、考えながら読んでいたのですが、まぁ、一つのエンターテイメントとして、読むことが出来るでしょうね。面白い小説を探している場合は、お勧めです。スイスイ読めます。

久しぶりに小説を読んだことになりますか。前は、夏目漱石の何かを読んだような記憶があります。あんまりないんですね、小説を読む機会が。そもそも、読む動機がない。

小説を読む方というのは、どういう動機で読むのでしょうかね???
エンターテイメントでしょうか。

それとも、教養を身につけるという動機でしょうか。

自分の内面的な悩みとかと対話するためでしょうか。

・・・

僕の場合、エンターテイメントに関しては、映画が代替しているし、それ以外の部分も映画がフォローしてくれているような気がする。

だから、別段に、わざわざ、文章を読むという「ツライ」作業をする動機がない。さして、僕の「悩み」とかを受け止めてくれている小説とかも、あまり知らない。それなら、案外、映画の方が、僕に対して、様々な示唆を与えてくれる。

そんなわけで、僕は、映画を見ます。もちろん、小説も、面白いのがあれば読みます。

【熊井啓監督】
NHKのETV特集で、熊井啓監督について知った。

映画「海と毒薬」は、見たことがあった。

この監督の問題関心というのが、スゴク共感できる部分があった。社会の欺瞞とか、不公平とか・・・。

重そうな映画ばかりだけど、自分の考えを深めるためにも、見てみようかなと、思いました。

【年賀状】
明日までには、年賀状を書かなければいけません。泣きそうです。。。

2007年も、あと少し。

【情熱大陸】

テレビ番組「情熱大陸」に、坂東眞理子さんが出演されていた。200万部を超える『女性の品格』の著者で、昭和女子大学の学長さんをされている方だ。何とかの品格とか、怪しいとかを思っていたのだが、なかなか面白そうな本かもしれないと、思うようになった。

基本的には、当たり前のことをしましょうね、という本だと、思われる。

特に、印象的だったのは、官僚組織の中で、生き残っていくために、最も大事な存在である、家族を犠牲にして、働きまくったという話だった。

僕は、素朴に、そんな組織が間違っていると思う。

そうしなければ生き残れない個人が悪いのではなくて、そこまでさせる組織が悪いと思う。どうすればいいのかというアイデアはないが、変えなければ行けないという点だけは、確信された。

僕は、どんなことでも、それが問題で変えたいと思うのなら、変えられると、今のところは、信じている。組織が破綻するまで、問題のまま継続するのか、それとも、その問題を変えて、よりパフォーマンスを向上させていくのか。

ある意味、その当事者一人ひとりに、問われていることだと思う。


【心に残る言葉】
ほぼ日刊イトイ新聞×日経アソシエの『みんなで集めた心に残る言葉 2008』より

毎日、心が暗くなりそうなので、いい言葉を読んで、元気になりましょう。というわけで、毎日、1ページ分の言葉を書きます。継続は力なり!!!

「あれでよかったんだろうかと後悔するのは、その瞬間の今に集中していないからだよ」

「これから、やるかやらないか、迷うことがあったら、すべてやりなさい」

「愚痴も自慢のうち」

「すべての人に好かれる必要はない。すべての人を好きになる必要もない」


【日経新聞 経済教室】
2007年12月18日朝刊
一橋大学教授守島先生の「『人的資本形成』重視を」を読んで

この小論が少し面白かったので、その紹介。

結論を抜粋「『人生前半施策』、特に人的資本の適切な形成を効果的に行うことが、長期的に競争力の強化、社会的なコストの低減、公平な社会の実現につながるはずである」

事後的な社会福祉よりも、その前に、効果的な「人的資本形成」に最重点的に投資することで、社会を公平で効率的にしていくよ、という考え方を、文章化しているのを、初めて読んだので、少し感動。「格差」とかに興味がある方は、一読をお勧めします。


【銭湯】
金曜日。学校が終わったので、部屋の大掃除をし、体の大掃除ということで、銭湯に行き、のんびり風呂に入りました。

久しぶりの銭湯、久しぶりにのんびりしたこともあり、昔のことを、いくつか思い出すことになった。

大学1年の頃、銭湯が一つのコミュニティ施設になっているのを見て、何か感動したこともあった。

・・・いろいろ昔のことを懐かしく思い出す。

銭湯は、今は、どちらか言うと、斜陽気味ですね。それは、そこの空間にある、レトロな感じが、それを象徴しているような。でも、少し前の昔には、この銭湯は、日本社会の公衆衛生の向上に多大な貢献をしたことは、間違いないことであろう。

現在の豊かな国日本と、発展途上にあった日本との、ちょっとした繋がりを、僕は銭湯で感じました。

2007/12/20

梅佳代さんみたいな視点を大事にしたい

今日(20日)も、また、都心の方に、スモール旅行に行きました。とにかく、人が多いのが、僕には、印象的です。そして、そこには、様々な人たちがいます。

まず電車に乗ると、真面目な顔をして考え込んでいる小学生を見ました。小学生なのに、複雑そうな顔をして悩んでいる姿に、少し可哀想な感じを僕はしました。小学生の時は、毎日24時間笑顔でいいですよね。

そして、四谷に行くと、ニワトリのような髪型をした女性を見ました。赤色の髪です。ユニークだと思いました。

そんなわけで、いろいろな人が社会には、いるのだということを、少し感じた一日でした。

「コロッケパン」状態

地下鉄・丸の内線を22時あたりに乗っていると、スゴク多くの人が電車に乗ってきました。あまりの人の多さに、押しつぶされそうになり、コロッケパンのコロッケのような押し付けられようでした。

ただ、この人の波も、一駅で解消したので、何ともスゴイ現象だったと思いました。もしも、サラリーマンの方で、毎日、この「コロッケパン」状態を強いられている人がいたら、気分は最悪だろうなと思いました。

さてさて、今日も、油断をしたら、風邪をひきそうなくらいに寒い日でした。僕の部屋は、とてつもなく寒いので、それが最近の問題です。ただ、今日は風邪ではなくて、2日酔いで最悪の気分で一日が始まりました。

午前中は、いつ吐くのか、不安でした。そこは、気合で1時間目2時間目を乗り越え、徐々に体調も回復してきました。気合の重要性と、次の日に休めない授業があったら前日は飲みすぎないという計画性の重要性を痛感しました。

時間も遅いので、そろそろ書き終えますが、金曜日に授業が終わるので、まずは、授業に集中していきたいと思います。

2007/12/17

【反省】ブログ真面目宣言

□ブログ

興味深いブログを見つけたので、その紹介から。

http://totodaisuke.weblogs.jp/

です。

昔、この方の本を読んだことがありました。この本も、ハーバードのMBAに在籍中に書かれたものだった、と記憶しています。

『ハーバードMBA留学記』

最新の『日経アソシエ』を眺めていると、彼の記事が載っていました。

彼の真似をして、それなりのブログを書いていきたいと思います。内容×質を高めていきたいと思います。

多くの場合、僕のブログは、読書感想文、卒論の貼り付け、雑感、映画の感想です。あと、横に、僕のが見つけた、それなりに面白いのではないかという情報を張っています。これからは、出来るだけ、雑感を書くのではなく、自分なりの見方を表明したり出来る場所に変えていきたいと思います。だから、朝ごはんの献立を書いたりすることは、しないように努力します。

それでは。。。

2007/12/16

洗濯物を干しながら、青空を見上げる。。。寒い。。。

内容のないブログを書いていると、自己嫌悪に陥るので、「真面目に」、書く癖を付けたいと、常日頃から考えています。

案外、このように書き始めてから、自分の考えが、まとまり始めたというのも事実です。あと、話をするのが苦手なのも、書くということで、インプットが強化されたことより、多少は、解消されつつあるのではないかと、自己分析しています。

まぁ、そういうわけで、書く余裕がある時は、きちんと書きましょう。(来週は、レポート2本と、宿題がたっぷりあるので、涙の1週間になりそうです。。。。。)

日本が抱える根本的な問題
□環境問題
□少子高齢化問題

があると考えられる。各問題については、有名なので、省略します。

これら、2つは、これまでの日本の「システム」「構造」を抜本的に変革することが求められている問題です。そうしないと、実態と、「システム」「構造」のギャップのために、多くの無駄と苦しみを生むことになります。生活も不幸せになると考えられます。

環境問題については、日本の場合、環境省という役所があり、様々な施策が計画・実行されている。話を聞く限り、独立した省として制度的な裏づけもあるので、相当、潜在的な力を有しているのではないかと、僕は見ている。

そういうわけで、それなりに、何とかなるのではないかと、思う。

問題は、少子高齢化問題だと思う。どうしてかというと、老人省が、存在しないなど、つまり、高齢化に対応した社会の「システム」「構造」への対応が遅れているのではないか。

これは、ある意味、無理もないことなのかもしれない。というのは、1970年代に日本は高齢化社会になり、その1990年代に超高齢化社会になり、2010年には、4分の1が、高齢者の社会になろうとしている。現実が、とてつもない速さで変化しているのである。

日本の戦後、「若くて貧しい」日本の「システム」「構造」では対応できない事態に直面しているのである。

こういう高齢化の問題は、所謂先進国では、共通の問題であるが、その問題の深刻さでは、日本が最先端にあるということは、周知の事実であろう。だからこそ、逆に、この問題を速やかに、解決し、そのノウハウを世界に売り込むチャンスがあるのではないか。

変化の最前線にいるということを、ポジティブに捉えていくことが必要なのではないか。


別の話題・・・

戦後日本の構図・・・
敗戦:
戦後復興から、国際社会への復帰へ

1960年あたりの貿易の自由化以降:
国際社会への復帰から、貿易立国・経済大国への道へ

失われた10年・15年以降
成熟国家への転換、中国とか韓国から追いかけられる、

僕の卒論では、これからの日本のあり方を捉えなおすに当たり、その前のシステムが、どのように形成され、どのような特徴を持ち、また、それらが、今日どのように問題になっているのかを、クリアーにするのが目的。

別の話題・・・
関満博『地域産業の未来』有斐閣、2001年。読了。

地域のこれからのあり方について思いを巡らす。水曜日に、経済産業省の政策説明会で、地域産業政策を聞くので、その予習と、月曜日の授業の予習を兼ねた読書であった。

時代の変化に如何に対応していくのかについて、構造的に分析された箇所が多く、考えが、スゴク整理された。

関先生の本は、繰り返しが多く、そのため、エッセンスを学ぶのが簡単なので、良い。ただ、その繰り返しが、少し気になる時もありますが。まぁ、これからの日本のあり方について興味がある方は、一読してみては如何でしょうか?基礎的な知識としては、日本語が読める程度で大丈夫です。。。

2007/12/14

オフ、終了。。。

映画「7月24日通りのクリスマス」「台風クラブ」を見た。

「7月24日通りのクリスマス」は、まぁ、そんな感じ、という映画だった。上野樹里さんが出ていた。。。確かに、中谷さんと、上野さんの年齢の差が、露骨に出ていた映画であった。

「台風クラブ」。この映画は、なかなかの名作だそうなので、見た。面白かった。分かりやすい映画ではない。ドラマの延長にある映画とは、一線を画した映画であることは、明らかである。

この映画は、少しお勧めかも。

オフ突入。少し休む・・・。

卒論報告

2007年12月14日
芋月俊博
□卒論の構成
1.はじめに[1][2]
 経済大国日本の基点として、貿易・為替の自由化を見ることが出来るのではないか。
2.統計で見る日本経済の発展[3]
3.貿易・為替の自由化への過程[4]
4.貿易・為替の自由化とは何か
5.その結果(国内の産業構造の転換や、生産性の上昇による国際競争力の強化とか)
①日本の農業[5]
 ②大企業[6]
 ③中小企業[7]
 ④エネルギー[8]
 ⑤都市
 ⑥地方
 ⑦国民意識[9]
 ⑧文化
 ⑨海外との関係
  ・・・
6.結論
高度経済成長期における、貿易・為替の自由化は、どのように、日本を変えていったのか。経済大国としての日本が、どのようにして作り上げられていったのか?また、高度成長と、貿易・為替の自由化との関係について。貿易・為替の自由化を、歴史上に、どのように位置づけるのか?

□報告
3.貿易・為替の自由化への過程
 
①貿易為替の自由化の背景
日本の高度成長が進むにつれ、しだいに欧米からの貿易為替の自由化要求が高まった。まず、日本の戦後の1959年までの経済発展を貿易に焦点を当てながら見ていきたい。

輸出額について見た時に、1953年時点においては13億ドルであったのが、56年には25億ドル、59年には59億ドルと増えていった[10]。53年の段階と比べて、4.5倍もの増加が見られた。しかし、59年における他国と比較した場合に、まだ、この段階では、差が大きいのは明らかである。アメリカは日本の約5倍、イギリスは約3倍、西ドイツは約3倍であった。
 次に、日本の貿易構造について見ていきたい。1950年の段階においては、総輸出額に占める重化学品の割合は30.4%、その他は69.6%であった[11]。そして、1959年には、重化学品の割合は39.8%、その他は60.2%であった。確かに、貿易構造における高度化は進んでいるのは認められるのが、ただし、その割合は十分ではないということができそうである。
 以上、見てきたように、確かに、高度成長が進むにつれ、日本の輸出額は増え、また、貿易構造の高度は進んでいったが、この段階での貿易自由化は、なかなか厳しいものがあったのではないかと、推察される[12]
 では、日本がこのような経済状況の中で、どうして、貿易為替の自由化が求められていったのか。その背景[13]について、見ていきたい。

 まず1つ目の背景としては、戦後圧倒的な経済力を有し、その経済力で、西側世界を支えていたアメリカが、自由化要求を始めたということがあった。それは、西欧や日本の経済が発展するにつれて、アメリカの経済的地位は低下し、これまでのように経済援助や海外軍事支出を行うことができなくなったということがあった。そして、その「ドル散布」を貿易黒字でカバーしきれなくなり、1958年頃から慢性的なドル流出に悩まされるようになった。しかも、59年には日本の対米輸出が大幅に増加して、対米貿易収支が戦後初めて輸出超過を記録したということがあった。
 2つ目の背景としては、西欧諸国が1958年にEECを結成するとともに、自国通貨とドルの交換性を回復し、為替取引の正常化に踏み出し、対米差別輸入制限を大幅に撤廃するということがあった。このことも日本の貿易・為替自由化を促す一因であった。
 
しかし、貿易自由化の動きは、国外からだけではなかった。日本の国内においても、いち早く時代の変化を見定めて、それに素早く適応していこうという考えもあった。『戦後産業史への証言』[14]における今井[15]の話によると、1958年10月あたりの話として「・・・国内には割り当てによる弊害問題があるし、外には貿易自由化の声、とくにIMFではもう貿易制限の時代じゃないだろうという機運がある。各国は、外貨資金もある程度豊富になってきたから、外貨資金の節約のための輸入制限はやめようという、IMFの14条国から8条国移行というIMFの基本精神に基づく動きが出来てきた。早晩日本にもその圧力がくるだろう」と考えていた人もいたそうだ。
 そして、西ドイツが8条国への移行を宣言し、イギリスも宣言し、そしてフランスも間もなく行われるようになるだろう。アメリカ、カナダはすでに8条国になっている。つまり、欧州の国々では、次第に為替管理、輸入宣言を撤廃していく中で、必ずや日本にも、その波が押し寄せてくることは避けられない状況であるとの認識がもたれるようになった。そして、今井は当時、通産大臣だった池田勇人にレクチャーをして、賛同を得たらしい。
 このような国内における認識にもとで、原綿・原毛[16]を中心とする輸入自由化促進が発表[17]され、そして、1960年1月には政府は貿易自由化促進閣僚会議を設けることになる。つづいて、3月に通産省が、貿易・為替の自由化の基本方針を決定し、6月に貿易為替自由化計画大綱が発表されることになった。
 以上のように、国外からの圧力があったようであるが、それ以前に、日本の国内において、その国外における変化に対して、敏感に反応して対策を講じようとした人たちがいた。そして、結果として政府の政策となり、60年6月の貿易為替自由化計画大綱という形に至った。

②貿易自由化の「積極派」・「消極派」の意見について

ここでは、貿易自由化に対する「積極派」「消極派」の考えについて見ていきたい。まだ、十分に調べられていないので、今回は、『戦後産業史への証言』にある佐橋滋および今井善衛の「証言」を使って、整理していきたい。ちなみに、この両者は、昭和30年代において、貿易自由化に対して消極または積極の派閥の中心的な存在であった。

まずは、「消極派」に属していた佐橋の考えに見ていこう。まずは、貿易自由化の考えについて見ていく。「私の考えは、基本的には貿易自由化は当然進めるべきだ、しかし、ヤミクモに走られてはかなわない。当時、戦後10年で一応経済成長はなし遂げられたけれども、日本のそれぞれの産業、業種の基盤は世界的に見て強い、堅実だという認識は持っていなかった。日本という国は貿易のサヤで生きていく貿易立国です。いってみれば原料を輸入して製品にして輸出してそのサヤで生きていく以外にもう手のない国でしてね。産業が貿易の自由化によって壊滅的な打撃を受けたら、日本はもう立つ瀬がない。だから、貿易自由化に対抗するには、どうしても産業構造体質の改善をやらなければならないし、それがある程度メドのつくまで簡単に貿易の自由化をしてもらっては困る。私は準じに自由化をやっていく。期限をつけて何年後にはどうするというメドをつけて、その間に少し荒療治ではあっても、産業界は体質を強めるための努力をせよ。こういう段取りで貿易の自由化に対抗できるようにしたらどうか、という考え方」[18]だそうだ。

