2007/07/30

What do you think about the voting?

●選挙に思う

選挙速報をテレビで見ていた。なかなか大きな変化があった選挙のようである。

ちなみに、僕は選挙に行かず、今日は学校に涼みに行っていました。というのも、住所を移していないので、東京じゃ選挙できないと認識しているからです。

3万円程度を使って帰るという手段もありましたが・・・。このあたりは、大きく議論が可能な点かもしれませんが・・・。僕は帰りませんでした。



さて、民主党が参議院の第1党になったようだ。これから、日本の政治は、どうなっていくのだろうか。

衆院選挙、そして、政権交代が起きるのだろうか?
民主党は、参議院の第1党の地位をどのように使うのだろうか?
それとも、もしかしたら、一本釣りで、民主党議員が自民党に移るかも?

とかとか、国政における、大きな変化が予感される。


一方では、何かしら政治に新しい変化が起きるということで、好ましい感がする。


しかし、僕は何か不安な感じがしますね。というのは、衆院が自民で、参院が民主だと、国政において、「不安」が生まれるような感じがするからです。ただ、その「不安」が何かということは、少し眠いので、あまりクリアーではない。

特に、対外関係を考えると、その「不安」が高まる。日本国内における不安定さを、海外から利用されるという「危険性」があるのではないか。その「危険性」というのは、大から小まで、あると思うけどね。


あと、一つ思ったのは、政治の方向性が、変わったのかということです。つまり、ここ20年間ほど、つまり、中曽根改革・橋本改革・小泉改革と、いわば「構造改革」が日本の中において、一貫して成されてきた。これは、つまり、これまでの既得権を、それまで排除されてきた人々にも解放する規制緩和とかのことであり、この「構造改革」によって、これまでの既得権益者たちは大きな打撃を受けてきたと考えられる。

今回の選挙は、そのような「構造改革」路線に対して、国民が「NO」と言ったと、見ることができるのだろうか。

というのも、選挙の要因とかを聞いていると、「格差」「格差」「格差」というのが多かった。この「格差」は、つまり、規制緩和によって、これまでの既得権益を失ったことによる現象だと見ることもできますよね。よって、これからの政治の流れは、「格差」是正、これまでの既得権益の復活・強化と見ることができるのかもしれないよね。


僕は「格差」議論については、イマイチ分からないんですよね。というのは、「格差」があるというのは、感覚では分かるのですが、それって、実際はどうなのかというところが、見えてこない。

すぐに、いろんな個別具体的な話ができてきて、全体のマクロ的なところが分からない。橘木『格差社会』というメジャーな経済学者が書いた本がありましたけどね。冷静な頭脳を持って、格差社会を分析・治療していくことが求められているのだろう。

しかし、これは政治家にはできない。というのは、政治家は、パフォーマンスとして、世間に示す必要があるので、「冷静」な頭脳を持ち合わせる必要もない。必要がない(?)。

そこで出てくるのが、かつて、イギリスの著名な経済学者マーシャルのように、「冷静」な頭脳と「暖かい」ハートを持った経済学者なのだろうか(僕は「経済学史=経済学の学説史」が得意なのだ!)。


「暖かい」ハートを持つ訓練は、おそらく、学生の時にしかできないので、その部分の訓練は、しっかりと行いたいと、最近痛切に思う。というのは、その部分がない経済学なんか、ゴミだよね。というよりも、危険だよね。

そんなわけで、「格差」について、勉強しようと思います。



以上。
眠くて、頭がクリアーではないけど、今日は選挙があって、そして、大きな変化があって、それに対して、何も発言しないのは、知的怠慢だと思ったので、書きました。

「冷静」にツンとして、自分は賢いんだという態度ではなくて、現実のめちゃくちゃな世界と、「冷静」な学問の世界を行き来しながら、すべての「世界」を良くしていくのが、僕の道なのではないかと、最近、思うようにもなりました。

2007/07/28

Vulnerable

「自己分析が甘い」

甘い、甘い、甘い。

Declare war on all the people who are more powerful than I.

「夢に向かって現実と闘っていますか?」

火曜日・木曜日のテスト(計5つ)。全部A目指す。

2007/07/26

Soul-Searching

火曜日、飲み会があった。

途中のカラオケで、意識が飛び、気づくと、水曜日の昼12時に、自分の部屋で、寝ていた。

水曜日は、気持ちチョー悪くて、何回も吐く・・・。

夜8時になっても、吐き続け、絶望的な気分に陥る。テスト前にも関わらず・・・。

今日も、その延長で、気分が悪かった。精神的に自己嫌悪に陥っている可能性が大。集中力が低くて、また、自己嫌悪・・・。

その上に、雑務も多くて、精神的体力的にノック・ダウンされたような感じ。

ヤバイ、ヤバイ。

飲み会で、頭が朦朧としている中で言われた言葉が、なぜか気になっている。このやろーーーーーーーーろ。無事、運んでくれた方に、感謝、感謝。

2007/07/16

LOVE、「のだめ」

●懸賞論文の情報

「日本貿易会賞」懸賞論文
http://www.jftc.or.jp/discourse/index.html
テーマは「グローバル資本主義と日本企業」
字数は日本語なら一万字以内。
締め切りは2007年9月30日。
賞金は100万。ウヒョーーー(●^o^●)。

「NRI学生小論文コンテスト2007」
http://www.nri.co.jp/publicity/2010/contest.html
テーマは「日本が世界と共生するには」
字数は5000字以内。
締め切りは、2007年8月17日。
賞金は、50万円。ウヒョ、ウヒョ、ヒョー(●^o^●)。

「社会の安全とそれぞれの役割」論文
テーマは「社会の安全は警察だけで守っているわけではありません。『安全』の実現のために、国、自治体、学校、企業、地域社会、家庭、個人などが担う『役割』について、提言を求めます」とのこと。
字数は、400字の原稿用紙が20-30枚。
締め切りは、2007年9月14日。
賞金、20万円。


上の2つは、書き易そうなので、書いてみようかなぁ、って感じですね。夏休みの自分の研究を兼ねて、懸賞論文を作成できたら一番良い感じですね。


●講演会に行く

今日は大学で行われていた、公開講演会に行きました。著名な先生がお話くださるということで、多少楽しみにしていました。

先生は、浜林正夫先生と、中村政則先生でした。お二人とも、一橋大学の名誉教授です、

最初に、浜林先生の講演がありました。テーマは、ラダイト運動再考です。こちらは、門外漢だったので、あまり良く分かりませんでしたが、ラダイト運動から労働運動へのつながりについて、問題関心をお持ちのようです。

産業革命によって、職を失うことになる労働者たちの機械打ちこわしがラダイト運動ですよね。それが、徐々に、その運動自体に行き詰ったり、また、機械の効用を発見したりする中で、変化していくことになる。

というのは、その打ちこわし運動の中で、国家が軍隊を出動させてまで、その運動を潰しに掛かることから、市民たちは、逆に、家父長的な国家からの脱却を求めていくことになっていったのではないか。

歴史のつながりという点で、面白かった。

以上、土曜日に書く。
以下、月曜日に書くことに・・・

中村先生の講演は、僕にとって、大変に刺激的であった。

話の内容としては、中村先生の直近の論文と、最近の前防衛大臣の発言についてであった。

今の歴史学会の現状を、ポストモダニズムと、ネオ戦後歴史学、日本版歴史修正主義の鼎立状態にあるという。ここで言う、修正主義は、右翼的な修正主義と「リベラルな」修正主義のことをさしている。

ただ、まだ先生自身も、ネオ戦後歴史学がどのようなモノかについては、考えあぐねているようで、明らかになるだろう5年後くらいに、40代50代の研究者に、ネオ戦後歴史学とは?については、任せたいと述べていた。

そして、そのネオ戦後歴史学の萌芽として、挙げていたのは、井上『幕末・維新』であった。

先生が、これからの歴史の方向性として、「実証への回帰と中間理論の構築」「個別と全体、理論と実証」があると述べていたことも印象的であった。

というのは、僕は、最近、資料を読め読め、と無茶な指導を受けているのだが、これは明らかに間違いであるというのは、分かっている。でも、それじゃ、どうやって、理論と実証を組み合わせていくのかという点は、大いなる悩みどころである。ただ、中村先生の理論と実証を組み合わせなさいという言葉は、何かしら、苦しい僕を大いに勇気付けてくれるものであった。

