2007/06/29

「自由」を信じたい!!!

卒論報告 第2回目

1950年代の経済政策

・始めに
 今日、日本は経済大国としての地位にあるが、戦後すぐの段階では、戦争からの復興が進められた。そして、1955年頃になると、戦前の水準に回復したと考えられている。当時、日本では「自立」[1]した経済の構築が進められ、重化学工業を中心に産業構造を組み替えていこうと模索されていた。

そして、その日本経済の重化学工業化を進めるにあたって、「産業政策」と呼ばれた政策体系が準備され、それを進めるにあたって大きな役割を果たしたと考えられる。

ここでは、産業政策について、通産省の権限が縮小したということと、産業政策が日本の経済復興に一定の役割を果たしたということを確認したい。

・産業政策[2]とは?

産業政策とは、「市場の失敗」のため資源配分に問題が発生、または発生が予想されるとき、政府が産業部門間の資源配分、または個別産業内の産業組織に介入して、経済全体の厚生水準を高めようとする政策である。したがって、産業政策は、産業構造政策と産業組織政策に大別される(橋本『現代日本経済』p.73)。

この目標は、電力、海運などインフラストラクチャーの整備と、国際競争力の弱い重化学工業や新産業の保護育成にあった。

・産業政策の5つの側面
 (1)国際競争からの保護政策および国際競争力の育成政策
 (2)産業育成および資本蓄積促進政策
 (3)優遇金融政策
 (4)重点産業別育成、合理化政策
 (5)産業秩序維持政策

・(1)国際競争からの保護政策および国際競争力の育成政策の概要
 
外為法(1949年)は、国際競争からの保護のために、為替と貿易の国家による厳しい統制が規定されていた。輸入品は、自動承認制度と外貨割り当て制度のいずれかに区分され、前者は申請どおり輸入が認められるが、後者の輸入については通産大臣によって、外貨が割り当てられていた。この外為法が制定当時は、外貨不足の状況下のために、大部分の品目の輸入が外貨割り当て制度のもとにおかれていたために、この制度は、産業界に対する強い規制力を発揮した。この制度の下では、重要原材料の輸入が優先的に重化学工業に割り当てられて重化学工業の育成が進められる一方、重化学工業の完成品の輸入は厳しく抑制されて、国内の幼弱な重化学工業が国際競争から保護されていた。

外資法(1950年)は、導入された外資の外貨送金を保証したものの、同法の運用過程で外資の導入そのものが厳しく抑制され、日本企業、とりわけ育成過程の重化学工業主要企業を、外国資本の支配から保護する役割を果たした。

以上のような国際競争からの保護手段が整備されていった。これは、当時の日本のおかれた国際収支の制約や、外貨不足という状況に対処する役割も有していた。
 
1960年以降、日本の国際競争力が強化されていくことになると、貿易そして資本の取引が自由化されていったのは、当然のことであった。しかし、これは、産業政策を担当する通産省にとっては、強い統制手段を失ったことを意味した。

・(2) 産業育成および資本蓄積促進政策の概要

この政策の一般的な手段としては、税制上の優遇が成された。政府は、企業の投資と内部留保の増加(資本蓄積)のために、減価償却の割り増しや準備金の設定[3]などにより、法人税負担を引き下げたり、輸出促進のための減税をしたりした。

・(3) 優遇金融政策の概要
 
輸出促進のための日本輸出入銀行[4]の設立や、国内開発のための日本開発銀行[5]、中小銀行向けの中小企業金融公庫など各種の専門的な政府系金融機関が設立され、これらの金融機関から長期・低利・安定的な資金供給がなされた。

財政投融資も、社会資本の整備や、エネルギー産業及び基礎産業の活動のために使われる比重が大きく、これらの充実によって、産業育成に貢献した

・(4)重点産業別育成、合理化政策の概要

重要産業別の長期計画・単行法は、個々の重要産業を対象として、財政的金融的優遇や、機械や重要原材料の優先輸入と技術導入のための外貨割り当てなどから始められた。そして、産業の合理化計画を樹立し、通産大臣がその実施計画を決定し、その一方で、合理化のための共同行為について独占禁止法の適用除外とすることなどがされた。

・(5)産業秩序維持政策

産業内部の競争について、一定の枠をはめようというものであった。当時、一部の産業では、競争に伴う値下げの行き過ぎから倒産や失業が発生したりしていた。これを受けて、不況カルテルや合理化カルテルを許可制で認めるようになった。

結果、強調的な体質が日本産業に定着したというよりは、高度経済成長化においては、活発な競争が展開され、良好な市場パフォーマンスが見られた。

・まとめ
戦後直の段階においては、日本企業は技術的に、海外から立ち遅れていた。そのためのキャッチアップのためにも、設備の新設改良が喫緊の課題としてあった。しかし、資金的に困難であったことから、上で見てきた産業政策は企業の側にとっても望ましいものであった。

企業はこの産業政策という望ましい環境のもとで、積極性を失うことなく、経営者は一層の企業努力を注ぎ、技術進歩と競争を推し進めることになった。

ところが、60年代以後、企業の経営的基礎が確立し、自信が強まってくるにつれ、企業は政策への依存を低め、政府の干渉を好まなくなっていった。

また、IMF(52年)・GATT(55年)に加入することによって、日本が通貨や貿易についての国際的な取り決めに参加できるだけの経済力を回復したことを示すことになった。このことは、米欧から日本の為替管理や貿易統制の撤廃を求められることにつながった。

以上のような国内・国外の変化によって、産業政策から、自由化への政策転換を図っていくことになったのである。

ここでは、産業政策について、通産省の権限が縮小したということと、産業政策が日本の経済復興に一定の役割を果たしたということが確認されたと思う。


既に読んだ本リスト:
1.香西泰「高度成長への出発」中村隆英編『日本経済史7 「計画化」と「民主化」』岩波書店、1989年。
2.菊池信輝『財界とは何か』平凡社、2005年。
3.城山三郎『官僚たちの夏』新潮社、1980年。
4.中村政則『戦後史』岩波書店、2005年。
5.中村隆英・宮崎正康「1950年代の産業政策」中村・宮崎編『岸信介政権と高度成長』2003年、東洋経済新報社。
6.宮崎勇『証言戦後日本経済』岩波書店、2005年。
7.森武麿他著『現代日本経済史』有斐閣、1994年。



文献リスト(これから読む本):
1.浅井良夫『戦後改革と民主主義』吉川弘文館、2001年。
2.伊藤元重『産業政策の経済分析』東京大学出版会、1988年。
3.猪木武徳『経済思想』岩波書店、1987年。
4.猪木武徳・安場保吉編『日本経済史8 高度成長』岩波書店、1989年。
5.内田公三『経団連と日本経済の50年』日本経済新聞社、1996年。
6.岡崎哲二、奥野正寛編『現代日本経済システムの源流』日本経済新聞社、1993年。
7.大嶽秀夫『戦後政治と政治学』東京大学出版会、1994年。
8.大嶽秀夫『高度成長期の政治学』東京大学出版会、1999年。
9.清川雪彦『日本の経済発展と技術普及』東洋経済新報社、1995年。
10.社団法人経済団体連合会編『経済団体連合会50年史』経済団体連合会、1991年。
11.小宮隆太郎他編『日本の産業政策』東京大学出版会、1984年。
12.斉藤道愛『高度経済成長と日本農業』立正大学経済研究所、1982年。
13.田代洋一他編『現代の経済政策』有斐閣、2006年。
14.チャーマーズ・ジョンソン著、矢野俊比古監訳『通産省と日本の奇跡』TBSブリタニカ、1982年。
15.通商産業省、通商産業政策史編纂委員会編『通商産業政策史』通商産業調査会
1989年-1994年。
16.鶴田俊正『戦後日本の産業政策』日本経済新聞社、1982年。
17.中村隆英「日本における産業政策の特色と評価」『週刊東洋経済』1974年6月18日臨時増刊。
18.三輪芳朗『政府の能力』有斐閣、1998年。
19.橋本寿郎『戦後日本経済の成長構造』有斐閣、2001年。
20.橋本寿郎他著『現代日本経済』有斐閣、1998年。
21.原朗「戦後50年と日本経済」『年報日本現代史』第1号、1995年。
22.原朗編『復興期の日本経済』東京大学出版会、2002年。
23.柳川隆、川濱昇編『競争の戦略と政策』有斐閣、2006年。


今度の予定

[完了]6月15日 第1回目卒論報告

[完了]6月29日 第2回目卒論報告
↓文献リストの本を読む。
8月9日から夏休み

↓青木昌彦『比較制度分析に向けて』を読み、制度について考えてみる
↓文献リストの本を読む
↓比較考察しながら読む。
↓意見の違いに注目しながら、読む。
↓自分の仮説をきちんと立てて、その仮説を検証していく。

9月ゼミ合宿において、中間報告(?)

