2007/11/29

寒くなりました。。。

○ランチ

今日は、友達たちとランチしました。オムライスを、何年かぶりに食べました。感動しました。

僕は、オムライスが好きなのですが、家を出てから食べる機会は無く、そのため、何年間も食べないという結果になりました。でも、久しぶりに食べると、ホント、美味しいですね。

今日行った店に、オムライス通いするかもしれません。


○高田馬場

今日も、高田馬場に行きました。人が多くて、正直、疲れました。これから、週一くらいは、そこに行かなければ行けないと思うと、頭が痛いです。


○近況

最近、映画を見れていません。正直、忙しいですね。そんなに忙しくは無いのですが、忙しいです。

あと一ヶ月で、ドラマ「のだめカンタービレ」が放映されます。何とか、それまでに勉強をしっかり進めていきたいと思います。

最近、今年の年賀状に書いた目標は、どのくらい達成されたのかを考えるのですが、辛くなります。

明日も、ぎっしり授業があるので、予習を始めなければいけません。知識を理解するだけではなくて、それを限界まで使ってみることの重要性を今日は痛感しました。例えば、パソコンの知識とか、あとは、経済学の知識とかですね。それによって、新たな理解というのが達成され、能力向上につながるのではないかと、やっと分かりました。

そうそう、毎日、WBSを見るようにしています。少し経済に特化しているので、面白いですね。とくに、金融面とかの情報を考えるのには、スゴク勉強になります。

炊飯器の無い生活をしていたのですが、ついに、買うことにしました。明日、家から、おコメが届き、日曜日に、炊飯器を買います。たぶん、これから、おにぎりを食べることが増えると思います。

2007/11/25

マイペース、マイペース

・新宿にて

今日は、新宿に行きました。新宿の新宿住友ビルの49階でランチしました。こんな高いとこで、ランチしたので、今日の天気の良さもあって、一人感激していました。

ただ、バイキングランチ(980円くらい)だったので、セコイ根性が出てきて、普段の2倍食べました。正直、苦しくなりました。

もしも、僕が大食いしている場面に、遭遇された方は、注意して下さい。

食べすぎは、良くないですね。自己嫌悪に陥る原因になります。

ただ、そこの店は、良い場所にあり、美味い料理を出し、財布にやさしい値段なので、良かったです。そこに行った目的は、自分の行きつけの店を増やすというとこにありました。

・高田馬場にて

用事があり、高田馬場に行く。国立とは違い、スゴク「活力」がある感じがしましたね。久しぶりだったので、そのコントラストに、何か衝撃を受けました。

・NHKの「トップランナー」

今日は、渡辺あやさんが出られていました。正直、キレイだと思いました。

彼女は、「ジョゼと虎と魚たち」の脚本とかを書いたそうです。

昔の彼女の姿と比較して、今のほうが、スゴク、キレイなのを見て、女性は、急速に、キレイになるということを、何か身をもって感じた時間でした。

2007/11/19

走る。

走る宣言(一先ず、来年4月末まで)。

まずは、12月1日まで、経済学の基礎的な問題演習を、繰り返し行う宣言。

12月の末あたりまで、その穴を埋めまくる宣言。

そういうわけで、経済学でお困りの方は、いつでも、聞いてください。統計・計量以外なら、適切なアドバイスは、できると思います。

別の話題。

毎日、同じ音楽を聴いていると、自分がダメになりそうになるので、元気が出そうな音楽に詳しい方。教えてください。毎日、暗い生活を行っているので、元気な音楽が必要です。ただ、元気すぎる音楽の場合は、引いてしまう可能性がありますが。

別の話題。

12月までに、通史の日本経済史及び経営史を6冊、読みます。

一先ず、12月16日に、今年度の卒論の締めを行います。A4で60枚くらいに、まとめたいと考えています。

別の話題。

「戦闘モード」宣言。若いので、当たって砕けろの精神で、毎日を過ごしています。よって(?)、空気は、あまり読まないので、周りの皆様方の、ご指導ご鞭撻、よろしくお願いします。

別の話題。

映画「天国の本屋」を見る。ある先輩から、この映画の情報を教えていただきました。感謝。

ラブストーリーという感じですね。もう少し言うと、僕とは関係の無い、ラブストーリーと、言うべきでしょうか。

別の話題。

今日は、本を読むのが、どうしても嫌になり、どうしようもなくなったので、映画「ホテルサンライズ」を見る。面白いようで、面白くないような。スゴク、挑戦的な映画、というよりも映像作品ですね。