最後に、最近の若者は(会場の平均年齢は50以上であったが・・・)、社会科学離れが進んでいると述べていた。マックス・ウェーバーとかを読めということでした。(読んでいない・・・)

古典を読まないといけないのは、分かっているのだけども、自分の中で、どうして読むのかというのがないので、なかなか手が出ない。誰か一緒に読んでくれる人は居ませんか???(フーコーとか、ウェーバーとか代表的なのは、研究者を少しでも考えているのなら、読まないといけないと思ったりしています。)

できたら、古典を古い宝ものとして読むのではなくて、何か生き生きとした感じで読むことができたらと考えていたりしています。というのは、その古典の著者たちも、その時代、その時代の悩む中で、文章化したのが、その古典だから、何かしら動いているものとして、読めたらいいなぁ、って感じですね。


●水口『社会を変える会計と投資』

会計制度とかを変えることによって、社会にとって良い形で、投資を行うことができるという可能性について述べられていた。

制度の重要性を学んだ。(青木『比較制度分析に向けて』を早く読まなくちゃ・・・)


●半端は許しません・・・
オリャーーーーーーーーーーーーーーー。

2007/07/13

All work and no play makes Jack a dull boy.

●感謝 (^^♪

今日は、久しぶりに、尊敬している先生と、多くの優秀な友達と、時間を過ごしました。先生の顔を見ていると、自分の不甲斐なさが、辛くなってきました。

また、友達たちの様子を見ていると、皆、それぞれの道に全力で走っていることを、感じました。何か、彼ら・彼女たちから、自信に溢れているような感じがしたことが、特に印象的でした。

僕は、最近、自分がバカになっていることを強く感じます。自分が成長しているという実感が全くないですね。そして、それだけの努力をしているという自信もありません。

先生、そして、畏友たちによって、全力で取り組むということを、再確認させていただきました。感謝。


●『日経ビジネス』2007年7月16日を読む

p.38-39に、「プロジェクトK」に関する記事が載っていた。省庁横断型のつながりを持つということに関して、その必要性などについては、学ぶべきことが多い取り組みなのではないかと思う。

「つながり」を作るということは、これからの僕の人生にとっても、非常に重要なことだと、認識している。ただ、いろんな人と、知り合うということは、それだけ、自分の人生を楽しく、豊かにしてくれますよね。

重たく考えすぎずに、楽しく、取り組んでいきたいと思う。


p.102-104には、ファンドの重役のインタビューが載っている。カーライル・グループと言うファンドだそうで、ウィルコムとかの筆頭株主とかをしているそうだ。

ここで、特に、強調されているのは、いわゆる、「ハゲタカファンド」と同じにしてくれるな、ということだと思います。

ファンドの必要性は、僕も認めるところであるが、その在り方には、多くの議論が必要である。難しいですけどね。というのは、やっぱり、ファンドは、儲けなければいけないので、どうしても、利益重視にならざるを得ない。自己利益と集団利益を如何にして、最大化していくのか。

これについては、各ファンド責任者の人生観や世界観、歴史観によって、違うのでしょうね。僕は、できたら、自分のお金は、集団利益を追求するところに、流れて欲しいと思うのですけどね。


p.106-108には、ひと劇場、ということで、今、良い活躍をしている人が取り上げられている。今回は、くつろぎ宿社長の深田さんについて、書かれている。

紹介として書かれているのは「高知で公的リゾート施設再生に挑んだシンクタンク出身の異色経営者。志半ばで無念の降板をしたが、今度は会津の温泉旅館の再建へ。温泉観光協会の会長として温泉街全体の活性化にも挑む」とのことです。

コンサルとして、地方の地域振興とかに従事していたそうですが、やはり、現場に行かなければいけないということを感じたそうで、そして、経営者になったそうです。経営者というよりも、再生請負人というべきでしょうか。

僕の地元にも、いつか来るかもしれないと、思いながら、読みました。

一人の存在が全体を少し変え、そして全体として大きな変化を遂げていくという可能性について考えさせられた。だから、現実の壁に絶望するのではなくて、それに対して、取り組むことによって、変えられるということを、このことは示しているのではないかと、僕は思う。

ドラマとかを見ていると、そんなストーリーが多いように僕は思いますね。例えば、「のだめカンタービレ」とかも、そうでしょうね。

僕も、自分が周りに、良い循環をもたらすことができるような人間に成りたいと、強く感じます。

A penny saved is a penny earned.

●授業1部終了

今日のテストで、幾何学が終わりました。週2なので、これが終わると、スゴク気分が楽になります。その分、他の科目に時間を注ぐことができます。

この授業では、まずは幾何の基礎を学び、そして、次に、位相空間の基礎を学んだ。特に、後半は、経済学への応用が多くされている分野なので、その基礎を生かして、これからも自学自習を深めたいと思う。

この授業での経験が一つの大きな起点となって、数学の学習が大きく進んだら、と考えている。たぶん、Aなのではないかと、大いに期待しているのだが・・・(●^o^●)


●橋本他『現代日本経済』を読む

頭の整理のために、目次を打ち込む。本を読んでいて、トピックスが多いので、頭が混乱してくるので、そんなときは、全体を打ち込むのが一番いいというのが、僕の経験則であります。

序章。「現代日本経済を見る眼」
1.日本経済が直面する課題
 ・20世紀システムの大転換と国際交通システムの激変
 ・規制撤廃の進展
 ・デジタル革命の展開
 ・フロント・ランナーとしての日本企業
 ・重要なサブシステムの崩壊をめぐる歴史的視点

2.本書の基本的視点と叙述方法

第1部 戦後改革と復興
第1章
 1.戦時の変化と戦後改革のインパクト
 2.経済改革
 3.労働改革

第2章
 1.生産回復の遅れとインフレーション
 2.ドッジ・ラインと朝鮮戦争の影響

第2部
第3章
 1.輸出の成長と国際収支
 2.小さい政府
 3.産業構造の重化学工業化
 4.労使関係の安定化

第4章 産業政策の効果
 1.産業政策の手段
 2.コンピューター企業と産業政策
 3.産業政策の変化

第5章 メインバング・システム
 1.メインバング・システムの特徴
 2.戦時・戦後改革期
 3.高度成長期
 4.メインバングの役割

第6章 安定株主化
 1.1955年の経営者と株主
 2.高度成長前半
 3.高度成長期後半
 4.安定株主の役割

第7章 建造高世界一の造船業

第8章 輸出世界一の鉄鋼業

第9章 「民族大移動」と大量消費社会の出現
 1.貧しさからの出発と「民族大移動」
 2.都市化と核家族化
 3.大量消費時代の幕開け
 4.労働力不足への転換
 5.高度成長の到達点

第10章 エネルギー革命

第3部 石油危機と経済構造の転換
第11章 概説
 1.2つの大ショック
 2.スタグフレーションからの早期脱却
 3.安定成長の定着
 4.減量経営
 5.構造不況業種の発生
 6.輸出拡大と円高の進展

第12章 赤字国債
 1.不況と税収
 2.サミットと積極財政
 3.増税論と行政改革

第13章 下請制
 1.下請の定義
 2.下請のミゼラブルか
 3.受注先の多様化
 4.長期相対関係化の組み立て企業と部品企業

第14章 生産台数世界1の自動車産業
 1.国内市場の制約と製品開発
 2.世界的な需要構造の変化と競争優位

第4部 債権化・経済大国への道
第15章 概説
 1.安定成長化のマクロ経済
 2.急速な円高から「平成景気」へ
 3.民営化と規制緩和

第16章 債権大国日本
 1.債権大国への道
 2.プラザ合意と直接投資の第3の波
 3.証券投資の急拡大
 4.債権国の含意

第17章 日本企業の国際競争力
 1.強まった加工組み立て産業の比較優位
 2.ハイテク・ハードウェアの競争優位
 3.半導体メモリーへの集中
 4.日本経済のサービス化