↓文献リストの本を読む
↓比較考察しながら、考える

10月1日冬学期始まる

↓文献リストの本を読む
↓比較考察しながら、考える
↓意見の違いに注目しながら、読む。
↓自分の仮説をきちんと立てて、その仮説を検証していく。
↓文章を徐々に作り出す

12月21日卒論をまずは、完成させる


[1] 「自立」した経済とは、「財政も企業も家計も赤字であり、多額の外国援助に支えられてやっと国際収支のつじつまを合わせているような状態を脱出して、年々国民経済が最小限度のバランスのとれた形で循環しうる経済」だと考えられる(中村・宮崎「1950年代の産業政策」p.17-18)。
[2] この産業政策が高度成長に対して効果を持ったことは認められている。その極端な評価として「日本株式会社論」という海外からの評価がある。これは、政府(通産省)の有形・無形の施策が基本的に企業行動を規制しており、日本全体があたかも一つの株式会社のように組織されているという主張である。しかし、これは、市場経済に移行した日本では、企業は基本的に自由に意思決定していたので、この議論は成り立たない。
[3] 経費に参入されるべき償却費の増額を認めることによって、税法上の利益金を減らし、設備投資を行う企業に事実上の減税を行うことにした。
[4] 重化学工業製品の輸出を援助する役割を果たした
[5] 政府資金を原資として重要産業に対する低利かつ長期の設備資金を供給することが任務



今日の反省:
今日の報告が論文の要約でしかなかった。やはり、一回は、資料とかの一次文献に当り必要があった。通産省とか経団連、同友会、エコノミストの証言とかの幅広い声をきちんとフォローする必要があったのにも関わらず、怠慢のためにしなかった。反省。

次回までには、1950年代の経済政策を1次資料を用いながら、再構成。
また、戦後日本経済をできるだけ1次資料を使いながら、再構成。
あと、浅井『戦後改革と民主主義』及び、彼の最新論文。小宮『日本の産業政策』。チャーマーズ・ジョンソン『通産省と日本の奇跡』。鶴田『戦後日本の産業政策』。橋本『戦後日本経済の成長構造』『現代日本経済』。宮島『産業政策と企業統治の経済史』を読んで、報告。

2007/06/28

暑いので、水分補給!カルピスウォーターはうまい!

●あーーーーつーーーーーいーーーー

暑くて、微妙に、作業効率が下がってきているような気がします。暑さ程度で、下がるなんていうのは、まだまだ修行が足りないと、大いに反省しているところであります。

ただ、暑いのも事実なので、できるだけ、学校の図書館に避難するようにしようと思うのです。

●ドラマ終わる

今日は、ここ3ヶ月ほど、ずっと見ていた、「バンビーノ」が終わりました。日曜日には、「冗談じゃない!」も終わりました。残念でーーーーーす。

ほんま「冗談じゃない」!!!。

うぅぅぅーーーーーーーー。。。

僕は、これから、どのドラマを見ればいいのか・・・・・。。。

「のだめ」または「冗談じゃない!」のⅡを早く放送して欲しいのですが。

これまで、水曜日、日曜日と、一つずつ、面白いドラマを見ることで、何とか、苦しい毎日を乗り切っていたのに、その支えがなくなった・・・。ガビーーーーーーーーーーン・・・。

辛い日々が続きそうです。。。

●ロンドンのシティーの金融力の強さについて考える

最近、金融史をぱらぱら勉強していているのですが、それを通して、ぜひとも知りたいのが、どうして、イギリスのロンドンの金融は世界的な競争力を持つに至ったのか?持ち続けているのか?

それについては、昔、レポートで、19世紀のイギリスの金融について少し書いたことがある。(再掲)
 
ここでは、19世紀のロンドンの金融ビジネスについて考えていきたい。ロンドンは今日でも、東京、ニューヨークと並ぶ世界の3大金融市場の1つである。ロンドンのシティと呼ばれる金融街には、そのほぼ1マイル4方の面積の地域の中に、イギリスだけでなく世界各国の銀行、証券会社等が集まっている。

今日のロンドンの金融ビジネスの基礎は19世紀に築かれた。19世紀のイギリスは「パックス・ブリタニカ」と呼ばれる、イギリス中心の覇権秩序のもとで世界大の市場を作り上げることに成功した。結果として、当時のイギリス経済は相互依存的な有機的なつながりの中心になることになった。

これは、今日、ますます顕著に見られるようなグローバルな市場の初期段階と見ることもできるだろう。実際に、ここからグローバルな経済の発展と繁栄が始まった。よって、今日のグローバルな経済、とくに金融資本主義のメカニズムを理解するに当たって、その初期の段階であった、

19世紀のロンドンの金融ビジネスの繁栄と発展の仕組みを知ることは必要不可欠なことであろう。そして、ここに、今日、19世紀のロンドンの金融ビジネスについて学ぶ意義がある。19世紀のロンドンの金融ビジネスの発展及び繁栄について明らかにするに当たって、まず、多くの都市が存在する中で、どうしてロンドンが19世紀において、金融センターとして比類がないほどに発展したのかについて見ていく。

次に、その発展及び繁栄の仕組みについて見ていきたい。そして、最後に、19世紀のロンドンの金融ビジネスが繁栄及び発展したことが、市場の論理の中で、どのような意味を持ったのかについて、見ていくことにしよう。

最初に、どうして他の都市ではなく、ロンドンが金融センターとして繁栄したのかについて見ていく。1点目としては、大陸に比べて、地政学的リスクが低かったことが挙げられるだろう。イギリスはウォータールにおいて、フランスからの挑戦を退けてから、19世紀の後半に至るまで、イギリスのヘゲモニーに挑戦するだけの経済的及び領土的な基盤を持った国は現れず、「パックス・ブリタニカ」と呼ばれる状況が続いた。イギリスは海外の戦力的拠点と世界最強の海軍力で世界大の市場の中心となったのである。

2点目としては、ポンドが金で担保された、事実上の金本位制が敷かれていたことが挙げられる。そのために、債権・債務関係の安定につながり、起債市場として発展することが可能になった。例えば、1860年代からのラテン・アメリカや中近東諸国における外資導入ブームに対応して、長期資本輸出の拠点としての役割を果たしていくことになる。

3点目としては、ロンドンでは他の都市では享受できない、自由が確保されていたことが挙げられよう。そのために、有力な外国業者の参入が容易であったために、ナポレオン戦争前後には、大陸ヨーロッパから金融業者が相次いでロンドンに移住することになった。また、規制からの自由は、国際的要請に速やかに対応し、考案した諸手法をすぐ実行することを可能にした。

次にロンドンの発展及び繁栄の仕組みについて見ていきたい。まず、最初に指摘できるのがロンドンにおける金融システムの集積性であろう。シティには種種の業者(マーチャント・バンクと呼ばれる金融業者とか)が集まっていた。いずれも、金融や関連したサービスのいずれかに特化する一方で、互いに他の業者に依存して集積効果を享受した。多くの企業は家族を単位にし、人種や宗教、出身地に傾向が見られたが、個人を基盤とする信頼関係で結ばれたコミュニティーを形成していた。

発展及び繁栄の2つ目としては、シティの機能が国内ではなくて、国際金融に大きく偏っていたことが指摘できよう。イギリス産業革命期においては、旧設備のコンバートが盛んであった。また生産設備のリースが一般化していた。

イノベーションも局部的にしか展開しなかったことなどから、投下資本が少なくてすんでいた。この結果、固定資本比率が低く、工業投資需要は低水準に止まり、地主や商人のような高額所得階層の貯蓄率は非常に高かった。

結果、国内的に資金の過剰が生じることになり、資本輸出の展開する根拠が与えられることになった。そして資本輸出の原因は他にも、イギリス国内の食料及び原料需要、貴重な原料資源の発見、アメリカの大草原地帯の開拓さらにパックス・ブリタニカによって確保された安全保障などがある。ただ、最も重要だったのは、海外投資が国内投資よりも有利だったということがある。

よって、ロンドンのシティでは国内投資よりも有利な資本輸出を志向することになり、結果として、国内の工業の停滞の代わりに、金融上における繁栄を手に入れることになった。

ただし、経済的、政治的な変化によって、徐々にイギリスは力を落としていくことになる。工業力よりも金融力に力点を置いた結果、国家の産業基盤が弱体化し、国力の低下につながった。そのような状態での、敵対的他国の挑戦は、イギリスに大きな脅威をもたらすことになった。また、イギリスにとっての従順な周辺国がナショナリズムを追及するようになった。このことは、宗主国としてのイギリスとの交易に大きな損害を与えることになった。