別の話題。

11月中は、高橋『現代解析学入門』と睨めっこする。

12月中には、線形代数・微分方程式とかと睨めっこする。

別の話題。

たぶん、外で、ヘッドフォンをしているのを見かけると、僕は、おそらく、BBCを聞いていると思います。

3月または、2月のTOEFLで大学院の入学許可レベルのスコアーを取る宣言。

別の話題。

少し前に、体重が、70Kg台に復帰。喜ぶ。ただ、最近、ランニングが出来ないし(足を挫いた)、チョコレートばかり食べるし、リバウンド気味。

禁欲的な行動は、あまりよくないと思う。それよりも、抜本的に、生活を見なおすことの方が、大幅な減量に成功するのではないかと思う。

地球環境問題に対する、私たち一人ひとりの行動も、そうだということを、最新の、日経アソシエに書いていました。

昔、松下幸之助さんも、そんなことを言っていましたね。

別の話題。

今日の、情熱大陸、先週に引き続き、よかった。

2007/11/16

「根拠の無い」自信を持とう

僕は、普段、あまり、自分自身に自信を持つことができないので、オドオドしていることが多い。

自信が無く、オドオドしていると、自分の実力を100%発揮することができない。自分の実力を、発揮するためにも、「根拠の無い」自信を持てるように努力したい、と思う。


さてさて、今日も、相変わらず、無礼なことをしてしまった。反省。ごめんなさい。


別の話題。

今日も、また、いろいろ貴重な話を、伺うことができる機会を頂いた。感謝。

試験勉強を頑張らなければいけない、という気持ちに、再び、火を付けていただいた。

WBSを見ることの効用や、「遊ぶ」ことの重要性を学ぶ。


別の話題。

2日連続で、寝坊する。反省。寝坊する時に限って、夢を見る。最近の夢は、どれもこれも暗い。明るい夢なんか、見たことが無いような気がする。

別の話題。

何となくニュースを見ていると、食の安全・安心が脅かされている話が多いような気がする。素朴な、疑問として、どうしてと思う。

通報制度が確立されてきたのだろうか???

別の話題。

11月13日に、漫画『のだめカンタービレ 19巻』を読む。いろいろ考えさせられるものであった。時々、ユンロンのような状況になった時、自分は涙を流すことができるのかと不安に駆られることがある。

僕は、いつから、涙を流していないのだろうか。

大学3年の頃、少し涙を浮かべたことはあったが、それでも、涙は流れなかった。どうも、僕は、人生を「本気」で生きていないような気がする。

涙を流すということは、僕にとっては、それだけ、尊いものであると思う。感情的にならなければ、涙は流れない。僕は、ここ何年間か、評論家的に、第3者的に、自分の人生を過ごしているのではないかと、思うときも多い。

反省すべきことは多いが、課題の多い人生のほうが楽しい、に違いない。

2007/11/15

天気が良いと、富士山が見える。キレイだよ。

今先ほど、NHKのドキュメント番組を見ていました。施設出身の「当事者」たちについて、考えさせられました。

僕たちの育ってきたのは、「失われた・・・年」と呼ばれる時代です。この時代は、スゴク暗いものであったと、僕は理解している(映画「学校Ⅲ」とかは、その雰囲気を感じることができる)。

僕と同世代の「当事者」たちを見ていて、彼ら彼女らは、その「失われた・・・年」の影響を強烈に受けているということを、何となく感じた。

僕たちの世代は、それぞれに「失われた・・・年」の記憶を背負っている。

僕なんかも、今でも、子供の時に見た、その当時の不況を描いたテレビの内容を断片的に思い出すことがある。

不況で職が無い沖縄の人々が、タクシー運転手として都会で働いている様子。一度、交通事故を起こすと、タクシーに乗ることはできなくなり、仲間の運転手の車の洗浄で、お金を稼ぐ人の姿。

ホームレスの人々。車の中で、生活する人。その人は、インテリで、洋書とかも読む人でも、ホームレスになっていた。

銀行に勤めていた夫がリストラされ、職を失うが、消費水準を落とすことができないで、その補填をするために、風俗で働く主婦。

夜逃げ。


今でも、たまに、考えますね。世の中について、テレビで見た、上記のイメージを持っている場合に、相当偏向した世界観を持つことは間違いないであろう。


別の話題。辞書のような、ブルース・カミングス『現代朝鮮の歴史』に挫折。厚過ぎる。朝日カルチャーセンターで、受講している講義の文献なのだが、時間が無くて、読めなさそう。・・・。