第18章 トヨタ生産システム
 1.トヨタ生産システムの基本
 2.新生産システムの発生と洗練
 3.トヨタ生産システムの普及

第19章 流通革命
 1.流通産業の構造
 2.「流通革命」と日本型流通システム

第5部 バブル崩壊と日本型企業システムの転換
第20章 概説
 1.経済環境の変化
 2.「失われた10年」
 3.バブルの崩壊と不況の長期化
 4.銀行危機とデフレの進行
 5.構造改革路線の定着
 6.IT革新下の生産性
 7.山積みする改革課題

第21章 東アジアの台頭
 1.成長する東アジア経済圏
 2.対アジアとの関係強化
 3.貿易構造の変容
 4.対外開放の進展

第22章 新たなビジネスモデルを模索する企業経営
 1.産業構造変化の方向
 2.貿易財産業の明暗

第23章 情報化のインパクトと組織革新
 1.流通業の変化と通信インターネット事業の成長
 2.企業組織の改革

第24章 不良債権問題
 1.不良債権問題のクロノロジー
 2.実体経済へのインパクト
 3.不良債権処理の進展

第25章 規制緩和の進展と企業制度改革
 1.規制緩和と行政改革
 2.金融システムの再編成
 3.企業制度改革
4.企業制度改革2

終章 日本型企業システムの転換点
 1.変容する日本型企業システム
 2.メインバンク関係の後退
 3.株式相互持合いの解体
 4.雇用システムの修正
 5.多様な統治構造改革
 6.収斂か、ハイブリッドか



この本は、『現代日本経済』という名前からそのまま、産業及び金融的側面に的を絞って、戦後を描いている。だから、やはり、最初のp.200くらいまで読んでいると、何か、その時代時代の描いている世界が、僕の認識と、ずれて入るので、面白い。

というのは、僕の場合は、社会とか政治とか、国際政治とかを含めた形で、戦後史を勉強しているので、日本経済の競争性を持っている部分を中心とした描き方をしているのを読むと、多少、途惑ってしまう。

視点の置き方の問題だとは思いますけどね。

このような戸惑いを感じながら、僕は、何を見るのだろうかと、悩みだす・・・((+_+))

この本を読んでいて、重要だと思ったのは、20世紀システムなどの高次の概念を入れて考えるという方向性示した点だと思う。実証に陥るのではなくて、全体を見た中で、歴史を見ていくことの必要性を教えられた。

この本の著者たちは、僕の卒論の必読書の著者たちである。彼らの見方に、どの程度、修正を加えることができるだろうか。

僕にできることは、これまでの分析の枠組みを、もっと広げた形にすることなのではないかと思う。というのは、細かい研究は既にされているので、それをいかにして、融合させ、そこで、自分のオリジナル性をどのようにして出していくのか?

ウゥーーー、((+_+))((+_+))((+_+))((+_+))((+_+))

今日も、不必要に疲れた・・・。


●「山おんな壁おんな」を見る

伊東美咲さん、チョー、キレイ(●^o^●)(*^_^*)(^^♪

2007/07/12

Experience is the one thing you can't get for nothing

●重要なのだ(●^o^●)

「のだめカンタービレ」の続編情報(*^_^*)
http://headlines.yahoo.co.jp/hl?a=20070711-00000003-sanspo-ent

楽しみです。楽しみです。(^^♪


●数学のテスト

明日、最後の、「幾何学」のテストがあります。

先ほど、一通りの内容については、理解したので、まぁ、何とかなりそうです。このテストは、どちらか言うと、幾何ではなくて、位相とかの内容がメインです。

出題のポイントは、「連続」と「位相」の概念を理解するというのだけなので、まぁ、楽と言えば、楽ですね。でも、難しいですよ。その応用とかは。あと、幾何の曲率を求めるという感じですね。

計算できればいいという世界ではなくて、もっと、抽象度の高い世界だから、うぅー、って感じですね。

最近は、暗記することを重視しています。やはり、基本的なとこは、きちんと頭に叩き込んでいないと苦しいです。苦しい。


●面白い論

就職について、昔、悩んでいたことに対して、的確なる指摘がこの論考ではなされている。
http://booklog.kinokuniya.co.jp/okajima/


●「優秀な人ほど、あらゆる偏見から自由である」

という言葉を、『数学セミナー』2007年8月号のp.10に見つけた。フゥーンーーー、って感じですね。
ただ、勉強をすることによって、様々な偏見を発見、自覚し、それから解放しようという方向性は生まれる。逆に、明らかではあるが、勉強しないものには、その自覚さえない。

しかし、勉強しても偏見から自由にならないこともある。それは、自己の考えに固執する時とかであろう。

それに陥らないためにも、他者との対話などを意識的に取り入れることが必要であろう。そしたら、「優秀な人ほど、あらゆる偏見から自由である」という仮定は、相当の説得力を持っているような感じがする。


●酒井哲哉『近代日本の国際秩序』岩波書店、2007年。
http://www.iwanami.co.jp/.BOOKS/02/X/0225600.html

 難しそう・・・(^_^;)。。。


●少し調べた・・・

課題:1970年代以降の金融市場の変化は、1980年代の日本に、どのような影響を与えることになったのか。ここでは、その1970年代の金融市場の変化を簡単化しながら、記述していきたい。


石油危機


ロンドンを中心に巨大なオイル・ダラー市場が発達
(つまり、オイル・マネーが金融市場に流入してきて、市場規模を巨大化したということか?)


ユーロ市場が発達
※発行国であるアメリカ以外の地域に預けられた米ドル建ての定期預金が狭義のユーロ・ダラーであり、それを取引する市場がユーロ・ダラー市場である。ユーロ円などドル建て以外の取引市場も含めてユーロ・カレンシー市場と総称される。同様の債権取引市場がユーロ・ボンド市場であり、発行国以外の地域で行われる発行国の通貨建てによる金融・証券市場の総称がユーロ市場である。国内とのつながりを絶って外国からの資金を外国に貸し出す(いわゆる外取引の)場合にはオフショア市場と呼ばわれる。(伊東編『現代経済学事典』「ユーロ・ダラー」の説明より)


アメリカ国内における、金融の流れが変化
 ・預金金利は、アメリカ国内では規制されていたために、5%だが、自由金利のユーロ市場では15%
 ・資金が金利の低いところから高いところに流れた


金融商品の開発、金融技術革命
 ・メリル・リンチなどの証券会社は、預金金利規制を受けなかったために、高金利のマネー・マーケット・ファンドなどの金融商品を開発
 ・コンピューターなどの技術革命が金融技術革命を後押し


規制によって、低金利に抑えられていた銀行は窮地に陥る


アメリカの銀行は、金利規制撤廃を要請(金融自由化の発端?)


↓この間の変化については、まだ調べていない


アメリカ側から日本へ全面的な金融自由化の要求(84年の日米円・ドル委員会)
(どうして、アメリカが日本に対して、自由化を要求するのかについては、不明?)


これも一つの契機となって、日本の金利の自由化を加速させ、業務規制の緩和、国際資本
移動規制の緩和などの金融自由化が進んでいった。
(日本においては、どのような形で金融の変化に対応しようとしていたのか?また、国債の
発行が増加していたことなどもあったと思うが、それらは、どのような形で関連している
のだろうか?)

↓日本において、バブルがどのようにして発生したのかについても調べる必要がある。
↓・プラザ合意
↓・「前川レポート」
↓・世界の金融の変化に伴う、日本の金融マンの認識の変化
↓3つとも、具体的に、どのような形でバブルの要因になったかについては不明。

バブル経済→崩壊


96年の橋本6大改革

参考文献:
中村政則『戦後史』岩波書店、2005年、p.169-177。
伊東光晴編『現代経済学事典』岩波書店、2004年。



何かパラパラ本を読んでいると、感覚的な認識と、事実は違うかも、っていう感じがしました。というのは、日本の金融というのは、あまり競争力を持っていないという感覚を多くの日本人は有しているのではないかと思います。

しかし、それは、バブル前後期においても、当てはまるのかという疑問が、今、ふっと思いつきました。相当、時代の潮流に即して、行動していたのではないか。

そしたら、どうして、バブルの崩壊という、日本をめちゃくちゃにするような危機を招くようになったのか?(映画「学校Ⅲ」を見ていると、バブル期の暗い感じが伝わってくる。暗い時代だからと言って、やはりそこにも、希望があるのだという感じの映画だったような・・・。)

まず、当時の金融マンの認識について、調べてみたい。世界最大の経済大国になったという幻想を有していた国の金融マンは、どのように国際市場を見ていたのか?