以上、ロンドンの金融ビジネスの発展及び繁栄の仕組みと、経済的・政治的変化による、衰退についてみた。最後に、19世紀のイギリスの金融ビジネスの市場の論理の中での、意義について考えたい。
 
まず、第一に、ロンドンのシティが利益の追求のために資本輸出をした結果、イギリスをも越える国家が出現してきた。これについては、ホブソン『帝国主義論』によると、「将来の国内的発展のためにすべての必要な生産力を十分に身につけた後は、かような民族は、それ以上産業的援助を受ける必要に拘束されなくなって、自分に文明を傅えてくれた者に対抗するに至り、彼自身の市場で彼を売り負かし、彼の他の外国市場を奪い取り、そして地球上の他の未開発地域に残っているところの、今後なさるべき開発事業を自分自身のために確保するかもしれない」と述べている。

これについて、ギルピン『多国籍企業没落論』で「帝国主義がその中枢を犠牲にして周辺を強化すること、すなわち中枢から周辺への資本と技術の移転を通して、前者はそれ自体の生存能力を侵食されていく・・・さらに周辺は一度工業化されると、今度は中枢に敵対するようになる」と解釈している。これは、ロンドンでの自己利益の追求のための資本輸出が、実は自国の国力を減じることになり、逆に他国の大きな発展につながったという意味で、今日のグローバルな国際経済に大きな貢献をしたと言えるであろう。

次に2つ目の意義としては、ロンドン市場が最初に世界大の金融市場をリードし、それが続いてきたという意味で、今日でも大きな影響力をもつようになったということがいえるであろう。布目『マーチャント・バンク』によると「・・・ロンドン外国為替市場の業務の大半はマーチャント・バンクによって長年取り扱われてきた。彼らがこの業務において100年にわたる歴史をもつこと、そして彼らが海外の銀行商社と緊密かつ長期の関係を保有していることが、おくれて参加したものよりは、彼らのオファーとリクエストにおいて、はるかに弾力的な行動をとることを可能ならしめたのである。」

つまり、ロンドンにおける金融ビジネスが、長い経験と信頼が市場論理の上に成り立っているということである。

以上、ロンドンの金融ビジネスの発展及び繁栄のメカニズムと、その市場論理の上での意義についてみてきた。19世紀において、イギリスは地球大の市場を作り上げた。これは、モノ・ヒト・カネ・ネタの流通網を形成したことを意味した。

この流通網を完全に利用しながら、イギリスの繁栄は築かれた。ただし、金融力偏重が許された世界秩序の変化の結果、イギリスの凋落は始まった。しかし、19世紀に築かれた、種種の流通網は存在し続け、かつ、その上に信頼と経験が積まれてきた結果、今日にも続く繁栄の基盤が出来上がったと見ることはできないか。こうみると、19世紀のロンドンの金融ビジネスは今日の世界市場においても、大きな意義を持っていると言えよう。


引用:
ホブスン著、矢内原忠雄訳『帝国主義論 下』岩波書店、1951年、p.239。
R.ギルピン著、山崎清訳『多国籍企業論』ダイヤモンド社、1977年、p.93。
布目真生『マーチャント・バンキング』金融財政事業研究会、1976年、p.14-15。


ここの結論は、19世紀に築かれた金融ネットワークの上に、信頼関係とか、ノウハウとかがが積み重ねられてきた。そして、それが時代の変化に対して、柔軟に対応することを可能にし、競争力を有することができたのである。

僕の疑問は、ホントにそれだけかというのです。この議論では、何か見えないものについて考えていて、何か納得ができない。もちろん、このように見えない慣習とかも重要ではあるけれども、もっと、何か制度的な、金融システムの制度的な何かがロンドンのマーケットにあるのではないか。

その結果として、競争力が生まれてくるのではないかと、考えたりしているのです。

まぁ、その前に、金融というものをもっと、もっと、勉強しないといけません。日本人は、戦後、もの造りにおいて、経済成長をとげたと、だから、経済成長のためには、もの造りと刷り込まれているので、金融を軽視しがちな、制度的な欠点があります。

このあたりにも、意識的に、金融を勉強しないといけない、大きな動機があるのでしょうね。

政治を勉強するにも、社会を勉強するにも、経済とは切っても切り離せません。政経不可分です。その経済の大きな動力である金融を、どの程度、理解することができるのか。それによって、世界観や歴史観が大きく揺さぶられるかもしれません。

金融について、本気で勉強する必要性を感じます。(もちろん、理論を勉強することも必要でありますが、同時に、金融史とかの、その理論を俯瞰するような勉強も同時にすることが必要なのは明らかでしょうね)

きーーーんーーーゆーーーうーーー、勉強しなくっちゃ!!!

●数学奮闘記

集合・位相に悩む。数理論理学も勉強しないと。うぅぅーーーーー。


終わり・・・。
エクセルの基本的な使い方を習得!!!

2007/06/25

All We Need is LOVE,LOVE,LOVE!!!

●「愛」は地球を救う!!!

ただ今、DreamComeTrueの「きみにしか聞こえない」を聞いています。いい歌ですね。

最近、いろんな歌を長時間聞いていることが多いのですが・・・。あまり長時間聞いているのは、よくないと思うのですが、音楽はいいですよね。何か、単調な毎日の中に、違ったリズムをもたらしてくれる。厳密には、単調だと思ってしまっている毎日だとすべきかもしれない。

その日常の楽しさを、教えてくれるのは、ここでも、何度も取り上げている、梅佳代『うめめ』である。何回見ても面白い。「普通」の人の生活の中に、面白いものがあるという当然のことを、この写真集及び、梅さんは教えてくれる。

僕たちは、というより、ここでは、謙虚に、僕としましょう。僕は、自分の日常生活が、テレビのドラマとかと比べて、単調だなぁーって、考えたりしています。もちろん、見せる「ドラマ」が単調だと、誰も見ないから、当然だと言えば、当然かもしれない。しかし、僕たちの生活も、案外、少し認識を変えてみたら、エキサイティングかもしれない。

その認識を変えるという行為が重要であろう。それを手助けしてくれるものとして、音楽とか、映画とか、ドラマとか、写真集とかが大切なのかもしれないよね。

その認識を変えることで、どうにでも変化を起こすことができるのではないか。

●『官僚たちの夏』を読む

久しぶりに、この小説を読みました。卒論の準備を兼ねて、読みました。

まぁ、いくつか、考えさせられたり、また、きちんと、調べなければいけないと思うことがありました。

・1960年前後の日本経済の状況については、正確にしる努力をしなければいけないと思いました。僕の感覚からして、日本経済は、どこかの段階で大きく飛躍して、今日に至っているので、それ以前の段階については、慎重に調べる必要がありそうです。そうしないと、歴史の追体験がめちゃめちゃになります。つまり、経済大国ではなかった日本を、僕はきちんと理解する努力をしなければいけないということです。

・高度成長は何だったのかで、例えば、今日の日本社会でも、大きく共有されている考えとして、「プロジェクトX」のような、企業家たちの努力と挑戦によって、高度経済成長は、可能になったというのがある。自由な個人たちの創意工夫によって、日本は世界第2位の経済大国になった。これは、本当か?僕なんかは、このような見方は、平成不況の結果の閉塞した社会の中において、これを打開するために、使われた、イデオロギーだと考えている。

 もちろん、当時の企業家たちの活躍にも、十分に注意をしていくつもりではあるが、当時の日本経済を考えたときに、通産省とかの「国家」が相当な役割を果たしたと考えた方が普通であろう。その役割は如何に?また、その時に、例えば、企業家たちと、どのような衝突をしたのか。また、経団連とか、政治家たちとかとはどうであったのか?


