2008/05/17

報告

公務員試験、一次で、落ちちゃったので・・・。その報告でした。。。

試験勉強している時、ほんとに、周りの方々に、いろいろ支えられて(ランチしたり、飲んだり。5杯お酒を飲んで、次の日、勉強ができないほどの二日酔いになったりしたので、ほんとに、最近弱くなってきているなぁと思ったりしました)、自分は生きているのだということを痛感しました。ホントに、感謝感謝です。ありがとうございます。

ほんとは、合格して、感謝を言いたかったです。ほんとに、残念です。



今日から、気分を、少し切り替えて、大学院進学の準備を始めました。(多少、未練が残る部分があるので、完全に切り替えるのは、時間がかかるかな)

あと、プールにも行き、ぷかぷか泳いできました。

院の入試要項を見ていると、案外、ハードルがいくつもあるので、大変だと感じました。
論文提出。研究計画書。TOEFLスコアー。試験勉強。

と言ってもハードルは、この4つか。


最近、成海璃子さんを見るたびに、「かわいいー」って思います。DOCOMOのCMを見ると、「ドキッ」とします。。。

僕よりも、若い才能が、どんどん出てきているのを感じます。


あと、News23を毎日、見ています。メインキャスターの方、タッチの南ちゃん、そっくりだと思うのですが、どうでしょう。いろんなところで、説明させていただくのですが、賛同者がなくて・・・。



一区切りをつけるために、今回の報告を書きました。

これからも、Mixiは、あまり見ないと思うので、何かしらありましたら、直接、連絡していただけると、幸いです。

ありがとうございました。

2008/02/13

お知らせ

少しの間、日記を書きません。(文章を手書きする訓練をします。)

Mixiも見ません。(よって、コメントとかもできません。)

引きこもります。

ただ、東京(主に、国立周辺。時々、高田馬場。と、霞ヶ関かな)には、居るので、何かしらありましたら、ご連絡下さい。。。

最近、不完全な自分を、改善することに、取り組んでいます。道は険しく、楽しい(?)ですが、楽しまなければ続けられないと思っています。

あと、情報を確実に理解するため、ノートをきちんと取るようにします。

のだめモードです。タコツボに入ります。

まずは、4月1日までに、必要な知識を十分に使うことができるレベルまで、叩き上げます。ということで。。。

2008/01/30

テストまで、残り5日

今日は、少し自分のことについて書きます。

今日、公共経済学、最後の授業。難しい・・・。

4時間目には、大好きな、東アジア国際関係史の授業があった。毎度のことであるが、先生のユーモア溢れる講義は、楽しい。

今日は、日ごろから、先生の授業に関して、疑問を感じていたことを、気楽に、質問に言った。大先生の前では、緊張するので、リラックスが、重要なのだ。

ポイントは、民主主義と経済発展の関係について。開発独裁は、必要悪だったのではないか!

内容については、省略するが、1時間以上にわたる説明に、感動。

ただ、根本的な価値観のあたりの違いから、来るものかもしれない。このあたりについては、議論の余地があろう。

ただ、途中から、話は、それて戻っていったので、やはり、大先生の前では、スゴク疲れるのだ。

この機会を利用して、「僕の彼女を紹介します」「猟奇的な彼女」「君に捧げる初恋」の終わりが、似ているという、僕にとっては、長い間の問題についても聞いてみた。

気合が大事なのだ。

さてさて、疲れたので、晩飯を定食屋に行った。そして、学校の図書館に戻る。途中、大学通りの自転車置き場の茂みで、立ち小便をしている「おっさん」を発見。

国立という、日本でも有数の住宅街でも、いろんな変な人がいることを確認。

その後、図書館で、雑誌棟の最後まで、座っていた。

そして、今、勉強は、山のように残っているのだ。。。

僕は明らかに「天才」ではないので、「努力」で、能力の向上に努めたいと、昨日、再確認するのでした。。。

テストまで、残り6日

問い①
・勤労所得以外の資産所得がある場合、そうでない場合よりも、労働供給は、どのように影響されるのか?

勤労所得以外の資産所得は、労働所得の決定に際しては、予算線の上方シフトをさせる効果を持っている。これは、所得効果に対応するから、その分、余暇をより需要し、結果として、労働供給は減少する。

問い②
・課税後の賃金と労働供給(あるいは勤労意欲)の関係が、これまで、わが国で明確でなかったのは、なぜか?

いくら働いて稼いでも、手取り(税引き後)の所得がそれほど変化しないのであれば、あまり働かないだろう。また、表面的な労働時間は同じでも、どれだけ熱心に働くか、労働の質に関しては、税制が影響する可能性は高い。

これまでわが国で、課税による勤労意欲抑制効果が明確に確認されなかったのは、個人個人の業績評価が、会社全体の業績、あるいは、その人が所属するチーム(課や部などの単位)の業績に連動していたからである。

そうしたケースでは、一人一人の勤労意欲は本人の所得と直接対応しない。また、ある企業に定年まで雇用され、年功序列で賃金が上昇すると期待される場合には、その年の手取りの金額はあまり意味を成さない。

したがって、税制が変化して、その年の手取りの収入が変化しても、それが、その年の個々人の勤労意欲に与える効果は希薄になる。


問い③
・わが国で、これから資産課税の強化が望ましいとした時に、具体的に、どのような課税方法が考えられるのか?

相続税の税率を現状以上に高くしても、資産課税の強化にはそれほど、つながらないだろう。なぜなら、金融資産の捕捉が困難だからである。納税者番号制度を導入し、捕捉制度を整えれば、現行の税率でも、かなりの資産課税の強化になろう。土地については、保有の税率、即ち、固定資産税を強化することが有力な案であろう。


問い④
・中長期的な視点で、法人税のあり方を論じよ?

法人所得は個人所得と異なり、景気変動の影響を大きく受ける。ある時期には大きな利益が出るが、別の時期には巨額の損失もありえる。もちろん、中長期的に赤字が続けば、市場から退出せざるを得ないが、短期的な赤字は中長期的には黒字で十分にカバーされるはずである。したがって、法人税の課税ベースは中長期的な所得であるべきだろう。これを可能にするのが、損失の異時点間での相殺である。現在の損失を将来に繰り延べたり、また、過去の利益と相殺できるようにすれば、事実上中長期的な利益に課税することになる。企業は政府よりも、景気変動に対して脆弱である。そのため、景気による税負担の変動を平準化することは、この意味でも望ましい。こうした理解にたつと、欠損金の繰越、繰り延べ、いずれの方向にも大幅に認めるのが、望ましい。


問い⑤
・一般消費税のように、全ての財に一律に課税するケースを、ラムゼイのルールの観点から、評価せよ?

全ての財に一律の財率で課税すると、結局、労働所得に課税して、全ての消費財に非課税の場合と同じになる。なぜなら、労働供給と消費財との相対価格が同じ率で影響されるからである。したがって、もし、ラムゼイのルールが教えるように、労働供給が非弾力的であれば、一律に消費財に課税する一般消費税は、効率性から見て、望ましい。


問い⑥
・累進的な消費財を導入するとすれば、どのような方法が考えられるか?

所得税と同様な直接税として、消費財を考えるものに、支出税がある。これは、消費支出の主体である家計が消費支出額を申告し、その額に応じて累進的に課税するものである。


問い⑦
・消費財率に複数税率を導入することについて、その是非を議論せよ?

将来仮に消費税を10%程度かそれ以上に引き上げる時に、公平性を重視する立場から、低所得者の負担増に配慮して、例えば、生活必需品を限定して、消費税率を0%にするとか、あるいは、軽減税率を適用するという主張が複数税率の議論である。

しかし、こうした手法には問題点も多い。

そのような複数税率を導入すれば、消費税の徴税手続きが複雑になり、余計なコストが掛かるようになる。

また、形式的に必需品扱いをして、課税から逃れようとするインセンティブが働くことも考えられる。

更に、そうした複数税率の取り扱いが、本当に公平なのかについても疑問である。というのは、所得水準の低い人々が、どのような財・サービスを生活必需品として、相対的に多く消費しているのかは特定しにくい。特に、わが国のように、経済全体が豊かになり、相対的に低所得の人々でも様々な財・サービスを消費している場合に、消費する財サービスの種類で必需品や贅沢品を定義するのは無理になっている。


問い⑧
・バローの中立命題がリカードの中立命題よりも、現実的であるのは、どのような点か?

公債発行と公債償還とが、世代の枠を超えてなされるときでも、公債の中立命題が成立することを示した点である。


問い⑨
・公債の中立命題が成立したとすると、財政赤字については、どのような政策的意味を持っているのか?

財政赤字のマクロ的な効果はなくなる。


問い⑩
・わが国のみならず、多くの国で、高齢者への再分配政策が盛んなのは、なぜか?