飛躍して言うと、だからこそ、BIS規制の話が出てきて、いわゆる「陰謀論」ができてくるのかも知れない。もちろん、BIS規制は陰謀論だけの議論ではないけどね。

この時代を論じた本で、有名な経済学者が書いた本としては、宮崎義一『複合不況』。一橋出身で、京大の経済研究所の所長までされた有名な先生である。この本も、図があって分かりやすかった。

『平成バブルの研究』という本を、近日中に全三巻を読む予定です。


●『インドのソフトウェア産業』をパラパラと読む

近年、インドはソフトフェア分野において、強い競争力を持っているそうです。

・多くの優秀な人材
・英語が話せる
・労働賃金が安い
・・・・とかですか。

あんまり、読んでいて、面白いと感じませんでした。というのは、何か事実を羅列したと
いう感じで、読んでいて苦しくなってくる本です。

インド系の本だと、
長崎『国境を越えるナショナリズム』
中島『インドの時代』
の方が、面白い感じがしました。

最近、インド経済についての授業を聞いているのですが、どうも事実の羅列ばかりで、もう少し抽象度を上げた形での説明の方がいいのではないかと思います。そうしないと、学 ぶことに汎用性がなくて、意味がないと思います。

まぁ、どうすればいいのかについては、不明ですけど・・・。

2007/07/11

The early bird catches the worm.

●上野樹里さん、出演情報(●^o^●)
http://www.fujitv.co.jp/marumaruko/story.html

7月12日19時から、フジテレビにて「まるまる ちびまる子ちゃん」
 
必見でしょうね(^^♪
 


●『EUの知識』の読書失敗
 
ヨーロッパについて、無知で、一読で、理解するのは困難であることを、読みながら、感じた。気長に、理解していきたいと思う。

僕の中では、ヨーロッパは地理的にも、何か精神的にも遠い感じがする。普段接している、外来のモノは、多くが、僕の場合は、アメリカだったりするからだろう。すくなくとも、それがヨーロッパだと強く意識することはないような気がする。

アメリカも遠いけど、やたら、ヨーロッパは遠い感じがする。何か敷居が高いような感じですね(゜o゜)



●「ブルドック防衛策」適法と高裁が決定

この出来事に関して、識者の見方が、『読売新聞』2007年7月10日朝刊に載っていたので、頭の整理のために、それらを以下に写してみたい。

「大株主としての責任指摘」上村早稲田教授

「東京高裁の決定は、スティールが大株主としての責任を果たしていないと、厳しく指摘したものと言える。スティールは株式保有と実際の経営は別だと主張してきたが、全株取得のように大株主を目指す場合は通用しない。相手企業を分析して企業価値を高める提案を行い、それを実現して利益を得るのが、株主の本来あるべき姿だろう」


「論理の立て方自体は評価」野村中央大学教授

「防衛策の発動を認める理由として、『スティールは乱用的買収者だから』とした高裁決定は、地裁決定に比べ、論理の立て方自体は評価できる。ただ、スティールを乱用者と認定した根拠については問題も残る。ブルドックの企業価値を損なう事実ではなく、スティールの過去の行動などを例示しており、根拠としては弱い。『経営者は従業員や取引先などとの関係を視野に入れて企業価値を高めるべきだ』とした点も、怠惰な経営者に言い訳の余地を与えることにつながりかねず、規律が弱まる恐れがある」


「乱用者買収者と断定、予想外」藤島大和総研経営戦略研究所主任研究員

「高裁決定がスティールを乱用的買収者と断定することは予想外だった。決定ではあらゆる投資ファンドという組織が乱用的であると読み取れる点で問題である。今回の裁判所の決定を機に、外資ファンドの日本への投資が鈍り、日本の株価が低迷する危険性がある。」


「ファンド=悪玉説、かなり問題」岩田学習院大学教授

「高裁の判断は、投資ファンド=悪玉説に立っており、かなり問題が大きいと言わざるを得ない。株式を100%取得しても経営に関与しないという経営と所有の分離は、法律でも認められている。今回の判断は、株主が経営者を監視し、経営者の規律付けが行われるという株式会社制度を否定するものだ。ファンドは何をするか分からないから危険だという考え方は、時代の流れに逆行している。」


岩田先生の意見では、「合理的なモノは存在し、存在するものは合理的だ」という考えに立っているような感じがして、現状追認的な印象を受ける。野村先生が指摘するように、もしかしたら、高裁のスティールに関する評価は曖昧な論理に立っているものかもしれない。

ただし、やはり、乱用的な買収者は健全な資本主義を維持するためにも、規制する必要があるというのは、僕の感覚からすると当然のような感じがする。そのあたりについて、岩田先生はどのように考えているのだろうか?

もしも、既存の制度の問題があるのなら、その制度を修正するというのが、とても重要なことであり、たとえ、これまでの株式会社制度に対して、大きな変更を加えるものだったとしても、よりよい形に変更できるのなら、それでいいのではないかと思った。

ただ、僕としても、あまり規制というのが好きではないので、そこにいるプレーヤーが健全な競争を自主的に維持するような形であって欲しいと思う。それは、そこにいるプレーヤーが最もよく情報を持っているので、彼らが最も有効な規制をすることができると考えるからだ。もしも、政府とかの十分な情報を持っていない主体が介入すると、そこには、大きな無駄が発生してしまう。

この事件は、6月に改正会社法が施工されて、初期の問題であるから、おそらく、大きな影
響を持つ判例になるであろう。


勉強が進まないので、泣きそうです・・・。。。

2007/07/09

A Baited Cat May Grow as Fierce as a lion,

●ワードで書く

この文章は、まずは、ワードで打ち込んでから、コピーをして、ブログに掲載しています。

真っ白い、ワードの原稿の上を、文字を書いていくのは、最初は途方にも大変そうだが、逆に、また楽しいことでもある。

文章を書くという作業は、自分の考えを、まとめるという苦しい作業である。この作業をするに当って、真っ白のワードの原稿は、さらに、気分を滅入らせる。何かしら一から、自分の頭で考えたことを、書かなければいけないからだ。

しかし、逆に、楽しいことでもある。それは、自分の考えというものをまとめるという作業を通して、曖昧にしか考えていなかったことを、もっと深く考える機会になったり、その考え自体が大きく発展する契機になるかもしれないからだ。あとは、人と話をする時に、きちんとしたことを語ることができる内容というのは、案外に、一度どこかで、文章化したような内容だったりするのではないかと、考えていたりします。

まぁ、「書くことのすすめ」ですね。 (^^♪

どうも、ここで何かしら文章を書くということと、日々の生産性というのは、案外比例しているのではないかと、今日は思いました。というのは、よく物事を考えるときは、文章が多くかけるが、どうも生産性が落ちた時は、進まなくて書けない。

よく物事を考えることができるときというのは、本を読む理解スピードも早くて、また、その本を深く理解できたときでもある。逆に、そうではない時は、本を読むのは、そろばんの上に正座させられたような気分で、本を読んでいるときである。

最近、考えることとして、如何にして、自分で考えることができることになるのかということがあります。というのは、自分の頭できちんと考えることができないと、きちんと理解することもできないし、きちんと読むこともできない。

徐々に、きちんと、考えながら、読むということが、最近、できるようになってきたような気がする。まぁ、これからも、「本を読む」ということに、きちんと取り組んでいきたいと思うのです (*^_^*)


●野村『千年、働いてきました』を読む (#^.^#)

昨日、李さんの話を聞き、面白い本だということなので、昨日から今日にかけて、この本を読みました。日本の老舗製造業の会社について、述べられた日本企業史、日本経営史、比較経営史と、カテゴリーできる本でしょうか。