●最後に

書きはじめには、頭の中に、多くのアイデアがグルグルするのですが、どうも眠たくなるので、グルグルしなくなります。

今月、推定30冊以上の本と格闘しなければいけないので、相当に相当に気分が重いです。特に、数学が気分を悪くさせます。

最近、やっと、数学をする姿勢を取り戻しつつあるのですが、失われた時間の大きさの前に・・・涙。微分方程式、ウギャーーーーーーーー。位相幾何学、ガビーーーーーーーーン。積分、ドヒャーーーーーーーーーーン。線形代数、ドカーーーーーーーーーーーーーン。

その他にも、・・・卒論の方も、本を論文を・・・。

その上、ほとんど出席していない授業の勉強も、そろそろ。ガビーーーーーーーーーン。参考文献を推定4冊は読まないと。ウギャーーーーーーーーーーア。

目の前には、金融論関係の本が四冊も。フグゥーーーーーーーーン。

目の横には、『数理経済学』『統計学』『ミクロ経済学』『マクロ経済学』『ゲーム理論』の本が高く積まれて居ます。

その他にも・・・洋書も読まなきゃいけないし。ガビーーーーーーーーン。ハァーーーーーーーー。推定3冊。ハフゥーーーーーーーーーーーーーーー。

戦闘モード全開!!!オリャーーーーーーーーーーー。

2007/06/19

ニューヨークに行きたいな・・・

・・・・・・・・・1を知って、10を理解できるような勉強をしないとシンドイと、猛烈に感じるのでした。

10を知って、10を理解する勉強も重要ですけど、抽象度を高めた勉強が、今、僕には必要であることを、毎日毎日思うのですが、痛感します。


はー(溜息)。。。

2007/06/17

必見。6月24日「冗談じゃない!」最終回

●西ドイツにおけるアメリカを中心とした占領政策について

日本との比較ということで、西ドイツにおける占領政策を少し調べています。

参考にしているのは・・・

大嶽秀夫『二つの戦後・ドイツと日本』日本放送出版協会、1994年。
大嶽秀夫『アデナウアーと吉田茂』中央公論社、1986年。

まぁ、大きな流れは、この上の本を読めば、分かりますね。ただ、やはり、細かい内容については、記述がないので、そのあたりについては、他の本が必要かもしれません。

しかし、大きな流れに対して、異論がなければ、いわゆる「通説」に従っていても、問題がないような気がするので、どうしましょうね。

少し調べたこと↓

西ドイツにおける占領改革は日本と比べると不十分であった。
その理由?

①ドイツは敗戦による被害が甚大だった。
 →経済機構・行政機関も壊滅していたために、再建が必要
   ∴改革よりも再建が優先された

②ニューディール派の不在、保守派による統治
  クレイ軍政長官:南部出身の保守主義者
  ウィリアム・ドレイパー:経済顧問、投資銀行出身
  ルイス・ダグラス:経済顧問の片腕、実業家、上院議員経験
  ロバート・マーフィー:政治顧問、外交官
 →個人責任を追求する非ナチ化や、政治文化の改革を目指す「再教育」の導入

③ソ連地区における改革の進行と、多くのジャーナリストの存在
 ソ連と同じような制度改革をしているというのは
 →戦後急速に保守化していたアメリカにおいては攻撃の的

④4カ国の共同占領
 →ナチズム的、軍国主義的要素を除去するいわゆるネガティブな改革の実施
  しかし、ポジティブな改革はできず
  ∵将来の制度構想に関して合意できず

⑤外からの改革は、非ナチ化は行うが、それ以上は不要
  ∵ドイツは既に戦前においてヨーロッパ最大の工業国
  ∵遅れていた東ドイツはソ連に支配されていた
  ∵ドイツの政治エリートの存在

何となく、面白いかもと思うこと
・占領地における顧問とかの経歴。どのような人が必要で、そこではどのような役割が期待されているのかな。

●今日の運動
ランニング、5往復。

●今日得た最重要情報

最近、自炊をするようになり、肉を買うようになった。ケチなので、割引がされている肉を買い、そして、冷凍室に入れて置いたのですが、そうすると、全部凍ってしまい、大変に困っていました。つまり、少しだけ使うということができなくなるのです。

そこで、今日獲た情報として、ビニールに小分けしてから、冷凍させれば良いとのことでした。


●日本外交に対する雑感

今のドイツと日本を考えたときに、日本の方が米国への追従の度合いが高いように感じます。例えば、ドイツは先の政権のとき、米国のイラク戦争に反対したりしていた一方で、日本は直に、アメリカへの支持を表明したような・・・。

両国とも、第2次世界大戦にいて、連合国に破れ、アメリカなどに占領された国です。よって、ともに、何かしらの形で、占領下において、アメリカの影響を受けやすい「制度」が国内に埋め込まれたということは十分に考えられます。そして、両国とも、アメリカとの「特別の関係」を持った国として、その後、軍事的従属は続ける一方で、経済・政治的には独立して、戦後を歩んできた。

しかし、両国の今日の姿は大きく開いているように感じる。どうしてか?

僕は、一番の問題と考えるのは、認識の問題だと思う。つまり、アメリカとの関係を、政策決定者を含めて、全ての人々がどのように見ているのかについてで、変わって来たのではないかと思う。

日本の場合は、製作決定者の間では、日米同盟が失われる時が、日本の滅亡のときだと考えられているのではないか。これは、戦前において、日英同盟を失った日本が戦争に突入したという歴史的経験から来るものであろう。

その代表が吉田茂であり、吉田学校の面々であろうか。

他方、ドイツの場合は、EC/EUと、地域の中での関係を深めることで、アメリカとの関係を相対化していったように、僕は思っている。そして、それを行ったドイツの政策決定者たちが、どのような認識を持っていたのかは不明であるが、日本のような認識を持っていなかったことは確かであろう。

例えば、今の日本の状態が良いから、っていうことを理由に、アメリカとの関係を盲目的に続けることは、本当に日本にとって、正しい方向性なのか?

本当に、今のアメリカとの関係によって、良い状態が作られているのか?

そのあたりの分析をきちんとしないで、「テキトー」に自分の知っている世界だけで、判断しているから、米国との関係は更新されないのではないかな。

今の安倍っち、とか、麻生っち、とかのように、「おじいさま」と同じ考えを今の日本に再び焼き直しをするようなことは、止めてもらいたいのですが・・・。

どうして日本はアメリカとの関係を更新しなければいけないのかの理由は、まだ、何かしら自分の中では曖昧であるが、大きな理由としては、日本がアメリカの軍事的な補給基地になっているという歪みを解消しなければいけないというとこにあるんじゃないのかな。

僕は怠慢でしらないけれども、沖縄では、今でも、その矛盾が大きく、存在しているのかもしれない。他にも、在日米軍基地の周辺でもあるかもしれない。また、日本に米軍の基地があることで、周辺諸国との安全保障のジレンマを巻き起こしている面もあるのかもしれない。

米軍との関係から来る矛盾が、さらに矛盾を生み、日本をダメな国にしてしまう。僕たちは、それに対して、声を上げないと、無自覚のうちに、他者の加害者になってしまう可能性があるし、きっと、加害者になっているのだろう。

このような考えは、昔、上野千鶴子先生の著作を読んでいるときに、見つけた。

まぁ、最初にするべきは、現状をきちんと把握するということ。

僕たち一人一人の想像力が試されているし、それが足りないのなら、現地に行くしかない!!!

●昼飯

今日は、とても優秀な「お友達」と昼飯を食べながら、話をしていると、アウトプットすることの重要性について、同じ考えを持っていることを知った。質の高いアウトプットを試みると同時に、量が質に転化するまで、諦めずに書き続けたいと思うのでした。

2007/06/16

夢を叶えるのに、人生は短い。しかし、諦めるには、人生は長過ぎる!

●河瀬直美さんについて

『日経Associe』の7月3日号を読んでいると、ニュースのキーパーソンとして、河瀬直美さんについての文章が載っていました。

監督は、今年のカンヌ国際映画祭でグランプリ(審査員特別賞)を受賞したということで、有名ですよね。今度、「モガリの森」(モガリが漢字変換できない・・・)がDVDにでも、出たら見ようと思う。

河瀬監督の作品の中で、「沙羅双樹」は見たことがあるな。何となく、懐かしい感じの、ゆっくりとして、暖かい映画だったような・・・。

映画というツールを使って、地方の「良さ」を世界中に発信していることは、スゴク素晴らしい。同じように地方の良さを伝える映画としては、「釣りバカ」でしょうか。

今は、多くの人に、東京生まれで東京育ちと、認識されるぐらいの、「シティーボーイ」だけど、実は、 僕も和歌山の南の方の出身です。

地元にいるころは、こんなとこ出て行ってやる、って感じだったけども、今は、地元の良さをひしひしと感じる。離れて始めて分かるんですよね。地元の良さっていうのは。

僕も何かしらの形で、地元の良さを世界中に発信していきたいな。

あと、もう少し大きいことをいうと、自分のいる組織なり、社会なりの良い所や、良い変化に対して、肯定的(もちろん、批判するべきところは批判する)な評価を与えて、それらを再発見するような役割をしたいなぁ、とよく考えています。

これが、僕がわざわざ東京に出てきた理由の一つでもあるのであろう。


映画の塾に行く

今日は、暑いのに、わざわざ、四ツ谷あたりの城西大学に行きました。暑くて、暑くて、暑くて・・・。炎天下に出た瞬間に、倒れそうな、クラクラがしましたね。そこは、気合で、乗り切りましたけどね。うん、でも今日は暑かった。

そうそう、映画の塾の話で、臨時収入で懐が厚かったときに、無性に、映画の勉強をしようと思い、衝動的に申し込んでしまったのが、今日のイベントである。これが、あと4回続く。多少、気が重いような・・・。

でも、「フラガール」のプロデューサーについては、多少楽しみですね。

今日は、主催者側のエライさんの講演2時間と、「嫌われ松子」のプロデューサーの講演が2時間くらいあった記憶がある。前の講演はチョー面白くなくて、帰りたくなりましたね。和歌山に帰りたくなりました。