だから、そのため、池田通産大臣が進める自由化の動きに対して反対することになった。それは、軽工業の自由化と、重工業の自由化を一緒の次元で考えている点に問題があるということであった。例えば、自動車業界に関しては「輸入自由化すると、日本の自動車メーカーはつぶれてしまう」という認識を持っていた[19]。そして、「当時、日本経済発展の柱は、かつての繊維から重化学工業へ移ってきているし、その重化学工業がこれから伸びようとしているところを、性急な自由化でもみくちゃにされたのでは、日本経済の伸びはないという使命感」を持っていたそうである。[20]

自由化を推し進めようとした政治家池田の路線に関しては「とにかく政治家の考え方には、『なんとかなる方式』があるわけです。追い込めば日本の経済の底力でなんとか対応する。安全、安全とブレーキを踏んでいるよりは、オカイコぐるみから出して、風の中へ放り出したほうが早いと考えておられたようですね」と、厳しく評されている。[21]

 次に、貿易自由化「積極派」の今井氏の考えについて見ていきたい。まず、インタヴュアーの次のような発言があった。「・・・担当されている局の立場がかなり強く映し出されていた。今井さんはずっと通商畑ですね。そのこともずいぶん影響しているんじゃないでしょうか。」そして、今井さんの発言は「それはありますよ。重工業局サイドのように頑張ったって、なるようにしかならないという見通しが、われわれは先に立ちますからね」とある[22]。これは、上で見た佐橋氏の批判する池田氏の考えに通呈するものがあるように思われる。

 自動車業界に関しても「業界ではなくて通産省のなかで、自由化すれば外車はどんどん入ってくるし、場合によってはGMとか、とくにフォードあたりが国内へ組み立て工場を作るかもしれないと、外資の進出を非常に恐れていました。」とある。そして、その外資恐怖症の原因について次のように言っている。「当時、自動車産業はいちばん保守的なように感じましたね。IMFを非常な外圧とみたわけです。池田さんなんかは、『そうはいっても、自由化は世界の大勢だから、もう飲まざるを得ない、妥協せざるを得ない』という見解だった。業界の大部分も、しかたがないという考えだった。経団連はその間ず
うっと連絡をとっていましたけれども、しかたがないという池田さん流の考えです」[23]のようだ。

その考えの基盤には、日本の産業に対する次のような考えがあったそうだ。インタヴュアーの発言として「貿易の自由化を一方的に設定することによって、その対策を業界にたてさせようとしたことはありませんか。冷たい風が入りますよといって。業界の引き締めをはかり、日本産業の構造変化、近代化を促進させる。繊維なんかはそんなことしなくてもよかったわけですが、他の産業についてはそういう考えはなかったですか。」とある。それに対して、今井さんは「それはありましたね。・・・その業界自体、あるいはその担当の連中からいわせると、日本の機械工業、自動車工業は、アメリカや西ドイツなんかに比べ10年やそこらの遅れじゃない。ずうっと遅れている。だからそれを自由化した場合、はたしてどうなるかわからんという、業界自体も自信がなかったのでしょうね。それに対して、いや、そうじゃない、鉄だってここまで伸びてきたじゃないか、自動車にしろなににしろ、ある程度はやがて伸びるはずだ。むしろ自由化したほうが、産業としても通商政策としてもいい。こっちが自由にすれば、向こうに対しても自由化を求めることができるし、お互いに市場を広くしないといけない。こっちは直接産業担当という責任ではなく、通商面の担当ですから、すこし抽象的にいろんなことをいっていたきらいはあります。業界や重工業局の法はやっぱりミクロの問題として、また自分たちの問題として真剣に考えています。あのころの自動車業界は、外部から見ますと、ほんとうにそんなに自信がないのか、外国の模倣主義的な行き方でいいのかと、ちょっと憤慨させるような態度をとっていましたよ。ところが、いま世界一になった。日本経済、日本民族の力をかれらはどのように見ていたんだという気もしますね。」[24]とのことです。

 このような見方の違いは、どのような所に起因するのだろうか。これについては、それぞれの価値観に起因しているというのが、現段階での考えである[25]

 ただ、池田勇人も、政権についてからは、その中間の政策を進めていくことになる[26]。池田は、首相就任後の新政策への抱負を次のように語った。インタビュアーが「貿易為替の自由化から、今後国際収支を心配するむきがあるがどうか」との質問に対して、池田は「とりこし苦労する必要はない。24年、私が大蔵大臣になったとき、手持ち外貨はゼロであった。それがいま15億6000万ドルもある。外貨準備の手持ちは潤沢で心配ない。輸入原材料がふえて外貨が減っても、綿花・石油・羊毛の在庫が増えれば心配する必要はない。自由化して輸入が増えるようでは、なんにもならない。自由化はそれ自体が目的なのではなく、日本の貿易拡大の手段である。このごろ輸入がふえているのは機械類である。これは将来の輸出の準備をしているのだから、心配はいらない」と、貿易自由化への不安は無いと答えた。また、インタビュアーは「貿易自由化で安い商品が外国から流れこむという心配について、首相の考えを聞きたい」と質問した。それに対して、池田首相は「外国から安い商品が流れこむまえにこれを防ぐ準備をしてから、自由化をする。日本の商品が外国商品とくらべて、どうしても安くならないものについては、関税などで対処する。ガットでも除外例が認められているのだから、これを適用してもらうようにすればよい」と、保護的措置を講じつつ、自由化を進めていくことが示された。

 以上のように、考えの上では、様々な、対立があったようだが、実際においては、その中間のような政策が採られていったことが分かる。

③「貿易・為替自由化計画大綱」
 1960年6月に、政府は「貿易・為替自由化計画大綱」を閣議決定した[27]。この大綱はまず、「資源に乏しく人口の多いわが国経済が今後長期にわたって発展するためには、世界の経済交流の進展に即応しつつ、海外諸国との自由な交易を一層拡大してゆくことが不可欠の要因であると考えられるので、自由化を極力推進することは、世界経済の発展のための国際的要請たるのみならず、わが国経済自体にとって、きわめて重要な課題となっている」と述べ、自由化に前向きの姿勢を示した。そして、自由化の国内経済へのメリットとしては、「・・・貿易および為替の制限を積極的に緩和し、経済的合理性に即した企業の自主的な創意と工夫を一層重視することは、わが国経済に対して多くの好まし効果を期待することができる。すなわち、自由化により、従来の管理統制に伴う非能率や不合理性は排除され、低廉な海外原材料等の自由な入手が一層容易となり、産業のコストは引き下げられ、企業は国際的水準における合理化努力を要請されるなど、自由化は経済資源の一層効率的な利用を可能ならしめ、経済の体質改善を促進するとともに、広く国民の生活内容の向上に寄与し、もってわが国全体の利益を増進するものである」と言っている。

 もちろん、メリットだけでなく、問題点があるということも指摘されている。「しかしながら、実際に自由化を促進するに当たっては、まず長年にわたり封鎖的な経済の下で形成された産業経済に及ぼす過渡的な影響に十分考慮を払う必要がある。またわが国経済は西欧諸国とは異なり、過剰就業とこれに伴う農林漁業における零細経営および広範な分野における中小企業の存在などの諸分野が包蔵し、また育成過程にある産業や企業の経営、技術上の弱点など多くの問題を有している上に、わが国を取り巻く国際環境についても、欧州共同市場のような長期的に安定した協力経済圏を有していないこと、およびわが国に対してなお差別的な輸入制限措置[28]が取られている例が多いことなどについて注意する必要がある」とある[29]

 そして、この大綱において、輸入自由化のタイムテーブルが明らかにされた。「本計画を推進することにより、昭和35年4月現在において40%であった自由化率を、3年後においてはおおむね80%、石油、石炭を自由化した場合にはおおむね90%に引き上げることを目途とする」とされた。
 また、自由化に伴なう経済政策の基本的方針と対策[30]として、以下、8点が出された。

1. 経済の安定を保持しつつ高度成長を図る

2. 雇用の拡大と流動性向上に努める

3. 輸出の拡大と経済協力の推進を図る

4. 自由化の積極的利点を生かしつつ産業構造の高度化を推進する

5. 農林漁業の体質改善および中小企業の近代化に努める

6. 企業の体質改善のための環境整備に努める

7. 産業秩序の整備を図る

8. 関税率および制度を改正する

とある。自由化の流れを積極的に受け入れて、日本の近代化を推進していこうという姿勢が見える。

 商品別の自由化計画は次のようであった[31]。①早期に自由化する(おおむね1年以内)②近い将来に自由化する(おおむね約3年以内に自由化する)③時日をかけて自由化する(現状の判断では3年以内に自由化するのはむずかしいが、それ以後近い将来可能なもの)④自由化の困難なもの、の4つのグループに分けられ、弾力的に運用されることになった。

 以上、貿易自由化に対する日本政府の姿勢について見てきた。積極的な姿勢を示し、そして、そのメリットを強調するも、その問題点も指摘されるなど、当時において、「積極派」「消極派」で、対立していたことが推察される。

4.貿易・為替の自由化とは何か
 
①為替・貿易の自由化とは?
貿易為替の自由化とは何かということについて見ていきたい。貿易為替の自由化が実施されるまでは、輸入品は対象品目ごとに必要な外貨を通産省が割り当てる「輸入割り当て制」[32]、輸入申請とともに外貨の割り当てを自動的に受ける「自動割り当て制」[33]、さらに自由な輸入が認められている「自動承認制」[34]に区分されていた。自由化政策とは、具体的には「輸入割り当て制」、「自動割り当て制」から「自動承認制」に転換していこうとするものであった。

②貿易・為替の自由化の推移
自由化率の推移と、自由化の影響について簡単化して見ていこう[35]。1960年4月において、
41%であった自由化率は、62年4月には73%、63年4月には89%、64年4月には、92.3%
となった。62年4月までの自由化は、原材料を中心に行われ、工業製品については、比較
的競争力の強いものからなされていった。そのために、食料財、消費財などでは自由化の
直接的影響がかなり見られたものの、その他においては、自由化自体の輸入増に与えた影
響は、それほど大きくはなかった。


□参考文献

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[1] IMF・GATT体制
 ・世界貿易の拡大(とくに先進工業国間の水平貿易)
 ・割安な固定為替レート
 が、日本にとって、有利な外的要因として働いた。このような世界的な構造についても、調べる必要がある。
[2] 課題の再掲:
・戦後日本の高度経済成長が日本社会を大きく変化させた
 →いかに日本社会を変化させたか?
・ここでは、高度経済成長期の「国際化」に焦点を当てながら、その適応過程が、いかに
日本社会を変化させていったのかについて見る。
・先行研究、特に、経済史分野では、政府と民間がいかにして高度経済成長を達成したの
かについて検証しているものが多い。このような研究の場合、経済成長に焦点が当てら
れていて、その時代に生きた人々への言及が不十分となっている。政府と民間の経済成
長への動きによって、その時代に生きた人々は大きな影響を受けている。もちろん、影
響を与えることもあったであろう。この卒論では、政府と民間そして社会の3つの連関
の中で、高度経済成長を見ていく。
・また、社会史においては、具体的な経済成長に関する言及が少なく、当時、政府や民間
などの行動によって、社会が大きく既定されていたことを考えると、同様に、政府と民
間、社会の3つの連関の中で、高度経済成長を見ていくことが必要である。
・以上、この卒論では、「国際化」の過程を、日本の政府・民間と社会、そして外国が、ど
のようにして適応していったのかについて見ていく。
・注意したいこととして、外資を敵視するのではなくて、外資の導入によって、いかに日
本の「近代化」や「現代化」が進んだのかという視点を入れていきたい。
[3] 2007年9月3日の報告
 ・1960年までのGDP比較
 ・一人当たりのGDP
 ・産業構造の高度化
[4] 2007年9月3日の報告。
[5] 2007年10月27日の報告。
[6] 当時の自動車業界などの重工業が、如何にして、後に、競争力を持つようになったのかということを、きちんと調べる必要がある。つまり、貿易自由化の後の経済政策を含めて、企業・政府が如何にして、対応していったのかについて調べてみたい。
『毎日新聞』1960年7月6日朝刊に、次のような記事があった。「自由化対策の一環として、国産品愛用センター、優秀品を検査、奨励」「通産省では貿易自由化対策の一環として国産品愛用運動の展開策の検討をしていたが、5日、機会メーカー代表15人が構成する国産品愛用促進専門委員会を開き国産品愛用センターの設置を決めた。このセンターのねらいは、米国の米国商品優先購入法を参考にして、日本人の船来品崇拝思想を改め、貿易の自由化後も国産品の購入を促進するところにあり・・・」
 7月7日の社説では、その通産省の動きに賛同を示す文章が書かれている。
[7] 『現代中小企業史』によると、重化学工業化に遅れ労働集約型産業の多い中小企業にとって、貿易の自由化はマイナスであったが、結果として、それほど、影響を受けることはなかった。
[8]  石炭から石油(石炭工業の比較劣位・安い輸入石油の登場)へ
   →石油を原料とした産業への転換
     (効率的な輸送技術を持つ)
   →鉱物性燃料への依存度が高まる
    ←石炭を基幹産業とする地方の変化

 日本の場合、産業用燃料である重油や石油化学工業原料としてのナフサの価格の引き下げが、行政介入で行われた一方で、比較的にガソリン・灯油が高いものになった。結果、「日本における乗用車開発では燃費を引き下げることに強いインセンティブが働き、これによって開発された日本車の燃費性能の高さは石油危機後、石油価格が高くなると、日本車の利点になるという、意図せざる成果も生まれた」とする(橋本他『現代日本経済』p.140-141)。
[9] 『毎日新聞』1960年6月30日によると、次のような記述がある。「特別外貨割当を廃止」「海外渡航、自由に」「政府は29日、さきに発表した貿易・為替の自由化計画に基づき本年度上期を限りに外貨資金特別割当制度の廃止を決定、これにともない7月4日から海外渡航および海外駐在員事務所の設置について為替制限措置を大幅に緩和することを発表した。こんごの制限緩和は去る2月の自由化措置に続くもので、この結果、貿易業者、メーカーの渡航費に関する‘輸出実績の3%’というワクはなくなり、一般の渡航についても純粋の観光旅行以外はほとんど自由に認められるようになった」
 このような流れから、学生の海外旅行というのが、活発化していったことが分かる。学生が海外に行くようになって、日本社会が、どのように変化していったのか調べたい。小田実『何でも見てやろう』が参考になるのではないかと、考えている。
[10] 『通商白書 昭和35年』p.150。
[11] 重化学品の中には、機械類・金属品・化学品が含まれる
 その他には、食料品・繊維品・非金属鉱物製品・その他が含まれる。
[12] 『通商白書 昭和35年』p.74。
[13] 『毎日新聞』1960年6月21日は、次のように海外からの貿易自由化の背景を述べている。「一昨年12月、非居住者勘定の交換回復にふみ切った西欧各国は近く居住者についても自由化の方向に進み、イギリス、ベネルックス三国が遅くも秋までに完全自由化となる予定で、その他のフランス、イタリアでも同時かあるいは少し遅れて完全自由化することが見込まれている」「一昨年来外貨準備高が着実に増加、去る5月末14億19百万ドルとこれまでの最高を記録した。昨年一年間の輸入金額に対する外貨準備の割合も37%で、フランスの35%よりも高く、今後も国際収支の不安を招く心配はなくなっている。」「経済成長は世界の水準に比べ、はるかに高く、物価も極めて安定しており、他のアジア・アフリカ諸国とは当然区別されるべきであるとの意見がIMF加盟国間の間でかなり強まっている。」
[14] 『戦後産業史への証言』p.170-171。以下は、この本を参照。
[15] 今井善衛は、昭和30年代後半の貿易自由化に対して、自由化推進を主張し続けた中心的存在である。当時、いわゆる「民族派」の多かった通産省の中で、少数派であった「国際派」に属していた。城山『官僚たちの夏』の玉木は、今井善衛のことであろう。
[16] 『戦後産業史への証言』p.172-173を参照。(今井)「・・・34年の夏ぐらいには、だいたい自由化の方向が出ていたんですけれども、すぐ明日実行というわけにはいかない。・・・」(今井)「池田さんは自由化の方向で腹を決めていたのですが、政務次官の原田憲さんが繊維業者がたくさんいる大阪(3区)で、原田さんのところに逐一情勢が入ってくる。原田氏から『このまま自由化やったらおれもたまらないし、池田は総理をねらっているんだけど、これもマイナスになる。いずれにせよたいへんなことになる。その前に、ひとつうまくやろうじゃないか』との申し入れがあった。はじめ私どもは、35年のできれば秋ぐらいに原綿の自由化をやりたいと思っていたんですが、原田氏などの意向で、それでは通産大臣があまりにも強引なことをやりすぎると受け取られるので、自由化時期を延ばせといい、私に指示があって、ほとんど発表した実施時期を延ばすよう訂正させられた。大臣のお声がかりという名目でした。」
[17] 『通商産業政策史 6』p.13によると、1959年のガットの東京総会において、日本の貿易自由化の方針が公表されるにいたったとある。
[18] 『戦後産業史への証言』p.135。
[19] 同、p.141。
[20] 同、p.141。
[21] 同、p.145。
[22] 同、p.176。
[23] 『戦後産業史への証言』p.175。
[24] 同、p.177。
[25] 就職活動の一環で、経済産業省の方に、質問をする機会を、何度か持った。その時に、今でも、「民族派」と「国際派」の対立があるのかどうかについて尋ねてみた。結果、無いという答えもあったが、今でもあるという答えもあった。大きなビジョンとして、国際化というのは、共有されているそうである。次の段階で、国際化の原理原則を優先するのか、それとも、日本の会社を応援しようとするのかで、その違いが出てくるとのことであった。特に、後者の「民族派」の考え方は、何か、学問的な基礎があるわけではなく、どちらか言うと、「ナショナリズム」に近いと考えられる。
[26] 伊藤『池田勇人とその時代』p.108-109。
[27] 『通商産業政策史 17』p.376-378。
[28] 『差通商産業政策史 6』p.13によると、イギリスの例が書かれている。「戦後イギリスは、日本に対し厳しい差別的輸入制限を実施しており、また、30年の日本のガット加入に際して、ガット大35条の援用により最恵国待遇の供与を拒否した」とある。
[29] 『通商白書 昭和39年』p.116においても、問題点が指摘されている。日本の所得水準は低く、国富の乏しいこと、農業・中小企業の生産性が低いこと、大企業についても国際的には生産・経営規模が劣るものが多いこと、社会的間接資本が不足していること、消費者物価の上昇傾向が強いことなどなど。
[30]三和良一・原朗編『近現代日本経済史要覧』東京大学出版会、2007年、p.168。
[31] 『毎日新聞』1960年6月22日。
[32] IQ制
[33] AIQ制
[34] AA制、自由化品目
[35] 『通商白書 昭和39年総論』p.107-115を参照。
[36]三和良一・原朗編『近現代日本経済史要覧』東京大学出版会、2007年、p.168。
[37] これに先立つ、1960年6月20日に、世界銀行理事の渡辺武は、自由化について、コメントした。その中で、次のようなコメントも含まれていた。「ハガチ―事件、アイク訪日中止など今回の国内の事件は非常に残念で、信用を建直すには大変な努力と時間を必要とするだろう。しかし問題は今後の収拾方法にある。私の意見としては、反米は一向に差支えなく、国論がひとつに統一されている方がむしろ不思議だといえる。世銀・IMFの各国理事の考えも同じだと思う。問題はこうした反対意見が議会という一定の秩序の中で動くかどうかにある。秩序のない国には金を貸す気にならないのは当然である」(『毎日新聞』1060年6月21日)
 安保騒動が、国内的な問題だけではなく、国際的な問題であったということを示す証言であろう。安保騒動などの国内問題を、国際関係を踏まえた上で、評価し、位置づけていく必要がある。
[38] ■:読んだ。 □:読んでいない。 ○:参考にした。