「いい」文章を書きたいと、最近、思うことが多い。ただ、「美しい」文章でもありたいと思う。どうも、ブログを書いていると、漢字は忘れるし、字を書く気力は失われるし、ダメになるような感じがする。

そうそう、最近、また、日本語で、ブログを書くことに嫌気がするようになってきつつあります。

2007/11/14

図書館にて書く

宮崎政勝『グローバル時代の世界史の読み方』を読み終わらせたので、その感想。まさしく、「文明の出現から現代まで、都市とネットワークの成長から世界の歴史を地球規模でダイナミックに」描かれていた。「イノベーション」を軸に、それが社会・政治・経済に与えた変化を地球規模で描いていて、大変に興味深い本であった。

歴史における「変化」について、とても考えさせられる内容であった。ただ、この本では、「モノ」が中心に描かれているので、あまり政治的な「変化」は描かれていませんが。

僕の卒論も、日本の高度成長期の貿易自由化に対して、どのように対応していき、どのように日本国内が「変化」していったのかについて、一つの物語として描きたいと考えている。貿易の自由化の結果、様々な外国の物質が流入していくことに対して、どのように対応していったのか(そして、どのようにして製品に競争力をつけて、輸出していくことになるのか)。

別の話題・・・。

最近、アメリカの金融危機を見ていると、世界大恐慌の再来か?と何かしら不安感を覚える。ある識者が、少し前に、「今の世界は、1929年の世界大恐慌が起きる前に似てきている」と言っているのを、分からないと思いながら、聞きました。

その時は、その詳しい内容を聞きませんでしたが、アメリカにおける金融危機は、その大きな仮説に沿うものであり、その危機が世界中に広がらないことを祈るばかりです。

時間があれば、1929年の勉強をしたいのですが、今は、少し無理ですね。誰か詳しい人、教えてください。(僕の記憶では、今のFRBのボスは、世界大恐慌の専門家らしいですよ。『大恐慌を見た経済学者11人はどう生きたか』は、世界大恐慌を考えるにあたって、参考になるかもしれません)

2007/11/12

授業の復習

三時間目に、関先生の国際経営の授業があった。今日は、本とか論文とかで読んだことがないアイデアを議論していたので、興味深い授業であった。

ただ、関先生は、前回と同じことを「確信犯」的に繰り返すので、少しうんざりすることもあった。ただ、話の仕方とか、黒板の書き方とか、参考になる。

農村の変容と、工業化との関係について議論された。中国では、農村における「改革」が、農村における余剰労働力を生み、結果、都市への労働供給につながるようになる。また、都市近辺の農村では、その立地を生かして、都市への農作物の販売の結果、「万元戸」に。都市周辺では、さらに、土地活用の結果、その農民たちは、土地からの収入を得るようになる。

農村で生まれた「金持ち」の余剰金は、「鎮」(昔は、人民公社であった組織。だいたい、3万人規模であった。現在は、小さい行政単位)が運用することに。・・・(以下、省略)

話を聞いていると、中国の農村が変容していることから、かつて日本でも、似た現象が起きていたことを考えた。

そして、その過程で、日本の農村は、大幅に変容を迫られ、解体されていったのだ。戦前においては、農村においては、「前近代」的な地主・小作関係にあった。戦時期になると、農村物の生産を確保するために、生産者優位の政策が進められ、従来の地主・小作関係は解体の道を進み、小作が農村において大きな存在を占めるに至る。その流れが、戦後の改革でも、進められ、農地解体。結果、土地の配分が進み、農民の生産力が増大。また、豊かな農民層が形成されることに。彼らが、戦後初期の日本の大きな消費者となる。

農村の過剰な労働力が問題になる頃、都市部では労働力不足になり、彼らは、「集団就職」で都市部にやってくることになる。そして、日本では、「高度成長」が達成されていくのである。

社会・経済の大きな変化のもとで、近代化・現代化が進行していくのを確認する。

ただ、忘れてはいけないのは、近代化・現代化の中で、同時に、それと「補完的」な関係となる、負の制度的なものも、同時に定着していくことである。

僕の卒論では、その高度経済成長の変化を近代化・現代化だけの側面だけでなく、それと「補完的」な負の側面についても見ていく。おそらく、中国でも、その社会の近代化・現代化の影で、それと「補完的」な形で、負の側面も、定着していっていることは間違いないであろう。