簡単にいうと、映画産業全体の構造不況についての、お話ですね。結論は、映画の観客数を増やさなければいけないという、とてもありがたい、お話でした。

ただ、話を聞きながら、映画の興行収入が、一部のヒット作に、もっというと、「80:20」の法則が成り立っていることに、大きな不安を感じた。つまり、20%程度の作品が80%の売り上げを上げている。もっと、酷かったかもしれない。

何か、供給側の力が大きすぎて、同時に、需要側の批判精神が足りなくて、こんなことが起きているのかもしれない、と少し思いました。

構造的に変えていかなければいけないと、思いました。そうしないと、健全な映画産業が、映画文化が日本では、育っていかないという、何かしら強い危機感を覚えました。(これを打開するためには、政府の適切なるインセンティブを与えるような政策が必要なのかどうかについては、大きな議論があるでしょうね。でも、何かしら、大きな変化は、早急にする必要がありそうですね。)

次にあったのが、「嫌われ松子」のプロデューサーの講演だった。まぁ、こっちは、なかなか、実務家の話だったので、お話としては、面白かった部分もあった。(ただ、最近、偉い学者の話しか聞いていないので、中身の薄さが、とても気になる!)

まず、最初に映画投資事業の大まかの流れが教えられた。

①企画開発

原作権取得→監督決定→脚本開発→キャスティング

②事業化

マーケティング・収支決算→製作委員会発足→製作費捻出

③製作・作品プロモーション

撮影→編集→完成→プロモーション(委員会各社)

④収入→制作費回収→配分

劇場公開→ビデオグラム発売→海外販売→テレビ販売、その他の収入→随時配分

事業の流れ以上。。。

お話を聞きながら、映画は、見るものであって、作るのは、人に任せようと思う部分もあった。結構、複雑な手続きや準備が必要で、そして、あんまり、儲からないことを知った。

まぁ、映画の世界もなかなか難しいということを知り、楽しいだけではないという、当たり前のことに、大きく気づかされました。

話は少し変わりますけど、僕は映画とか、音楽とかに対して、大きな期待を寄せるんですね。それは、映画を見て、学んだ部分もあります。それは、「戦場のピアニスト」において、音楽の力はスゴイと思ったことなどがありました。

映画とか、音楽とかは、何かしら、全ての、境界線を乗り越えて、皆が分かり合えるような感じにするような「力」を持っているような気がします。ホンマ、無条件に良い感じがします。

僕なんかは、その映画とか音楽とかを、政治の論理である「国力」の文脈において考えて、「ソフト・パワー」とかと議論をすることに対して、あんまり、好きじゃないですね。

映画とか音楽は、境界線を越えて、全ての人々をつなげてくれる。だから、国家の手先として、映画とか音楽を議論するのは、ナンセンスだ!

僕は、音楽とか映画の可能性に対して、大きく期待したいと思います。だけど、僕は才能がないから、直接何かすることはできないけども、それを援助するという形で、これから、携わっていきたいと考えています。

最近、「のだめ」を見たこともあり、クラシックにも親しんでいたりしています。

そんなとこですね。

最近、暑いので、水分の補給に気をつけてください。僕は毎日、水2リットルは飲むようにします。あと、果物も毎日食べます。

●今日の運動

ジョギングする。3往復!

2007/06/15

雨のあとの、空はキレイだ!

●『満州移民 飯田下伊那郡からのメッセージ』の感想
(感想なので、「ゆるーい」書き方です・・・「ゆるーい」「ゆるーい」)

この本の内容は長野県の飯田下伊那郡からの満州移民がどのような政治的・経済的・社会的な状況下で送り出されていったのか。そして、その送出後の満州での生活、ソ連侵攻以後の引き揚げの状況。最後に、満州移民たちの戦後様子が描かれている。また、それぞれの章には、この満州移民という歴史的事実から何を学ぶべきなのか、そして如何に今日に生かしていくのかという点についても言及されている。
 
アジア・太平洋戦争が何だったのかについて、地方という視点からの幅広い理解を可能にしてくれる本である。総力戦としてのアジア・太平洋戦争は、全ての市民の全ての生活を総動員し、そして、多くの市民の生活を破壊していったことが分かる。また、そこには、同じ市民が、その送出に大きな役割を果たしていたという「歪み」も、この本を読んで大きく考えされられることである。そして、戦後にいたっても、解決することがなかった、この「歪み」は、多くの市民に対して押し付け続けられてきた。もしかしたら、今日でも、押し続けられているかもしれない。この「歪み」について、批判していくことが必要であり、かつ、この「歪み」は何を起因して起きたのかについても考えていくことが必要であろう。この場合、その「歪み」の主体を糾弾するという姿勢と同時に、その背景にあると考えられる「近代」を批判していくという形に議論を、時代の流れに即して更新していくことも必要なのかもしれない。

ここで、忘れてはいけないのは、多くの日本の市民が国家の政策によって、多くの被害を被ったということである。国家によって、満州移民は「棄民」されたという表現も使われていた。この点では、完全に満州移民の方々は「被害者」である。しかし、一方で、それらの被害を被った市民も、総力戦としてのアジア・太平洋戦争を支えたという点では、明らかに、侵略された国の市民にとっては、加害者である。この被害と加害の重層的な責任を市民に押し付けるという点で、総力戦というよりも、戦争一般をなくさなければいけないという強い動機がここにはあると私は考える。この加害と被害の2重構造に、日本社会は悩み、苦しみ、考えてこなければなかったし、これからも、考え続けなければいけないのであろう。ただし、満州移民の方たちは、日本の社会からも大きな「歪み」を押し付けられたという点は、考えておかなければいけないだろうし、また、それを許容している日本社会を批判的に見ていくことも必要であることは言うまでもない。 

この本では、地方においては、戦争に関する加害意識が不十分であると書かれていた。[1]戦争当事者に加害者意識が足りないという点を問題視していくことは必要だろうが、でも、戦後世代ができることとしては、戦後責任を果たしていくことしかないであろう。その最初としては、事実を真摯に学ぶということが必要であろう。そして、次に、アジア・太平洋戦争から何かしら「矛盾」が生まれているのならば、それに対して、弱者の視点で解決していくことであろう。

どうして、戦後日本社会では、戦争責任を十分に果たしてこなかったのだろうか。責任主体としての日本人を十分に立ち上げることができていなかったからだという意見もある[2]。地方の場合は、外国との交渉があまり多くなかったことや、また、過去の問題に関して真摯に取り組んでこなかった、取り組むことができなかったからかもしれない。他にも、外国との交渉、特に冷戦期においては、中国との交渉に対して、否定的であったことなどもあるかもしれない。そもそも、如何にして、責任主体としての日本人を構築するのかは、疑問ではあるが、外国との交渉の中で、形作られることは十分に考えられる。その点が不十分であったのだろう。  

ただ、今日においては、飯田下伊那郡は外国人の割合がグローバリゼーション及び、中国帰国者などの結果、多いという[3]。この大きな変化を、そこに住む人たちは、どのように受け止めているのだろうか。この状況を上手く使うことができるかどうかは、そこに住む人たちの努力によるだろう。しかし、アジア・太平洋戦争の思わぬ副産物としての地域のグローバル化は大きなチャンスであり、他者との交渉の中で、責任主体としての日本人を自覚する契機になるかもしれない。そして、今日のグローバルな問題を日本だけでなく、それを越えた主体として考えることができる大きな契機にもなるかもしれない。このことは、日本人が戦前に犯した自国だけの利益を追求する姿勢を変え、他者の利益だけでなく、他者と自己も含めた新しい主体の利益を守ろうとすることにつながる可能性が十分にあるのではないか。

戦後世代として、これまでの議論を踏まえると同時に、これからは戦争当事者がいなくなるという変化を受けて、何かしらの議論の組み換えが必要なのは明らかであろう。具体的にどうすればいいかということは、不明であるが、他者との交渉が重要になることは間違いないことであろう。ボーダレスな社会の中で多くの他者との交渉を通じて、考えを深めることの必要性を感じる。そして、飯田下伊那郡には、その新たな時代の可能性が、アジア・太平洋戦争の思わぬ副産物として、認識されるようになってきた。この新たな変化(外国人の割合の増加)を十分に認識することは、過去の問題を深く認識することにもつながるであろう。この繋がりを十分に認識することは、これから、非常に重要になることは間違いないのではないか。これが、過去をきちんと学ぶということにもなるのではないか。

[1] 『満州移民』p.224「開拓民は、被害者でもあり加害者でもある、また被害者であるがゆえに加害者となる、という満州開拓の重層的関係を理解することは、地域社会ではまだまだ困難であった」
[2] 『状況』3・4月号、p.16-17
[3] 『満州移民』p.245


