2007/06/28

暑いので、水分補給!カルピスウォーターはうまい!

●あーーーーつーーーーーいーーーー

暑くて、微妙に、作業効率が下がってきているような気がします。暑さ程度で、下がるなんていうのは、まだまだ修行が足りないと、大いに反省しているところであります。

ただ、暑いのも事実なので、できるだけ、学校の図書館に避難するようにしようと思うのです。

●ドラマ終わる

今日は、ここ3ヶ月ほど、ずっと見ていた、「バンビーノ」が終わりました。日曜日には、「冗談じゃない!」も終わりました。残念でーーーーーす。

ほんま「冗談じゃない」!!!。

うぅぅぅーーーーーーーー。。。

僕は、これから、どのドラマを見ればいいのか・・・・・。。。

「のだめ」または「冗談じゃない!」のⅡを早く放送して欲しいのですが。

これまで、水曜日、日曜日と、一つずつ、面白いドラマを見ることで、何とか、苦しい毎日を乗り切っていたのに、その支えがなくなった・・・。ガビーーーーーーーーーーン・・・。

辛い日々が続きそうです。。。

●ロンドンのシティーの金融力の強さについて考える

最近、金融史をぱらぱら勉強していているのですが、それを通して、ぜひとも知りたいのが、どうして、イギリスのロンドンの金融は世界的な競争力を持つに至ったのか?持ち続けているのか?

それについては、昔、レポートで、19世紀のイギリスの金融について少し書いたことがある。(再掲)
 
ここでは、19世紀のロンドンの金融ビジネスについて考えていきたい。ロンドンは今日でも、東京、ニューヨークと並ぶ世界の3大金融市場の1つである。ロンドンのシティと呼ばれる金融街には、そのほぼ1マイル4方の面積の地域の中に、イギリスだけでなく世界各国の銀行、証券会社等が集まっている。

今日のロンドンの金融ビジネスの基礎は19世紀に築かれた。19世紀のイギリスは「パックス・ブリタニカ」と呼ばれる、イギリス中心の覇権秩序のもとで世界大の市場を作り上げることに成功した。結果として、当時のイギリス経済は相互依存的な有機的なつながりの中心になることになった。

これは、今日、ますます顕著に見られるようなグローバルな市場の初期段階と見ることもできるだろう。実際に、ここからグローバルな経済の発展と繁栄が始まった。よって、今日のグローバルな経済、とくに金融資本主義のメカニズムを理解するに当たって、その初期の段階であった、

19世紀のロンドンの金融ビジネスの繁栄と発展の仕組みを知ることは必要不可欠なことであろう。そして、ここに、今日、19世紀のロンドンの金融ビジネスについて学ぶ意義がある。19世紀のロンドンの金融ビジネスの発展及び繁栄について明らかにするに当たって、まず、多くの都市が存在する中で、どうしてロンドンが19世紀において、金融センターとして比類がないほどに発展したのかについて見ていく。

次に、その発展及び繁栄の仕組みについて見ていきたい。そして、最後に、19世紀のロンドンの金融ビジネスが繁栄及び発展したことが、市場の論理の中で、どのような意味を持ったのかについて、見ていくことにしよう。

最初に、どうして他の都市ではなく、ロンドンが金融センターとして繁栄したのかについて見ていく。1点目としては、大陸に比べて、地政学的リスクが低かったことが挙げられるだろう。イギリスはウォータールにおいて、フランスからの挑戦を退けてから、19世紀の後半に至るまで、イギリスのヘゲモニーに挑戦するだけの経済的及び領土的な基盤を持った国は現れず、「パックス・ブリタニカ」と呼ばれる状況が続いた。イギリスは海外の戦力的拠点と世界最強の海軍力で世界大の市場の中心となったのである。

2点目としては、ポンドが金で担保された、事実上の金本位制が敷かれていたことが挙げられる。そのために、債権・債務関係の安定につながり、起債市場として発展することが可能になった。例えば、1860年代からのラテン・アメリカや中近東諸国における外資導入ブームに対応して、長期資本輸出の拠点としての役割を果たしていくことになる。

3点目としては、ロンドンでは他の都市では享受できない、自由が確保されていたことが挙げられよう。そのために、有力な外国業者の参入が容易であったために、ナポレオン戦争前後には、大陸ヨーロッパから金融業者が相次いでロンドンに移住することになった。また、規制からの自由は、国際的要請に速やかに対応し、考案した諸手法をすぐ実行することを可能にした。