2007/11/11

Self-Hate。。。。。。

【重要情報】『のだめカンタービレ 19巻』発売!!!2007年11月13日です。楽しみです(*^。^*)。

土曜日に、NHKの番組で、松たか子さんを取り上げたドキュメント番組を見ました。彼女の笑顔がスゴク眩しかった(#^.^#)。

スゴク明るいというのが、番組を見ての、彼女に対する印象である。とにかく、笑い楽しみ、何となくであるが、周りの一緒にいる人たちも楽しくなるような空気を彼女が創っているような感じがした。それが、僕には、とてもスゴイことだと思えた。

そして、彼女がスゴク、キレイだとも思いました(●^o^●)。

松たか子さんは、僕の中学・高校時代のアイドルのような存在だったのかもしれないと、少し思いました。だから、彼女の音楽を聴いたときに、いろいろ昔のことを想起しましたね。「桜の雨、いつか」をiTunesでダウンロードしました。懐かしい。。。

さてさて、先日行った、TokyoMidtownの感想を書きましょう。高級感が漂う、感じがしましたね。特に、デザインというのを重視していたのが印象的でした。デザイン性を重視した雑貨などを扱った店など、とにかくデザインという感じですね。無印良品の店もありましたよ。(無印良品のデザイン性とかについて知りたい方は、原『デザインのデザイン』岩波書店、2003年を参照。社会の中のデザインというのを考えたら、スゴク興味深かったですよ。楽しい社会の構築のためには、デザインは必須だと思います。)

異国情緒が漂うような感じもしましたね。外国のものも、人も、多かったような感じがしました。あと、そこにいる人々が、スゴク、スマートな人ばかりだったのも、印象的だ。

まぁ、そこに無目的に行ったのではなくて、目的は、佐藤卓「WATER」を見に行きました。21_21 DESAIGN SIGHTというTokyoMidtownの端の方の建物に行きました。

800円ほど、取られたのですが、感想は微妙ですね。交通費とか、機会費用(そこに行くことで、諦めざるを得なくなった機会から得られるであろう「収入」)とかを考えると、ホントに微妙ですね。

まぁ、簡単に言うと、水のいろいろな姿を見せてもらったという感じですね。ただ、一つの展示物に、スゴク懐かしみを感じました。その展示物、というよりは、一つの作品でしょうね。それは、波の音を聞くことができる空間です。僕は、そこに30分くらい、座り続け、波の音を聞き続けていました。

東京に来て以来、海を見る機会が無くなりました。僕は、海の近くで育ったので、海が無い生活は、何か違和感を感じます。特に、僕は、高校の時に、授業(数学が得意だったので、数学の授業)をサボり海岸に行き、ボーっと海を眺め、波の音を聞くようなことをしていたので、その波の音を聞いたときは、スゴク懐かしみを覚えましたね。海に行きたいと思いました。(僕が高校時代に行っていた浜辺を見たいという方は、上野樹里主演「幸福のスイッチ」を参照。まさに、そこが僕の故郷です!!!厳密に言うと、少し離れていますが・・・。ただ、浜辺のシーンは、まさに、そこです。)

高校の時、「負け組」(秀才だったけどね)になって、早く、東京に出て行きたかったんですよね。だから、海の遠くを見て、いろいろ考えましたね。そして、波の音を聞いて、癒されて。。。よく行ったのは、今頃の寒い季節で、その独特の寒さとか雰囲気とかで、何か涙が出てくるんですよね。そんな切ない過去が、僕にはあるんですよ。

ここまでは、午前中に書き、これ以降は、ランチ後に書きます。

今日は、ランチする予定があり、ロージナに行きました。その方は、夏の由布院で出会った方で、映画オタクでもいうべき方でしょうか。退職後も、非常勤という形で、働かれているようです。ただ、10月だけでも、160本(日本アカデミーの特別会員だそうなので、映画はフリーだそうです)ほど、映画を見たとか、言っていましたね。