●卒論報告 第1回
「問題関心と構想」
問題関心:
 
「冷戦」の崩壊以後、西側陣営の自由主義経済が世界中を覆うようになった。この大きな変化の中で、日本も大きく変化することを求められてきた。具体的には、橋本6大改革から、そして小泉構造改革へと、日本は大きく変貌を遂げつつある。この改革は、もちろん、国内から求められた部分はあるであろうが、しかし、海外からの圧力によって、国内市場を開けさせられた側面もあるであろう。
 
今日では、その構造改革の結果、不利益を被っていると考えられる人たちが日本の中においても、相当数いることが考えられる。そして、国家による何かしらの「救済措置」が必要であると、唱えられている。


明らかに国家には、何かしら、「国民」に対して、政策を行うことが必要であるし、その構造改革においても、そのあたりの負の側面を十分に補う政策を行う必要があったのではないだろうか。
 
「グローバリゼーション」とは何かは、まだ不明であるが、少なくとも、巨大な資本とかが、国境を越えて、国境をぶっ壊して、世界を均質な市場にして、そこで利益を生み出そうとする側面があることは考えられる。そこでは、エコノミーの論理が優先し、福祉などの面が失われ、多くの人々が苦しい境遇に貶められるということは十分に考えられる。

やはり、国家はグローバリゼーションの浸透に対して、何かしらの形で、抑制するような政策が必要ではないのだろうか。そして、グローバリゼーションという巨大な流れに対して、抵抗できる、今考えられる主体は(もちろん国家だけではないが)、その有効性実効性も考えると、国家しかないのではないか。
もちろん、単なる、自国内の自己最適を諮るだけではダメだということは明らかではあるが、ただし、上でも確認したが、国家に何かしらの役割があるということも明らかであろう。つまり、これからのグローバリゼーションの中で、国家は如何にして、あるべきなのかについて、考えたい。主に、日本について考える。

そこで、国家の役割について考えるときに、国家が国際社会との接触するときに、どのようなことが起きたのかについて考えていきたい。具体的には、日本の経済自由化への過程において、どのような国内対立、そして政策が成され、その結果はどうであったのかについて見ていきたい。

これは、最近でも、2007年の5月に改正会社法が施行されるにあたって、その前後においては、大きな外資恐怖論が、日本社会で起きた[1]。三角合併の解禁によって、外資による日本買いが増えると考えたからであろう。

同じようなことは、戦後日本の経済が成長した60年代にも起きた。この卒論では、60年代の日本と国際社会が接触するときについて、主に、それを受けての経済政策や、その政治過程について見ていき、日本が如何にして、国際社会・グローバリゼーションに対応していくのかについて考えていきたい。

構想:
日本の高度成長が進むにつれて、世界からの貿易・為替の自由化が求められるようになった。日本は、1963年にGATT12条の権利(国際収支上の理由による輸入制限維持の権利)を放棄し、GATT11条国に移行した。また、64年には、IMF8条国に移行し、同時に、OECDにも加盟した。その結果、日本は貿易外経常取引や国際資本移動の面で、これを制限することが原則として許されなくなった。

このように、日本経済の国際化が進められようとしたときに、日本国内において、特に、政府・財界においては、強い危機意識があったという[2]。この表れとしては、新日本製鉄成立のような大型合併が進められたりした。また、通産省も資本自由化への対策は不可欠だと考えていた。通産省では、海外の寡占的大企業が貿易自由化によって、日本市場に参入すれば、規模の小さい日本企業は競争できずに、合併吸収されると予測されていた。

ところが、政府の直接介入は徐々に後退せざるを得なかった。それは、商品・技術の貿易に関して、政府が直接的に介入する手段は、1960年代に効力を失っていったからである。例えば、外為法に基づく技術導入の認可も次第に緩和され、1959年には技術導入の認可基準がポジティブ・リストからネガティブ・リストに切り替えられ、日本経済に悪影響がないかぎり、認可されることになった。68年には、技術導入の自由化が行われた。

ただし、政府の役割が後退していたのではあるが、何もしなかったわけではない。それは、60年代においては、エレクトロニクスのような戦略的な部門の自由化はできるだけ先送りし、国内の幼稚産業が発展する時間を産業政策が作り出す役割は果たした。
 
しかし、こうした政府の介入に対して、反対する意見も合った。具体的には、特定産業進行臨時措置法[3]に関する議論においてなされた。この法案を通そうとする通産省に対して、銀行や、また本田宗一郎などは反対した。

この経済の自由化に向けての過程を以下の視点について、見ていきたい。

・経済自由化に対して、日本国内において、どのような反応があったのか。国内世論や、政治家、財界(経団連とか、その他の経営者たち)、学者またテクノクラート(通産省を主に)の反応について。

・大きく分けて、「保護主義」と「国際主義」の2つの考えが、日本の経済自由化において、あったと考えられるが、それぞれ、どのような考えに基づいて、成り立っているのか。その経済合理性や、日本経済思想的な観点、そのアクターの世界観とかについて。

・上の2つの考えは、どのような観点において、対立していたのか。また、その対立から、どのようにして、妥協して、政策として行われるようになったのかについての政治過程について。

・日本の経済政策においても、アメリカの政策に大きく制約されていたのではないかと考えられる。当時の、アメリカの日本に対する通商政策はどのようなものであったのかについて。

・実際に、どのような政策が行われたのか。どのようにして国際社会に適応しようとしたのか。そして、その結果。

・戦後日本経済において、1960年代の経済自由化の意味について。
・日本が国際社会に「西側の一員」として参入していくということについて。
・日本の通産省の経済政策の変遷について。また、戦前の統制官僚とのつながりや、現代とのつながり。


既に読んだ本リスト:
1.菊池信輝『財界とは何か』平凡社、2005年。
2.宮崎勇『証言戦後日本経済』岩波書店、2005年。
3.森武麿他著『現代日本経済史』有斐閣、1994年。

文献リスト(これから読む本):
1.伊藤元重『産業政策の経済分析』東京大学出版会、1988年。
2.猪木武徳『経済思想』岩波書店、1987年。
3.内田公三『経団連と日本経済の50年』日本経済新聞社、1996年。
4.梅村又次他編『日本経済史』岩波書店、1988年-1990年。
5.岡崎哲二、奥野正寛編『現代日本経済システムの源流』日本経済新聞社、1993年。
6.大嶽秀夫『戦後政治と政治学』東京大学出版会、1994年。
7.大嶽秀夫『高度成長期の政治学』東京大学出版会、1999年。
8.清川雪彦『日本の経済発展と技術普及』東洋経済新報社、1995年。
9.小宮隆太郎他編『日本の産業政策』東京大学出版会、1984年。
10.田代洋一他編『現代の経済政策』有斐閣、2006年。
11.通商産業省、通商産業政策史編纂委員会編『通商産業政策史』通商産業調査会
1989年-1994年。
12.テッサ・モーリス・鈴木著『日本の経済思想』岩波書店、1991年。
13.中村政則『経済発展と民主主義』岩波書店、1993年。
14.三輪芳朗『政府の能力』有斐閣、1998年。
15.橋本寿郎『戦後日本経済の成長構造』有斐閣、2001年。
16.橋本寿郎他著『現代日本経済』有斐閣、1998年。
17.柳川隆、川濱昇編『競争の戦略と政策』有斐閣、2006年。

以上

[1] 「三角合併、きょう解禁『黒船』に揺れる企業」『毎日新聞』2007年5月1日の朝刊「三角合併が解禁されたからといって、5月以降に外資による日本企業買収が激増するかというと、その可能性は小さい。買収に詳しい壇柔正弁護士は『三角合併はあくまで当事者が合併に合意したうえで使う手法。嫌がる相手を無理やり買収する敵対的買収とは違う話だ』と指摘する。とはいえ、外資が穏やかに新制度を活用するという見方は経済界では少数派だけに、警戒を崩さない。安倍政権は対日直接投資倍増を公約しているため、民間企業には『政府は国内企業を本気で助けてくれないのでは』(メーカー幹部)との不信感も渦巻く。各社とも外資勢の動向に神経をとがらせている」

[2] 橋本『現代日本経済』p.85

[3] この特徴は、官民協調方式によって、石油化学・自動車などの成長産業を対象として産業再編を行い、銀行融資を義務づけるという点にあった。1962年に始めて上程された特振法は、結局、成立しなかった。

2007/06/06

学習生産性を上げたい。「カイゼン」か!

●バンビーノ

毎週、水曜日22時から日本テレビ(正式名称は、日本テレビ放送網株式会社でしたっけ)で放送されているドラマです。

今日の読売新聞の夕刊で知ったのですが、スピンオフのドラマが無料で日テレ第2放送で放映されているそうです。(先ほど、全て見ましたが、面白い!)

http://www.dai2ntv.jp/p/z/084z/vol07_0500.html

何か新しい試みだと思いました。これからのテレビ放送の行方について、少し考えます。どうなるのでしょうかね?