この著者の野村さんは、著名なノン・フィクションライターのようですね。

人によって、同じ本を読んでも、引っかかりが違うと思うので、眠い頭をフル回転させながら、何点か記憶にあることを述べたいと思います。

1.日本経済が競争力を持っている技術とかは、案外に、この老舗とかの技術とかだったりするということを、読んで知った。例えば、携帯の中の、絶対不可欠な部品が、老舗の中小企業が世界シュアの多くを持っていたりするという事実から、このことが分かる。

2.ミクロの視点を持つことの重要性をこの本を読んで再確認させられた。というのは、経済について考えるに当っても、大企業とかばかり見てしまうが、それじゃ、経済というのを、本当に分かったことにはならないということである。

だから、このようにミクロな視点を入れたときに、例えば、中国脅威論とかは本当に脅威なのかという反論をすることができるし、少なくとも、ミクロの視点を大事にすることで、安易な議論に流されなくなる。

3.埋もれた経営資源を見つけ、それに対して、投資をする必要性を感じた。というのは、明らかに、日本の中には、優秀な技術とかがあるのにも関わらず、それが、埋もれてしまって、衰退しているということが起きていると考えられる。

その埋もれたものを発見し、再評価をするという仕事の重要性について、考えさせられた。また、それをすることによって、大きなパワーを生み出すことができるのではないかということも、想像することができる。そこで重要になってくるのが、金融とかの力でしょうか。


同じような本として、小関『ものづくりに生きる』という本も、ぱらぱらと眺めた。

一橋で、このようなミクロの視点を持っている先生としては、商学部の関先生でしょうね。まぁ、冬にでも、彼の授業を取ろうと思います。


●森武麿『アジア・太平洋戦争』を読む・・・。

この本を読もうと思ったのですが、集中力が続かなかったので、読めませんでした。読む動機も、余りなくて、何となく読むという感じだったので、気合が入らなかったのでしょうね。


●今村昌平監督

先ほど、NHKでやっていた、今村昌平監督についてのドキュメントを見ていました。

この監督の作品で見たのは、「豚と軍艦」「楢山節考」「うなぎ」「カンゾー先生」「赤い橋の下のぬるい水」ですね。

今日、テレビを見ていて思ったのは、人間の姿を、そのまんま撮っていたのだということですね。人間の本性とか、人間社会の本当の姿とか。

人間は、本性に縛られて生きているという考えは、僕は、あんまり好きではないですね。というのは、やはり、人間は、自分の頭で考えて、理想などを追い求めて、理性的にも行動するからです。

理性的にあろうとするが、そうであり続けることはできない人間というのを、描いているのでしょうか。

何かしら、表現をするということの厳しさを、今村監督のドキュメントから再確認させられたような気がします。

僕は、今は、「ゆるーい」学生なので、新しいモノを作り出すということに対して、まだ、その段階にまで、達しているとは言えない段階にいると、考えている。まだまだ、いろんな文章とかを含めて、「レポート」の粋を越えていない。

新しいモノを作り出すという段階にまだ、達していない。しかし、最近は、卒論をどうやって書くかということを考えていると、どのあたりに、少しでも、学術的な貢献ができるだろうかと、悩んだりしている。

「新しいモノ」を創作するということについては、これからも、悩み続けたい。このような視点から、最近は音楽だったり、映画だったり、ドラマだったり、現代美術だったり、写真とかを見てしまうのが、最近の癖ですね。

だから、何となくですが、自分の同世代の、「新しいモノ」を作ろうとしている人たちのことに関しては、気になりますね。分野を越えて、気になります。

彼ら・彼女らは、その「新しいモノ」を作るということについて、どのような悩みを抱えているのだろうか。

少し前に、「新しいモノ」を作ろうとしている人たちと話をしていると、「自分から行動することの重要性」「挑戦することの重要性」とかとかの、大きな刺激を受けました(^・^)


●雑誌

今日は、蒼井優さんが表紙を飾っていた『ダ・ヴィンチ』を読みました。『ダ・ヴィンチ』を読もうと思ったら、たまたま、表紙が蒼井さんだったのであって、表紙が、蒼井さんだから、読もうと考えたのではありません(*^。^*)

そして、蒼井さんのインタビューが載っていたので、読みました(●^o^●)

これから、最も注目したい人の一人ですね。他にも、上野樹里さんとかがいますよね。


●今日の読書
 藤原『国際政治』2章を読むのに、失敗・・・。

眠いーーー。

2007/07/08

A journey of a thousand miles begins with one step.

●四ツ谷そして、新宿に行く

今日は、また、1週間ぶりに、都心の方に行きました。相変わらず、人が多いので、目がクラクラしました。あと、こんなに暑いのにもかかわらず、ジャケットを着ていたので、ハヒュー、って感じでした。

暑いときは薄着が一番です。でも、僕は軟弱で、クーラーが利いているところに行くと、へばるので、たまには、ジャケットも役に立ちます。

僕の理想を言えば、クーラーなんか使わずに、自然の空気をもっと利用すればいいのにと思います。ただ、こういうのは都心では難しいでしょうか。(電車の場合は、窓を開ければいいのにと、思いますけど。)

僕の大学は、国立市で狸も学内で発見されるくらいの場所なので、ここでは、できるだけ、自然の風を使えばいいのにと思います。だから、窓を開けて、授業を受ければいいのではないかと思います。

僕は部屋では、扇風機と窓を開けて、暑いのに耐えています。ただ、この暑さも耐えれば、暑くなくなるので、慣れの問題でしょう。暑いのだから暑いのを我慢し、寒ければ寒いのを我慢すればいいのです。

多少暑いからと、クーラーをつけ、その周辺の人たちが、その機械による温度上昇で、暑く感じるようになり、クーラーをつけるようになる。そして、日本中、皆、クーラーをつけるようになる。そして、全体が暑くなる。ハフゥー、ハフゥー。

資源は限られているのだから、必要な場合は、許されるとして、必要のないときは、無駄なエネルギー消費をしないようにしたいし、社会全体がそのような方向に行かなければいけない。


●映画塾

今日も、映画塾に行きました。来週は、サボりそうです。

(理由:学校で公開講演会があるため。内容は、浜林正夫一橋大学名誉教授が、「ラダイト運動再考」について講演し、中村政則一橋大学名誉教授が「戦後歴史学と現代歴史学 21世紀・歴史学の行方」について、それぞれ講演する。時間は7月14日13時30分から15時30分まで。場所は26番教室。浜林先生は、イギリス経済史の先生で、ホブズボムの本を訳していたりする。また、中村先生は、説明するまでもなく、有名ですよね。正式名称は、日本歴史学協会2007年度総会公開講演会だそうです。著名な先生たちなので、一回は、話を聞いてみたいと考えています。できたら、歴史学についての鋭い質問を、特に最近自分の考えている悩みを入れつつ、できたらいいと考えたりしています。キャロル・グラック『歴史を考える』を読んでから、参加できたらと考えているのですが、図書館に。まだ、この本は返却されていない。<(`^´)>)

今日は、李鳳宇さんが講師として来られる回だったので、スゴク楽しみにしていた。皆さん、李さんについて知っていますよね?

李さんは、映画プロデューサーで、シネカノンという映画会社の社長さんでもあります。彼のプロデュースした作品で、有名なのは、最近の「パッチギ」とか「フラガール」とかがあります。

僕は、何か少し視点が違う映画を作る方だと、何かしら興味を覚えていた。例えば、「パッチギ」では、「在日」の問題を扱っているし、「フラガール」では、炭鉱の問題を扱っている。所謂「周辺」的なトピックスばかりを扱っているように、僕には思えた。

それは、どうしてだろうか?