スゴイ、と思いました・・・(ToT)/~~~。

その方とランチしながら、湯布院の話とか、映画の話をしました。

生ビールをご馳走になりました(#^.^#)。。。

久しぶりに生ビールを飲むと、涙が出るほど、美味しいのには、感動しました。本当ですよ。ただ、失敗したのは、野菜カレーが激辛だったことです。そのため、生ビールの感動とカレーの辛さと、混ざり合った形で涙が出てきました。。。。。

本当に、辛かった。僕は、アマちゃんなので、甘いカレーが良いんです。

さてさて、金曜日に映画を見ました。映画「グッド・シェパード」です。この映画は、ある友人が、面白そうに語っているのを聞いて、見ようと思いました。

吉祥寺とかの駅の広告でも、この映画について書いてありました。

面白い映画ですが、特に、冷戦史とかアメリカとかについて興味がある方は、より面白く見ることができるのかもしれません。

印象的だったのは、冷戦というのが、アメリカの軍産複合体が作り出したものであるということをいったシーンである。つまり、アメリカの軍事産業の繁栄のために、ソ連の脅威を過大に評価して「敵」を作り出して、アメリカとの対立を作り出しているのだ。

また、アメリカはワスプ以外は、全て観光客だと言わせるシーンもあった。アメリカ国籍を持つ、ユダヤ人も、イタリア人も、日本人も、全て、アメリカ国家にとっては、全て観光客であり、彼らは、国家の構成員ではないということだ。

いろいろ指摘できる点はあろう。

もちろん、映画は、フィクションなので、「事実」とは区別する必要がある。しかし、国際政治を考えるに当たって、普段考えないようなことまで視野を広げてくれるという点で、国際政治を学ぶいい道具だと思います。特に、一つ一つのセリフには意味があるわけで、だからこそ、そのセリフの意味について深く考えてしまいます。

そうそう、最近、「Always 3丁目の夕日」の続編が公開されたようですね。機会があれば見たいのですが、今週から来週の土日にかけて、少し忙しいので、見ることができるだろうか???

もしも、日本の高度経済成長に興味があり、そして、掘北真希さん(が好きで、そして彼女)が演じている星野六子さんが、どうして東京に来たのかについての事情に興味がある方は、加瀬和俊『集団就職の時代』青木書店、1997年を読むと面白いかも!(^^)!(僕も今、読んでいるのですが、まぁ、専門論文のような難しい感じの本ですね・・・)

ただ、残念なことに、一橋図書館には無く、経済研究所の図書館所蔵です。もし読まれた方は、感想教えてくださいね(*^。^*)

やっと、進藤『敗戦の逆説』の感想が書ける・・・。

「その意味で戦時期はけっして戦後に連続するものではない。そして戦時期を戦後から分かつ社会経済的諸改革こそが、政治的民主化や脱軍事化や脱植民地化とともに、戦後日本の高度成長をつくる主因と化したのである。3つのDが、戦後日本の平和的発展の道を敷いたと、私たちが主張するゆえんである。」(p.181)

正直言うと、勉強不足のために、戦時下の社会経済的変容と、「戦後改革」を、高度経済成長を考える上で、どのように位置づけるのかについて、答えることができません。

まぁ、その大きな理由は、戦時下の社会経済的変容を論じる主要な本さえ読んでいないからです。主要な本としては、
岡崎哲二、奥野正寛編『現代日本経済システムの源流』日本経済新聞社、1993年。
山之内靖、ヴィクター・コシュマン、成田龍一『総力戦と現代化』柏書房、1995年。
などが挙げられるでしょう。

後者の本については、最初のさわりを読んだだけで、挫折するような段階です。はっきり言って、分析の方法が違いすぎて、読みにくいですね。

『敗戦の逆説』では、戦時下の社会経済的変容を論じるに当たって、野口『1940年体制論』(これは、昔読みました)を用いて、その議論を批判しています。ところが、『1940年体制論』は、歴史の研究書ではないという批判があります。

「野口の1940年体制論は、ジャーナリズムの世界では、現代を戦時経済の延長として批判するためのひとつのイデオロギーとして機能したと言えよう。すなわち、現在も続く官主導の『戦時経済』批判であり、まさに現代を戦時経済の連続として捉えるもので、『さらば戦時経済』が主題であった。これは現在のグローバリゼーションと新自由主義の政策提言のために戦時・戦後連続論が言説として利用されたもので、岡崎らの研究書とは一線を画した方がよいものと思われる。」(森武麿「総力戦・ファシズム・戦後改革」吉田裕他編『アジア・太平洋戦争第1巻』岩波書店、2005年、p.140-141。この論文は、総力戦と戦後改革について、丁寧に、まとめられている。)同様な批判は、一橋学閥系の先生が、様々な場所でされている。