2007/12/04

映画渇望症・・・涙・・・。。。

表題「『禁断の惑星』と『激突』を素材として、人間と文明との関連について、各自の意見を述べよ」


社会の「変化」の早さ・大きさは、私たちに、少しの戸惑いと、大きな希望を抱かせる。インターネットの普及・発展は、私たちの生活を大きく「変化」させ、「IT革命」とさえ、呼ばれている。その一つ一つの「変化」に対して、私たちは、影響を受けざるを得ない立場にある。もちろん、その「変化」を拒否することも出来るのかもしれない。しかし、その場合、例えば、文明史のレジュメを入手することが出来なくなるなどの、不利益を被ることが考えられる。実際に、「変化」に対応できていないということで、大きなコストが発生することになるだろう。つまり、その「変化」は、私たちに、受け入れさせるようなメカニズムを有していると考えてもいいであろう。


人類の歴史を考えた時に、そのような「変化」は、幾度も起きてきたし、これからも、起き続けるであろう。このような「変化」に対して、敏感であるために、そして、その脅威を相対化するという意味でも、人類の「変化」の歴史を学ぶ必要があるのであろう。


ここまでに、何度か使ってきた「変化」という言葉の説明を行いたい。その前に、「文明」についての定義をする必要があろう。「文明」についての定義については、様々な見解があるそうである。よって、ここでは、一先ず、第2講の資料のp.1に従って、「文明」について、「グローバル(大域的)、『野蛮』の対極、都市的・技術的普遍性」とすることにする。そして、「文化」についても、「ローカル(局所的)、風土的、生活と伝統、個別具体的習慣」とする。以上のように、言葉を用意した上で、「変化」について考えると、これは、「文明」内部での構成要素の発展や移り変わりを表していると、ここでは考えることにしよう。


結局、私たちは、何かしらの「文明」空間にいて、その内部の構成要素の発展や移り変わりに影響を受け、それに対して、戸惑いや、希望を抱くようになっているのである。もちろん、私たちは、いつも受動的だというわけではなくて、積極的に、その「変化」を作り出すこともある。例えば、企業などの活動におけるイノベーションは、それに携わる人々からすれば能動的なものである。明らかではあるが、私たちは、その「文明」空間の下で、大きな利益を得ている。それは、私たちの生活を振り返った時に、その生活を豊かにしてくれている財が、その多くが「文明」によるものであることからも、確かであろう。これまた明らかであるが、その「文明」による財が、何かしらの悪意や間違いなどによって、私たちに対して大きなコストをもたらすことがある。よって、生活が豊かになる面がある一面で、それとともに、何かしらかのリスクを背負うことになっている。これが、「文明」のもとで、人間が取り組んでいかなければ行けない課題であろう。如何にして、その利益を最大化して、そして、そのリスクを管理していていくのか。これは、「文明」のもとで、生活していく人類にとって、非常に重要な問題であろう。これについて、以下で、『禁断の惑星』と『激突』を素材にしながら、考えていくことにする。


まずは、2本の映画をもとに、「文明」における利益について確認していきたい。『禁断の惑星』では、ロビーと呼ばれるロボットがいて、その主人たちの生活を支えていた。例えば、成分を調べるだけで、お酒を作ることが出来たり、あと、服や宝石のネックレスを作ったり、そして、家事全般をこなしたりしていた。家事からの解放というのが、これまでの「文明」における「変化」の方向性であることを考えると、その一つの到達点として、そのロボットを見ることが出来るのかもしれない。その時、私たちは、完全に家事から解放されるのである。次に、『衝突』から見ることができる「文明」からの利益について見る。この映画の場合、中心は、車そしてトラックである。これらは、私たちの生活に欠かせることが出来ない道具になっている。これまでは歩いていっていた所を、車を利用することで、時間を短縮することが出来る。また、荷物を積み上げることによって、人間が運べる以上のものを輸送できるようになった。特に、交通手段の無い所では、車やトラックからの利益は大きい。以上のように、映画を見た中でも、「文明」からの利益は、大きいと言うことが出来るだろう。


次は、そのリスクについて見ていきたい。『禁断の惑星』では、その「文明」が生み出してしまった「イドの怪物」が描かれていた。これは、人間の深層心理が機械装置を通して生み出していったものである。この機械装置も、当初は、社会の利益などの別の目的のために使われていたことが考えられる。そうすると、『禁断の惑星』の「イドの怪物」は、悪意があった場合に、人間に大きな損害を与えるということを象徴していると見ることが出来る。それを、もっと、具体的に描いていたのが、『衝突』であろう。上でも、確認したように、車やトラックは、私たちに大きな利益をもたらしてくれる。しかし、悪意があった場合や使い方を間違った場合に、車やトラックで人に危害を加えるということが想定される。その時、大きな利益を受けている裏返しの大きな力によって、損害を被ることは、明白である。映画では、悪意のある人によって、車の運転手が、トラックでひき殺されるそうなるという話が描かれていた。トラックの運転手が、どのような人物で、どのような意図を持って行動しているのかが分からないので、車の運転手が持つ恐怖心は最高潮に達していた。この映画では、トラックによって、人と人との間を直接ではなく、間接に接触することが出来るようになった結果、悪意のある人々にとっては、より、その行動を実際に移しやすい環境にあるのかもしれない。結局、誤って損害を被るリスクと、悪意のある人が、そのような行動を行いやすいというリスクというのが、存在しているのではないか。つまり、そのような、リスクを抱えながら、「文明」からの利益を私たちは享受していると言うことが出来るのではないか。


以上、「文明」からの利益という側面と、リスクという側面を確認してきた。これを踏まえて、如何にして、私たちは、このような状況に対処していくのか。『禁断の惑星』では、アルテアの高度な「文明」を、どのようにして管理すべきなのかという場面があった。モービアス博士は、知能の低い人々に、この「文明」を伝えると、それを悪用される危険性があるとして、知能の高い自分が管理することが正しいと言っていた。他方、船長は、連邦政府に、預けるべきだと言っていた。この映画では、最終的に、モービアス博士の「イドの怪物」が暴力的に暴れだしたことからも、それを一人の知能の高い人々に預ける危険性が描かれている。ただし、他方で、アルテアの高度な「文明」も、結局は、自分たち自身で、それを破壊してしまったということからも、「民主的」に管理するからといって、必ずしも、安全が確保されないということが示されていた。


この問題は、統治制度の問題に帰着できると考えられるが、ここでは、私見を提示するだけにとどめておくことにする。知能の高い少数者による管理だと、情報入手コストが掛かりすぎるために、現実的ではないであろう。また、上のような暴走も考えられる。したがって、「民主的」管理が、より望ましい。もちろん、これにも問題はある。例えば、悪意のある人々が、他人に被害を与えることが考えられる。このような行為が取り締まられていることは明らかではあるが、このような行為を完全になくすことは出来ない。つまり、利益とリスクを背負って、私たちは生きなければ行けないことになる。もちろん、全ての人が善意に基づいて行動していると期待したいが、現実は、なかなかそうではなさそうである。
 

「文明」による利益とリスク、そして、それを如何にして対処するのかについて見てきた。結論としては、利益とリスクを背負いながら、私たちは生活しなければ行けないというものである。しかし、私たち一人一人の努力によって「変化」を起こし、その中で、「文明」のリスクを低減することが出来るであろう。負の側面を「現実」として受け入れるのではなくて、それを「変化」させていくことが必要なのではないか。「文明」という、とてつもなく大きなものの前で立ち止まるのではなくて、それを一人一人が「変化」させていけると意識を変えることが求められている。

2007/12/01

impressions

○今日の中心

ロジスティクスの作業を行う。難しいと、スゴク実感。この規模が大きくなったら、もっと複雑で、責任が重くなって大変になるであろう。

こういう経験は、一度経験しておこうと思ってやってみた。予想通りに、いろいろ、これまで自分が気をつけてこなかったことなどが明白になり、スゴク勉強になる。段取りをすることの重要性。緊密な連絡・・・。

ある人が言っていたが、社会人にとって、ロジスティクスの評価が、出世のポイントらしい。少しうなずけるような気がする。

○11月30日WBS

日本の景気の行方???

消費者物価指数↑、・・・「個人消費」先行きに不安?
アメリカ経済、経済成長見通しを下方修正
外国人投資家の「日本株離れ」
ガソリン税、税金の役割。社会的なインパクト?現状維持か、減税か???
道路特定財源。
地方再生。地元のやる気。

○人口問題

生産。生産要素は、資本と労働。そして、それらの関数としての生産関数。

日本は、少子高齢化社会に突入し、生産が減少していくという局面に立っている。そういう時代を踏まえて、例えば、経済産業省は、生産関数の上昇、つまり、イノベーションを推進したりしている。

何となく、最近、労働経済学に興味を持ち始めてきた。如何にして、働くというインセンティブを社会において、作っていくのか。その先に、これからの日本社会への一つの答えがあるのではないかと、期待して、真面目に勉強しようと思う。

案外、経済学のモデルを使って、現実を考えると、面白いですね。やっと、経済学の「意味」が分かってきました。

インセンティブ整合的な社会の形成。そして、「楽しい」社会。

○レポート

明日、徹夜で、レポートを書くことになるだろう。文明と人間との関係について。文明って、何だ?というところから、議論していかなければいけない。早く書こうと思う。

2007/11/29

寒くなりました。。。

○ランチ

今日は、友達たちとランチしました。オムライスを、何年かぶりに食べました。感動しました。

僕は、オムライスが好きなのですが、家を出てから食べる機会は無く、そのため、何年間も食べないという結果になりました。でも、久しぶりに食べると、ホント、美味しいですね。

今日行った店に、オムライス通いするかもしれません。


○高田馬場

今日も、高田馬場に行きました。人が多くて、正直、疲れました。これから、週一くらいは、そこに行かなければ行けないと思うと、頭が痛いです。


○近況

最近、映画を見れていません。正直、忙しいですね。そんなに忙しくは無いのですが、忙しいです。

あと一ヶ月で、ドラマ「のだめカンタービレ」が放映されます。何とか、それまでに勉強をしっかり進めていきたいと思います。

最近、今年の年賀状に書いた目標は、どのくらい達成されたのかを考えるのですが、辛くなります。

明日も、ぎっしり授業があるので、予習を始めなければいけません。知識を理解するだけではなくて、それを限界まで使ってみることの重要性を今日は痛感しました。例えば、パソコンの知識とか、あとは、経済学の知識とかですね。それによって、新たな理解というのが達成され、能力向上につながるのではないかと、やっと分かりました。

そうそう、毎日、WBSを見るようにしています。少し経済に特化しているので、面白いですね。とくに、金融面とかの情報を考えるのには、スゴク勉強になります。

炊飯器の無い生活をしていたのですが、ついに、買うことにしました。明日、家から、おコメが届き、日曜日に、炊飯器を買います。たぶん、これから、おにぎりを食べることが増えると思います。

2007/11/25

マイペース、マイペース

・新宿にて

今日は、新宿に行きました。新宿の新宿住友ビルの49階でランチしました。こんな高いとこで、ランチしたので、今日の天気の良さもあって、一人感激していました。

ただ、バイキングランチ(980円くらい)だったので、セコイ根性が出てきて、普段の2倍食べました。正直、苦しくなりました。

もしも、僕が大食いしている場面に、遭遇された方は、注意して下さい。

食べすぎは、良くないですね。自己嫌悪に陥る原因になります。

ただ、そこの店は、良い場所にあり、美味い料理を出し、財布にやさしい値段なので、良かったです。そこに行った目的は、自分の行きつけの店を増やすというとこにありました。

・高田馬場にて

用事があり、高田馬場に行く。国立とは違い、スゴク「活力」がある感じがしましたね。久しぶりだったので、そのコントラストに、何か衝撃を受けました。

・NHKの「トップランナー」

今日は、渡辺あやさんが出られていました。正直、キレイだと思いました。

彼女は、「ジョゼと虎と魚たち」の脚本とかを書いたそうです。

昔の彼女の姿と比較して、今のほうが、スゴク、キレイなのを見て、女性は、急速に、キレイになるということを、何か身をもって感じた時間でした。

2007/11/19

走る。

走る宣言(一先ず、来年4月末まで)。

まずは、12月1日まで、経済学の基礎的な問題演習を、繰り返し行う宣言。

12月の末あたりまで、その穴を埋めまくる宣言。

そういうわけで、経済学でお困りの方は、いつでも、聞いてください。統計・計量以外なら、適切なアドバイスは、できると思います。

別の話題。

毎日、同じ音楽を聴いていると、自分がダメになりそうになるので、元気が出そうな音楽に詳しい方。教えてください。毎日、暗い生活を行っているので、元気な音楽が必要です。ただ、元気すぎる音楽の場合は、引いてしまう可能性がありますが。

別の話題。

12月までに、通史の日本経済史及び経営史を6冊、読みます。

一先ず、12月16日に、今年度の卒論の締めを行います。A4で60枚くらいに、まとめたいと考えています。

別の話題。

「戦闘モード」宣言。若いので、当たって砕けろの精神で、毎日を過ごしています。よって(?)、空気は、あまり読まないので、周りの皆様方の、ご指導ご鞭撻、よろしくお願いします。

別の話題。

映画「天国の本屋」を見る。ある先輩から、この映画の情報を教えていただきました。感謝。

ラブストーリーという感じですね。もう少し言うと、僕とは関係の無い、ラブストーリーと、言うべきでしょうか。

別の話題。

今日は、本を読むのが、どうしても嫌になり、どうしようもなくなったので、映画「ホテルサンライズ」を見る。面白いようで、面白くないような。スゴク、挑戦的な映画、というよりも映像作品ですね。

別の話題。

11月中は、高橋『現代解析学入門』と睨めっこする。

12月中には、線形代数・微分方程式とかと睨めっこする。

別の話題。

たぶん、外で、ヘッドフォンをしているのを見かけると、僕は、おそらく、BBCを聞いていると思います。

3月または、2月のTOEFLで大学院の入学許可レベルのスコアーを取る宣言。

別の話題。

少し前に、体重が、70Kg台に復帰。喜ぶ。ただ、最近、ランニングが出来ないし(足を挫いた)、チョコレートばかり食べるし、リバウンド気味。

禁欲的な行動は、あまりよくないと思う。それよりも、抜本的に、生活を見なおすことの方が、大幅な減量に成功するのではないかと思う。

地球環境問題に対する、私たち一人ひとりの行動も、そうだということを、最新の、日経アソシエに書いていました。

昔、松下幸之助さんも、そんなことを言っていましたね。

別の話題。

今日の、情熱大陸、先週に引き続き、よかった。

2007/11/16

「根拠の無い」自信を持とう

僕は、普段、あまり、自分自身に自信を持つことができないので、オドオドしていることが多い。

自信が無く、オドオドしていると、自分の実力を100%発揮することができない。自分の実力を、発揮するためにも、「根拠の無い」自信を持てるように努力したい、と思う。


さてさて、今日も、相変わらず、無礼なことをしてしまった。反省。ごめんなさい。


別の話題。

今日も、また、いろいろ貴重な話を、伺うことができる機会を頂いた。感謝。

試験勉強を頑張らなければいけない、という気持ちに、再び、火を付けていただいた。

WBSを見ることの効用や、「遊ぶ」ことの重要性を学ぶ。


別の話題。

2日連続で、寝坊する。反省。寝坊する時に限って、夢を見る。最近の夢は、どれもこれも暗い。明るい夢なんか、見たことが無いような気がする。

別の話題。

何となくニュースを見ていると、食の安全・安心が脅かされている話が多いような気がする。素朴な、疑問として、どうしてと思う。

通報制度が確立されてきたのだろうか???