僕は、それについて聞いてみたいと思ったが、やはり、このような話は、なかなか難しいと思ったので、別の質問をすることにした。

質問「李さんは、プロデューサーの資質として最低限必要な点として、2点挙げられました。1つ目は、集めたお金を返すということ。2つ目は、自分は何を作りたいのかという気持ちの部分を強く持つこと。1つ目のほうは、技術的なことで、僕には分からないので、2点目について質問させてください。李さんは、どのような映画を作りたいと考えているのかについて教えてください。また、メディアの媒体として、映画でしか伝えることができないこととは、どのようなものなのでしょうか。」

答えについては、はっきりとした答えは返ってこなかった。ただ、イメージ的なモノについて語ることで返答という、形が取られた。具体的な話として、最近、路上駐車をしていると、緑の服を着た路上を見張っている人たちに切符を切られるそうです。李さんは、その時に、権力を背負った側の緑の服を着ている人たちは嫌いだそうです。逆に、駐車禁止切符を切られる側の方にこそ、つまり、権力側ではない方に、興味があるとのことでした。

どういう映画を作りたいのかが分かった。

今日の映画塾の2人目の講師は、「さくらん」とかの広報プロデューサーをされている方だった。李さんの次だったから、彼の話は、何かサラリーマン的で、情熱とか夢とかのかけらのない、金銭的で面白くもない話だった。

彼は、広報を重視するプロデューサーだそうで、これは、つまり、客層を意識して、彼ら・彼女らにあわした、映画を作ることを目標にしているそうです。だから、僕的には、このような作品の作り方は、「働かない、学習しない客」を相手にした、低レベルな映画を生み出してしまう危険を抱えているのではないかと思いました。

特に、李さんの話と比較して思うのは、2番目の講師には、自分が何を作りたいのかという部分が全く今日の話からは伝わってこなかった。何か金・金・金。面白くもない映画を、如何に面白そうに見せるかとか、何か、欺瞞的な感じを彼の話から受け取った。サラリーマンと経営者の差というのが、ここでは、大きく出てきたのではないかと思う。

あと、僕は「さくらん」という映画は、あまり面白そうだとは、思いませんでした。

シネカノンのホームページ↓
http://www.cqn.co.jp/

この会社の配給で、面白そうな映画を発見!!!

広告より「1945年春、アメリカ艦隊を攻撃するため片道分の燃料だけを積んで飛び立った特攻隊の兵士たち―。自身の叔父が特攻隊員の生き残りであったことをその死後に知った日系アメリカ人監督リサ・モリモトが、自爆テロを『カミカゼ攻撃』と呼び、狂信的な自殺攻撃を日本の『TOKKO』とイメージを重ねる米国の風潮に違和感を持ち、その生存者たちへの取材を重ねました。そこから引き出されたのは個人に非情な犠牲を強いた当時の状況、そして現在だからこそ聞くことができる彼らの偽らざる心情です。特攻隊による攻撃を受け沈没した米軍艦乗組員の証言や日米双方の貴重な資料映像も交えながら、狂信的でもなければ軍神でもなかった彼らの姿が浮き彫りにされる様には衝撃を受けずにいられません。カナダ・トロントで行われた北米最大のドキュメンタリー映画祭のプレミア上映でも多くの反響と衝撃を呼んだこの作品が、急遽日本公開される運びとなりました」

http://www.cqn.co.jp/tokko/

個人的に面白そうと思った映画
http://www.mylittlepianist.com/

シネカノン系列の映画館では、毎週水曜日、差別なしで、映画料金1000円だそうです。見に行くしかない!!!映画館が渋谷にあるそうなので、水曜日は渋谷をフラフラしているかもしれません。

あと、シネカノンが「歓喜の歌」という映画を作るそうです。
http://meiboku.exblog.jp/5662295


そろそろ、映画の話から離れましょう。

●紀伊国屋書店に行く。もちろん、南だよー。

さてさて、帰りに新宿の南の紀伊国屋書店に行きました。相変わらず、あのドーナツ屋の前には、行列が2時間分程度並んでいて、外国人観光客に写真を取られていました。

彼ら・彼女らは、どのような感想をその行列に持つのだろうか。日本では、今でも、食料配給しているのだと、思うのだろうか?

まぁ、2時間も並んで、食べ物を買うという現象は、不可思議なモノだ。(ただ、心の中には、並んで、そこのドーナツを食べてみたいという気持ちもあるけどね。そういう気持ちを持たせるという戦略を、そのドーナツ屋はしているそうですね。例えば、そのドーナツ店の周辺に、無料でドーナツを配って、顧客の掘り起こしをしたり、意図的に、行列を作り出したり・・・。)

その行列を眺めながら、紀伊国屋書店に、人の波を避けながら、イライラ度100%の状態で、行きました。

一冊、李さんがお勧めしていた本があったので、それを買いに行きました。

野村進『千年、働いてきました』角川書店、2006年。

あと何冊か買い、一番、いい買い物をしたと思うのは、蒼井優さんの限定カバーがついた、漱石の『こころ』ですね。

もちろんですけど、僕は、漱石を読むために、蒼井優さんの限定カバーの『こころ』を買ったのであります。 !(^^)!

「開化」とか、日本の「近代」とかを考えるために、夏休みの間に、漱石の主要著作を読破するつもりです。

話は変わりますが、集英社の担当者の方のセンスはいいですね。蒼井さんをイメージキャラクターに使っているのは、大変良い(●^o^●)。

http://bunko.shueisha.co.jp/natsuichi/movie/index.html

この短い映像もいいですし、ぜひとも、蒼井さんのインタビューも読んでくださいね。

「フラガール」での蓄積でしょうね、蒼井さんの踊りが上手なのは(*^_^*)。。。


●今日の1章(藤原『国際政治』放送大学教育振興会、2007年。)

p.12「国際政治の課題とは、戦争が起こらないように政策の手段としての戦争を制限することであり、戦争を制限するような制度を作り上げることだと、という議論が生まれることになる。」

p.12-13「国際政治の歴史とは戦争の歴史であるとともに、その戦争を規制する試みの歴史でもあるからである。そしてその基礎にある現実の条件は、世界が数多くの『国家』によって構成されており、それぞれの国家よりも上位に立つ機構や権力は存在しない、より正確に言えば、存在したところで各国の行動を拘束するような力を持たない、という現実である。」

p.16「この条約(ウェストファリア条約)の締結によって、ヨーロッパにおいて初めて各国の国家主権が承認され、『国家に分かれた世界』としてのヨーロッパの正当性が与えられたのである。」


眠い・・・

2007/07/04

姜尚中、火曜日夜22時25から NHK総合

●生産効率低下↓

『満州事変から日中戦争へ』を集中して読んでいたのだが、その集中が途切れてから、戻らない。戻れない。この本の中身が、難しくて、ややこしくて、うぅー、って感じです。

●「知るを楽しむ 私のこだわり人物伝」

重松清「開高健」、姜尚中「夏目漱石」の号を、ぱらぱらと読みました。重松さんが書かれたところは、きちんと読んだのですが、姜尚中先生の方は、まずは、テレビを見ようと思いました。

開高さんについて、興味を持つ機会になった。彼は、高度成長期の日本について、多く書き残したそうなので、その時代を追体験するためにも、近いうちに読む計画である。

同時に、彼の芥川賞受賞作の『裸の王様』を読もうと思う。

姜尚中先生の夏目漱石論の方も、漱石を読むという大きなきっかけになりそうである。日本の「近代」とかを夏目漱石から、考えてみたいと思う。

また、ここでは、姜尚中先生の様々な個人的な経験が書かれているので、その点でも、面白い。僕も、地方出身なので、いくつかの点で、うなずきながら、ぱらぱらと読んだ。

p.95「昔もいまも、時代の中で要求されるのはたいてい『問題解決型』『事務処理型』の知性で、いってみれば『活発』な人間です。迷っていて動けない『不活発』な人間はよくないという。しかし、今は、悩むこと大いにけっこうと開き直っているのです。逆に悩み方が足らなかったり、悩まないのが幸せだと思っていたりするほうが間違いではないか。悩むこと自体に、おそらく意味がある。」

この文章には、何か、勇気付けられたような感じがします。

僕なんかは、悩んでいるときに、こんな悩みをしているのは、世界で僕だけだと、スゴク絶望的な気分になって、動けなくなることが良くあります。今何となく思うのは、その悩みというのは、案外に、特殊なモノではなくて、もっとも抽象度の高い「近代」とかから派生してきたモノと衝突していたのではないかということです。

問題にもよりますが、悩むことに対して、積極的な評価をするということは忘れたくないのですが、そろそろ、現実も考えないといけない・・・。

自分の抱えている問題なんていうのは、他の方とかも考えていたりして、小説とかにも描かれていたりする。まぁ、深刻に考えすぎることなく、小説とかを通して、生産的に悩み続けたいと思うのである。

●入江先生『新・日本の外交』

うぅー、読まないと・・・。

先に、加藤先生の本も読まないと。うぅー。。。

●数学

線形代数を復習していると、結構、他の数学をしていて、理解が進んでいることを発見した。何となく、数楽に一歩、近づいた気分だ。

数学は、暗記が不要と思われるかもしれないが、最低限はきちんと理解しながら、手に覚えさせることが必要だと最近、強く思う。そして、その積み重ねが、数学の学習スピードを急速にアップさせてくれるものになる。

というのは、案外、概念というのは、つながっているので、その関連性が理解できていたら、すいすいと進むのである。

2007/07/03

桃を食べる。うまい

●数学よ、数楽になれ!