よって、戦時下の社会経済的変容についても、注目していく必要性はあるでしょう。例えば、吉田裕先生は「総力戦の遂行が、経済だけでなく、旧来の社会秩序や社会関係を大きく変化させたという歴史的現実」があったと述べている(吉田『アジア・太平洋戦争』岩波書店、2007年、p.160)。

だから、僕が今言えるのは、次のようなことだけである。「現代化を歴史的にみるならば、①第1次大戦後、②昭和恐慌期、③戦時統制、④戦後改革、⑤1950年代初頭、⑥高度成長期をそれぞれ時期区分として、経済構造の変化、階級・階層構造の変化、社会運動の変化、政治支配の変化を統一的にとらえ、それぞれの段階と移行を社会的所要層の連続面と断続面の両面から統一的に捉える必要」があるということである(森「総力戦・ファシズム・戦後改革」p.149)。

『敗戦の逆説』のように、アメリカ・ニューディーラーの再評価を求めて、「戦後改革」を「戦後変革」と、より、戦時と戦後の断絶を大きく解釈しようとするのに対しても、理解することができる。不勉強なので言いにくいが、勿論、その断絶を強調しすぎるのには、違和感を、僕は感じる。ただ、この本で、重要だと思うのは、「その意味で戦時期はけっして戦後に連続するものではない」という形で、断絶に関して、限定的に範囲を定めて、論じているのである。よって、この本を読んで、「そうだよね」と思いながら読んでいました。

例えば、戦後のアメリカニズムの受容を、戦前の頃からの連続として捉えようとした、ゴードンの研究(岩波講座『アジア・太平洋戦争』所収のゴードンの論文に、そのようなことを書いていたと記憶している)とかを読んでいると、戦時と戦後の連続を見ることの重要性を考えさせられた。

そういうわけで、「戦後変革」が高度経済成長の大きな要因であったことは、感覚的に理解できる。しかし、1950年代の変化、そして、高度経済成長と、段階的に「連続」と「断絶」を踏まえていくことが必要だと思うので、まぁ、歴史研究の蓄積を待ってくださいと言っておきましょう。

僕なんかも、卒論で、高度経済成長を研究しようと考えているのだが、「戦後変革」「戦後改革」とかは、所与のものとして考えるので、どうも、「戦前」「戦時」「戦後変革」との繋がりへの意識は希薄である。だから、逆に1950年代の変化とのつながりは重視しようとしている。

そういうわけで、『敗戦の逆説』はニューディーラーとかの評価については面白い本であった。

そうそう、少し前に、高度経済成長と「デタント」との関係はあるのかどうか、とランチの席で聞かれて、困ったことがあるんですか、あれは、ホント、困りましたね。そもそも、「デタント」の時期が不明確だし、いくつも「デタント」はあったからね。僕は、その質問を受けて、全ての「デタント」を思い出して、それと日本経済と関連付けて考えて、表面的にはフリーズしていましたが、頭の中では、高速回転するようなことがありました。

今度、そんなバカなことを聞かれたら、「知るか、タコ」と答えることにしましょう。

ただ、その時、一つ考えたのは、池田内閣の時に、当時、国交の無かった中国に倉敷レイヨン(現在はクラレ)がプラントの輸出をしたということでした。これは、確か、大原総一郎さん(彼のおじいさんについては、城山三郎『わしの目は十年先が見える』)の「私の履歴書」に書いていたと思います。

これを、デタントの結果だと見ることができるかもしれません。ただ、高度経済成長には、あまり大きな影響を与えたと見ることができないと思いました。

まぁ、いろいろ考えることはありますが、僕も、それなりには勉強しているので、自信を持っていきたいと思います。「知るか、タコ」と言います。そろそろ、根拠なき自信を持つ時期に来ているのかもしれませんね。ただ、少なくとも、不合理な質問については、「知るか、タコ」で撃退します!!!