多くの国では、高齢者に対する再分配政策は、貧困者に対する再分配政策よりも、好意的に受け止められている。誰でも、高齢者になれば、受給者になれるので、負担と受益との間に一定のリンクを想定できるからである。

しかし、貧困者に対する再分配政策の場合、受益者と高齢者は別々の個人であり、相互にあまり関係しない。福祉政策の財源を負担する高額所得者は自分がその受給者になるとは考えない。その分だけ、両者の間に距離感があると、政治的にそうした再分配政策は長続きしにくい。

高齢者への社会保障では、その制度に対して勤労期にすでに保険料(一部ではあっても)拠出しているために、高齢者は給付を授権と見なしがちである。その結果、高齢者への社会保障は福祉政策と比較して、強い継続性を持つことになる。


問い⑪
・公債発行が経済を刺激し、税収を増加させるメカニズムは、現実には、財政破綻を回避するほどではないという。その理由は何か?

公債を発行すると、将来にわたって、その利払いが増加するからである。この利払い増よりも税収増が大きくなって初めて、政府の予算制約が均衡に落ち着くのである。そのためには、公債残高の消費に対する資産効果は、あるとしても、実際には、それほど大きいものとは思われない。とすれば、公債発行それ自体が税収増をもたらす可能性は、現実の政策論としては、あまり重要でないだろう。


問い⑫
・経済が成長すれば、公債発行をどんどんし続けても、なぜ、財政破綻にならないのか?

経済の規模が拡大すれば、公債をどんどん発行しても、相対的な公債の規模は縮小しうる。長期的には、利子率が、経済成長率よりも小さければ、そうした状況が実現する。


問い⑬
・公債のクッション政策の直感的な意味を述べよ?

外生的なショック(例えば、石油ショックや戦争など)のために、税収や政府支出は短期的に変動するかもしれない。税率を短期的に大きく変動させると、超過負担が大きくなってしまう。公債発行は、景気後退、政府支出の一時的な拡大などの外生的なショックを吸収するように、クッションとして変動すべきであるとの主張である。


問い⑭
・「非ケインズ効果」とは何か?

いわゆる「非ケインズ効果」とは、現時点の財政支出が非効率である場合や税負担が将来に先送りされている場合等、一定の財政状況や経済環境の下で、歳出削減や増税がむしろ民需の自立的な回復をもたらすことを意味する。こうした状況では、財政再建と景気回復という2兎を同時に追うことが可能になる。これまでの実証分析によれば、財政赤字や政府債務残高が一定の水準以下に収まっている「平時」では通常のケインズ効果が観測されるが、財政赤字や政府債務残高が一定の水準を超えた「非常時」には政府支出の増加や減税が民間消費の減少をもたらすという非ケインズ効果が認められる。


問い⑮
・課税ベースが事前的には、弾力的で合っても、事後的に非弾力的になる例としては、どのようなものがあるのか?

既に蓄積された資本に対する課税や、既に発行された公債残高に対するインフレ課税。


問い⑯
・時間に関する非一貫性の観点から、資本所得税の問題を考えると、なぜ信頼の問題を引き起こすのか?

政府としては、常に、事後的に資本所得税を引き上げる誘引を持つ。事前と事後の貯蓄の弾力性が異なる限り、事後的に資本所得税を上昇させることは、人々の効用水準を増加させるのである。

しかも、もしこれを人々が前もって、知っていれば、即ち、実際に、第2期になると、第1期に政府が約束している以上の税率で、資本所得税が課せられると予想する場合には、貯蓄はそれに対応して、減少し、第2期の課税ベースも減少する。このとき、労働所得に対して、大きな税率を課せられることになり、結果として、事前的な意味での最適な課税の時よりも、効用は現象してしまう。


問い⑰
・足による投票のもたらす効果について説明せよ?

住民が自ら最も望ましいと考える税負担と公共サービスの組み合わせを選択すると、2つの効果が期待できる。

第1は、各地方政府が、公共サービスを効率的に供給するようになる。同じ税負担であれば、より質の高いサービスを供給している地方政府が評価されるので、各地方政府間での競争により、効率的な公共サービスの提供がなされる。

第2は、同じ選好を持つ住民が同じ地域に集まるようになる。年齢、人種、収入などに応じて住民のタイプが大まかに分類されるとすれば、そうしたタイプの似通った住民が同じ地域に移住するようになる。


問い⑱
・地方分権における「三位一体」改革について説明せよ?

2003年に小泉内閣ではじまった「三位一体」の改革では、地方政府の自主的な自助努力を重視して、地方政府が財政面でも自立した運営が行えるように、

① 国からの補助金を整理、廃止
② 交付税の抜本的改革
③ 国税からと地方税への税源の委譲という3つの改革が、一体として実施されることになった。

「三位一体」改革とは、こうした3つの改革を同時に進めて、地方分権を財政面から、支えることで、中央政府が地方政府を指導・管理・監督する度合いを少なくしようとするものである。地方分権の改革を成功させるためには、まず、中央政府の財政面での守備範囲を限定し、同時に、地方政府の財政状況に関わらず、その守備範囲を維持することが重要である。そうした中央政府のコミットメントに信頼性が確立されて始めて、地方政府に自助努力を求める地方分権は意味のあるものになる。

2008/01/29

テストまで、残り7日

問い①
・ケインズ的な考え方が、なぜ、福祉国家を目指す思想と結びついたのか?

失業の防止を政府の義務の1つに掲げたケインズ主義は、失業を非自発的失業と見なすことによって、失業者を自らの責任でないにもかかわらず苦痛を背負わされた存在と見なした。これは、個人主義=自主自責・自助努力の原則に修正をもたらすものであり、政府主導型の社会保障の思想に一つの根拠を与えるものである。


問い②
・公共部門が期待される3つの機能の中で、最も重要なものはどれか?

資源配分機能、所得再配分機能、安定化機能のいずれも重要な機能であり、どれが最も重要かは人によって解答が異なる。標準的な財政学では、資源配分機能を最も重視している。これは、市場メカニズムを是正することが、政府の基本的な役割と考えているからである。所得再配分については、どこまで政府が介入すべきか公平性の価値判断に依存する点も多く、又、安定化機能についても、中長期的には、市場の調整機能を重視すべきであるから、これら2つの機能は限定的に考えることができる。


問い③
・財政政策を評価する際、なぜトレード・オフ関係が重要となるのか?

政策の評価は、通常2つ以上の目標に関して行われる。全ての目標を同時に、改善するような政策手段は、現実にはありえない。あちらを立てれば、こちらが立たないという状況が普通である。このようなトレード・オフ関係にあるとき、その内、どこを選択するかは、経済学の枠の中では何ともいえない。ここに、価値判断の重要性が生じる。


問い④
・わが国の財政システムの中で、中央政府の果たしている役割について?

中央政府では、直接税、間接税等の形で経常収支を得る一方で、自ら行政サービスをすると共に一定の政府支出活動を行う。また、経常段階で地方政府に対しては地方交付税交付金、各種補助金などを、社会保障基金に対しては社会保障特別会計等への繰り入れ(公的年金や医療保険に対する国庫補助金等)などを行っている。さらに、公的企業に対しては、財政投融資を行っている。


問い⑤
・予算編成の中で、特に重要と思われる作業は何か?

各省庁の概算要求に基づき、財務省が原案を策定する作業が、特に重要である。税制改正や歳出全体の伸び率、公債依存度などの重要な指標を判断の根拠としながら、全体としての数字が策定される。マクロ経済の見通しが重要な意味を持つのは、翌年度の予算における税収の見積もりに関してであり、仮に翌年度の経済成長率が高いと予想されれば、税収の伸びが高くなり、予算案全体に積極的な編成方針が採られやすくなる。

問い⑥
・シーリング方式という予算編成の問題点は何か?

歳出面での具体的な抑制方式としてわが国で採用されているのが、シーリング方式である。

これは、各省庁が予算要求をする場合に、前年度の支出の総額に対して一定の伸び率(あるいは削減率)での総枠をあらかじめ設定して、その枠の中での概算要求のみを認めるというものである。

したがって、全ての歳出項目にゼロ・シーリングが設定されれば、最大限でも翌年度の歳出総額は本年度と同額までしか増えない。

しかし、現実には全ての項目についてシーリングが設定されているわけではない。経常的な経費と投資的な経費とが区別されるケースが通常であるし、又、制度上、あるいは、政策的に増額されるものについては例外扱いにある場合も多い。又、これは当初予算についてのみ当てはまる編成方針であり、補正予算には適用されない。

当初予算では歳出が抑えられていても、その後の景気対策などの名目で、大幅に歳出の増加が認められた予算もある。特に、1990年代に公共事業について補正予算で大幅な追加が取られたように、シーリングは必ずしも有効に機能しなかった。

シーリングの対象は、既得権益に乏しい一部の支出に限定されていた。


問い⑦
・財政投融資は、なぜ、第2の予算と呼ばれるのか?