別の話題。

11月13日に、漫画『のだめカンタービレ 19巻』を読む。いろいろ考えさせられるものであった。時々、ユンロンのような状況になった時、自分は涙を流すことができるのかと不安に駆られることがある。

僕は、いつから、涙を流していないのだろうか。

大学3年の頃、少し涙を浮かべたことはあったが、それでも、涙は流れなかった。どうも、僕は、人生を「本気」で生きていないような気がする。

涙を流すということは、僕にとっては、それだけ、尊いものであると思う。感情的にならなければ、涙は流れない。僕は、ここ何年間か、評論家的に、第3者的に、自分の人生を過ごしているのではないかと、思うときも多い。

反省すべきことは多いが、課題の多い人生のほうが楽しい、に違いない。

2007/11/15

天気が良いと、富士山が見える。キレイだよ。

今先ほど、NHKのドキュメント番組を見ていました。施設出身の「当事者」たちについて、考えさせられました。

僕たちの育ってきたのは、「失われた・・・年」と呼ばれる時代です。この時代は、スゴク暗いものであったと、僕は理解している(映画「学校Ⅲ」とかは、その雰囲気を感じることができる)。

僕と同世代の「当事者」たちを見ていて、彼ら彼女らは、その「失われた・・・年」の影響を強烈に受けているということを、何となく感じた。

僕たちの世代は、それぞれに「失われた・・・年」の記憶を背負っている。

僕なんかも、今でも、子供の時に見た、その当時の不況を描いたテレビの内容を断片的に思い出すことがある。

不況で職が無い沖縄の人々が、タクシー運転手として都会で働いている様子。一度、交通事故を起こすと、タクシーに乗ることはできなくなり、仲間の運転手の車の洗浄で、お金を稼ぐ人の姿。

ホームレスの人々。車の中で、生活する人。その人は、インテリで、洋書とかも読む人でも、ホームレスになっていた。

銀行に勤めていた夫がリストラされ、職を失うが、消費水準を落とすことができないで、その補填をするために、風俗で働く主婦。

夜逃げ。


今でも、たまに、考えますね。世の中について、テレビで見た、上記のイメージを持っている場合に、相当偏向した世界観を持つことは間違いないであろう。


別の話題。辞書のような、ブルース・カミングス『現代朝鮮の歴史』に挫折。厚過ぎる。朝日カルチャーセンターで、受講している講義の文献なのだが、時間が無くて、読めなさそう。・・・。

「いい」文章を書きたいと、最近、思うことが多い。ただ、「美しい」文章でもありたいと思う。どうも、ブログを書いていると、漢字は忘れるし、字を書く気力は失われるし、ダメになるような感じがする。

そうそう、最近、また、日本語で、ブログを書くことに嫌気がするようになってきつつあります。

2007/11/14

図書館にて書く

宮崎政勝『グローバル時代の世界史の読み方』を読み終わらせたので、その感想。まさしく、「文明の出現から現代まで、都市とネットワークの成長から世界の歴史を地球規模でダイナミックに」描かれていた。「イノベーション」を軸に、それが社会・政治・経済に与えた変化を地球規模で描いていて、大変に興味深い本であった。

歴史における「変化」について、とても考えさせられる内容であった。ただ、この本では、「モノ」が中心に描かれているので、あまり政治的な「変化」は描かれていませんが。

僕の卒論も、日本の高度成長期の貿易自由化に対して、どのように対応していき、どのように日本国内が「変化」していったのかについて、一つの物語として描きたいと考えている。貿易の自由化の結果、様々な外国の物質が流入していくことに対して、どのように対応していったのか(そして、どのようにして製品に競争力をつけて、輸出していくことになるのか)。

別の話題・・・。

最近、アメリカの金融危機を見ていると、世界大恐慌の再来か?と何かしら不安感を覚える。ある識者が、少し前に、「今の世界は、1929年の世界大恐慌が起きる前に似てきている」と言っているのを、分からないと思いながら、聞きました。

その時は、その詳しい内容を聞きませんでしたが、アメリカにおける金融危機は、その大きな仮説に沿うものであり、その危機が世界中に広がらないことを祈るばかりです。

時間があれば、1929年の勉強をしたいのですが、今は、少し無理ですね。誰か詳しい人、教えてください。(僕の記憶では、今のFRBのボスは、世界大恐慌の専門家らしいですよ。『大恐慌を見た経済学者11人はどう生きたか』は、世界大恐慌を考えるにあたって、参考になるかもしれません)

2007/11/12

授業の復習

三時間目に、関先生の国際経営の授業があった。今日は、本とか論文とかで読んだことがないアイデアを議論していたので、興味深い授業であった。

ただ、関先生は、前回と同じことを「確信犯」的に繰り返すので、少しうんざりすることもあった。ただ、話の仕方とか、黒板の書き方とか、参考になる。

農村の変容と、工業化との関係について議論された。中国では、農村における「改革」が、農村における余剰労働力を生み、結果、都市への労働供給につながるようになる。また、都市近辺の農村では、その立地を生かして、都市への農作物の販売の結果、「万元戸」に。都市周辺では、さらに、土地活用の結果、その農民たちは、土地からの収入を得るようになる。

農村で生まれた「金持ち」の余剰金は、「鎮」(昔は、人民公社であった組織。だいたい、3万人規模であった。現在は、小さい行政単位)が運用することに。・・・(以下、省略)

話を聞いていると、中国の農村が変容していることから、かつて日本でも、似た現象が起きていたことを考えた。

そして、その過程で、日本の農村は、大幅に変容を迫られ、解体されていったのだ。戦前においては、農村においては、「前近代」的な地主・小作関係にあった。戦時期になると、農村物の生産を確保するために、生産者優位の政策が進められ、従来の地主・小作関係は解体の道を進み、小作が農村において大きな存在を占めるに至る。その流れが、戦後の改革でも、進められ、農地解体。結果、土地の配分が進み、農民の生産力が増大。また、豊かな農民層が形成されることに。彼らが、戦後初期の日本の大きな消費者となる。

農村の過剰な労働力が問題になる頃、都市部では労働力不足になり、彼らは、「集団就職」で都市部にやってくることになる。そして、日本では、「高度成長」が達成されていくのである。

社会・経済の大きな変化のもとで、近代化・現代化が進行していくのを確認する。

ただ、忘れてはいけないのは、近代化・現代化の中で、同時に、それと「補完的」な関係となる、負の制度的なものも、同時に定着していくことである。

僕の卒論では、その高度経済成長の変化を近代化・現代化だけの側面だけでなく、それと「補完的」な負の側面についても見ていく。おそらく、中国でも、その社会の近代化・現代化の影で、それと「補完的」な形で、負の側面も、定着していっていることは間違いないであろう。

2007/11/11

Self-Hate。。。。。。

【重要情報】『のだめカンタービレ 19巻』発売!!!2007年11月13日です。楽しみです(*^。^*)。

土曜日に、NHKの番組で、松たか子さんを取り上げたドキュメント番組を見ました。彼女の笑顔がスゴク眩しかった(#^.^#)。

スゴク明るいというのが、番組を見ての、彼女に対する印象である。とにかく、笑い楽しみ、何となくであるが、周りの一緒にいる人たちも楽しくなるような空気を彼女が創っているような感じがした。それが、僕には、とてもスゴイことだと思えた。

そして、彼女がスゴク、キレイだとも思いました(●^o^●)。

松たか子さんは、僕の中学・高校時代のアイドルのような存在だったのかもしれないと、少し思いました。だから、彼女の音楽を聴いたときに、いろいろ昔のことを想起しましたね。「桜の雨、いつか」をiTunesでダウンロードしました。懐かしい。。。

さてさて、先日行った、TokyoMidtownの感想を書きましょう。高級感が漂う、感じがしましたね。特に、デザインというのを重視していたのが印象的でした。デザイン性を重視した雑貨などを扱った店など、とにかくデザインという感じですね。無印良品の店もありましたよ。(無印良品のデザイン性とかについて知りたい方は、原『デザインのデザイン』岩波書店、2003年を参照。社会の中のデザインというのを考えたら、スゴク興味深かったですよ。楽しい社会の構築のためには、デザインは必須だと思います。)

異国情緒が漂うような感じもしましたね。外国のものも、人も、多かったような感じがしました。あと、そこにいる人々が、スゴク、スマートな人ばかりだったのも、印象的だ。

まぁ、そこに無目的に行ったのではなくて、目的は、佐藤卓「WATER」を見に行きました。21_21 DESAIGN SIGHTというTokyoMidtownの端の方の建物に行きました。

800円ほど、取られたのですが、感想は微妙ですね。交通費とか、機会費用(そこに行くことで、諦めざるを得なくなった機会から得られるであろう「収入」)とかを考えると、ホントに微妙ですね。

まぁ、簡単に言うと、水のいろいろな姿を見せてもらったという感じですね。ただ、一つの展示物に、スゴク懐かしみを感じました。その展示物、というよりは、一つの作品でしょうね。それは、波の音を聞くことができる空間です。僕は、そこに30分くらい、座り続け、波の音を聞き続けていました。

東京に来て以来、海を見る機会が無くなりました。僕は、海の近くで育ったので、海が無い生活は、何か違和感を感じます。特に、僕は、高校の時に、授業(数学が得意だったので、数学の授業)をサボり海岸に行き、ボーっと海を眺め、波の音を聞くようなことをしていたので、その波の音を聞いたときは、スゴク懐かしみを覚えましたね。海に行きたいと思いました。(僕が高校時代に行っていた浜辺を見たいという方は、上野樹里主演「幸福のスイッチ」を参照。まさに、そこが僕の故郷です!!!厳密に言うと、少し離れていますが・・・。ただ、浜辺のシーンは、まさに、そこです。)

高校の時、「負け組」(秀才だったけどね)になって、早く、東京に出て行きたかったんですよね。だから、海の遠くを見て、いろいろ考えましたね。そして、波の音を聞いて、癒されて。。。よく行ったのは、今頃の寒い季節で、その独特の寒さとか雰囲気とかで、何か涙が出てくるんですよね。そんな切ない過去が、僕にはあるんですよ。

ここまでは、午前中に書き、これ以降は、ランチ後に書きます。

今日は、ランチする予定があり、ロージナに行きました。その方は、夏の由布院で出会った方で、映画オタクでもいうべき方でしょうか。退職後も、非常勤という形で、働かれているようです。ただ、10月だけでも、160本(日本アカデミーの特別会員だそうなので、映画はフリーだそうです)ほど、映画を見たとか、言っていましたね。

スゴイ、と思いました・・・(ToT)/~~~。

その方とランチしながら、湯布院の話とか、映画の話をしました。

生ビールをご馳走になりました(#^.^#)。。。

久しぶりに生ビールを飲むと、涙が出るほど、美味しいのには、感動しました。本当ですよ。ただ、失敗したのは、野菜カレーが激辛だったことです。そのため、生ビールの感動とカレーの辛さと、混ざり合った形で涙が出てきました。。。。。

本当に、辛かった。僕は、アマちゃんなので、甘いカレーが良いんです。

さてさて、金曜日に映画を見ました。映画「グッド・シェパード」です。この映画は、ある友人が、面白そうに語っているのを聞いて、見ようと思いました。

吉祥寺とかの駅の広告でも、この映画について書いてありました。

面白い映画ですが、特に、冷戦史とかアメリカとかについて興味がある方は、より面白く見ることができるのかもしれません。

印象的だったのは、冷戦というのが、アメリカの軍産複合体が作り出したものであるということをいったシーンである。つまり、アメリカの軍事産業の繁栄のために、ソ連の脅威を過大に評価して「敵」を作り出して、アメリカとの対立を作り出しているのだ。

また、アメリカはワスプ以外は、全て観光客だと言わせるシーンもあった。アメリカ国籍を持つ、ユダヤ人も、イタリア人も、日本人も、全て、アメリカ国家にとっては、全て観光客であり、彼らは、国家の構成員ではないということだ。

いろいろ指摘できる点はあろう。

もちろん、映画は、フィクションなので、「事実」とは区別する必要がある。しかし、国際政治を考えるに当たって、普段考えないようなことまで視野を広げてくれるという点で、国際政治を学ぶいい道具だと思います。特に、一つ一つのセリフには意味があるわけで、だからこそ、そのセリフの意味について深く考えてしまいます。

そうそう、最近、「Always 3丁目の夕日」の続編が公開されたようですね。機会があれば見たいのですが、今週から来週の土日にかけて、少し忙しいので、見ることができるだろうか???

もしも、日本の高度経済成長に興味があり、そして、掘北真希さん(が好きで、そして彼女)が演じている星野六子さんが、どうして東京に来たのかについての事情に興味がある方は、加瀬和俊『集団就職の時代』青木書店、1997年を読むと面白いかも!(^^)!(僕も今、読んでいるのですが、まぁ、専門論文のような難しい感じの本ですね・・・)

ただ、残念なことに、一橋図書館には無く、経済研究所の図書館所蔵です。もし読まれた方は、感想教えてくださいね(*^。^*)

やっと、進藤『敗戦の逆説』の感想が書ける・・・。

「その意味で戦時期はけっして戦後に連続するものではない。そして戦時期を戦後から分かつ社会経済的諸改革こそが、政治的民主化や脱軍事化や脱植民地化とともに、戦後日本の高度成長をつくる主因と化したのである。3つのDが、戦後日本の平和的発展の道を敷いたと、私たちが主張するゆえんである。」(p.181)

正直言うと、勉強不足のために、戦時下の社会経済的変容と、「戦後改革」を、高度経済成長を考える上で、どのように位置づけるのかについて、答えることができません。

まぁ、その大きな理由は、戦時下の社会経済的変容を論じる主要な本さえ読んでいないからです。主要な本としては、
岡崎哲二、奥野正寛編『現代日本経済システムの源流』日本経済新聞社、1993年。
山之内靖、ヴィクター・コシュマン、成田龍一『総力戦と現代化』柏書房、1995年。
などが挙げられるでしょう。

後者の本については、最初のさわりを読んだだけで、挫折するような段階です。はっきり言って、分析の方法が違いすぎて、読みにくいですね。

『敗戦の逆説』では、戦時下の社会経済的変容を論じるに当たって、野口『1940年体制論』(これは、昔読みました)を用いて、その議論を批判しています。ところが、『1940年体制論』は、歴史の研究書ではないという批判があります。

「野口の1940年体制論は、ジャーナリズムの世界では、現代を戦時経済の延長として批判するためのひとつのイデオロギーとして機能したと言えよう。すなわち、現在も続く官主導の『戦時経済』批判であり、まさに現代を戦時経済の連続として捉えるもので、『さらば戦時経済』が主題であった。これは現在のグローバリゼーションと新自由主義の政策提言のために戦時・戦後連続論が言説として利用されたもので、岡崎らの研究書とは一線を画した方がよいものと思われる。」(森武麿「総力戦・ファシズム・戦後改革」吉田裕他編『アジア・太平洋戦争第1巻』岩波書店、2005年、p.140-141。この論文は、総力戦と戦後改革について、丁寧に、まとめられている。)同様な批判は、一橋学閥系の先生が、様々な場所でされている。

よって、戦時下の社会経済的変容についても、注目していく必要性はあるでしょう。例えば、吉田裕先生は「総力戦の遂行が、経済だけでなく、旧来の社会秩序や社会関係を大きく変化させたという歴史的現実」があったと述べている(吉田『アジア・太平洋戦争』岩波書店、2007年、p.160)。

だから、僕が今言えるのは、次のようなことだけである。「現代化を歴史的にみるならば、①第1次大戦後、②昭和恐慌期、③戦時統制、④戦後改革、⑤1950年代初頭、⑥高度成長期をそれぞれ時期区分として、経済構造の変化、階級・階層構造の変化、社会運動の変化、政治支配の変化を統一的にとらえ、それぞれの段階と移行を社会的所要層の連続面と断続面の両面から統一的に捉える必要」があるということである(森「総力戦・ファシズム・戦後改革」p.149)。