最近、数学に悩まされています。そもそも、これをお読みの方は、どうして、僕が数学を勉強しているのかについて、お考えになるかもしれません。

大きな理由としては、数学が僕の学問・研究を進めるにあたって必要だからです。経済学には、数学が絶対に必要です。

僕は主に経済史を専攻しています。簡単に言うと、経済的な見方を中心にした歴史学の一分野です。経済史とか言いつつも、政治史とか社会史とかとも密接に関係しています。

そこで使われる方法としては、これまでの日本経済史(経済史と言っても、いろいろあるので、日本経済史と言いましょう)では、主に、実証主義的な方法を重視してきたように、僕は理解しています。

ところが、最近では、主に2つの方法が台頭してきたそうです。1つ目は、山之内靖先生とかのような議論。2つ目は、青木先生とか岡崎先生の比較制度分析。


(このあたりの方法論とかについての詳細については、森武麿「総力戦・ファシズム・戦後改革」吉田裕他編『アジア・太平洋戦争1』を参照。この論文では、1990年代以降の日本の戦時期の社会経済を中心にした研究動向が書かれている)

僕は、この後者の比較制度分析を自分の研究とかに生かせないかと考えていて、実際に、それを理解できるための準備をゆっくりですが、進めています。僕の理解だと、この比較制度分析はミクロ経済学、ゲーム理論をベースに、経済史で扱われてきた様々な現象を切るというものだと考えています。

簡単に言うと、この比較制度分析は、今、経済学の分野の最も輝かしい分野の一つだと考えられます。

そんなわけで、この比較制度分析がどういうものかは不明ですが、新しいもの好きなので、まぁ、飛びつこうとしているという感じです。

そして、数学との関連で言うと、ゲーム理論及びミクロ経済学は、相当に、難解な数学を使うので、そのために、今、僕は数学を勉強しています。ちなみに、今勉強しているのは、幾何学、位相、微分方程式、数理論理学ですね。もちろん、線形代数、微分積分は、できて当りまえの世界です・・・(汗)。

ただ、徐々に、数学も楽しくなってきつつあるので、夏休みに集中的に勉強して、ブレーク・スルーしたいと考えています。

ちなみに、この経済史の世界に殴り込みをかけつつある比較制度分析について、指導教官の森先生は、上の論文で、ボコボコに叩いています。まぁ、僕は若いので、一度は、学ぶ必要があると思うので、勉強しようと思います。


●中曽根内閣とは何だったのか?

今、中曽根内閣について少し調べています。

大きな結論としては、金融マーケットの巨大化(第2次石油ショックなどによるオイルマネーの金融市場への流入が原因か?)による70年代後半以降からの金融資本主義の本格化の中で、日本は、一般的には、96年の橋本6大改革によって、それに対応したと言われています。

アメリカでは、レーガン政権で、またイギリスでは、サッチャー政権下で改革が進められたと考えられます。同じ時期に、日本では中曽根内閣でも改革がされていました。

そこで、96年の本格的な改革の過渡期として、中曽根内閣を位置づけることはできないか。戦後の利権構造に最初に大きなメスを入れることになった政権と位置づけることができるのではないか。そして、それを本格的に推進したのが、橋本内閣であり、先の小泉内閣だったのではないか。

そこで調べるべきは、戦後政治史における中曽根康弘の位置づけ。人脈、派閥、思想とかとかの個人的な政治史での位置づけ。

2つ目は、中曽根内閣でどういう政策が取られたのか?

3つ目は、その政策がこれまでのあり方をどうのように変化させたのか?その中で、「戦後政治の総決算」の意味も明確になるか。

グローバリゼーション、その中で、大きな影響を与えていると考えられる金融資本主義というシステムについて、ちょっと勉強するためにジャン・ベイルルヴァッド『世界を壊す金融資本主』を読みました。

うぅーって感じで、難しいと思いました。きっと、グローバリゼーションを学ぶには、金融をきちんと学ばなければいけないでしょう。経済の原動力を金融と考えると、もしかしたら、グローバリゼーションを大きく動かしているのは、金融なのではないかと考えさせられます。

僕たちは、グローバリゼーションという巨大で不明な存在の前に絶望するのではなくて、それを理解するという努力を諦めずに努力する必要がある。そして、それをするためには、金融と格闘することが絶対に必要なのは明白である。

そこで考えなければいけないのは、その金融の力を止めるという風に考えることになるのだろうか。僕個人としては、規制とかは嫌いで、そこにいるアクター間での自主的な規制によって、社会が円滑に動くことを好ましいと考えている。それは、やはり、情報という観点からしても、そこにいる人たちが最も多くの情報を持っていると考えられるので、その人たちが自分たちで考えたことの方が効率的だと思うからである。

まぁ、夏休みくらいから、本格的に金融について勉強しようと思う。どちらかというと、金融の理論というよりは、その金融制度だったり、金融史とかを勉強することになるだろう。それは、金融の理論とかなら、学校で勉強できるからです。


●今日の読書

今日は、一身上の都合(他の本を借りる必要があったので、他の本を返す必要が生まれたから)により、明日または明後日に読む本を読みました。

加藤陽子「総力戦下の政-軍関係」『アジア・太平洋戦争2 戦争の政治学』
戦中の日本の政または軍の行動を、政-軍関係などの中から、きちんと説明を与えるという作業を行っているのではないかと、この研究の目的を考えた。

今度、加藤陽子『満州事変から日中戦争』を読むので、それを受けて、この著者の論文を読んでみた。同じ分野の吉田裕先生の授業を聞いていたので、内容自体は、取り組みやすいが、どうして、この分野を研究する必要があるのかについて、著者の回答を中心に見て生きたい。

僕なんかは、どっちかというと、社会の視点を入れた議論の方が、親しみを持ってしまう。どうしてかというと、この政―軍関係の研究の意義が良くわかんないからだろう。もう資料とかも出尽くしているのではないか。と、思ってしまうのである。

さてさて、2本目は、纐纈厚「戦時官僚論」『アジア・太平洋戦争2』を読んだ。

卒論で通産省について勉強するので、特に、通産省を戦時の統制官僚の系譜を強く引きついていると考えたので、読んでみた。

p.45「近代日本国家の生成発展過程において、資本家。政党、官僚、軍部などの諸権力集団が形成され、相互に対立と妥協を繰り返しながら、客観的には相互依存、さらには相互癒着という関係を構築していったことは多くの先行研究によって明らかにされてきた。本稿の目的は、国内外の政治・経済・軍事の各領域における環境の変容の中で、改編を迫られていった近代日本官僚制の位置を指摘することにある。すなわち、日本の官僚が『戦時』や『総力戦』という国内外の政治経済変動への対応過程で、その役割期待をどのように変化させ、内在化させていったのかを論じることにある。日本の官僚たちが、植民地支配や総力戦対応など対外的軍事的政策のなかで、軍部や資本家と連携しながら、どのような役割を担ったのか。併せて、日本の官僚が危機対応型の政策立案を恒常的に担った実態について総力戦論などの問題と絡めて論じる。要するに、植民地統治や総力戦を担った官僚たちの思想と行動を可能な限り迫り、その結果、戦後日本の権力構造にもシフトすることに成功し、戦後経済復興の立役者となっていく背景を探ろうとするものである。」