『ネットがテレビを飲み込む日』でも読んで、少し勉強しようと思います。

ただ、日本におけるテレビ放送というのが、冷戦下におけるアメリカの対日政策の一環としてなされたということを考えると、何か大きな時代の変化を感じます。

(内容が正しいかどうかは各人の判断として、昔、有馬哲夫『日本テレビとCIA』という本を読みました。日本外交史のレポートをこれを使って書こうとしました。ただ、外資としてのアメリカの資本が日本に

入ろうとしたときに、政治的対立が生じたそうです。具体的には、佐藤栄作さんはアメリカの資本の流入に反対したそうですね。でも、吉田首相はOKを出した。そのあたりをどう評価するのかについては、政治と経済の論理とつなげて考える必要性を少し思ったのですが・・・。レポートでは、アメリカの影響を受けやすい「制度」が占領期前後に日本の国家機構の中に埋め込まれたという結論だったような・・・)

ただ、民放は、お金でどうにでも動くので、批判的に見ていくことが、これは当然ですが、必要です。だから、逆にNHKの重要性が光るのでしょうね。NHKは完全に経営的にはナショナルなので、ある程度は信頼できます。だから、外国勢力にすれば、邪魔な勢力なのでしょうね。だから、民放にお金を流して、NHKの非効率性を喧伝させて、NHKを廃止にしようと考えているのではないかと推測するのも、間違いではないような感じがします。

NHKによって、日本人は正しい情報を獲るという点を担保されていると言っていいのかもしれませんね。(思い付きですけどね)


●満州移民



今日の朝に読み終わりました。

指導教官の先生が編集された本です。

内容は長野県の下伊那郡からの満州移民がどういう政治的・経済的・社会的な状況下で送り出されていったのか。そして、その送り出された後の現地での状況、そして、ソ連進行以後の悲劇。最後に、戦後への満州移民の連続性を論じている。

アジア・太平洋戦争が何だったのかについて幅広い理解を可能にしてくれる本である。総力戦としてのアジア・太平洋戦争は、当時の多くの市民の生活を破壊していったことが分かる。

もちろん、忘れてはいけないのは、多くの日本人の市民が国家の政策によって、多くの被害を受けた。この点では、被害者ではある。しかし、一方で、それらの市民も、総力戦としてのアジア・太平洋戦争を支えたという点では、明らかに、加害者でもある。

この被害と加害の重層的な事実を市民に押し付けるという点で、総力戦というよりも、戦争一般をなくさなければいけないという強い動機がここにはある。

「国益」とかいう「?」なもののために、市民が苦しめられるようなことを許してはいけないし、それが進められようとしているときは、断固として反対しなければいけない。これは、日本に限った話ではなくて、たとえ、遠い世界でこのような市民に対する抑圧が存在すれば、それに対して声を出していかなければいけない。

もう、世界の問題で関係のない問題はないのだから。

自分自身を最優先に考えたときも、遠い世界の矛盾が回りに回って、自分に降りかかってくるかもしれない。だから、漠然とした理想のためというよりも、自分のために、より良い世界を作っていくように志向し続けていけばいいと、僕は思う。

この本では、まだまだ、地域においては、加害意識が少ないということが書かれていた。日本の加害責任は、正直にいうと、難しい問題である。また、そろそろ、実際の当事者たちも、亡くなっていく。

だから、僕たちのできることは、戦後責任を果たしていくということであろう。まずは、知ること。そして、アジア太平洋戦争から何かしら矛盾が発生しているのなら、それに対して、「弱者」の視点で解決していく。

だから、僕たちは、戦争当事者に加害者意識が足りないという点を問題視していくことは必要だろうが、でも、実際にできることは戦後の責任を果たしていくということでしていくことしかないであろう。

あと、戦前の満州移民の結果として、今日において、下伊那郡では、国際化が進んでいるそうだ。というよりも、戦前に移民した人たちの子孫が戻ってきた結果としてのものである。この状況を上手く使いこなすことができるかどうかは、そこの人たちの努力によるであろう。

●論文を読む

『状況』3-4月号の特集を読みました

何か難しくて・・・つらい・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・。

僕が米谷先生の話を理解するのが難しいと思う点としては今のとこ、一つあります。

それは、「日本人」という主体を脱構築した後の主体としての、「矛盾に苦しみ、身もだえする〈アジア〉」という対象をイメージすることができないからでしょうね。

もちろん、お話としては、何となく分かるんですが、イメージができないんですよね。

やはり、僕にとっては、「国家」の役割は依然として大きく、そして必要だという認識があるのでしょうね。

その理由としては、グローバリゼーションの暴力に対抗できる最も有効なアクターとして「国家」をイメージできるからでしょうね。

疑問としては、米谷先生の議論では、世界はどんな「秩序」のもとに構成されるようになるのかな。僕なんかは、どうしても、最後に「国家」が残るという世界しかイメージができないんですけどね。

●雑感

今日は、安倍っちとドイツの首相とEU委員長が会談したそうです。

そして、日本は、これまで通りに安全保障理事会の常任理事国入りを目指すことを明らかにしたそうですが、疑問としては、ドイツは日本と足並みをそろえるんですかね?

EUという超国家的な組織(厳密には知りませんが・・・)が成長しているときに、その重要な国家が、自国の国際的な地位を高めるというのは、何か矛盾が感じられる。というのは、ドイツはEUの中に存在が回収されるべきであり、そのドイツが世界に大国として出ようとするのは、何か違うような。

まぁ、今度聞いてみよう。

2007/06/03

考える力を鍛えたい!!!

●小旅行(?)

今日は、ちょっとした都合で、神奈川の相模原あたりに、行きました。初めてでしょうか?中央線で、立川よりも西に行くのは。(何回かありましたが、ずっと前ですね)


立川を越えたあたりから、何か田舎のような感じがしてきますね。良い感じの地域だと思いました。


途中、八王子で横浜線に乗り換え、また、ぶらり旅が続きました。


何となく印象的だと思ったことは、同じような形の、というよりは同じ家が並んで立てられていたことですね。ひどいな、って思ったのは、線路に沿って、同じ家が並んでいるのを見たときです。


家って、住めればいいのでしょうかね。もちろん、金銭的に厳しい場合は、そうでしょうが、但し、一軒家の場合は、良い家に住むということをもっと、追求してもいいんじゃないでしょうか。そうしないと、作り手や売り手が傲慢になって、競争しなくなるんじゃないでしょうか。


何か画一的で、家の安売りを見ているようで、何か嫌な感じがしますね。


日本人は、首相をはじめとする閣僚の方々の「クールビズ」のファションに代表されるように、ちょっと、感性が鈍いですね。


とくに、僕なんかは、そういう感性とかを大事にする方だから、とくに、そう思いますね。


限られた資源の中で、いかにして、より良くしていくのか。パイは大きくならない。発想を変える時代は、既にやって来ているんですよね。


●TOEFLの試験を始めて、受ける


初めてで、少し緊張しましたが、案外できましたね。ただ、明らかでしたが、リスニングは弱いですね。あと、文法も何となくの感覚でといていましたね。


文章を読むのは、社会科学系なら一読で内容の把握がすむのですが、どうも、その他の分野だと、急に苦しくなりますね。

エッセーは高校時代の預金がまだ、あるということを確認。そつなく書いたという感じですね。これは、一橋の入試の英作程度の問題ですね。ただ、次数制限はありませんけどね。

一番、難しいと感じたのは、試験に関する指示が英語なので、これがもっとも苦しかったですね。もちろん、神経を集中させれば、何となくは分かるのですが、神経が鈍ると、「は・ひ・ふ・へ・ほ」なんですから。

まぁ、TOEFLの点数を涙を流しながら、がんばる必要性はないということは、テストを受けて、確認できました。

だから、通常通りの続ければ、何とかなりそうです。

①英語文献を、コンスタントに読む

A HISTORY OF EUROPEAN INTEGRATION SINCE 1914

THE IMGINARY WAR

とかを、6月中には読む予定・・・。


近いうちに、ゴードンの通史も英語で。


②英作文の勉強は、これはなかなか、苦しい。ブログを英語で書くのも苦しい。

何か、短い文章を丸暗記してやろうかと少し考え中。

文法の復習も喫緊にしなければ。


③聞くほうは、どうか。

英語音声の映画を見る。BBCを真面目に聞く。


今年は英語ですね。(数学もやれば、他のことはなかなかできない。

中国語は来年ですね)


●近いうちに読みたい本(?)