『敗戦の逆説』のように、アメリカ・ニューディーラーの再評価を求めて、「戦後改革」を「戦後変革」と、より、戦時と戦後の断絶を大きく解釈しようとするのに対しても、理解することができる。不勉強なので言いにくいが、勿論、その断絶を強調しすぎるのには、違和感を、僕は感じる。ただ、この本で、重要だと思うのは、「その意味で戦時期はけっして戦後に連続するものではない」という形で、断絶に関して、限定的に範囲を定めて、論じているのである。よって、この本を読んで、「そうだよね」と思いながら読んでいました。

例えば、戦後のアメリカニズムの受容を、戦前の頃からの連続として捉えようとした、ゴードンの研究(岩波講座『アジア・太平洋戦争』所収のゴードンの論文に、そのようなことを書いていたと記憶している)とかを読んでいると、戦時と戦後の連続を見ることの重要性を考えさせられた。

そういうわけで、「戦後変革」が高度経済成長の大きな要因であったことは、感覚的に理解できる。しかし、1950年代の変化、そして、高度経済成長と、段階的に「連続」と「断絶」を踏まえていくことが必要だと思うので、まぁ、歴史研究の蓄積を待ってくださいと言っておきましょう。

僕なんかも、卒論で、高度経済成長を研究しようと考えているのだが、「戦後変革」「戦後改革」とかは、所与のものとして考えるので、どうも、「戦前」「戦時」「戦後変革」との繋がりへの意識は希薄である。だから、逆に1950年代の変化とのつながりは重視しようとしている。

そういうわけで、『敗戦の逆説』はニューディーラーとかの評価については面白い本であった。

そうそう、少し前に、高度経済成長と「デタント」との関係はあるのかどうか、とランチの席で聞かれて、困ったことがあるんですか、あれは、ホント、困りましたね。そもそも、「デタント」の時期が不明確だし、いくつも「デタント」はあったからね。僕は、その質問を受けて、全ての「デタント」を思い出して、それと日本経済と関連付けて考えて、表面的にはフリーズしていましたが、頭の中では、高速回転するようなことがありました。

今度、そんなバカなことを聞かれたら、「知るか、タコ」と答えることにしましょう。

ただ、その時、一つ考えたのは、池田内閣の時に、当時、国交の無かった中国に倉敷レイヨン(現在はクラレ)がプラントの輸出をしたということでした。これは、確か、大原総一郎さん(彼のおじいさんについては、城山三郎『わしの目は十年先が見える』)の「私の履歴書」に書いていたと思います。

これを、デタントの結果だと見ることができるかもしれません。ただ、高度経済成長には、あまり大きな影響を与えたと見ることができないと思いました。

まぁ、いろいろ考えることはありますが、僕も、それなりには勉強しているので、自信を持っていきたいと思います。「知るか、タコ」と言います。そろそろ、根拠なき自信を持つ時期に来ているのかもしれませんね。ただ、少なくとも、不合理な質問については、「知るか、タコ」で撃退します!!!

2007/11/07

勉強進まず、ただ、眠い・・・。

今日は、昼間に、ある授業の課題に取り組んでいた。課題の内容は、新聞から事例を探し、ゲーム化するというものであった。複雑な事象を、簡単化して、ゲーム化するのは、なかなか骨が折れる作業であった。

ゲーム理論は、今学期、もっとも、力を入れて、勉強したい。ゲームさえ、できれば、比較制度分析など、もっと、高度な経済理論を使って社会現象を分析できるようになるのではないかと、大いに期待している。

今日は、歩いていても、眠りそうになるくらい、眠たかった。

2007/11/04

11月3日の日記

槙原「GREEN DAYS」を聞いているのですが、良い曲ですね。

さてさて、今先ほど、NHK教育「トップランナー」を見ていました。今日のゲストは、土屋アンナさん。彼女は、モデル・女優・歌手・結婚・出産と、スゴイ経験を、23歳の若さで、既に、経験している。

率直に、スゴイと思った。僕も22歳。何かしら、置いてけぼりにされているようなことを考えた。

さてさて、『敗北の逆説』の感想は延期。

WATERの感想も延期。

『欧州統合』は、気合を入れて、読みます!!!

映画「虫師」「EUREKA」を見る。原因は、『欧州連合』を読むのが辛すぎて、現実から逃避するために、一気に見る。

「虫師」は、明治の初期頃の時代を描いていると思うのだが、近代化や現代化の波の中で、それまであった文化や風習というのが断絶してしまうということを何となく考えた。

「EUREKA」は難しいですね。いい映画を観たいという方にはお勧めかな???

『欧州連合』にリベンジ!!!

2007/11/02

休み満喫!!!

11月1日の午前中は、大学が休みだということもあり、映画を見に行きました。映画「クワイエットルームにようこそ」を見ました。蒼井優さんが出ています(^^♪。。。

この映画は、見る当初は、コメディー映画だと思っていたのですが、なかなか、深い映画だと思いました。というのは、監督・原作で松尾スズキさんという、僕のイメージではコメディー系の方が作ったからです。

少し感想を書きたいのですが、少し難しい映画で、「理解」するためには、もう一度見る必要があるでしょう。

簡単化して、この映画を説明すると、何かしらの精神的なダメージを受けて、「普通」には生きられない人たちが集められた病院の内部での話です。その病院は外部から完全に隔離されていました。

そして、主人公も、そこに閉じ込められるのですが、彼女がどうして、そこに入るに至ったのか、そして、その後のその内部での様々な出来事について書かれています。そして、最後は、彼女が、そこに入るに至った原因を相対化することができるに至り、退院して、話は終わります。

「普通」に生活できなくなるような精神状態になってしまうような原因というのは、相対化することしかできない。つまり、「解決」するようなことはないということです。一生それと付き合っていかなければいけないのです。

人によっては、その相対化が上手くでき、「普通」に生活することができるのでしょう。たぶん、おそらく、僕も、その相対化をそれなりには上手くできているのでしょうね。

でも、人によっては、その相対化が上手くできずに、精神状態を壊してしまうんでしょう。この映画でも、最後に、主人公よりも先に退院していた人が再び戻ってくるという場面があり、このことは、精神的な問題を「解決」することができないということを象徴しているのでしょう。だから、逆に、相対化するしかないということも示しているのでしょうね。

ちなみに、蒼井優さんは拒食症の役を演じていました。彼女、もともち痩せているけど、さらに痩せていたのが印象的でした。やつれていた、という感じでしょうか。どこかで書いていましたが、役作りのために、減量したとか。

お体には、十分気を付けていただきたいと思います。

彼女は、どうして拒食症になったのか。それは、世界システムというのが、ゼロサム的状態であることに「気づいた」からだという。つまり、彼女がモノを食べると、誰か世界で別の人は、自分よりももっと、それを必要としている人が、その分を食べられない。だから、彼女は、モノを食べられなくなった。世界の、そのシステムに「気づいて」しまったのだ。

こうして「普通」の生活ができなくなった彼女を、どのように考えますか???

バカでしょうか。アホでしょうか。

僕は、スゴク彼女の気持ちが分かりましたね。「共感」というべきでしょうか。ただ、今なら、彼女を、もっと生産的に考えさせるような言葉を僕は話すことができます。

世界のシステムが悪いから、そして、自分はその中で偽善者になりたくないから、彼女はモノを食べないのでしょう。彼女は、そのシステムを所与として捉えていて、そのシステムは変わらないと考えている。だから、自分の「正義」を守るために、モノを食べないという形で世界から「逃げ」ている。

だから、彼女も、その世界システムから逃れようとして逃れていないのだから、逆に、そのゼロサム的な世界のシステムを支えている存在でしかないのではないか。もしも、その世界のシステムに怒りを覚えるのなら、そのシステムをもっと良いものに変えることができるように努力するべきなのではないか。

もちろん、その努力をすれば問題が世界のシステムが良くなるとは必ずしも言えないが。

ただ、おそらく、そうした方向性に彼女自身が進むほうが、「逃げ」ている状態よりは、彼女自身、そして世界のシステムにとって、良いであろうと、僕は思う。

どうして、僕は彼女に「共感」するのかと言えば、同じような状況に「陥った」ことがあるからだ。

自己分析を兼ねて、書いてみると、高校時代に、そのようなことを考えた。皆さん、ご存知のように僕は、和歌山の南の白浜出身であり、そこで高校卒業まで、育った。小学校、中学校は、地元の学校に通いました。成績優秀(音楽とか美術とか、体育とかダメだったけど・・・)で、また、スポーツは柔道をして、また、中学校の頃は、生徒会長として1年間も君臨した。学級委員とかも、やったりと、なかなか世話役だったのだ。もう少し言うと、当時は、まだ社交的だったのだ。

結果、地元の優秀な生徒が集まる、田辺高校の中でも、優秀な生徒が集まる、自然科学科に入った。僕が、歪んできたのは、その頃から始まるのでしょうね。

その学科は、周りを見ると、中学校の時に通っていた塾の奴らばかりだった。その塾は、地元では優秀な塾で、いろいろな中学校から多くの生徒が通っていた。

僕は、そこで社会の問題に「気づいて」しまったのだ。僕のクラスの親は、大体が、医者か、公務員か、会社の社長だったのだ。僕は、何かしら大きな社会の差別を感じた。「公正」ではないと感じた。そして、どうして周りの人は、その「事実」に気づかないのかと悩んだ。そして、自分は周りから「ヒッキー」になった。

僕自身、比較的に裕福な家庭にいて、そして、その事実をどのように自分の中で理解すればいいのか分からなかった。

僕は、その「特権的」な立場にあるなら、それを有効に使い、いい大学に入り、いい職業につき、そして、「公正」な社会を作らなければいけないと考えた。

だから、僕は、その第一関門である、大学受験に全資源を投入した。が、今から考えると、あまり「効率的」な勉強はできていなかった。もしも、「効率的」であれば、僕はハーバードにでも行っていたであろう。

まぁ、何とか最低の目標は達成したのであるが、失ったものも大きかったことは、大学に入ってから痛感し、そして「今」に至るのである。

社会には、いろんな人間がいて、その中には、社会の問題に、純粋に向き合ってしまって、結果、生産的でなくなってしまう人もいるんじゃないかと思う。僕も、その一人ではないかと思うし、あの彼女も、そうなのではないかと思う。

もし戻ることができれば、地元を飛び出し、いろんなものを見て、いろんな人と、対話し、考えを深めたかった。また、僕の苦しさを、少しでも理解してくれるような人がいて欲しかった。

だから、思うんですけど、自分は、彼らの彼女らを苦しみが分かる人になり、何かしらの形で話を聞いてあげたい。

そんなわけで、僕は、「効率的」で「公正」な社会を作りたいというところに、自分の関心が向かっていくのだろうね。「公正」な社会を作りたい。「効率的」じゃないと、そこの当事者は、スゴク苦しいから、それを解消していきたいとかね。

そして、東京に出てくる、問題なのは、和歌山の白浜だけではなく、日本中なのだということを発見。それなら、日本中を「公正」で「効率的」な社会にしてやろう。社会問題を解決する医者になってやろう。

まぁ、あの映画は、なかなか、自分にとっては苦しかったけどね。最近、自己分析をするように言われているので、それと合わさって、いろいろ考えさせられました!!!


書きすぎました・・・。
A4、4枚です(-_-;)。。。

進藤栄一『敗戦の逆説』の感想も書く予定だったんですが、体力が・・・。

友人に、この本を貸していただきました。感謝。

様々な戦後史像をクリアーに整理されていたので、興味深かった。また、歴史の「神話」を潰そうという試みも興味深いものである。

細かい事象ばかり、歴史を勉強していると溺れてしまっていたなかで、このような本を読んで、目から鱗が、という感じです。

そうそう、昨日、映画を見た後、六本木のミッドタウン東京にも行き、「WATER」も見ました。その感想は・・・。省略。

2007/10/29

継続は力なり。

昨日、今日と空がスゴク綺麗です。特に、昨日の朝に、サエキの通りを自転車でぶらぶらしている時に、前に、富士山がくっきりと見えたのには大きな感動を覚えました。何とも言葉にできない感情が沸き起こってきました。

同時に、あのように美しい景色を、美しいと見ている人たちは、どれだけいるのだろうかと考えました。心の余裕の問題なのでしょうか。その美しい景色を見ずに、通り過ぎていく人々とすれ違いながら、考えました。

一瞬でありますが、そのような人々を見ながら、自分は、一人なんだと感じたりしました。(これは、決して、マイナス的だけの意味ではないでしょう・・・)


さてさて、今日は関先生の授業があったので、その復習を書きましょう。重要ポイントを羅列していきたいと思います。

まずは、感想から。ある学生が授業が終わった言った言葉「NHKスペシャルみたいだった」。そんな授業でした。けど、授業のいろいろのところで、やはり、何かしら興味深い捉え方とかをしています。

まずは、中国の外資導入の歴史を書くと
1978年の改革開放

1984年

外資進出の第1期(89年の天安門事件)

1992年(南巡講話)

第2期(97年のアジア通貨危機を経て)

2002年

3期

2007年以降続く

それぞれの特徴として、外資の進出の形態には3種類があるという。
合弁(外資と国内の合弁。外資の株式保有率25%以上)・合作(何でもあり!!!)・独資(外資100%)

第1期では、合作・合弁・独資の順。外資の進出のノウハウが不十分だったこともあり、制度的に不明確な合作という形態が取られることが多かった。

第2期では、合弁・独資・合作。ノウハウの蓄積から、徐々にルールが定着か。

第3期では、独資がほとんど。それは、2002年に独資内販自由化が認められるようになった(それまでは、禁止されていた)。

ただし、基幹産業や、エネルギー、通信、流通、金融などでは、独資を認めない。このあたりの事例から、このような産業の重要性について、再考する必要があるだろう。だから、グローバル化だからといって、安易に、全ての産業を自由化するのは、明らかに問題を抱えているのだ。

そんなわけで、2002年に独資の自由化が進行。結果、日本企業でも、その恩恵を受けた企業と、そうではない企業に分かれることに。

その恩恵を受けた企業の代表は、キヤノンだそうです(キヤノンですよ。キャノンではない!)。というのは、キヤノンはそれまで中国市場を市場だと考えておらず、積極的に進出していなかった。そのため、内販において制限のあった独資という形態でしか進出しておらず、中国はあくまでも生産拠点であった。ところが、独資制限の撤廃と、また、中国の市場の可能性が広がったことによって、逆にキヤノンは、チャンスを得ることに。というのは、中国におけるキヤノンの会社は全てキヤノンの会社であり、そのため、ガバナンスをしっかりした上で、経営戦略を進めることができた。

逆に、損をしたのは松下や三洋。これらの会社は、早期から、中国の市場に進出し、内販が許される合弁を立ち上げて、進出していた。中国の現地の会社と、松下などとの合弁であった。結果、独資自由化後は、合弁ということがネックとなり、ガバナンスが利かずに、統一した経営戦略に失敗することになった。それは、現地の会社は、地域によって別であり、結果、松下などの合弁会社は、それぞれ会社であり、競争における敵であった。

いろいろ書きたいことがありますが、分量が多いので、止めます・・・。


今日は、4時間目の授業が、突然(?)休講になっていたので、ショックを受けました。週1回の国際政治史の授業。スゴク楽しみにしていたのに・・・。予習も、していたのに・・・。映画「大統領の理髪師」映画「猟奇的な彼女」映画「君に捧げる初恋」が予習でしたけど・・・。「大統領の理髪師」は、60年からの韓国社会が描かれていたので、少しは参考になるかな???