僕の問題関心について、的確な文章で記述されているので、引用してみた。

この文章を下に、僕の問題関心を書いてみると、国内外の政治・経済・社会の各領域における環境の変容の中で、日本は如何にして、国際社会に適応していったのか。その対応過程の中で、官僚、主に通産省は、その役割をどのようにしていこうとしたのだろうか。そして、それは他のアクターとどのような対立・妥協・合意を得ることになっていったのか。国内との摩擦だけでなく、国外との摩擦はどうであったのか。特に、アメリカの対日通商政策はどうであったのか。

要するに、国内外の環境の変容の中で、どのようにして、日本は高度経済成長を続けるようなことができたのか。とかとか・・・

途中で読まなければいけない本を発見:
小林英夫『帝国日本と総力戦体制』
雨宮『戦時戦後体制論』
山之内『総力戦と近代化』

3本目の論文は、加瀬和俊『戦時経済と労働者・農民』『アジア・太平洋戦争2』である。

この著者については、前から、『集団就職の時代』(経済研究所の図書館にある)とかを読みたいと考えていた。また、吉田裕先生がこの著者の、この論文のことを、スゴク褒めていたのが印象的だったので、この論文を読んでみることにした。

p.121「総力戦は利用可能な資材・資金・労働を最も効率的に活用することを要求し、それらの計画的配分=配当と、その利用の仕方の合理化を至上命令とする。その結果、生産・流通・消費のあり方は大幅に変更され、国民経済の構造も自営業・企業の経営方式も大きく改変される。とはいえそのことは、結果として社会・経済・労働力の効率的な利用が実現したことも意味しているものではない。総力戦の要請とその現実とは両者の実態にそくして実証的に比較されなければならない」

この文章が何かしら、実証主義を重んずる学者の、本音が出ているような感じがして面白いと感じた。

森先生は上の論文で述べているし、吉田先生は授業で述べていたが、最近の新しい歴史の潮流に対して、何か違和感を感じているそうだ。

僕なんかは、その違和感を感じることはできないのだが、若いので、どちらの方法論も吸収してから、考えていこうと思う。若者は、これまでの蓄積をぶっ壊して、その残骸の上に、新しいものを作るのが、年寄りに対する礼儀だよね。

ただ、歴史の方法論については、考えていかなければいけない。そこで最近、考えるのは、社会科学としての歴史学は、どのようにして科学であることが可能であるのかということである。

科学であることに対してこだわる必要があるのかどうかについても含めて、その方法論については、考えていかなければいけない。

もちろん、明らかに歴史学の場合は、立場が最も最初に問われるので、主観が入ってしまうのだが、それを踏まえた上で、如何にして科学であることができるのか。紙媒体を中心とした実証主義しかないのであろうか。

うぅー、悩ましい。

4本目の論文は、アンドルー・ゴードン「消費、生活、娯楽の『貫戦史』」『アジア・太平洋戦争6』です。

読んでて思ったのは、貫戦史とは何かということについては、学ぶ必要がある。

また、戦前・戦中期にも、アメリカの文化に親しむ日本という描き方をしていて、その点がスゴク面白かった。僕なんかは、主観的に、戦前・戦中は暗いような感じがするが、決してそうだけではなくて、戦後の豊かさを謳歌する受け手の基盤のようなものは、戦前・戦中に、既にあったのだということです。だから、戦後あのような急速な社会的な欧米化を遂げることができたのかもしれない。




以上。
書きすぎた・・・。ヤバイ、明日の予習をしなくっちゃ。。。

2007/07/02

石橋湛山 7月4日夜10時からNHK総合

●立教大学に行く!

今日は、始めて、池袋の立教大学に行きました。お洒落な感じのする大学の建物がとても印象です。涼しい感じのする大学だという、勝手な印象を持ちました。

ただ、その池袋に行くまでが、僕にとって、とても大変なことでした。それは、短刀直入に言うと、人が多いんですね。池袋にしても、その他、新宿の駅にしても。最近、人の多い、空間に慣れていない僕にとって、そのような空間にいるというだけで、少ない体力が磨耗していくような、とても苦しい感じがしました。

昨日も、四ツ谷あたりに行って、帰りに新宿の高島屋・東急ハンズ・紀伊国屋書店に行ったときも、同じように、人の波に、苦しました。とても、苦しい。人、人、人。

紀伊国屋書店では、冷静に本を見る雰囲気もなく、直に苦しくなってきたので、店を出ました。最初、南の館に居て、そして、本館の方に、行きました。

その道中も。人、人、人。どうしてこんなに人が多いのかと、少し悩みましたが、これが世界有数の都市である新宿だからだと、自分自身を納得させました。

特に、本館の前の交差点の人の多さには、絶句し、交差点の真ん中で、和歌山に帰りたいと、吠えそうになりました。ホント、人が多いです。

そこに行った目的は、本屋さんではなくて、そのB1にある、トンカツ屋さんにありました。僕は、新宿でご飯を食べるときは、70%以上は、そこでですね。ライスと、味噌汁と、キャベツがお変わり自由。その上、同じ系列の他店と比べて、単価が低いように思います。

このことは、僕がきちんと調べたわけではないので、はっきりとは言えませんが、安いような感じがします。1000円前後で、食べられます。他店だと1500円前後か。

そんなわけで、いつも行きます。ただ、いつも同じ店に行くのは、新しいモノに対して、鈍感になる恐れがあるという点で、決して、好ましいことではありません。だから、他の店に行きたいと・・・思うのですけど、なかなか、・・・。

安くて、上手い店を知っていたら、教えてください。


●映画

昨日は、いつか言った、映画の塾があった。まぁ、相変わらず、中身の少ない、費用対効果の薄い授業が2本あった。映画関連の情報に関する、情報の経路、つまり自分の頭の中にそれを受容するだけの理解の幅を広げてくれたという点では良かったのではないかと、自分の中で納得しようと考えています。

ただ、次回は、「フラガール」とか「パッチギ」とかのプロデューサーさんが来られるので、楽しみにしています。

さて、今回の授業のテーマは、「映画館のブッキング」「映画の2次使用」についてでした。

いろいろ、お話を聞いていると、やはり、映画業界は構造的に、儲からないようになっていると感じました。その構造を大きく変えないと、面白いものを作り続けるということができなくなるのではないかと思いました。その構造を如何にして変えていくのか?

まぁ、これは、その業界の方に任せましょう。ただ、業界の常識や慣習に囚われない行動が大きく求められているのではないかと、感じます。

●音楽、・・・芸術

今日は、ETV特集で、吉田秀和さんのお話についての特集が組まれていた。とても、僕にとっては、面白くて、考えさせられた部分が多かった。

高校のときに、何回か吉田先生の作品に接した記憶がある。高校で、仲の良かった先生が吉田先生の作品はいいという話しをしていたのが、きっかけだった。

ただ、最近はめっきり、吉田さんの作品も読まなくなったし、クラシックにも、遠い。

「のだめ」を見て、多少、聞いてみようという感じが心の中では湧いているのだが、どうも、それが行動に移らない。思いつきだが、今度、実際にコンサートに行こうと思う。それは、やはり、その荘厳とした環境の下で、聞いて見なければ、本当にその良さが分からないのではないか、と思うからである。

音楽は、素晴らしい。世界中の人をつなげてくれる。僕は、その大きな可能性に、何かしらの形で、携わっていきたい。

あと、吉田先生は、お洒落だと思いました。やはり、人前に出る方は、ファションには、十分に気をつけなければいけないと、感じました。僕も、大いに、学ばされました。


●ユーミン

少し前のETVで、ユーミンとゆずと、そのプロデューサーと、桜井さんが出演されていたイベントの模様についての番組を録画していたのを、今日は偶然に見ました。

何か、時代の最前線にいる人たちだったので、何かしら強い光が彼らから、また、彼らを照らしているような感じが、僕にはしました。

僕は、彼らを見て、いろいろ考えましたが、「のだめ」のある台詞を思いだしました。「半端は許しません」

僕には、彼らが、全力で時代のトップを走っているように見えました。

●石橋湛山について

「その時、歴史が動いた」7月4日夜10時から

何となく、興味がありますね。彼の小国家主義とかは、勉強したいと前から考えていました。ただ、あまり勉強する機会がなかったので、今回の番組がその機会になってくれたらと思います。