2007/11/07

勉強進まず、ただ、眠い・・・。

今日は、昼間に、ある授業の課題に取り組んでいた。課題の内容は、新聞から事例を探し、ゲーム化するというものであった。複雑な事象を、簡単化して、ゲーム化するのは、なかなか骨が折れる作業であった。

ゲーム理論は、今学期、もっとも、力を入れて、勉強したい。ゲームさえ、できれば、比較制度分析など、もっと、高度な経済理論を使って社会現象を分析できるようになるのではないかと、大いに期待している。

今日は、歩いていても、眠りそうになるくらい、眠たかった。

2007/11/04

11月3日の日記

槙原「GREEN DAYS」を聞いているのですが、良い曲ですね。

さてさて、今先ほど、NHK教育「トップランナー」を見ていました。今日のゲストは、土屋アンナさん。彼女は、モデル・女優・歌手・結婚・出産と、スゴイ経験を、23歳の若さで、既に、経験している。

率直に、スゴイと思った。僕も22歳。何かしら、置いてけぼりにされているようなことを考えた。

さてさて、『敗北の逆説』の感想は延期。

WATERの感想も延期。

『欧州統合』は、気合を入れて、読みます!!!

映画「虫師」「EUREKA」を見る。原因は、『欧州連合』を読むのが辛すぎて、現実から逃避するために、一気に見る。

「虫師」は、明治の初期頃の時代を描いていると思うのだが、近代化や現代化の波の中で、それまであった文化や風習というのが断絶してしまうということを何となく考えた。

「EUREKA」は難しいですね。いい映画を観たいという方にはお勧めかな???

『欧州連合』にリベンジ!!!

2007/11/02

休み満喫!!!

11月1日の午前中は、大学が休みだということもあり、映画を見に行きました。映画「クワイエットルームにようこそ」を見ました。蒼井優さんが出ています(^^♪。。。

この映画は、見る当初は、コメディー映画だと思っていたのですが、なかなか、深い映画だと思いました。というのは、監督・原作で松尾スズキさんという、僕のイメージではコメディー系の方が作ったからです。

少し感想を書きたいのですが、少し難しい映画で、「理解」するためには、もう一度見る必要があるでしょう。

簡単化して、この映画を説明すると、何かしらの精神的なダメージを受けて、「普通」には生きられない人たちが集められた病院の内部での話です。その病院は外部から完全に隔離されていました。

そして、主人公も、そこに閉じ込められるのですが、彼女がどうして、そこに入るに至ったのか、そして、その後のその内部での様々な出来事について書かれています。そして、最後は、彼女が、そこに入るに至った原因を相対化することができるに至り、退院して、話は終わります。

「普通」に生活できなくなるような精神状態になってしまうような原因というのは、相対化することしかできない。つまり、「解決」するようなことはないということです。一生それと付き合っていかなければいけないのです。

人によっては、その相対化が上手くでき、「普通」に生活することができるのでしょう。たぶん、おそらく、僕も、その相対化をそれなりには上手くできているのでしょうね。

でも、人によっては、その相対化が上手くできずに、精神状態を壊してしまうんでしょう。この映画でも、最後に、主人公よりも先に退院していた人が再び戻ってくるという場面があり、このことは、精神的な問題を「解決」することができないということを象徴しているのでしょう。だから、逆に、相対化するしかないということも示しているのでしょうね。

ちなみに、蒼井優さんは拒食症の役を演じていました。彼女、もともち痩せているけど、さらに痩せていたのが印象的でした。やつれていた、という感じでしょうか。どこかで書いていましたが、役作りのために、減量したとか。

お体には、十分気を付けていただきたいと思います。

彼女は、どうして拒食症になったのか。それは、世界システムというのが、ゼロサム的状態であることに「気づいた」からだという。つまり、彼女がモノを食べると、誰か世界で別の人は、自分よりももっと、それを必要としている人が、その分を食べられない。だから、彼女は、モノを食べられなくなった。世界の、そのシステムに「気づいて」しまったのだ。

こうして「普通」の生活ができなくなった彼女を、どのように考えますか???