明日は、ゲーム理論。

2007/10/28

学んで思わざれば即ち罔し。思うて学ばざれば即ち殆うし。

樋口陽一「立憲主義の日本的展開」中村政則他編『戦後民主主義』岩波書店、2005年。を読みました。一読だと、もちろん、理解できません。反省。

ただ最後の文章が気になったので、書くと・・・
「高度経済成長以後、さらに『日本の形』は変わったが、『苦しみを持たない変革』から50年たって、『苦しみを持たない』ままに『近代』を手放してよいのかどうか。―――それが問題である。」

近いうちに再読しようと心に誓う。

2007/10/27

韓国の映画を見る。。。

昨日、ある友人と、お酒を飲みました。とにかく、「勉強しろ」と言われました。

さて、そんなわけで、お酒を飲んだので、その後、勉強するわけもなく、2本ほど、映画を見ました。

映画「間宮兄弟」
映画「君に捧げる初恋」
です。

「間宮兄弟」は、コメディー映画で、楽しむために見ました。実際に、面白かったです。だから、楽しむためには、見るのに最適だとは思いますが、どうも投下時間に対して、効用は少ないという印象も、今はあります。

次の「君に捧げる初恋」は韓国の映画です。こちらも、楽しい映画ですね。少し前に、映画「僕の彼女を紹介します」を見たのが、このように韓国の映画を見るようになった理由です。

この映画は、題名からも分かるとおりに、lovestoryですね。正確に言うと、コメディlovestoryですね(lovestoryをどのようにカタカナで書くのかを失念したので、英語で書きます)。

男と女の関係性の移り変わりが、描かれています。少し前に、韓国の映画は、朝鮮半島における韓国と北朝鮮との関係をモチーフにしたものが多いという話を聞いていたので、もしかしたら、この映画も、その線に沿ったものかもしれません。確かに、そう見ることもできるのかもしれません。

まぁ、そろそろ書くのを止めて、勉強します。

2007/10/25

A Person of Leisure

今日も、公共経済学で上手くいかずに、泣きそうでした。相当、レベルの高い授業だと思います。休みの日に、集中的に勉強して、月曜日には、何とかしようと思います。

さてさて、今日は何冊かの本を読んだので、まずは、その記録から。

・川島・服部編『東アジア国際政治史』名古屋大学出版会、2007年。

↑読み終わる。ただ、再読しなければいけない・・・。政治史なので、何かしら、違和感を感じます。その違和感は、僕の最近の関心が社会とかにも向かっているからでしょう。だから、そのあたりを欠如しているのを読むと、違和感を感じるのでしょうね。

・関満博『変革期の地域産業』有斐閣、2006年、序章。

↑序章だけ、読む。今学期、関先生の授業を聴講しているので、その一貫として、近日中に、読みすすめようと思う。様々な「地域」の「現場」が実況中継されている。中央集権的な国から、「地方」へと大きく変容していると考えられている中で、彼の議論は、その「変化」に関心がある人には、スゴク参考になるのではないか。「実況中継」なので、経営とかを全く勉強していない方でも、読むことができます。(ただ、日本語が読めないと苦しいですが・・・)

・桐山他『東南アジアの歴史』有斐閣、2003年、2章。

↑ミャンマーやタイの19世紀以前の簡単化した歴史を勉強。これは、ルーティン読書である。

なかなか、本も読めないと痛感と反省と涙。。。


疲れてきたので、少し前に録画した映画を見ることに。
映画「僕の彼女を紹介します」

↑面白かったです。スゴク面白かったです。これまで、韓国映画を見る機会があまりなかったのですが、これを機会に積極的に見ていこうと思いました。(これまででは、「JSA」「殺人の追憶」「シルミド」を見ました。ただ、国際政治を学ぶ一貫として見ていました。)

今度、楽しそうな韓国の映画を見てみようと思います。何かしら面白そうな映画をご存知なら、教えてください(*^_^*)。。。(何となくですが、韓国映画というよりも、韓国の映画と言う方が、しっくり、します。)

チョン・ジヒョンさんがスゴク、キレイだとも思いました(●^o^●)。

その後、NHK教育の「知るを楽しむ」で見城徹さんの話を聞きました。「戦う」ということを、さっぱりと、定義されていたことが、スゴク印象的でした。

僕は最近、大学を出る方策について考えているのですが、滅私奉公のようなことはしたくないと、よく考えます。たとえ、それが社会のため人のためであっても、それはおかしいのではないかと思います。僕は、個人の犠牲の上に立つ正義か利益とかに対して、スゴク???です。

僕は、社会や人のために尽くすことと、自分の人生を楽しく充実させることとは、両立すると思います。だから、僕は、ある職場が滅私奉公のようなことを求められるところであっても、それに追随するのではなくて、その「滅私」を求める制度を批判していきます。


23時からは、NHKの「SONGS」を見ました。中村中さんが今回、取り上げられていたアーティストでした。

もちろん、これを見るまでは、知りませんでした。けど、表現するということなどについて話をしているのを聞いていると、何かしら自分に通底するようなところを感じました。

僕自身の中に存在する表現したいという渇望に何かしら響いたのかもしれません。最近は、あまり、考えませんが、高校の時は考えましたね。

高校の時に、組織というものに、絶望したので、絶望というのは、どうして、人間というのは、組織の中にいると腐るのかだめになるのかということを考えました。その結果、よく、アジア・太平洋戦争関係の本を読みましたね。ホント、今考えても異常なくらい読みましたね。濫読で、かつ、田舎の誰も教えてくれない中で読んだので歪みはひどくなりましたが、まぁ、考え続けました。

最近は、全うに社会の中で、生きていこうと考えているので、表現したいという渇望はあまりありませんね。あっ、少し前提にしてしまいましたが、社会で「全うに」生きるということと、表現への渇望は、トレードオフなのでしょうか?

ただ、僕の感覚からすると、表現に渇望がある人は、楽しい意味で少し「変」な人が多いのかもしれません。まさしく、「変態の森」の中にこそ、ウヨウヨいるのでしょうね。

少し書きすぎました。反省。

2007/10/24

The Road to Excellent man

今日は、電車に乗っていると、あまりの人の多さに、何かしら気分が最低に悪くなりました。人前にいると、最近、直ぐに、肩が凝ってきて、疲れる。。。

電車に乗らなくなったことから、ストレスへの耐性が失われてきたのでしょうか。

さてさて、今日も予習が上手くいかずに、ゲーム理論で泣きそうでした。難しい。。。次回金曜日はリベンジです。水曜日・木曜日と2日使って予習します。

そうそう、明日、公共経済学があり、こちらも予習が必須なのですが、これは、朝、気合でやろうと思う。

最近、精神的な余裕がなくなってきて、どうも、周辺が見えにくくなってきているような感じがします。今日も、知り合いとすれ違ったのですが、気づかず、気づいた時には、すれ違っていたという最悪なことをしてしまいました。反省、ごめんなさい。

どうも、視覚が下前になってしまいます。つまり、足元しか見ずに、歩いているということです。

今日の進歩としては、勉強の優先順位をつけて、優先順位の低いのを切ったりしました。そろそろ、悠長なことも言えなので、優先順位を付けて、勉強します。当分は、ミクロ経済と授業の公共経済・ゲーム・労働経済です。

あと、毎日一つくらい、中原中也の詩を暗記して、美しい日本語を勉強しようかと考えたりしています。

2007/10/22

牛のように、ゆっくりと!着実に。。。

今日は、畏友に晩飯をご馳走になり、かつ、いろいろな悩み事(歴史の対象とか)を聞いていただきました。感謝。

人に聞いていただくことにより、自分の悩みや考えが言語化できていないことを、猛烈に痛感。また、悩み足りていないことも判明。

『のだめカンタービレ』とか、先ほどの、NHKスペシャルを読んで、見ていて感じることは、対象に「没入」することの重要性・大切さ。

「没入」できていないから、考えが悩みが足りないんだと反省。日々、浮気症のために、いろいろと興味が分散してしまったり、そもそも、集中力が足りなかったり、集中できる状態ではなかったりとかとか、反省。

学問をしている範囲が広い(数学から、ゲーム理論、公共経済学、経済史、国際関係史、そして、近日中には、ミニスカートの歴史とかも調べようと考えている)ことを言い訳にしないで、全てでAを取ることを、短期的な目標に。

そして、同時に、「夢」をよりクリアーにする努力も。(「夢」を「志」とかのように別に言い換えることもできるだろう)

まぁ、その前に、目の前に高く積み重ねられたペーパーと本、そして、明日のゲーム理論の予習をやろうと思います。

そうそう、加瀬和俊『集団就職の時代』を近日中に読む予定。。。
あと、進藤栄一『敗戦の逆説』(学校の図書館にも、国立の図書館にも入っていない。。。ガビーンーーーーー。)

2007/10/20

公正で、効率的で、「楽しい」社会を目指して

今日は、新宿に行き、少しブラブラしました。紀伊国屋書店で、本を買い、ベスト電器でプリンターのインクを買いました。東急ハンズでは、香りのする置物(名前を失念)を買いました。あと、CDショップ(店の名前を失念)でX-JAPANのクラシック版を買いました。

交通費が高いことや、あまり行く用事もないので、今日は、まとめて、新宿でいろいろしました。

その行く途中で、南口のドーナッツ店で、スゴイ行列を見ました。とうとう、橋の半分を超えて、人が並んでいるのを見た時は、何ともスゴイと思いました。どれだけ美味いドーナッツなのだろうかと思いました。ただ、僕は自分のためには、あんな行列に並ぶ気は起きないだろうとも思いました。

さてさて、今日は天気も良く、南口の高島屋への橋を渡っているとき、上を見上げると、スゴクキレイな空が広がっていたのが、印象的でした。キレイだと思える気分的な感情が、自分の中に、まだ、あったことに何かしら安心を覚えました。

僕は、空が好きで、特に、青空ですね。ただ、ギンギンの青空は少し嫌で、雨の後の空とか、夕日と混在した空とかが好きです。

大学の兼松付近から見る、図書館や兼松講堂が見える空も好きですね。緑豊かで、趣のある建物があって、スゴクキレイです。

高島屋の上の方から、東京を見渡したのですが、東京は、都心から離れたところは一面住宅のような建物が永久に続いているようですね。上海の一番高い展望台から見るのとは、都市の風景が違うということを、久しぶりに高いところにいて、横を見た時に、思いました。

やはり、東京だね、と思いました。

最近、卒論のことが頭から離れなくて、よく考えます。新宿も、戦後において、急速に発展してきたんだよねとか。中央線の混雑も、戦後の時期において、形成されてきたんだねとか。満員電車とかも、人口移動の結果起きたんだよねとか。

今あるものが、所与ではなくて、かつてのどこかの時期に形成されていったんだということをよく考えます。その形成のされ方は、その場所場所の初期条件の違いによって、様々な「均衡」になっていくんだよねとかも考えます。

前回少し調べたこととして、高度経済成長期の貿易自由化の結果、畜産の飼料の輸入割合が大半を占めるようになったということがあった。この状態は、今日まで続いていることだと思うんですけど(調べていないから嘘の可能性大!)、こういうのを調べていると、飼料であるトウモロコシとかの輸入先であるアメリカの農産物に対する政策とかに注目していかなければいけないと強く思う。

日本社会全体において、アメリカに対して飼料を依存している仕組みが出来上がっていることが、歴史を見ていくと明らかである。だから、今日明日にできた仕組みではなくて、もう何十年も続いているようなことだから、その根が深いことを痛感する。こういう依存関係にあるので、何かしらアメリカで問題が起きると、日本に甚大な被害が降りかかってきてしまうことも分かる。

さて、大江健三郎『日本の「私」からの手紙』をやっと、読み終わりました。いろいろ考えさせられるという点で、面白い本だと思いますよ。

特に、最終章は、大江さんが、どうして小説を書くのかという点が書かれていたので、何かしら考えさせられた。

彼は、その生きた時代時代に規定された主題に取り組んでいったことが書かれていた。

そして、僕自身のことも少し考えた。時代に規定された主題を選ぶというのは、この章を読む前から、僕自身の中で、考えていたことだった。

僕は1985年に生まれて、

10歳は1995年
1995年は地下鉄サリン事件、阪神大震災とか日本が最悪に暗かった時代だ。

15歳は、2000年
僕たちの世代は、子供という、最も「純真な」(=経験が少なく、周りからの影響を直接的に影響されやすい)時期に、日本社会にとって「失われた」時代を過ごしたのだ。テレビから流される日本社会の荒廃や、自分の周りから、または親から間接・直接に聞かされる、様々な「嫌な」話を、心の中に溜め込んできたのだ。この時代的な経験を、私たちは、それぞれ、自覚的になる必要があるのではないか。

16歳に、2001年

18歳に、2004年。
この年に大学に入学したのであるが、小泉構造改革以来、日本経済の復活のために、積極的に外国のものが受け入れられていった。MBAとか、外資とか、ベンチャーとか、いろんな外国的なものが入り、それに翻弄され、大いに反感を覚え、そして、しかし、それに追随しなければいけないとも思った。

そして、2007年10月21日。眠い・・・。

2007/10/19

卒論報告第4回目

1.前回までのまとめ
 
(1)問題関心
  ①「国家」に対する考え[1]
  ②高度経済成長に対する考え
   →高度経済成長において、日本は経済的に発展した。同時に、日本社会の「近代化」や「現代 化」も進んだ時代だと見ることができる。この「大きな変化」のあった時代に対して、その歴史の「連続」及び「断絶」に注意しながら見ていきたい。
 
(2)1950年代から60年代の日本の概観
  ①日本経済の規模
→人口一人当たりのGDPを確認
  ②産業の高度化
 
(3)1950年代の経済政策
→様々な経済政策がなされたということを確認した。高度成長の時代は、経済政策があらゆる分野で全面的に展開し、これを梃子として資本蓄積[2]が強力に進められた時期であった。
  ①外為法
  ②租税特別措置
  ③財政投融資
  ④個別産業育成政策
  ⑤行政指導
  ⑥金融政策
  ⑦構造政策
  ⑧経済計画
 
(4)貿易の自由化
  ①貿易為替自由化の背景
→「国外」からの圧力と、「国内」からの動きがあった
  ②貿易為替自由化への官僚の反応
→貿易自由化に対して、当時通産省で消極的な立場と積極的な立場の代表的な地位にいた人の考えを検討した。消極的な立場が、日本の現状に立脚して判断している一方で、積極派は相当に楽観的に対応していることが鮮明に分かった。
  ③「貿易・為替自由化計画大綱」
  ④自由化の推移
 
2.課題の再掲
・戦後日本の高度経済成長が日本社会を大きく変化させた[3]
  →いかに日本社会を変化させたか?
 
・ここでは、高度経済成長期の「国際化」に焦点を当てながら、その適応過程が、いかに日本社会を変化させていったのかについて見る。
 
・先行研究、特に、経済史分野では、政府と民間がいかにして高度経済成長を達成したのかについて検証しているものが多い。このような研究の場合、経済成長に焦点が当てられていて、その時代に生きた人々への言及が不十分となっている。政府と民間の経済成長への動きによって、その時代に生きた人々は大きな影響を受けている。もちろん、影響を与えることもあったであろう。この卒論では、政府と民間そして社会の3つの連関の中で、高度経済成長を見ていく。
 
・また、社会史においては、具体的な経済成長に関する言及が少なく、当時、政府や民間などの行動によって、社会が大きく既定されていたことを考えると、同様に、政府と民間、社会の3つの連関の中で、高度経済成長を見ていくことが必要である。
 
・以上、この卒論では、「国際化」の過程を、日本の政府・民間と社会、そして外国が、どのようにして適応していったのかについて見ていく。
 
・注意したいこととして、外資を敵視するのではなくて、外資の導入によって、いかに日本の「近代化」や「現代化」が進んだのかという視点を入れていきたい[4]

3.貿易自由化の結果
 自由化率の推移と、自由化の影響について簡単化して見ていこう[5]。1960年4月において、
40%であった自由化率は、62年4月には73%、63年4月には89%、64年4月には、92.3%
となった。62年4月までの自由化は、原材料を中心に行われたそうで、工業製品について
は、比較的競争力の強いものからなされていった。そのために、食料財、消費財などでは
自由化の直接的影響がかなり見られたものの、その他においては、自由化自体の輸入増に
与えた影響は、それほど大きくはなかった。
 
以下において、貿易自由化が農産物、そして農村に与えた結果について見ていこう[6]。農
産物については、輸入制限品目は62年4月の103から64年の72に急減し、自由化率は59年の43パーセントから63年の92.1%に急増した。コメ、ムギなど国家貿易品目や、牛・豚肉、乳製品、柑橘類といった基幹的・選択的拡大対象農産物を除き、その周辺の農産物とその加工品について大幅な自由化が行われていったようだ[7]
 
その背景には、53年を転機[8]に、ムギ類や飼料用穀物、大豆などは、アメリカを中心に過
剰化と輸出余力の形成が進み、その国際価格が日本の国内価格を下回るに至ったというこ
とがあった。また、アメリカの食料戦略や学校給食の普及、高度成長にともなう所得水準
の上昇のもとで、若い世代から、パン食や、畜産物、洋風野菜[9]の消費が増え、食生活
の「洋風化、先進国化」が進み始めたという。
 
こういう背景の下で自由化が進められていったのだが、割安な農産物の輸入の増加は、
それらの国内生産の縮小につながった。食管制度化に貿易が政府の一元化にあったムギ類
の輸入がコムギを中心にこの期に急増し、国内生産が圧迫し、切り捨てられていき、自給
率の低下が始まったようだ。コムギの自給率は、55年は41%、60年には39%、そして、
65年には28%となっていった。

 飼料用トウモロコシは、自由化が本格化する以前に輸入がいち早く自由化され、さらに
64年にコウリャンも自由化され、この期に飼料用の穀物の輸入が急増することになる。こ
のようにして、日本の家畜業は飼料用作物の経営地での「土地利用型」ではなくて、その
全面的輸入依存による工業的な「加工型」畜産として本格的に展開することに至る。

 大豆も、ムギと同様に、自由化のために、その自給率は1ケタ台へと急落していくこと
になる。大豆は、油脂やみそ・しょうゆ・とうふなどの原料であり、その油粕が飼料原料
にもなり、製油・食品・飼料資本にとって重要な作物である。61年に自由化され、その後、
輸入急増、国内生産の急減となることになる。

 このようにして、ムギ類、飼料用穀物、大豆の輸入増大に強く影響されて、この期の農
産物輸入は60年の8.7億ドルから65年の18.9億ドルへと6年間に2.2倍に急増し、逆に
農産物自給率は穀物重量、熱量ベースともにこの期から急減しはじめた。

 ただ、60年代は一連の農産物の国内生産の減少と農産物自給率の低下が進んだが、まだ、
その程度は緩く・部分的であり、農業総生産額は金額でも物価指数でも増大することにな
ったそうだ。日本人の主食であり、60年当時ほぼ全農家の90%が作付けし、全農業生産額
の半分を占める農業の大黒柱=コメは、旺盛な需要と高米価のもとで農民は増産を競い、
ひきつづき高位生産を継続することになった。また、農業総生産額のほぼ30%を占め、国民
の需要がますます増える傾向にあり、選択的拡大の対象とされた畜産物、果実、野菜生
産を拡大[10]していった[11]