財投計画は、予算と密接な関係をもちつつ、予算ではコントロールされない国の資金の運用を決めるものであるから、第2の予算と呼ばれている。


問い⑧
・ナッシュ均衡では、なぜ、公共財が過小にしか、供給されないのか?

ナッシュ均衡では、人々が追加的に公共財を供給する時、公共財の限界的な費用を自らの負担でまかなわなければならない。ところが、公共財の限界的な便益は、その外部性のために、他人にも及ぶ。自らの限界的な便益のみを考慮して公共財の追加的な供給を決める以上、他人に与える便益が考慮されず、その分だけ過小供給になる。


問い⑨
・リンダール均衡でサムエルソンの公式が成立するのは、なぜか?

リンダール均衡では、各個人に割り当てられた個別化された価格の合計が、公共財供給の限界費用に等しくなっている。各個人は公共財の限界評価が、個別化された価格と一致する水準の公共財の量を政府に表示するから、その合計額は公共財の限界評価の総和になる。したがって、サムエルソンの公式が成立する。


問い⑩
・公共財の最適供給条件であるサムエルソンの公式を、私的財のみの世界の最適条件と対比させて、その経済的な意味を述べよ?

サムエルソンの公式は、経済的には、公共財からの社会的便益と社会的な限界費用の均等を意味する。私的財の場合には、社会的な便益は、私的な便益と一致しているが、公共財の場合には、すべての個人に与える便益の総和が、社会的な便益となる。


問い⑪
・なぜ、公共財の場合、私的財の場合よりも、ただ乗りが問題になるのか?

一つには、経済主体の数という要因が挙げられる。即ち、私的財の場合には、ただ乗りの利益が均衡価格の変化を通じて他の経済主体にも及ぶため、経済主体の数が多くなると、各個人にとってただ乗りする誘引は減少する。したがって、経済主体の数が多い完全競争に近い経済では、公共財の場合のほうが、よりただ乗りの可能性が現実的な問題として生じる。

もう一つの要因は、公共財の場合、各個人が公共財から得る便益を政府に表示する状況が多いと考えられる。即ち、私的財の場合には、各個人が明示的に自らの選好を表示する機会はあまりなく、各個人は所与の市場価格の元でどれだけ購入するかの数量の選択となるのに対し、公共財の場合は、その公共財計画に対する各個人の評価を明示的に表示するケースが多く、その場合には、ただ乗りの誘引が働きやすい。


問い⑫
・最適な政府支出は、どんな状況で拡大するのか?

政府の介入がないときの市場メカニズムの問題点を示す市場の失敗の程度が大きいほど、効率性の観点からの政府支出の最適規模が大きくなり、そして、政府の介入がないときの経済格差が大きく、社会的価値判断が公平さにより関心を向けているほど、公平性の観点からの政府支出の規模が大きくなる。さらに、政府の介入がないときの市場の調整メカニズムが緩慢であり、外的ショックが大きいほど、マクロ経済活動の安定化のための政府支出の最適規模は大きくなる。


問い⑬
・最近では、企業年金などの私的な年金も利用できる。それにも関わらず、公的年金が必要な理由を述べよ。

私的年金は積み立て方式であるから、世代間の再分配には無力である。世代間での再配分政策が社会的に必要であれば、賦課方式による公的年金は、望ましい。又、私的年金の場合には、任意加入であるから、年金に入る人は、それなりに、将来のことを憂慮し、また、経済的に恵まれている場合が多い。公平性の観点からは、将来のことを考慮しない、あまり経済的にも恵まれていない人も加入させるのが望ましい。それには、強制加入である公的年金が適している。


問い⑭
・国際テロ対策として、どのような支出が効果的か?

最初の対策としては、テロからの攻撃を受けた場合に対処できるような支出が必要である。例えば、警察力の増強や、危機管理対応施設の増強などが考えられる。しかし、テロに対しては、抜本的な解決が求められる。テロの温床として考えられる、貧困地帯における問題に如何に取り組んでいくかという点がより重要になってくるだろう。これについては、ODAなどで経済開発支援などを行い、貧困を撲滅する努力が求められる。ところが、このような問題の解決には、長い時間を要することが十分に予想される。日本の国内財政事で、このような活動が影響を受けるのは望ましくない。政府は、国際的な枠組みで、このような協力を持続的に続けていくことを決め、そして取り組んでいくことが求められるのではないか。


問い⑮
・費用=便益分析を公共投資計画に適用するときの、メリットとデメリットを述べよ

メリットは、公共投資の決定が、客観的な数字に基づいて行われ、ともすれば、地域的な、又、近視眼的なバイアスをもつ政治的な圧力に左右されないことである。デメリットは、便益の推定が困難であること、および、割引率として何を用いるのか決めるのが、困難であることである。


問い⑯
・政府は、なぜ、失敗するのだろうか?政府の失敗をなくすことはできるのだろうか?

政府は、情報の不完全性や経済構造に対する理解不足などのために、当初の目的を達成できないこともある。まして、現実には政府は多数党によって支配されるから、政治家や官僚、様々な圧力団体の利害も反映している。政府の失敗を少なくするためには、政府行動に関する情報を公開し、国民の監視を強めると共に、市場メカニズムが活用できる分野については、民営化することが必要だろう


問い⑰
・1980年代に入って、わが国のみならず、アメリカやイギリスで、小さな政府への動きが現実のものになってきた理由を、説明せよ。

1970年代までの大きな政府への動きによって、負担が拡大して、その弊害が大きくなったこと、および、人々の選好が多様化し、準公共財が増えるにつれて、多くの人にとって、受益より負担の方が大きくなったことなどが上げられる。


問い⑱
・民営化のメリットと、デメリットを述べよ

民営化のメリットは、より効率的な資源配分が可能となること、又、デメリットは、公平性の観点からは、社会的に望ましいけれども、採算が取れないで切り捨てられるサービスが問題になることであろう。


問い⑲
・わが国の政策金融機関の改革について?

1990年代、民間金融機関の安全志向の高まりと、公的部門の肥大化は資金の流れを大きく変化させた。

これに対して、小泉内閣では、財政投融資改革の実施を受け、特殊法人改革と共に、2002年度からは政策金融改革にも着手した。家計の郵便貯金・簡易保険の保有残高は2001年から減少し始めた。また、どう期間に郵便貯金・簡易保険の国債・地方債・財投債の保有残高も低下した。

それを受け、政策金融機関や特殊法人への貸付残高も低下した。しかし、この間に民間企業の預金は増大しており、こうした資金余剰の現状を踏まえるならば、政策金融機関の役割や規模など、多くの問題点について本格的に見直すことが早急に必要である。

経済財政諮問会議は、2002年に政策金融改革の基本方針を提示し、改革達成への道筋やあるべき姿の実現プロセスを取りまとめた。

それによると、民間部門の自由かつ、自発的な活動を最大限に引き出す方向で改革を行い、金融資本主義の効率化を図るとされた。政策金融が必要な条件は、政策的助成により「高度な公益性」が発生し、しかも、金融機能面にける「リスク評価等の困難性」が大きい場合に限定される。さらに、2005年11月に政府は政策金融改革の基本方針を決定して、2008年度から新体制に移行すべく、抜本的改革を行うことを決めた。それによると、今後の政策金融は以下の3つの機能に限定し、それ以外は撤退することになる。

① 中小零細企業・個人の資金調達支援
② 国策上重要な海外資源確保、国際競争力確保に不可欠な金融
③ 円借款(政策金融機能と援助機能を併せ持つ)


今日は以上。。。

2008/01/27

今日この頃 2

最近、少し忙しく、忙しくない時は、ウツウツしています。

勉強の進み方も、遅々としていて、まぁ、「ゆっくりやろか」と考えています。

明日は、労働経済学最後の授業。疑問点を探して出して、授業に臨みたいと思います。「あと一つ」というところを大事に、自分の頭で、最後まで、考えていきたいと思います。

あまり生産的なことは書けませんが、時間も残り少しなので、自分の限界まで、力を出して、高めて、いきたいと思います。

2008/01/21

今日この頃

ただ今、テスト勉強で、忙しいです。ラスト2週間です。気合です。「のだめ」モードです。

でも、勉強している時に、思考がストップしてしまうことが多々あり、ストレスです。そんな時は、自分の精神の弱さを感じます。のだめの「千秋」と同じだと思うときです。よく、のだめの千秋みたいだ、と言われます。