バカでしょうか。アホでしょうか。

僕は、スゴク彼女の気持ちが分かりましたね。「共感」というべきでしょうか。ただ、今なら、彼女を、もっと生産的に考えさせるような言葉を僕は話すことができます。

世界のシステムが悪いから、そして、自分はその中で偽善者になりたくないから、彼女はモノを食べないのでしょう。彼女は、そのシステムを所与として捉えていて、そのシステムは変わらないと考えている。だから、自分の「正義」を守るために、モノを食べないという形で世界から「逃げ」ている。

だから、彼女も、その世界システムから逃れようとして逃れていないのだから、逆に、そのゼロサム的な世界のシステムを支えている存在でしかないのではないか。もしも、その世界のシステムに怒りを覚えるのなら、そのシステムをもっと良いものに変えることができるように努力するべきなのではないか。

もちろん、その努力をすれば問題が世界のシステムが良くなるとは必ずしも言えないが。

ただ、おそらく、そうした方向性に彼女自身が進むほうが、「逃げ」ている状態よりは、彼女自身、そして世界のシステムにとって、良いであろうと、僕は思う。

どうして、僕は彼女に「共感」するのかと言えば、同じような状況に「陥った」ことがあるからだ。

自己分析を兼ねて、書いてみると、高校時代に、そのようなことを考えた。皆さん、ご存知のように僕は、和歌山の南の白浜出身であり、そこで高校卒業まで、育った。小学校、中学校は、地元の学校に通いました。成績優秀(音楽とか美術とか、体育とかダメだったけど・・・)で、また、スポーツは柔道をして、また、中学校の頃は、生徒会長として1年間も君臨した。学級委員とかも、やったりと、なかなか世話役だったのだ。もう少し言うと、当時は、まだ社交的だったのだ。

結果、地元の優秀な生徒が集まる、田辺高校の中でも、優秀な生徒が集まる、自然科学科に入った。僕が、歪んできたのは、その頃から始まるのでしょうね。

その学科は、周りを見ると、中学校の時に通っていた塾の奴らばかりだった。その塾は、地元では優秀な塾で、いろいろな中学校から多くの生徒が通っていた。

僕は、そこで社会の問題に「気づいて」しまったのだ。僕のクラスの親は、大体が、医者か、公務員か、会社の社長だったのだ。僕は、何かしら大きな社会の差別を感じた。「公正」ではないと感じた。そして、どうして周りの人は、その「事実」に気づかないのかと悩んだ。そして、自分は周りから「ヒッキー」になった。

僕自身、比較的に裕福な家庭にいて、そして、その事実をどのように自分の中で理解すればいいのか分からなかった。

僕は、その「特権的」な立場にあるなら、それを有効に使い、いい大学に入り、いい職業につき、そして、「公正」な社会を作らなければいけないと考えた。

だから、僕は、その第一関門である、大学受験に全資源を投入した。が、今から考えると、あまり「効率的」な勉強はできていなかった。もしも、「効率的」であれば、僕はハーバードにでも行っていたであろう。

まぁ、何とか最低の目標は達成したのであるが、失ったものも大きかったことは、大学に入ってから痛感し、そして「今」に至るのである。

社会には、いろんな人間がいて、その中には、社会の問題に、純粋に向き合ってしまって、結果、生産的でなくなってしまう人もいるんじゃないかと思う。僕も、その一人ではないかと思うし、あの彼女も、そうなのではないかと思う。

もし戻ることができれば、地元を飛び出し、いろんなものを見て、いろんな人と、対話し、考えを深めたかった。また、僕の苦しさを、少しでも理解してくれるような人がいて欲しかった。

だから、思うんですけど、自分は、彼らの彼女らを苦しみが分かる人になり、何かしらの形で話を聞いてあげたい。

そんなわけで、僕は、「効率的」で「公正」な社会を作りたいというところに、自分の関心が向かっていくのだろうね。「公正」な社会を作りたい。「効率的」じゃないと、そこの当事者は、スゴク苦しいから、それを解消していきたいとかね。

そして、東京に出てくる、問題なのは、和歌山の白浜だけではなく、日本中なのだということを発見。それなら、日本中を「公正」で「効率的」な社会にしてやろう。社会問題を解決する医者になってやろう。

まぁ、あの映画は、なかなか、自分にとっては苦しかったけどね。最近、自己分析をするように言われているので、それと合わさって、いろいろ考えさせられました!!!


書きすぎました・・・。
A4、4枚です(-_-;)。。。

進藤栄一『敗戦の逆説』の感想も書く予定だったんですが、体力が・・・。

友人に、この本を貸していただきました。感謝。

様々な戦後史像をクリアーに整理されていたので、興味深かった。また、歴史の「神話」を潰そうという試みも興味深いものである。

細かい事象ばかり、歴史を勉強していると溺れてしまっていたなかで、このような本を読んで、目から鱗が、という感じです。

そうそう、昨日、映画を見た後、六本木のミッドタウン東京にも行き、「WATER」も見ました。その感想は・・・。省略。