 以上、貿易自由化と、それに付随する要因による農産物生産の変化を確認してきた。ま
た、他にも、農業生産の増大のための、各種設備の導入や、高度経済成長期における就業
構造の変化によって、農村は、大きく変化していくのであった。

 貿易自由化の結果として、農産物及び農村以外にも
・地域開発計画
・エネルギー生産
・中小企業
・国民意識・・・
 など多くの領域に、様々な影響を与えていったことが予想される。その中で、「近代化」
及び「現代化」がどのように進んでいったのかまで、見ていきたい。


4.資本自由化への過程
 (1)資本の自由化とは?
資本自由化とは、1967年から1976年にかけて段階的に実施された、対内直接投資および技術導入の自由化のことである。

 (2)資本自由化前史
   ①資本自由化措置が実施されるまで外資導入は、「外資に関する法律」(=外資法)および「外国為替および外国貿易管理法」(=外為法)の下で管理されていた。
   ②そのため、外資導入に当たっては、政府の個別認可を必要とした。特に、1950年代末に国際収支が好転し、外貨準備が急増する以前は、配当・利子・特許料の支払いが、国際収支を圧迫することが懸念されたために、外資導入に当たっては、国際収支の改善に寄与するものが優先的に認められていった。
   ③外資導入申請の審査は、関係各省の事務次官等からなる外資審議会(大蔵大臣の諮問機関)が、外資法の基準に照らして行われた。
   ④外資法による外資導入は、
・直接投資(株式取得による日本企業への経営参加、合弁企業の設立、子会社の設立などの外資系企業の進出)
・間接投資(社債、貸付金、資産運用目的の株式取得など)
・技術導入
 の3つの形態に大別することができる[12]
⑤自由化以前の外資導入を3つの形態別に概観する。
 ・直接投資
   直接投資が少なかった理由は、
日本政府の審査が厳格であったこと
外国企業の側に日本へ進出しようとする意欲が乏しかったこと[13]

・間接投資
  企業(とくに電力や重工業)の外債発行や外国銀行企業からの借り入れの意欲
  は盛んであった。しかし、実際には1950年代[14]には日本の企業は独力で外国
の資本市場や、民間銀行から資金調達を行いうるだけの国際的信用を持って
いなかった。1960年代に入ってから、ようやく民間企業は海外から自力で資
金を調達することができるようになったとある[15]
    ・技術導入
      →高度経済成長期の日本の産業に導入された主要技術の大半が輸入技術であったこと[16]が示すように、企業は技術導入にきわめて意欲的であった。
      →しかし、外貨準備の制約があったために、政府は、輸出産業育成に役立つ技術輸入を優先させた[17]
      →また、外資審議会は、日本企業が競争して外国企業の先進技術を導入しようとする際において、契約条件が日本企業に不利になることを防ぐ役割を果たした。そして、不利な場合は、技術契約の申請案件について、修正を命じることもあった。技術導入許可を与えるメーカーを限定することによって、「過当競争」を防ぐ手段でもあった。

 (3)資本自由化への契機
  ①1964年4月のOECD加盟[18]
   →「資本移動の自由化に関する規約」「経常的貿易外取引の自由化に関する規約」の
2つの自由化規約を承認
→資本移動と経常的貿易外取引の自由化の義務を負うことに
  ②アメリカ企業の日本への進出意欲の高まり、そして、アメリカ政府からの自由化の圧力。
   アメリカ政府は、1965年7月の第4回日米貿易経済合同委員会そして、1966年7月の第5回合同委員会において日本政府に対して外資規制の緩和を強く求めた[19]
   ↓
   1966年7月、三木通産大臣は、1年以内に資本自由化の方針を示すことを約束。
   ↓
   1967年2月水田蔵相は外資審議会に対内直接投資の自由化方針について諮問
   →6月に外資審議会からの答申を受けて
   →7月、政府は第1次資本自由化措置「体内直接投資の自由化について」を実施
  ③日本企業の立場
   日本企業の側には、外国企業の進出を求める積極的な理由はなかった。
   →日本企業の海外進出は進んでいなかったこともあり、相互主義の見地からの資本自由化への必然性も弱かった。
  ④経団連の立場
   資本移動の自由を認めることが長期的に有利であると判断
   →1966年5月、資本自由化決議
    →経団連は通産省の原局から意見徴収を行い、自由化業種の検討
    66年9月、業種別懇談会による自由化業種の選定
    ↓
    67年以前において、第1次資本自由化への作業は経団連では、既に進んでいた
  ⑤資本自由化への政治構造
   ・積極的に資本自由化を進めようとする経団連(石坂泰三会長)
    →大蔵省の支持
   ・個別産業の利害と立場を代弁しなければいけない通産省、そして日本商工会議所
   ⇒経団連が「総論賛成」を、通産省が「各論反対」を唱えるという構図が出来上がった。

(4)資本自由化の結果
  ①「安定株主」の確保のための「系列化」[20]
 
6.課題と反省
 ・「国際化」の過程を見るからと、貿易為替の自由から資本の自由化まで全てをみることは不可能である
  →時期を区切って見ていくことが必要

 ・基礎知識の欠如などのために、書かれていることを鵜呑みにしてしまっている
  →実証して、確かめる必要がある
(三輪芳朗他『経済学の使い方』日本評論社、2007年は、「なぜ」を問うことの必要性を、具体的に日本研究の事例を扱う中で、言っていた。実証的な検証に耐えることができないような概念を使わないように注意していきたい。)



7.参考文献
・社団法人経済団体連合会編『経済団体連合会50年史』経済団体連合会、1991年。
・通商産業省、通商産業政策史編纂委員会編『通商産業政策史』通商産業調査会1989年-1994年。
・エコノミスト編集部編『戦後産業史への証言』毎日新聞社、1977年。
・エコノミスト編集部『高度成長期への証言』日本経済評論社、1999年。
・経済同友会『経済同友会50年のあゆみ』経済同友会、1997年。
・山澤逸平他著『貿易と国際収支』東洋経済新報社、1979年。
・毎日新聞社編『一億人の昭和史 高度成長の軌跡』毎日新聞社、1976年。
・毎日新聞社『高度成長』毎日新聞社、1984年。
・朝日新聞社編『朝日新聞に見る日本の歩み 高度成長への信仰』朝日新聞社、1977年。
・大蔵省財政史室編『昭和財政史―昭和27―48年度』全20巻、東洋経済新報社、1990-2000年。
・経済企画庁編『戦後日本経済の軌跡 経済企画庁50年史』大蔵省印刷局、1997年。
・同編『経済白書 昭和39年度版』大蔵省印刷局、1964年。
・マンガス・マディソン著、政治経済研究所訳『世界経済の成長史 1820年~1992年』東洋経済新報社、2000年。
・『毎日新聞』
・通商産業省『通商白書 総論1964年』通商産業調査会、1964年。
・通商産業省『通商白書 総論1960年』通商産業調査会、1960年。
・土門拳『ドキュメント日本 1935年―1967』小学館、1995年。
・通商産業省編『商工政策史 10巻』商工政策史刊行会、1961年-85年。
・太平洋戦争研究会『GHQの見たニッポン』株式会社世界文化社、2007年。
・日本放送協会放送世論調査所『図説戦後世論史 第2版』日本放送出版会、1982年。
・三和良一・原朗編『近現代日本経済史要覧』東京大学出版会、2007年。
・東京都写真美術館編『昭和の風景』新潮社、2007年。
・赤瀬川原平『戦後腹ぺこ時代のシャッター音』岩波書店、2007年。
・内田公三『経団連と日本経済の50年』日本経済新聞社、1996年。
・マーク・フューステル編『日本の「自画像」』岩波書店、2004年。

辞書・辞典:
舘龍一郎編集代表『金融辞典』東洋経済新報社、1994年。


本・論文[21]
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□同『比較制度分析に向けて』NTT出版、2003年。
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■同「昇りつめた高度成長」歴史学研究会編『日本 同時代史4 高度成長の時代』青木書店、1990年。
○浅井良夫『戦後改革と民主主義』吉川弘文館、2001年。
■同「資本自由化と国際化への対応」中村政則編『日本の近代と資本主義』東京大学出版会、2002年。
□雨宮昭一『戦時戦後体制論』岩波書店、1997年。
■同「1950年代の社会」歴史学研究会編『日本 同時代史3』青木書店、1990年。
□荒川章二「日本型大衆社会の成立と文化の変容」『日本 同時代史4 高度成長の時代』青木書店、1990年。
■アンドルー・ゴードン著、森谷文昭訳『日本の200年上・下』みすず書房、2006年。
□同編『歴史としての戦後日本上・下』みすず書房、2001年。
■五百旗頭真編『戦後日本外外交史』有斐閣、2006年。
■伊藤正直「高度成長の構造」渡辺治他編『戦後改革と現代社会の形成』岩波書店、2004年。□伊藤元重『産業政策の経済分析』東京大学出版会、1988年。□猪木武徳『経済思想』岩波書店、1987年。○猪木武徳・安場保吉編『日本経済史8 高度成長』岩波書店、1989年。
□色川大吉『昭和史世相篇』小学館、1990年。
□大門正克他著『戦後経験を生きる』吉川弘文館、2003年。
□大瀧雅之『景気循環の読み方』筑摩書房、2001年。□大嶽秀夫『戦後政治と政治学』東京大学出版会、1994年。□同『高度成長期の政治学』東京大学出版会、1999年。□岡崎哲二、奥野正寛編『現代日本経済システムの源流』日本経済新聞社、1993年。
□岡崎哲二『コア・テキスト経済史』新世社、2005年。
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■神野直彦『地域再生の経済学』中央公論新社、2002年。
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□清川雪彦『日本の経済発展と技術普及』東洋経済新報社、1995年。
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□菅孝行『高度成長の社会史』農村漁村文化協会、1987年。
■鈴木恒夫「戦後日本経済システムと『過当競争』」中村政則編『近現代日本の新視点』吉川弘文館、2000年。
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□舘龍一郎『日本の経済』東京大学出版会、1991年。□ダニエル・I・沖本著、渡辺訳『通産省とハイテク産業』サイマル出版会、1991年。
□チャーマーズ・ジョンソン著、矢野俊比古監訳『通産省と日本の奇跡』TBSブリタニ カ、1982年。
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■同「1950年-1960年代の日本」安丸他編『岩波講座 日本通史』岩波書店、1995年。■中村隆英・宮崎正康「1950年代の産業政策」中村・宮崎編『岸信介政権と高度成長』2003  年、東洋経済新報社。
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□同『日本経済』東京大学出版会、1978年。
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■日高六郎『戦後思想を考える』岩波書店、1980年。
□平井陽一『三池争議』ミネルヴァ書房、2000年。□福川伸次『活力ある産業モデルへの挑戦』日経BP出版センター、2004年。
□講座現代資本主義国家編集委員会編『講座現代資本主義国家 現代資本主義の政治と国家』大月書店、1980年。
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□南亮進『日本の経済発展 第3版』東洋経済新報社、2002年。■宮崎勇『証言戦後日本経済』岩波書店、2005年。
□宮崎義一『国民経済の黄昏』朝日新聞社、1995年。
□同『戦後日本の企業集団』日本経済新聞社、1976年。
□宮島英昭『産業政策と企業統治の経済史』有斐閣、2004年。
□三輪芳朗『政府の能力』有斐閣、1998年。
■三輪芳朗他『経済学の使い方』日本評論社、2007年。
□同『産業政策論の誤解』東洋経済新報社、2002年。
□同『日本経済論の誤解』東洋経済新報社、2001年。
□柳川隆、川濱昇編『競争の戦略と政策』有斐閣、2006年。
□村上泰亮『新中間大衆の時代』中央公論社、1984年。■森武麿他著『現代日本経済史』有斐閣、1994年。
■同「総力戦・ファシズム・戦後改革」吉田裕他編『アジア・太平洋戦争第1巻』岩波書店、2005年。
□渡辺治編『高度成長と企業社会』吉川弘文館、2004年。
■同「戦後保守支配の構造」安丸他編『岩波講座 日本通史』岩波書店、1995年。
□山澤逸平『日本の経済発展と国際分業』東洋経済新報社、1984年。
○山之内靖、ヴィクター・コシュマン、成田龍一『総力戦と現代化』柏書房、1995年。
■吉川洋『高度成長』読売新聞社、1997年。
□同『日本経済とマクロ経済学』東洋経済新報社、1992年。
□同『転換期の日本経済』岩波書店、1999年。
■吉見俊哉『親米と反米』岩波書店、2007年。
■米倉誠一郎『経営革命の構造』岩波書店、1999年。

[1] これまでの報告では、過度に、「国家」の役割を強調するものであった。これは、様々な「変化」に対する、「国家」の対策を重視しているためである。
[2] 実証的に分析する必要性を感じた(三輪芳朗他『経済学の使い方』日本評論社、2007年)。
[3]原朗は「農地改革を経て、高度成長による工業部門の急拡大の結果、明治以降もゆるやかに進行しなかった農業人口の分解が一挙に展開することになったのである。さらに長期的な観点からみれば、弥生時代に形成されてから連綿として続き、農地改革によってもなお解体されなかった農業共同体が、高度成長期の間に大きく崩れ始め、解体への道をたどることになったのである。その意味では、高度成長期における経済構造の変化は、農地改革・地租改革・太閤検地などを飛び越えて、はるか2千年前の弥生時代における変化に匹敵するといってもよいと思われる」と述べている(原朗「戦後50年と日本経済」)。
[4] 具体的には、マクドナルドやコカコーラとかを見ることになるのだろうか?
[5] 『通商白書 昭和39年総論』p.107-115を参照。
[6] 暉峻衆三『日本の農業150年』第6章を参考に以下記述する。
[7] 暉峻衆三『日本の農業150年』p.183-184。
[8] 1953年、アメリカでコムギや、トウモロコシなど穀物類の滞貨
 →輸入価格が国内価格を下回ることに
 ↓
 アメリカは過剰農産物を処理するために、対外食糧援助
 →53年、相互防衛援助法の改正法
54年、「公法480号」
→過剰農産物処理をいっそう促進するための法律
   →ドルをもたない国でもアメリカの過剰農産物を受けいれて、それを自国通貨で販売し、その代金の一部はアメリカが現地での調達にあてるが、それ以外は、受入国が自国の経済力強化のための借款として使うことができた。また、受入国農産物の一部は、学校給食のために贈与されるとされた。

 54年から56年に、日本はこの援助によって、80万トンもの過剰農産物の受け入れ
 →その売り上げ代金の多くを電源開発や、愛知用水などの農業開発
 →または、日本での軍事目的やアメリカ農産物の市場開拓のために使用
   
 54年、「学校給食法」
  →パンと脱脂粉乳による学校給食を実施することが記載された
 +56-61年、アメリカ政府の援助資金による「キッチン・カー」の全国巡回
 ⇒日本人の食生活にパン食を中心とした洋風食を導入することに
 ⇒日本人の胃袋がアメリカの農業と政策に依存し、満たされるようになる起点となった(暉峻衆三『日本の農業150年』p.158-159)。
[9] 洋風野菜が増えたということは、この本の記述からは支持されない。
[10]赤澤史朗「所得倍増計画と高度経済成長」によれば、農業生産指数(1960年を100)とする時に、1965年では野菜116、果実123および乳牛142、豚232、鶏279、鶏卵196であった。
[11]暉峻衆三『日本の農業150年』p.185。
[12] 浅井「資本自由化と国際化への対応」p.268。
[13] 1960年頃からアメリカの多国籍企業の先進国への進出が活発になってくるが、主たる進出先は西ヨーロッパであり、1960年代前半にはまだ日本への関心は低かったとしている(浅井「資本自由化と国際化への対応」p.269)。
[14] 1950年代の間接投資は、世界銀行やワシントン輸出入銀行からの経済援助的性格を帯びた借款があった。
[15]浅井「資本自由化と国際化への対応」p.269。
[16]浅井「資本自由化と国際化への対応」p.270。
[17]限られた外貨を有効に活用して国民経済の健全な発展を図ることが当面の課題となった(『通商産業政策史 6』p.77)。
[18] 日本政府がOECD加盟にきわめて積極的であったのは、アメリカと西欧の経済関係が緊密化するなかで、日本が「先進国グループ」から取り残されることに対して危機感を抱いていたためとしている(浅井「資本自由化と国際化への対応」p.271)。
[19] 外資規制の緩和が強く求められたのは、外資比率50%以上の合弁企業の設立や、外資100%の子会社設立であった。
[20]浅井「資本自由化と国際化への対応」
[21] ■:読んだ。 □:読んでいない。 ○:参考にした。

2007/10/18

反省 新聞を真面目に読む

最近、猛省しているのは、新聞を真面目に読まなければいけないということ。

もちろん、新聞を取っているが、英字なので、どうも情報収集という観点においては、効率性が大きく低下する。そして、その影響が最近、時事ネタについていけないというところに、直接的に反映するようになってきている。

今日も、泣きそうであった(涙)。。。

早急に、日経に代えようと思う。

さてさて、今日は卒論を、明日にどのように報告するのかで頭を悩ませています。こちらも、(涙)。。。

その上、授業の予習も、宿題も。。。
明日は地方財政論に、ゲーム理論。ゲームの宿題分かんない(涙)。。。

経済学を真面目に勉強するには、数学が重要なので、今期、ゲームを真面目にAでクリアーして、不足分を補いたいと思う。

今日は、吉祥寺のターミナル内のC&Cで晩飯を食べた。思うのだが、お冷に氷がたくさんあると、冷たすぎて、飲みにくいんですけどね。私は実は体が弱く、結構、冷たい水は体に悪いような感じがします。あと、歯のあたりも調子悪くなります。(そのうち、苦情の連絡を入れようと思う。かつて、ユニクロと、国立駅前の定食屋に苦情を入れたことがあるが、指摘したことに対して、直ぐに改善されていたことに何かしら嬉しい感情を持ったことがある。)

火曜と木曜と、井の頭線に乗ったのだが、この路線は、途中の駅で、たくさんの人が下車することが印象的である。僕は、もともと、井の頭線を使う必要がないので知らなかったのだが、案外、吉祥寺まで乗っている人は少ない。逆に、知らないような駅で、大量の人が降りているのに、何かしら驚きを覚えたりしました。

朝読 2

大江健三郎『日本の「私」からの手紙』岩波書店、1996年、2章。

戦後直後の日本社会の代わりのみの速さに、大江少年が戸惑いを覚えたことが書かれていた。

ただ、戦前以来、日本社会はアメリカ文化を積極的に受容してきたことを考えると、戦後直後の変化をもう少し相対的に見ることができるのではないかと思う。

卒論報告迫る!