今日は、関先生の授業が最後でした。相変わらず、面白い授業でした。今日のポイントは、日中の架け橋となる人材は、存在するということです。

2つほど、中国から大量の若者が日本に来る契機がありました。

80年代初頭に、5年間ほど、毎年、日本・フランス・ドイツに各100人を送り出すプロジェクトを鄧小平の肝いりで行っていたそうです。その日本における、出世頭はEPSという医療関係の会社の社長さんだそうです。(東大の医学部の大学院に所属時に、指導教官から、教官は会社を起こせないので、代わりにやれと言われたそうです。)

中国では、外国に行くと、戻ってこない可能性があったそうですが、おおよそ、4割は戻っているということでした。

この世代は、40代後半から、50代前半で、社会の中枢に、知日の人たちがいるということでした。

2つ目は、天安門事変が起きてから、90年から93年ぐらいまで、中国の大学を卒業すると、5年間は、海外に行くことができないという「噂」のため、大量の大学生が大学を辞めて、日本に来たそうです。

当時、日本ではSE不足。ちょうど、供給と、需要がマッチしました。

それから、10年。彼らも結婚し、子供も、小学校3年生くらいになります。

話によると、小学校3年が一つの転機だそうです。というのは、それ以上、日本にいると、その子供は、日本人というアイデンティティを持つようになるということでした。

その結果、多くの中国人が帰りました。2000年から2003年くらいの話です。そして、仕事の多そうな、北京に大勢が行きました。

彼らには日本でのSEとしての経験がありました。ちょうど、2002年ごろ、中国の指導者は、インドのバンガローの様子を見て、中国も、ソフトのアウトソーシングを戦略を進めようとしていました。

そして、世界を見たときに、アメリカではインドやアイルランドなど世界的な競争があったのですが、日本は漢字の壁のため、中国が大きなシャアを占めることに成功することになりました。実際、中国の64%は、対日です。

その大きな流れに乗ったのが、かつて日本でSEの経験があった人たちで、彼らは、それで起業し、成功を収めるようになりました。今では、日本に支社まで出し、仕事をしているという話でした。

以上のように、政治的な何かしらの状況変化が、人々の移動を起こし、結果、予測困難な側面であるが、相互依存が確実に進化していることが分かる。

(一橋の王雲海先生も、もしかしたら、前者の例なのかもしれない。)

そんな話でした。

以上

2008/01/15

ちょっとした【読書感想文】原田武夫『北朝鮮VS.アメリカ』

北朝鮮問題を、どのように、理解していけばいいのかについて、議論されている。北朝鮮の問題について、構造的に理解したいという場合には、最適な本だと、思われる。

ただ、北朝鮮問題の知識を身につけるだけではなく、この問題をどのようにして理解していけばいいのかについての方法も、同時に示されている点が、読者としては役に立つ。

「『本当のこと』を知りたい多くの日本人が、今後、自らの手でどのように知的武装を施せば、金融資本主義につきもののディスインフォメーション(意図的な流布)という呪縛から逃れられるのかを探る試みになるであろう。私はそのために、誰でも手に入れることのできる公開情報をどのようにして読み解くべきかを、この本を通じて示していきたいと考えている。」(p.12)

特に、印象的なのは、非英米圏の情報をフォローすることの重要性である。私たちは、英語しかできないので、情報が偏っているように思われる。このような偏りは、僕だけでしょうか?

2008/01/13

ちょっとした【読書感想】天谷直弘『「坂の上の雲」と「坂の下の沼」』

戦後直後から、80年前半まで、通産官僚として、日本の最前線で活躍されてきた方の本である。(経歴の詳細については、Googleして下さい)

この本の最後に、付論として「産業政策について」という部分がある。簡潔に、明治の開国以来の日本の産業政策のあり方について、描かれていて、勉強になった。

p.288の最後の段落が、僕には、印象的だ。

「これまで産業政策はまずまず成功をおさめ、わが国のほとんどの産業は国際市場で競争できるようになりました。いまや産業政策は廃止すべきでしょうか?通商産業省は解体すべきでしょうか?私たちはそう思いません。現在は、日本も、アメリカ、ヨーロッパも、『石油時代』から、『情報時代』へ飛躍する過程にあるというのが私たちの見方です。私たちはいまや歴史の分水嶺を越えようとしているのです。この歴史的偉業を遂行するためには、新しい技術の開発、国民の再教育、社会的、経済的、政治的制度の見直しなどが必要であり、さらに国民の価値観や倫理観を変革して新しい状況に対処する必要があります。先進工業国のこうした転換により、発展途上国の経済も、国際貿易の構造も大きな影響をこうむるにちがいありません。これはまさに地球的な規模での変革といえましょう。」

第10章は、「『坂の上の雲』と『坂の下の沼』」という題で、戦前の日本と、戦後の日本を比較しながら描かれていて、僕は、その先見性に驚かせられた章である。

戦前の途中までの、日本の「輝かしい」成長。(「輝かしい」時代の中でも、批判されるべき点は多いが)その後の、第2次世界大戦、特に、アジア・太平洋戦争への、「どうして、そのような事態に至ったのか不明な」転落。

戦後の1970年前半までの高度経済成長。

この論文は、1977年に書かれている。戦前と同じように、転落していくことが、示唆されている。


以上。時間切れ。
産業政策とか、日本の歴史とかに、興味がある方は、読んでみると良いのではないかと思います。

2008/01/11

天気がいい

テーマの趣旨:「地方の疲弊、地域間格差が懸念されているが、自分の住む自治体の経済状況や財政状況を調べて、その課題を明らかにした上で当該地域を再生させるために地域自治体の果たすべき役割、および国のありうる支援について提言せよ」

1.「有名大学」への進学は重要

和歌山県南部出身の私にとって、東京と地元との違いは、あまりにも大きなものであった。東京には、大きな本屋(今では、インターネットが発達して、不便度が減少したと言うことができるかもしれないが、しかし、本を手に取って見ることの重要性は無視することはできない。ただし、私が地元にいる時は、まだ、インターネットは未発達だった)などがあり、スゴク恵まれた環境にあると、考えたし、今でも、そのように考えている。もちろん、私の地元には、東京に無いものもあるので、どちらが良いということはできない。しかし、明らかに、東京と地元は大きく違った。

 高校は、地元の和歌山県立田辺高校に通った。地元では、1番校だった。情報が不足していたことがあり、多少苦労しながら受験勉強をして、大学に入学した。私の高校からは、7年ぶりくらいの合格だったと記憶している。

 和歌山県の北部に、智辯学園和歌山高校がある。進学校として有名である。この高校と、有名大学への進学実績を比較してみると、その差は大きい[1]。所謂「有名大学」への昨年度の進学実績として、東京大学、京都大学、大阪大学、一橋大学、東京工業大学、慶応義塾大学への合格者の人数を見ていくことにしたい。田辺高校は、東大0人、京大2人、阪大2人、一橋1人、東京工業0人、早稲田4人、慶応1人であった。智辯和歌山は、東大19人、京大32人、阪大22人、一橋3人、東京工業2人、早稲田38人、慶応19人である。

 東京の都立国立高校とも、比較して見よう[2]。国立高校では、東大16人、京大5人、阪大1人、一橋19人、東京工業11人、早稲田130人、慶応64人だった。国立高校と田辺高校との差も大きい。

 どうして、このような差が生じるのか。確かに、田辺高校と智辯和歌山とは公立と私立の差がある。しかし、国立高校は、田辺高校と同じ公立である。

このレポートでは、こうした、地域間における高等教育の選択の「格差」について、見ていくことにしたい[3]。勿論ではあるが、どの大学を受験して入学するのかについては、誰にでも、その機会は与えられている。よって、田辺高校の生徒が、所謂、「有名大学」を選択することができないというわけではない。智辯和歌山高校や国立高校と、同じように、その選択の機会は開かれている。しかし、選択の機会が開かれていることが、入学に結びつかないことは明らかである。その前提として、入学試験に合格しなければ行けない。つまり、入学試験の難易度によって、選択することができても、選択することができなくなるのではないか。よって、例え、「有名大学」で学ぶことを志望していても、入学試験の難易度のために、諦め、選択することができなくなっているのではないか。それが、田辺高校の何かに構造的な問題としてあるとするならば、それは、高校、また、それを管轄する県は、それを是正していくことが必要なのではないか。そして、近年の田辺高校の進学実績を見る限り、構造的な問題だとしか言いようがないように思われる[4]

 このような「格差」の結果が少しずつ現れている。その顕著な例が、この地域圏における医者不足であろう。結果として、和歌山県立医科大学医学部において、和歌山県の出身者を推薦制度で学生を受け入れるようになっている。これは、近年、受験の競争が最も激しいと言われている医学部において、その競争をそのままにしていると、和歌山県出身の学生が受験ではじかれ、結果として、和歌山県内に勤務する医者が育たなくなる危険性を受けてのことだと考えられる。