麻生太郎『とてつもない日本』『自由と繁栄の孤』


そろそろ、発売されるはずです。


結局、安倍首相の『美しい国』も、きちんと読んでないな。


まぁ、時間があれば、読み比べでもしようかなぁ。

(時間がないから、読まないような・・・)

                    ●冗談じゃない!


今日の21時から。絶対に見なければ、行けません。

チョー、面白い。


2007/06/02

食べ物には、ご注意を!

●めぞん一刻

少し前に見た、ドラマ。伊東美咲さんが出演されているので、なんとなく見たのだが、やたら面白く、印象深いドラマである。

また、その主題歌、松任谷由美「守ってあげたい」 も良い歌だ。すぐに買ってしまった。そして、最近、毎日毎日、何回も何回も聞いている。


ただ、この原作は漫画だそうだが、それは、あまり読む気にはならないな。やっぱ、この主人公が伊東美咲さんだったから、このドラマが良かったんだよね・・・。

楽しいドラマが、これからも作られることを大いに期待したい。


●昼飯で腹痛!!!

今日は、ある友達と、昼飯を食べた。最近考えたこと、例えば、日本のアジアとの付き合い方とか、戦後責任とかを、一方的に機関車のように話をした。われながら、話が詰められていないことを自覚した・・・。

話をしている途中、お腹が痛くなってきて、何か苦しくなってきた。そして、帰ってきてから2時間くらい、休んだ。

原因は、水なのではないかと思う。何か変なにおいがしていたような。それとも、最近、少食なので、たくさん食べたので、体がびっくりしたのかもしれない。

まぁ、次からは、気をつけようと思う。


●上野樹里さんについて

明日は日曜日だ!「冗談じゃない!」がある!

このドラマ、スゴク面白いので、毎週、楽しみに見ています。

そうそう、最近、上野樹里さんの前のドラマの「のだめカンタービレ」のDVDが発売された。TUTAYAをぶらついていると、もちろん!、置いていた。

金曜日に衝動借りしてしまいそうになるが、今日明日、及び来週も忙しいので、自分を押さえ込んだ。

来週の金曜日に一気に全部を見ようと、自分の予定ノートに書き込んだ!!!

あと、歌も出たそうですね。
http://magazine.music.yahoo.co.jp/rep/20070518_001/

これからも、彼女に注目していきたい。

ちなみに、上野樹里さん主演で、蒼井優さんも出演している映画「亀は意外と速く泳ぐ」は、スゴク面白いので、時間そして気分に余裕のある方はぜひ見てください!!!

↑スパイ映画です。



●卒論について少し考えた

2週間後の金曜日に卒論の第1次案を出す必要があるので、最近、頭の端っこの方で、少し何を書こうかって悩んでいる。

僕は大学で、経済学部に所属しているが、冷戦史や日本外交史などの国際関係史や、他にも、いろいろ、勉強してきた。だから、もちろん、主に学んできたのは経済だから、それを中心にしながらも、他の学問で学んできたことを貪欲に組み合わせていけたらいいなぁって、考えています。

具体的には、日本の経済政策史を見ていけたらと考えている。

自分の問題関心としては、今日の「グローバリゼーション」の中で、日本は、どのように進んでいけばいいのかというところにある。

日本の「国益」を守るために、自国の「利益の最適化」を諮っていくように進めるべきなのか。(「国益」が何かは、大学を出るまでには自分なりには考えたいなぁ。また、このような方向性が国際社会の下で認められるのか疑問であるが・・・)

または、規制緩和とかをして、日本を海外に純粋に解放していくべきなのか。

答えは、もちろん、その中間にあるであろうことは明らかだが、その微妙な答えは、難しいと、僕は今考えている。

やはり、「グローバリゼーション」の強大な力に対抗できるのは、「国家」であり、だから、それから、その「国」に住む「市民」(「国民」ではない人たちも守る必要がある)を守る必要性は「国家」にある。

何を、どのように、どの程度、守ればいいのか?

僕は、今のとこ、よく分かんないので、1960年代の日本、経済成長の結果市場開放を求められるようになった時期、の経済政策の決定過程や、政策の意味、その結果、及び、対立の争点、また、それが認められた国際的な環境、具体的にはアメリカの対日通商政策を調べていくことによって、自分の今のもやもやを少しでも明らかにすることができたらと、少し考えている。

そもそも、日本の政治の資料は、保存状態がチョー悪いそうなので、どの程度調べられるのか、また、その回顧録の信憑性も?らしいので、よく分かんないんですけど、まぁ、気楽に、楽しんで取り組みたいと考えている。

修士論文とか、あんまり考えていないので、ほんま気楽に取り組みたい。

これから少し読む必要があるのは、テクノクラートの回顧録とか、日本の経済思想史とかですかね。GOOGLEはチョー優秀なので、結構な情報を検索で調べることができた。

また、城山三郎『官僚たちの夏』を再読する必要がありそうです。

自分のこれまで学んできたことを総動員して、考えていけたらと思います。

その過程で、マルク・ブロック『歴史のための弁明』とかカーの『歴史とは何か』とかマックス・ヴェーバーとかの本とかと対話することができたらと考えています。

「過去による現在の説明」ということを意識しておきたい。つまり、過去をしるためだけでなく、その現代的な意義という視点を、常に再確認しながら、骨董趣味に陥ることなく、卒論に取り組みたい。

親しくさせていただいている博士課程の方から、研究で重要だと、ある先生から、言われている3点を教えていただいた。
①研究史 ②一次資料 ③理論

どの程度、できるかわからないけど、僕は性格が楽観的なので(?)、貪欲に進めたいと、強く思います。

(今日、お腹が痛いのも、月曜日のテストのプレッシャーかもしれない・・・。たぶん、水だと思うけど)

人間、認識できる範囲は限定的だけど、それに悲観的になるのではなくて、僕なんかは、楽観的に考えたいと思いますね。一人でできるのは限られているので、協同で何かするということ。そのあたりに、何かしら、今よりも良い状態があるのではないかと、少し考えています。

でも、またそこで、疑問ですが、どうやって、協同していくのか?

悩ましい問題は続くけど、楽観的でいたいね。でも、もちろん、現実を見るのは悲観的でいたいけど、ただ、それをどうするのかについて、ギリギリのとこでは、楽観的でいたいと思う。

ということで・・・。

このブログで、卒論の途中経過を書き、それをまとめて、卒論という形で進めていけば、精神的にも楽なのではないかと、少し考えたけど、これは、これからの話・・・。

新しい月の始まり!!!

●007のカジノ・ロワイヤルを見た!

久しぶりに007シリーズを見た。主人公の役者が新しくなっていることに、大きな変化を感じた。僕個人としては、前の役者さんの方が、洗練されたイギリス的なモノを感じたので、そのままのほうが、なんとなくよかったのではないかと思う。
007シリーズを、古いのを含めて見ていると、時代背景の変化が、強く映画に反映されていることが分かる。今回の作品の場合は、「冷戦」は、既に終わっているということになっていた。

僕なんかは、この変化を見たときに、今回の映画に多少の混乱が生まれる。それは、この映画のジェームズ・ボンドは、これまで見てきたジェームズ・ボンドと連続しているのかということである。

答えは、明らかに、連続していないということであろう。というよりは、007のシリーズは、その回、その回で話が区切られていると考えた方が、いいであろう。

僕は最初、ジェームズ・ボンドの初期の話という映画のストーリーを見て、それなら、古い装備とかが使われるのかと、多少、残念に思いながら見始めていた。(007の楽しみの一つは、奇想天外な武器にあると僕は信じている!)でも、実際には、「最新?」の道具が使われているように見えた。ソニーのパソコンが屋外で使われていたのである!

全体として、この映画は、これまで通りに、楽しい映画であった。

(エヴァ・グリーンさんは、とてもキレイだと思う。ただ、この写真よりも、化粧の薄い状態のほうがよりキレイだと、僕は思ったのであるが・・・)




●「しゃべれども しゃべれども」
最近、この小説及び映画を見た。なかなか、ほのぼのとした映画で、面白かった。僕は、まず映画を見て、小説を読んだ。原作とは異なることは異なるが、大きな「流れ」は、もちろん同じである!
何か全体として、東京の、都市ぽっくない部分が映し出されていて、何かいいなと思うことが多かった。浅草とかの風景や、また主人公の家とか・・・・・。
映画のなかの人間関係の絡まりあいというのが、人を成長させていっているのを見て、何かしら当たり前のことを再確認させられた。
楽しめる映画である!
●熟語の勉強(1)
1.合縁奇縁
人間関係が不思議な力によって成り立っている様子。
2.愛別離苦
愛している人と、生き別れたり、死に別れたりする際の苦しみ、悲しみ。
3.曖昧模糊
物事の本質や実態がはっきりしないという様子。
4.悪因悪果
悪いことをすれば、悪いことがふってくる。