金曜日に、卒論の4回目の報告があります。何か報告しないといけないので、ネタを探しているのですが、なかなか、どのようにまとめるのかで悩みます。今日は、これまでの報告を洗練させているという感じです。

・戦後日本の高度経済成長が日本社会を大きく変化させた[1]
  →いかに日本社会を変化させたか?

・ここでは、高度経済成長期の「国際化」に焦点を当てながら、その適応過程が、いかに日本社会を変化させていったのかについて見る。
 
・先行研究、特に、経済史分野では、政府と民間がいかにして高度経済成長を達成したのかについて検証しているものが多い。このような研究の場合、経済成長に焦点が当てられていて、その時代に生きた人々への言及が不十分となっている。政府と民間の経済成長への動きによって、その時代に生きた人々は大きな影響を受けている。もちろん、影響を与えることもあったであろう。この卒論では、政府と民間そして社会の3つの連関の中で、高度経済成長を見ていく。

・また、社会史においては、具体的な経済成長に関する言及が少なく、当時、政府や民間などの行動によって、社会が大きく既定されていたことを考えると、同様に、政府と民間、社会の3つの連関の中で、高度経済成長を見ていくことが必要であることはわかる。

・以上、この卒論では、「国際化」の過程を、日本の政府・民間と社会、そして外国が、どのようにして適応していったのかについて見ていく。
 
・注意したいこととして、外国を敵視するのではなくて、外資の導入によって、いかに日本の「近代化」や「現代化」が進んだのかという視点を入れていきたい[2]

[1]原朗は「農地改革を経て、高度成長による工業部門の急拡大の結果、明治以降もゆるやかに進行しなかった農業人口の分解が一挙に展開することになったのである。さらに長期的な観点からみれば、弥生時代に形成されてから連綿として続き、農地改革によってもなお解体されなかった農業共同体が、高度成長期の間に大きく崩れ始め、解体への道をたどることになったのである。その意味では、高度成長期における経済構造の変化は、農地改革・地租改革・太閤検地などを飛び越えて、はるか2千年前の弥生時代における変化に匹敵するといってもよいと思われる」と述べている(原朗「戦後50年と日本経済」)。

[2]具体的には、マクドナルドやコカコーラとかを見ることになるのだろうか?


ただ、卒論を考えていても、これを研究する今日的な意義が、不明確なので、辛いです。正直言うと、こんなの調べなくてもいいじゃない、って思っちゃうんですね。

僕の研究を真面目にすれば、きっと、高度経済成長期期の、歴史的な位置づけがクリアーになると思うんですね。つまり、その時代以前からの「連続」や「断絶」が整理され、そして、日本の「近代化」や「現代化」の過程が分かると思うんです。

しかしですね、これをすると、現在の何に、どのように影響するんですか?

確かに、過去の「国際化」の過程で、外資恐怖論があったことを確認し、今日の外資恐怖論が、いかに、浅はかなモノなのか、一面的なものなのかについて、指摘することができるかもしれない。しかし、それって、わざわざ歴史を使って示すべき事柄なのか!

歴史を研究することと、現在といかにして結びつけるのかについては、歴史を研究するものにとっては、とても重要な課題なのではないかと最近、痛感しています。

例えば、永原・中村編『歴史家が語る戦後史と私』では、歴史のための歴史に陥ったことに対する反省が、有名な歴史家を含めて、多く語られていた。

つまり、どうして「歴史を研究」するのかは、スゴク難しい問題だということだ。

特に、日本のようにナショナリズムの道具として歴史を使う必要のない国家にとっては、その解答を求めらるのは難しいのかもしれない。ナショナリズムの道具として、歴史が使われていたという話は、イギリス史の川北先生が言及されていた。よって、その道具の必要性がなくなった時に、歴史は、その必要性を見失ったというようなことが書かれていて、一番印象に残るものであった。

とかとかですね。



今日は、国立図書館に予約していた本が届いたので、それを取りに行き、直ぐに読んでしまいました。
奥山清行『フェラーリと鉄瓶』PHP研究所、2007年。

フェラーリとかのデザインとかをしていた方の本である。

内容は、想像以下であって、時間の無駄の可能性大。

ただ、磨けば光る原石を探し、それをプロデュースすることで経済を活性化していくことが重要だと考える人は一読の価値があるかも。

僕は、大きな話として、日本社会にしても国際社会にしても、資源の分配が上手くいっていないということが、重大な損失を招いていると考えている。よって、適切な分配を行うことで、社会の厚生を高めることが可能である。(この本の著者は、人材がいなくて衰退している地方の企業に対して、足りない資源、例えば人材とか人脈・金脈・ノウハウとか、を注入することによって、大きな活力を生み出そうとしている。経済的なパフォーマンスを高めようとしている。)

そのため、私は、この資源の最適化を行うことができる仕事に携わりたいと考えている。その根底には、人のために働きたいという考えがある。(どうして、そういう考えが可能になったのかについては、父からの様々な教えが影響していることは間違いない。)

どのような形の仕事なのかは、まだ、不明であるが・・・。勉強しなければいけない。

2007/10/17

朝読 1

大江健三郎『日本の「私」からの手紙』岩波書店、1996年、1章。

日本は、アメリカの「核の傘」に「守られている」。だから、他国が核を保有したり、実験したりすることに対して、世界唯一の被爆国だからといって、強く反対できにくい忸怩たる部分がある。

「核の傘」は何か?
どういう働きをしていたのか?
そして、今は、どのような働きをしているのか?

そもそも、「核の傘」で想定している「敵」は誰か?

僕の理解では、他国によって軍事安全保障上のレベルで「守ってもらう」必要のある「敵」は、世界には存在しない。ましてや、近隣諸国にも存在しない。(北朝鮮をどのように考えるのかについては、詳しい議論が必要だけどね)

核の恐怖から、また、市民を犠牲にすることを前提とした「核抑止体制」から、脱却するために、私たちは、世界的な非核化を推進していくことが必要である。(学生なので、現実がどうだとかは考えない。現実についての深い考察も必要だけども、それに囚われると、現実追従になる危険性がある。)

その前提として、私たちは、東アジアにおける非核化していく必要がある。そもそも、日本がアメリカによって「守られている」ことからも脱却する必要がある。(日本においては、「冷戦」は終わっていないのではないか!)

「人を大事にする」「国際政治のダイナミズム」に、積極的に呼応していくこと、できたら、その流れを生み出していくこと(勉強します!!!)ができたらと考えている。

一歩後退、二歩前進。

もう若くないんだと、焦りを感じる日々を過ごしています・・・。

今日も、新聞が読めていないと、相当凹んでいます。明日の予習をしなければいけない。明日は、1時間目に、難解な公共経済学がある。

ミクロ経済学の応用の応用だから、難しいんです。議論の焦点は、例外についてが多くて、だから、その正統を理解していない僕にとっては、ハフーって感じです(涙)。。。

今、日経新聞の私の履歴書に出ているのは、スタンフォードの名誉教授の青木昌彦先生である。今、彼の『比較制度分析に向けて』という本をのんびりと読んでいるのだが、難しいですね。

でも、連載を読んでいると面白いですよ。1960年前後の状況、特に、学生運動についての知見を得ることができる。その中で興味深いのは、青木先生の周りには、後に有名になる学者などが多くいたということであろう。

西部先生とかについても言及されていて、60年前後の学生運動や、その後、彼らの果たした役割について興味がある人はぜひとも読んで下さい。中曽根内閣の時の、首相のブレーンだった学習院大学の教授の先生のことも出ていた。

彼らの挫折は、その後の彼らの知的な活動に、どのような影響を与えることになったのか!

2007/10/16

関先生の「国際経営」第2回目講義

関満博先生の「国際経営」の授業を月曜日3時間目に真面目に、聞いています。でも、聴講なので、単位をとる必要もないので、毎授業の内容をここで復習したいと思います。

この授業は、授業というよりも、お話という感じですね。学者のお話というよりも、ジャーナリストのお話を聞いている感じですね。まぁ、でも、話の内容は面白く、最後まで、聴講できそうな感じです。ただ、授業を手抜きしているという感もありますね。何か話をすればそれでいいのか!

もちろん現場も重要ではあるが、全体の構造も重要であろう。僕の願いとしては、最初くらいは、世界の経済の大きな流れについて構造分析をして欲しかった。現場に裏付けられた構造分析なら、とても大きな刺激を受けることができるだろう。

さてさて、今期の授業では、中国の南の方の香港のあたりから、ベトナムまでの経済地域の発展などについて議論するそうです。

日本企業にとって、中国市場は、とても重要であることは明らかであろう。生産市場としても、または、販売市場として重要だ。

特に、南の地域は、近年、超急速に発展していると言う。広東省では、ホンダ・日産・日野・トヨタが進出し、また、下請け会社も共に来ているということだ。

この地域の経済発展を大きく印象付けられる話として空港の話があった。今、その地域にあるハブ空港においては、3本目の滑走路が建設中とか。5本を作ることが計画されているとのこと。

今ある、2本目の滑走路は、4800メートルとか。日本にある普通の空港は2500メートル。ジャンボ機でも、3600メートル程度。どうして、4800メートルなのか?

それは、スペースシャトルの離陸にも使えるためとのこと。

また、3本目の使い方は既に決まっている。それは、Fedexにレンタルするそうだ。それまで、Fedexは、フリィピンに拠点を置いていたが、それを今度、香港の上の方に移すそうだ。それは、何を意味するのか?

この地域はスゴク良い地域らしい。それは、上は北東アジア、下は東南アジアと、その中心にある。巨大運送会社の拠点移転の意味することは何か?

政治と経済の微妙なつながりなどを考えることができて、大変、面白い授業である。

眠いので・・・。

2007/10/15

悪戦苦闘?

毎日、毎日、授業に追われ、泣きそうです。少し、微妙に、泣いています。特に、授業中は、分からなくて・・・。

今期は、公共経済学、労働経済学、ゲーム理論、地方財政論が主戦場です。ただ、ゲーム理論は、夏の貯金があることもあり、楽です。冬学期は、夏で学んだ直感的な理解の上に、定義などを数学的に証明していく授業であります。

地方財政論も、時事ネタが大半を占める授業で、丁寧に、経済理論と実証の架け橋についてレクチャーがあるので、何とかなりそうです。労働経済学も、ミクロとかの知識がある程度はあるので、楽です。

困ったのが、公共経済学で、ガビーーーーーーーン。って感じです。まぁ、諦めずに、取り組んで行こうと思うのです。

全て、Aを取る、予定で勉強します。

さてさて、今日は、4時間目に東アジア国際関係史の授業があり、いつものように、真面目に出席した。ただ、今日は苦しかった・・・。

今日は、最初に、少し前の、南北の首脳会談についての話で、その歴史的な意義などについて議論された。そして、学生に対して、その意義についてエッセーを書くことを求められ、また、書いた後には、発言を求められた。

率直に言おう。僕は、最近、全く、時事について行っていなくて、勿論、事実については知っていたが、それ以上については、全く、情報を持ち合わせていなかった。

そういう状況下で、先生に当てられ、「知りません・・・」と心で唱えながら、首を横に振るしかなかった。

自分の勉強不足を痛感した。

ただ、本題の方については、内容はほとんど既知だった。大学も4年も入れば、成長するんだと、何かしら実感する。だからこそ、逆に、その成長を実践する場としての時事分析において、自分が全く不十分な対応しかできなかったことが、悔しかった。

先生、ごめんなさい。もっと勉強して、先生に、キラーパスを送ります!!!

2007/10/11

テレビ出演されたい方へ

先ほど、NHKのディレクターの方と、少しお話をしました。理由は、NHKの番組に出演してほしいとのことでした。

僕は、その収録日に、用事があったので、丁重にお断りをしたのですが、もしも、お友達で、出演したいという優秀な人がいれば紹介してほしいとのことだったので、ここで、そのお知らせを書きます。もしも、興味がある方は、今日または明日までに連絡下さい。

どうして、そもそも、そんな声が掛かったのか?

それは、少し前に、「日本のこれから」のアンケートに回答したことが原因なようだ。この番組は、様々な意見を待つ市民を招いて討論するものであり、その多様性を確保するために、僕の回答が目に留まったそうだ。そして、出演の依頼という形になった。

少しいろいろと、お話を聞いていると、この番組のアンケートに回答すると、出演につながるようだ。年内に、もう1回、番組を作るそうなので、テレビデビューしたい方は、回答してみてはいかがでしょうか。

まぁ、その前に、少し考えて、回答を作成する必要がありますが。

ちなみに、交通費と食事代が出るそうです。

2007/10/10

『経済学の使い方』を読む???

三輪芳朗+J・マーク・ラムザイヤー『経済学の使い方』を少し読む。

少なくとも、卒論においては、彼らの議論を踏まえた上で検討しなければいけないことを痛感。

三輪先生は東大経済学部の教授である。この本は、そして、一連の彼の本は、明らかに東大経済学の他の教授を含めた、これまでの日本の経済史や経営史の常識を潰すものである。

(明らかに、岡崎先生や奥野先生などを批判している箇所があり、少し、言い過ぎなのではないかと思う箇所もある。)

別に、この本では、特殊な方法によって、議論をひっくり返そうとしたものではない(と思われる)。ただ、これまで「通念」としてあったことを、データを使って実証的に分析したところ、「通念」が成立しないことが判明するのである。

この本は、明らかに、日本の知識層に大きな影響を与えてきたマルクス主義に対する嫌悪感から書かれている。そして、「通念」に疑いもなく従う人々をマルクス主義の影響下にあるとしている。それから脱却するためには、それを疑い、実証することだと言っている。

p.20-21では、「社会科」を要領よく記憶する科目・分野だと信じ込んでしまうと、次のような思考パターンになると述べている。

「(1)教科書や新聞などに書いてあることは疑う余地のない『真実』だと考えてしまう。このため、『思考停止』状態に陥り、『結論』を鵜呑みにするのが状態となる。
(2)内容が曖昧でほとんど意味のない記述を前にしても、『正確な意味を確かめ、明確化する』という当然の作業の作業をしなくなる。このため、『理解』せずに、書かれていることを鵜呑みにする。
(3)『なぜそうなのか?なぜそうなるのか?なぜそう理解するのか?』などという事象の発成メカニズム、因果関係に対する関心を持たなくなる。さらに、他のメカニズム、代替的な説明の可能性についても考えなくなる。『なぜ』という問いを忘れ、『メカニズム』に対する関心を失う。
(4)観察事実や、他の書物などの記述に照らして教科書などの記述・説明との食い違いに気づいても、それを契機に、教科書の内容に関して疑問を抱いたり、代替的な説明の可能性に関心を抱くなることがなくなる。
(5)執筆者・読者が以上の思考パターンを受け入れると、主張の妥当性を示し、読者を説得する必要性がなくなる。このため、説得のための証拠が教科書などから消え、読者・執筆者双方が、証拠を示して説得することが必要だと考えなくなる。」

とのこと。自分にも、当てはまることが多いので、何かしらギクリとする。

まぁ、いわゆる「通説」などに対して、きちんと吟味することが必要だとのことですね。たとえ、権威の○○先生が言っていても、それがきちんとした証拠を揃えた上で、議論をしているのかどうかを確認する必要があるということですね。

そのためには、議論を追うという忍耐が必要ですね。

「考え」において、この本は、スゴク役に立った。僕自身、物事を曖昧に理解する癖があり、そのため、きちんとアウト・プットできなくて、スゴク悩んでいた。多少時間がかかるかもしれないが、ゆっくり、議論を追っていくことを今日から始めようと思う。

さてさて、この著者の一連の研究によって、日本の高度経済成長の「通説」が多く、引っくり返された。今度、岩波新書で、武田晴人先生が高度経済成長について書かれる予定だ。

この三輪先生の議論を武田先生は、どのように受け止めるのか???

スゴク楽しみだ。

僕の卒論でも、三輪先生の本を読み、それに対して、何かしら言及できるようにしたい。

以上。