 医学部の例が顕著ではあるが、地方にいても、「有名大学」への大学の選択を取ることができるような環境にしていくことが必要である。

 論を進めるに当たって、一つ確認したい。ここでは、「有名大学」への進学が「良い」とか「悪い」とかを議論しようとしているわけではない。もちろん、例えば、2007年10月15日号の『プレジデント』の「『学歴格差』大図鑑」などからは、「有名大学」へ行くことのメリットが多く書かれているし、決して「有名大学」へ行くことのメリットは否定はできないであろう。こうしたメリットを踏まえて、多くの高校生が、「有名大学」を目指していると考えられる。そうした中で、こうしたメリットを求めて、「有名大学」を目指しているのにも関わらず、地域間の高等教育の選択の「格差」によって、諦めざるを得ないという状況を、ここでは、問題にしていきたいと思う。
 
2.現状分析・問題点の指摘

①わたしの町の紹介

ここでは、和歌山県南部の田辺市を中心とする地域圏について紹介していこう。この地域圏は、田辺市、白浜町、すさみ町とみなべから形成されている。おおよそ、12万から15万人規模の人口規模である。

田辺市は、新大阪駅から(最速で)2時間、県庁所在地の和歌山市から(最速で)1時間の場所にある。白浜町に南紀白浜空港があり、羽田まで1時間で行くことができる。1人3便から2便、運行している。

 田辺高校は、この田辺市を中心とする地域圏の中で、最も学力の高い高校である。この地域圏に住んでいる学力の高い者は、ほとんど、田辺高校に通うことになる。少数ではあるが、中学または、高校から都市圏に出て行く者もいる[5]。和歌山北部の智辯和歌山中学・高校に通う者もいる。ただし、早朝は交通の便が悪いため、その数は少ない。よって、田辺市の地域圏に住む者は、田辺高校を選択せざるを得ない環境にあると言える。

 田辺高校の学生は、その大半が、大学に進学している[6]

 次に、地域の問題点を見ながら、どうして、「有名大学」への選択が大事なのかについて見ていくことにする。
 
②地域において、「有名大学」への進学が必要とされる理由
 日本が抱えている重要な問題の一つに高齢化問題がある。2005年には、高齢化率20.4%を記録し、まもなく、超高齢化社会へと、その段階を移そうとしている。田辺市は、25.2%、白浜町は27.6%、みなべ町は25.5%など、軒並み、国の高齢化率を超えて、進行している[7]。このように高齢化が進んでいくと、ますます、社会保障への需要が増し、具体的には、医者のニーズが高まる。上で、見たように、この地域の医者は不足気味であり、地元出身の医者の育成が急務となっている。

 昨今、景気の回復が叫ばれているが、地方では、その実感は持ちにくい。完全失業率を見ると、田辺市では、6.38%、白浜では6.51%となり、これは日本全体の4.4%よりも高い[8]。この「格差」が昨今の現象であるのか、もともとそうであったのかについては不明であるが、地域において、取り組んでいかなければいけないテーマであろう。取り組み方としては、地域を活性化する中で、その問題を是正していく道が考えられる。このような新しい選択を取るときに、欠かせないのが、地域活性化の担い手であろう。勿論、「有名大学」出身者が、イコール「有能な社会人」「有能な担い手」ということはないであろうが、『プレジデント』2007年10月15日号などから、その割合が多いのも事実であろう。もちろん、地方出身者全てが地元に戻る必要はないであろうが、多種多様な人材を、その地域が有していることは、その地域における潜在的な力になることは確かであろう。このような観点からも、地方における「有名大学」への進学が望まれる。

 どうして、地元の人材において、多種多様な人材を育てておくことが必要なのか。それは、転入者数で見ると、田辺市で1.4%、白浜で2.1%の増加があるのみで、大きな転入者は期待できない[9]。それは、特段に人をひきつけるような産業や施設がないことからも明らかであろう。確かに、和歌山県の先進的な取り組みであった「緑の雇用事業」で、200人程度の方々が、移り住んできたということはあったようである。しかし、知事の交代によって、昨今は、「緑の雇用事業」について、取り上げられることはない。結局は、地域における「人材」は、地域出身者になるのであろう。

③「有名大学」への進学の難しさ
 どうして、地方から、「有名大学」への進学が困難になっているのだろうか。この点に関しては、有名進学塾の不在、学校で教えている内容の格差や、大学に関する情報の格差など、様々な側面を指摘することができよう。

 新潟の津南で「教育改革」に挑んでいる、小熊牧久県立津南中等教育学校校長は、この「格差」について次のように指摘している[10]。「本県の一般的な意識からすれば、難関大学に行くことが桁外れに難しいように思われている向きがある。山間地にあってはこの思いはもっと極端になる。理由は明快で、その種の大学に行く人が極めて少なかったからである。長年にわたる学力の地域間格差の結果がこのような意識になって現れてくる。しかも、県内にあっても学力の地域間格差は極端に大きく、進学者の出身地のほとんど、新潟市をはじめとする都市部に限定されている。」とある。情報の「格差」について強調されている。「有名大学」への進学者が少ないことから、「有名大学」について語られる機会が極めて少なく、そのため、「有名大学」について考える材料も地元には少ない。結果、考えないようになり、また、自分には無理だと思い込んでしまい、勝手に情報格差のハンデを背負ってしまうことになる。このことは、私の経験とも、整合的である。

 以上のように、「有名大学」を意識することが重要であることが分かってきた。このことは別に地方だから無理だという簡単な図式で見ることはできない。それは、上の引用からも、新潟市などの都市部では問題の程度が低いということなど、重要なのは、意識する機会があるか無いかどうかによるのだろう。このことは、『プレジデント』の2007年10月15日号の特集からも言うことができる[11]。地方出身だからといって、必ずしも、都心の公立高校や私立高校に、進学実績で劣っているとは言えない。
 
3.政策提言
 
 以上、見てきたように、地方によっては、「有名大学」への進学が困難になったりすることがあるようである。実際に、私の出身地域では、大問題になっていると思われる。このことは、地方における医者不足や、「人材」不足など、地域にとって、大きな問題となっている。ここでは、その問題を解決するに当たって、どのような政策が取ることができるのかについて見ていくことにしよう。

 まずは、そもそも、私的消費の要素が強い高等教育へのアクセスに対して、公共部門が介入する必要があるのかについて見ていくことにする。

①どうして、公共部門が介入する必要があるのか[12]

 知識・情報・技能等を総称して人的資本というが、人的資本の社会的価値は、その所有者にとっての指摘価値より高い。この意味で、人的資本およびその形成を目的とする教育活動は、正の外部性をもつと言われている。

 人的資本の蓄積が本人の利益を増進させることはいうまでもないが、人的資本が正の外部性をもつ財であるということは、本人が負担する人的資本投資費用と、それが生み出す社会的便益との関係に「歪み」が生じる可能性を意味する。

 投資は、自分の私的費用と私的便益とを基準にして、決められる。本人にとっての最適投資量は、
      私的限界便益=私的限界費用 (1)
 となる点で決まることになる。

 次に、社会的に最適な投資基準を考えると、
      社会的限界便益≡私的限界便益+外部限界便益=社会的限界便益 (2)
 となる。

 このようにして、投資が決められることになるが、利己的な個人の場合、
私的純便益=私的便益-私的費用
を最大にしようとするので、人的資本のように正の外部性を持つ財への投資は、その選択が利己的個人にゆだねられたとき、過小に終わることになる。

 如何にして、社会的に最適な投資を実行させることができるのだろうか。個人が利己的であるという事実を変更することができないとすると、(1)は不変である。そうすると、(2)を(1)と両立させるためには、外部限界便益に等しい限界費用補助を投資者に与えればよいということになるだろう。結果、利己的な個人に社会的に最適な投資量を選択させるには、社会が投資費用の一部を肩代わりすることが必要である。

 地方出身者は、生涯その地域と関係を持続していくことが多い。そういう意味でも、長期間、その地域と関わるという点において、初期段階における人的資本の形成は正の外部性がより大きくなると考えられる。

 では、このように公的支出が妥当であることを踏まえ、「あるべき」政策について見ていくことにしよう。

②地域間における高等教育の選択の「格差」に対する政策

 教育政策手段として、バウチャー制度や、価格補助金制度について議論されることが経済学においては多いように思われる。今回明らかにしたように、「有名大学」への興味関心の欠如が、選択の「格差」である場合、これらの制度を用いることによって、興味関心を啓発することはできそうである。例えば、バウチャー制度の場合、「有名大学[13]」に入学すれば、県の補助で無料にすることが考えられる。また、価格補助金制度についても、同様に、「有名大学」に入学することで、一定の補助が与えられることになる。

 このように金銭的なインセンティブにおいて、興味関心を高める政策以外においても、直接的に興味関心を高める政策も考えられるであろう。例えば、地域の中学生・高校生を「有名大学」に社会見学に連れて行き、そこで、大学への興味を喚起させる。これは、例えば、智辯和歌山中学では、修学旅行として取り組まれていたり、上記の津南中学では、早稲田大学などの訪問をしたりして、取り組まれている。時々、一橋大学でも、団体の中学生や高校生を見たりする。また、島根県の島の中学校の修学旅行の一貫として、一橋大学を訪れているという話も聞いたことがある。
 他にも、昨今、大学の入学生獲得競争は高まり、独立法人化した旧国立大学も、その戦線に参戦しつつある。どの大学も、優秀な学生の確保に必死なのである。こういう状況を踏まえ、県が、「有名大学」を集め、合同で説明会を開くなどの対策も考えられる。

 以上のように、様々な政策を考えることはできるが、問題は情報の非対称性にあり、その是正に取り組んでいくことが必要である。この情報の非対称性は、その地域の問題であり、よって、高等高校の管轄を行っている県が、問題の解決に取り組んでいくことが、規模の経済性を見ても、明らかであろう。その上で、各地域の人材政策の一環として、市町が、追加的に政策を行っていくことは、重要なことであろう。



参考文献:
・永谷敬三『経済学で読み解く教育問題』東洋経済新報社、2003年。

雑誌:
・『プレジデント』2007年10月15日号、プレジデント社。
・『財界にいがた』2007年10月号、財界にいがた。

ホームページ:
・田辺高校
 http://www.tanabe-h.wakayama-c.ed.jp/high-1.htm
・和歌山県統計情報館
 http://www.pref.wakayama.lg.jp/prefg/020300/wtoukei.htm

[1] 雑誌『プレジデント』2007年10月15日号、p.91。
[2] 雑誌『プレジデント』2007年10月15日号、p.88。
[3] 高等教育の機会の「格差」については、ここでは、扱わない。
[4] 資料①を参照。
[5] 詳細については、不明。
[6] 資料①を参照。
[7] 「平成19年度 100の指標からみた和歌山」を参考。http://www.pref.wakayama.lg.jp/prefg/020300/100/index.html
[8] 同上。
[9] 同上。ただし、この転入者の内訳については不明である。昨今、白浜において、老人ホームがたくさん作られ、域外から多くの高齢者が移入しているという話がある。
[10] 小熊「本県に必要なかつての教育水準と地域間格差の解消」『財界にいがた』10月号、p.129-135。
[11] 雑誌『プレジデント』2007年10月15日号、p.87-93。
[12] 永谷敬三『経済学で読み解く教育問題』東洋経済新報社、2003年、p.18-23を参考に書いている。
[13] あまり「有名大学」について、きちんとした定義を与えずに使用してきた。もしも、「有名大学」への入学に有利な条件を与えることになれば、その定義が問題になることは明らかであろう。

2008/01/09

晩飯会 in 国立

ちょっとした用事で、都心から帰り、少し休んでいると、電話が鳴る。携帯にメールが届いている。見てみると、電話の留守番着信メール。それを見ると、畏友からだ。

その瞬間、キン・コン。部屋の鐘がなる。軽装していたので、直に、部屋を出るわけにも行かず、慌てて、「はい」と良いながら、服を着る。

帰ろうとした畏友を呼び止めた。ディナーのお誘いだった。もう一人、美人の畏友もいた。

正確に記録はしていないが、2時間ほど、話す。

今日は、腐ったモヤシを昼に食べ、不調で、更に、アウトプットが不調で、ブルーだったので、ホント、救われた。不調な時は、人と話すのがいい。畏友と話すのがいい。

そんなわけで、感謝。

モヤシから変な匂いがする時は、あんまり、食べないほうが、良いということを、今日は身にしみて感じました。

2008/01/06

Today is the first day of the rest of your life.

明日から、学校が始まる。テストまで、残された時間は短い。その上、ただ今、もう一つ、ハードなレポートを抱えているので、スゴク憂鬱である。金曜日提出。

さてさて、明日は4時間連続の日である。まぁ、分からないことは分からないと、率直に言おうと、思う。

さて、今現在、レポート一つ(残り2つある)と格闘しているのだが、進展していなくて、憂鬱である。ただ、憂鬱だからと延期すると、5時間のとこが、15時間になってしまうので、気合を入れて、終わらせようと思う。


百貨店【大丸】
創業1717年、下村彦右衛門正啓が京都伏見に呉服屋「大文字屋」を創業。1728年に名古屋に進出時に「大丸屋」の屋号で営業。1907年、大丸呉服店成立。百貨店の店舗数18店。

百貨店【松坂屋】
創業1611年、織田信長家臣、伊藤蘭丸祐道が名古屋で呉服小問商「いとう呉服店」を創業。1768年に上野松坂屋を買収。1910年、いとう呉服店を設立。1925年、商号を松坂屋に統一。百貨店の店舗数は9店。


現在、J・フロントリテイリングに経営統合。
引用:『日経ビジネス』最新号


【華恵さん】
文章がお上手らしい。そういうことで、見てみた。
http://www.chikumashobo.co.jp/new_chikuma/hanae/index.html


【女優戦国時代】
20歳前後に、優れた女優さんが多いという話を聞いた。確かに、僕は知らないが、有名だという女優さんも多く入るので、確かに、多い。どうして、このようなことが起きているのだろうか?

その前の時代には、どのようなことが起きていたのか?その前の時代には、女優さんは、少なかったのですか?

分からない。。。

レポート、やっと、完成。。。

テーマ「21世紀における新しい東アジア国際秩序を展望しなさい。その上で、秩序形成の基軸となる理念、思想、価値について論じつつ、新たな地域構想を具体化、実現するにはどのような実践的努力が必要かについても論じなさい。」

 2007年11月に、ASEAN+3首脳会議が開かれるなど、「公式の統合」は進んでいる。この会議の共同声明として、次のように、これまでの、そして、これからの東アジアの国際秩序が展望された。

「われわれは、過去10年間の成果を振り返り、既存の協力を強化し、ASEAN+3協力の将来の方向性を提示した。ASEAN+3協力は、ASEAN共同体を実現するために引き続きASEAN統合を支持すると同時に、長期目標としての東アジア共同体の形成に貢献するものである。[1]
 
1997年~1998年のアジア金融危機を契機始まったASEAN+3プロセスが、長期的には、「東アジア共同体」形成までを視野において進展していることは、東アジアにおいて、少なくとも国家間のレベルで、新しい国際秩序[2]を作り出そうという機運が高まっていることを示している。しかし、現段階においては、これからの東アジア国際秩序、また、「東アジア共同体」のあり方は、不透明である。このことは、逆に、これからの取り組み如何によって、そのあり方が変わるということを示している。私たち一人一人が、東アジア国際秩序の変容に、「積極的に取り組むこと」が出来るかどうかが、試されていると言うことができるのではないか。

さて、「東アジア共同体」、そして、これからの東アジア国際秩序を考えるに当たって、一つのベンチマークとなるのが、ヨーロッパにおけるEU統合である。ヨーロッパにおける統合の方法が、即座に、東アジアで適応することができるということはないであろうが、その統合の過程を見ることで、私たちは多くの示唆を得ることが出来る。また、その統合の結果としての経済的な利益や安全保障上の利益などを見ていると、私たちは、それに魅了され、憧れさえもってしまう。このように、EU統合のアプローチを「直接的」には利用はできないが、「間接的」に、利用していくことになるのだろう。

ところで、ステレオタイプではあるが、EU統合の「成功」の要因として、「ヨーロッパ的価値」の共有や、経済的な発展などの同質性を挙げることがある。そして、それを持って、同質性が低いから、「東アジア共同体」は難しいとされる。確かに、東アジアは、経済的な発展の度合いで言えば、日本のように成熟国家がある一方で、中国のように、今まさしく、経済発展している国もある。また、何かしらの価値の共有が、なされているとも考えにくい。よって、「東アジア共同体」への道が困難であるということは分かる。

しかし、東アジアの諸国を見たときに、圧倒的に、「若い」国、つまり、今まさしく経済発展を目指している国が多いことに気づく。そして、どの国も経済発展のために、基盤技術の形成や、環境問題の対策など、同時並行的に様々な問題を抱え取り組んでいる。もちろん、このような問題は、一国だけでは解決することが出来ない。そこで、その問題解決の担い手になることが出来るのが、日本のような東アジアにおける先進国だろう。日本は、「戦後」の経済発展の結果、世界有数の経済大国となり、基盤技術のノウハウや、環境対策についても、世界有数の技術を持っている。ただし、「成熟」国家化し、社会の活力は失われ、また、少子高齢化などの問題を抱えているのが現状である。多少強引ではあるが、この東アジアにおける「若い」国家と「成熟」国家が、互いに長所と短所を「補完」しあっていくことが出来るのではないか。そうすることで、「若い」国は、基盤技術の形成や環境技術の移転によって、経済発展できるようになるだろう。また、「成熟」国も、「若い」国との接触を通して、かつての「熱い気持ち」を取り戻し、自国の問題、少子高齢化や環境問題を「積極的」に解決していくことが出来るようになるのではないか。この「補完」という考え方を基盤に、「東アジア共同体」または、これからの東アジア国際秩序を目指してはどうだろうか。

その「補完」関係について見ていくと、日本企業が東アジア諸国に進出し、そこで生産を行うなど、「補完」関係は、これまでも行われてきた。しかし、その進出の目的は、安い現地の労働力の活用だったりするなど、その関係は、ある意味、日本側からの一方通行だったと言うことができよう。そこにあるのは、「発展途上国」と「先進国」の関係性であり、「下」と「上」の関係にあると言えるだろう。しかし、昨今、この関係に変化が起きつつあり、「若い」国と「成熟」国の関係になりつつある。つまり、より対等な関係に近づいているということができるだろう。このレポートでは、その変化を描きつつ、これからの東アジア国際秩序、そして「東アジア共同体」について論じていくことにしたい。

まずは、東アジアの発展の構図について、簡単化して、歴史的に振り返ってみよう。第2次世界大戦後、東アジア諸国は、次々と、独立していく一方で、「冷戦」の中、それぞれの道を歩んでいくことになる。そこで、ひときわ目立つ経済発展を最初に遂げたのが西側陣営の日本である。日本は、「中進国」として、戦後当初は進んでいくことになった。1950年から1973年までのGDP成長率は年率9.2%で、これは同じように戦後高度成長を記録した西欧諸国を大きく上回る結果となった[3]。その結果、日本の産業構造は大きく変化し、そして、1964年にはOECDに加盟するなど、先進諸国の仲間入りを果たすまでに発展するに至った。次に、1970年代に入る頃から、韓国、台湾、香港、シンガポールといった「四匹の龍」が登場してくる。これらの諸国地域はアジアNICS、NIESと呼ばれ、世界の奇跡として称賛されていくことになる。さらに、その後、東アジアの他の諸国、タイ、マレーシア、フィリピン、インドネシア等のASEAN諸国が発展を遂げていくことになる。近年、特に、注目を集めている中国も発展を始めた。1978年末に経済改革、対外開放、「緑の革命」に踏み出し、90年代に入ってから、際立った経済発展を実現していくことになった。そして、中国近辺のベトナム、カンボジア、ラオス等も、90年代以降、一気に改革、開放の道に踏み込んでいくのであった。そして、1995年以降には、東南アジア諸国は、先行するシンガポール、タイ、マレーシアなどの「先進国」と、ベトナム、カンボジア、ラオス等の「後発国」が、一つの新たなASEANとしてまとまり、新たな時代に進もうとしている。そして、1997年以降のアジア通貨危機において、「東アジア共同体」の議論が盛り上がるようになり、今日に至るのである。「冷戦」期においては、西側陣営の日本、韓国、台湾などの地域諸国の発展が進み、「冷戦」の緊張緩和、そして、崩壊を契機に、中国やベトナムなどの東側陣営の経済発展が進んできた。そして、今日、その西、東の枠組みが崩壊し、その枠を越えて東アジア全体、そして、世界全体と同時に、経済発展が進んでいる段階にあると言えよう。

次に、このような東アジアの発展の構図を押さえた上で、「補完」の関係の変化について見ていくことにしよう。一方的な、日本企業が安い労働者を求めて進出するという「補完」関係から、どのように変化していっているのだろうか。「日本から東アジアへの関係」と、「東アジアから日本への関係」の変化について、それぞれ見ていくことにしよう。

まず、最初に、「日本から東アジアへの関係」の変化について見ていこう。ここでは、中国の事例を見ながら、その変化について見ていきたい。ここでは、日本企業の海外人材の活用が、より高度化していることを確認していこう。日本経済新聞の2007年12月31日[4]に次のような記事があった。「日本の有力企業が中国拠点で長期雇用を前提にした人事制度整備に乗り出した。松下電器産業やホンダは個人の働きぶりや能力を評価して給与に反映する成果主義的な人事制度を導入。企業に長期雇用を促す『労働契約法』が来年1月に施行されるのを機に従来1~3年ごとだった社員の契約期間を3~5年程度に伸ばす動きも広がる。日本の労働力人口が減少するなか、中国を今後の成長を支える人材供給源と位置づけ、人材を長期的に確保・育成する体制作りを急ぐ」とある。このような動きの背景には、日本の労働力人口の減少以外にも、優秀な社員の定着を促すために、欧米企業並みの対応をしなければ行けないということも指摘されている。そして、トヨタ自動車は「現地法人の幹部育成に向けて教育制度も拡充する。トヨタ自動車は出資先企業の管理職にトヨタ流の仕事の進め方を伝授する共同研修を始めた」とある。こうして、日本企業の海外展開のあり方が、その国の人々との、より高次での「補完」関係に移行していることが確認できた。このような関係の移行については「長期雇用を前提にした制度導入で人件費負担は膨らむが、日本企業の間では『現地の事業を高度化していくうえで避けて通れない』との見方が強まっている」とある。明らかに、「日本企業の中国戦略は新段階」に入っていることが分かる。

もう一つ、事例[5]を見ていこう。3K色の強い鋳造、鍛造部門は日本国内での生産力確保に懸念が生じており、中国への依存が模索されてきた。しかし、鋳造の場合、初期投資が大きく、また、人的要素などの課題のために、なかなか日本からの進出が進まなかった。そのような中で、大連丸祐工業有限公司は、鋳造部門の中小企業として最初に進出の選択をした。結果は果敢な進出が功を奏し、日本では集めにくい若い人を大量に雇うことができ、また、日本の中小企業では、なかなか採用しにくい理工系大卒が活躍しているなど、中国において人材が十分に育ってきている。このようにして、「成熟」した日本では、集めにくい人材を、「若い」国で確保し、日本企業の活路を見出そうとしている姿が浮かんでくる。

「日本から東アジアへの関係」について2つの事例を見てきた。共に、日本の労働力人口減少や3K的な仕事の不人気などの日本国内の問題を解消するために、「若い」中国との「補完」関係を築いていこうという姿勢が見られる。

次に、「東アジアから日本への関係」について見ていく。ここでも、中国の事例を見ながら、確認していきたい。

家庭用ミシンモーターの世界シュアを80%握っている山本電気は、コストを下げるために、上海や台湾に、積極的に進出していた[6]。家庭用ミシンモーターは技術的にも確立されていることもあり、日本の本社は、開発型企業への 転進を模索することになった。しかし、福島県の地方小都市の中小企業では、理工系大卒など望むべくもなく、人材調整に苦慮していた。そのように人材調達に苦慮している頃、中国からの留学生が飛び込んでくることになる。山本電気は、海外展開をしていたこともあり、中国人の優秀さを理解していたので、採用し、そのことで、口コミで次々に留学生が入社するようになり、その中には、東京の有力国立大学の大学院卒もいた。このことに関して、社長の山本司氏にいわせると「うちみたいな中小企業には、理工系大卒などこなかった。就職難で最近は日本人の理工系大卒もくるが、集団面接で英語で討論してもらおうというと、日本人学生はみんな逃げ出す」とのことである。その結果として、10数人の開発部隊の中心は中国人スタッフになっているとのことである。また、一般に外国人を雇用した場合に、直辞めるなどの問題が指摘されているが、その最大の原因は短期契約などの身分が不安定なところにある。山本電気では、労働組合への加入を勧め、事実上、終身雇用の枠の中に取り込むなど、外国人労働者の労働環境の整備も進んでいる。以上のように、日本の中小企業が、国内の人材難などを背景に、外国人留学生を中核的人材として採用し、そして、その中で、次の発展を目指そうという姿が浮かんでくる。こうして、日本の中小企業は、ますます、グローバル企業へと変貌していることが分かる。

もう一つ事例を確認していこう。ここでは、神戸市の「新しい中国人街プロジェクト」を見ていくことにする[7]。日本企業の海外進出と比較し、外国企業の日本進出が極度に少なく、地域に外国企業を誘致するのは喫緊の国家的な課題となっている。また、地方自治体にとっても、地域に新たなインパクトを与えるものとして外国企業への関心が高まっている。この神戸市のプロジェクトは、阪神・淡路大震災の復興事業の一つとして位置づけられ、中国そしてアジアを視野に入れた一つの産業拠点を形成しようとするものである。この地域に中国を中心とするアジア企業の一大集積を図り、神戸経済にインパクトを与え、震災復興の中心的な役割を演じてもらおうという期待がある。神戸市は、もともと、外国人が日本で最も住みやすい町として知られ、中国人、韓国人、インド人、ベトナム人が多く居住している。そのため、子弟の教育機関、医療機関、漢方薬店、レストラン、食材店など、日本で生活するためのインフラが充実している。このようなインフラを背景に、神戸市は、留学生の就業や企業を支援したり、最初の日本進出拠点になることができるようにアジア企業を支援したりしている。この事例は、地域の中に、アジアの新しい動きを招き入れることで、発展を目指し、その中で、日本も変革していこうという動きであろう。

以上のように、「日本から東アジアへの関係」と「東アジアから日本への関係」について、その変化を検討してきた。国内的(労働人口の減少とか)また、国外的な要因(法制度の変更とか)に作用され、日本企業が大きく変化していることが確認された。海外展開するに当たっても、外国人労働者がどんどんと重要な役割を担うようになり、また、国内においても、中核的な人材になったり、地域の活性化の起爆剤として期待されるようになったりしている。国家間の、これからの「東アジア国際秩序」は、まだ、不透明であるが、このように、経済レベルにおいては、どんどんと、その「補完」的関係は進展している。
 「冷戦」も終わり、これから、やっと、東アジア全体で相互交流を行うことができるようになった。勿論、北朝鮮については、まだ、不確実な側面が多く、これからも注意していかなければならない。ただし、この問題も、北朝鮮を東アジア、そして、世界の相互交流の中に、如何に入れていくのかという視点を中心に、その中で、他の様々な問題を解決していくという姿勢が必要なのであろう。繰り返しになるが、「東アジア国際秩序」は、まだ、どのようになるかが、不透明であり、私たち、一人ひとりの取り組みが重要になってくる。経済活動を見ると、日本と東アジアとの「補完」関係は進行し、その中で、それに対応して日本も変化を遂げつつある。大きな変化の時代を迎えるに当たって、私たち一人ひとりの取り組みとして重要なのは、その変化に、「どれだけ積極的になれるか」、ということであろう。



参考文献:
・関満博『地域産業の未来』有斐閣、2001年。
・『日本経済新聞』2007年12月31日。
・マンガス・マディソン著、政治経済研究所訳『世界経済の歴史 1820年-1992年』東洋経済新報社、2000年。

ホームページ:
外務省 http://www.mofa.go.jp/mofaj/

[1] 2007年11月20日「東アジア協力に関する第二共同声明」外務省ホームページ。
http://www.mofa.go.jp/mofaj/area/asean/asean+3/syunou.html
[2] 同上。「われわれは、東アジア統合は、相互利益のための開かれた、透明で、包括的な、前向きなプロセスであることを改めて強調し、域内の平和、安定、民主主義及び繁栄を達成するために国際的に共有された価値を支持する。東アジア域内及び域外の永続的な平和と繁栄の共有に向けたビジョンに導かれ、われわれは、新たな経済の流れ、進化しつつある戦略的な相互作用、並びに、変化と新たな力学に対応可能な開かれた地域アーキテクチャーの実現に向けてすべての関心国及び機関を引き続き関与させるとの信念に今後も導かれていく。」
[3] マンガス・マディソン著、政治経済研究所訳『世界経済の成長史 1820年~1992年』東洋経済新報社、2000年、p.110-111を参照。
[4] 『日本経済新聞』2007年12月31日、p.1。
[5] 関満博『地域産業の未来』有斐閣、2001年、p.107-110を参考に以下書いていくことにする。
[6]関満博『地域産業の未来』有斐閣、2001年、p.101-103を参考に書いている。
[7]関満博『地域産業の未来』有斐閣、2001年、p.61-65を参考に書いている。

2008/01/03

ガピョーン(*^_^*)。。。

どうも、調子が上がってこないので、ウツウツしています。ストレスなのか、舌に出来物が出来て、何となく痛く、それが更に、ストレスです。

さてさて、
【心に残る言葉】
「今より若い時はないのよ!」

「苦手は、自分で作り出すものだから、克服せなあかん」

「エネルギーは、使ったぶんだけわいてくる」

「こっちがあるからあっちができない、じゃないよ!あっちもこっちも両方やるんだよ!」

「できない理由を探して逃げるな。その間は絶対にできない」

「自分の中にあるたくさんの矛盾を認めることから人は進歩するんだと思う」

「失敗は生きている証拠」

「今やったら、はよ終わることを、後回しにすんな。2,3分で終わることが、1,2時間になんねん。あほらし。」

「頑張ったら、頑張っただけ。楽したら、楽しただけ。ちゃんとそういうふうになってる」

「直す時は、一時の恥じ。直さぬは末代の恥だよ!」

「自分に余裕がある時に人に気を使うのは、ある種、当たり前のことで、自分がしんどい時に、どれだけ周りに目を向けられるかが、踏ん張りどころだよ」

「自ら機会を創り出し、機会によって自らを変えよ」

「僕はね、仕事というのは、結局はいかに自分の感性や言葉で翻訳するかということなんだと思うよ」

「別に、命を取られるわけじゃない」

「ヒトの反応は自分の鏡。そのヒトに自分が接しているように返してくれるんだ」

    心に残る言葉、終わり

【読書感想文】
岩下『北方領土問題』を読む。ぱらぱら読む。

僕の知識では、本の内容が詳細だったので、難しかった。よって、軽く主張とかを読んだという感じです。

僕は、和歌山出身なので、イマイチ北方領土とかがイメージを持つことが出来ない。ステークホルダーとしての漁業関係者について、知識を持っていないと、この問題へ実効性のある議論をできないのではないかと思った。

というのは、「そもそも論」とかになると、日本もロシアも、それぞれ意見があるので、どうやって、その利権などを分割するのかについて議論が収斂していくことになると思われるので。

まぁ、読んでいて、この問題が進展しないのは、話を進めることのコストのほうが、その時に得られるであろう利益よりも大きいからだと思った。

この問題を解決するのは、政治家の決断なのだということを、痛感。日本の政治家たちが、如何にして、国内の支持を取り付けることができるかがポイントだ。

【映画】
「ニライカナイからの手紙」
「コーチ・カーター」

部屋にDVDがあると、見てしまうので、危険だ。。。

上の映画は、蒼井優さん主演の映画で、それなりに面白かった。「ニライカナイ」という言葉を、懐かしく思う。というのは、この言葉は、高校1年と3年の担任の先生が毎日作成されていた学級通信の題名だからである。

「コーチ・カーター」は、いろいろ考えさせられた。人的資本への投資によって、社会の公平性と効率性を高めるという点に興味があり、そのような視点から、この映画を見ていた。

アメリカの90年代以降の貧困地域での話である。その中で、如何にして、人生を切り開いていくのか。より良い人生を築いていくのか。そこで重要なのは、教育の機会へのアクセスであり、それを導く教師であり、その教師の「情熱」であろう。

少し前に、「フリーダム・ライターズ」を見た。この映画も、上の映画と同じような感じだった。日本でも、程度の差はあるとは言え、同じようなことが起きているのではないかと思った。

「格差社会」の中で、如何にして、一人ひとりの心に「熱い思い」を持つことが出来るようにするのか。

社会のあり方を、考えるに当たり、金銭的な面よりも、そういう気持ちを、どのようにしていくのかについて関心があります。特に、成熟国家日本にとって、そのような感情が持ちにくいから、より喫緊の課題と言えるでしょう。

2008/01/02

あけましておめでとうございます。

このブログをお読みの皆様へ


あけましておめでとうございます。

昨年は、いろいろな所で、多くの方に、お世話になりました。ありがとうございました。

今年も、いろいろ、よろしくお願いします。少しでも、自分のオリジナルな何かを残すことが出来るように、いろいろな場所で、努力していきたいと考えています。

さて、先ほど、白浜から、飛行機で帰ってきました。家は、良いですね。普段の十数倍ぐっすりと、睡眠を取ることが出来たように思います。親パワーですね。

12月31日に、夜行バスで帰り、1日に電車で白浜に行き、家に帰り、そして、祖父母の家に行って、お墓参りをし、その帰りに、お寺にお参りに行きました。

その寺は、上野樹里さん主演の映画「幸福のスイッチ」に、登場していましたよ。

そして、美味しいものを家で食べて、寝て、1月1日が過ぎました。

2日は、朝起きて、朝飯を食べた後に、山仕事を命じられ、夕方の少し前まで、働いていました。父と弟が切った木を運ぶということで、父と兄弟三人で、大量の木を6時間くらい運んでいました。その木は、祖父母が薪として使うようだったので、喫緊の課題でした。

そして、晩飯に美味いものを食べて、飛行機で帰ってきました。そして、寒い部屋にいる、今に至ります。

まぁ、そんなわけで、僕のオフが終わりました。これからは、レポートと、種々の課題を一つずつ、丁寧にこなしていこうと思います。昨年のように、前日に、お酒を飲んだ中で、レポートを書くことがないように、計画性を持って、取り組んでまいります。

今年も、よろしくお願いします。