次にロンドンの発展及び繁栄の仕組みについて見ていきたい。まず、最初に指摘できるのがロンドンにおける金融システムの集積性であろう。シティには種種の業者(マーチャント・バンクと呼ばれる金融業者とか)が集まっていた。いずれも、金融や関連したサービスのいずれかに特化する一方で、互いに他の業者に依存して集積効果を享受した。多くの企業は家族を単位にし、人種や宗教、出身地に傾向が見られたが、個人を基盤とする信頼関係で結ばれたコミュニティーを形成していた。

発展及び繁栄の2つ目としては、シティの機能が国内ではなくて、国際金融に大きく偏っていたことが指摘できよう。イギリス産業革命期においては、旧設備のコンバートが盛んであった。また生産設備のリースが一般化していた。

イノベーションも局部的にしか展開しなかったことなどから、投下資本が少なくてすんでいた。この結果、固定資本比率が低く、工業投資需要は低水準に止まり、地主や商人のような高額所得階層の貯蓄率は非常に高かった。

結果、国内的に資金の過剰が生じることになり、資本輸出の展開する根拠が与えられることになった。そして資本輸出の原因は他にも、イギリス国内の食料及び原料需要、貴重な原料資源の発見、アメリカの大草原地帯の開拓さらにパックス・ブリタニカによって確保された安全保障などがある。ただ、最も重要だったのは、海外投資が国内投資よりも有利だったということがある。

よって、ロンドンのシティでは国内投資よりも有利な資本輸出を志向することになり、結果として、国内の工業の停滞の代わりに、金融上における繁栄を手に入れることになった。

ただし、経済的、政治的な変化によって、徐々にイギリスは力を落としていくことになる。工業力よりも金融力に力点を置いた結果、国家の産業基盤が弱体化し、国力の低下につながった。そのような状態での、敵対的他国の挑戦は、イギリスに大きな脅威をもたらすことになった。また、イギリスにとっての従順な周辺国がナショナリズムを追及するようになった。このことは、宗主国としてのイギリスとの交易に大きな損害を与えることになった。

以上、ロンドンの金融ビジネスの発展及び繁栄の仕組みと、経済的・政治的変化による、衰退についてみた。最後に、19世紀のイギリスの金融ビジネスの市場の論理の中での、意義について考えたい。
 
まず、第一に、ロンドンのシティが利益の追求のために資本輸出をした結果、イギリスをも越える国家が出現してきた。これについては、ホブソン『帝国主義論』によると、「将来の国内的発展のためにすべての必要な生産力を十分に身につけた後は、かような民族は、それ以上産業的援助を受ける必要に拘束されなくなって、自分に文明を傅えてくれた者に対抗するに至り、彼自身の市場で彼を売り負かし、彼の他の外国市場を奪い取り、そして地球上の他の未開発地域に残っているところの、今後なさるべき開発事業を自分自身のために確保するかもしれない」と述べている。

これについて、ギルピン『多国籍企業没落論』で「帝国主義がその中枢を犠牲にして周辺を強化すること、すなわち中枢から周辺への資本と技術の移転を通して、前者はそれ自体の生存能力を侵食されていく・・・さらに周辺は一度工業化されると、今度は中枢に敵対するようになる」と解釈している。これは、ロンドンでの自己利益の追求のための資本輸出が、実は自国の国力を減じることになり、逆に他国の大きな発展につながったという意味で、今日のグローバルな国際経済に大きな貢献をしたと言えるであろう。

次に2つ目の意義としては、ロンドン市場が最初に世界大の金融市場をリードし、それが続いてきたという意味で、今日でも大きな影響力をもつようになったということがいえるであろう。布目『マーチャント・バンク』によると「・・・ロンドン外国為替市場の業務の大半はマーチャント・バンクによって長年取り扱われてきた。彼らがこの業務において100年にわたる歴史をもつこと、そして彼らが海外の銀行商社と緊密かつ長期の関係を保有していることが、おくれて参加したものよりは、彼らのオファーとリクエストにおいて、はるかに弾力的な行動をとることを可能ならしめたのである。」

つまり、ロンドンにおける金融ビジネスが、長い経験と信頼が市場論理の上に成り立っているということである。

以上、ロンドンの金融ビジネスの発展及び繁栄のメカニズムと、その市場論理の上での意義についてみてきた。19世紀において、イギリスは地球大の市場を作り上げた。これは、モノ・ヒト・カネ・ネタの流通網を形成したことを意味した。

この流通網を完全に利用しながら、イギリスの繁栄は築かれた。ただし、金融力偏重が許された世界秩序の変化の結果、イギリスの凋落は始まった。しかし、19世紀に築かれた、種種の流通網は存在し続け、かつ、その上に信頼と経験が積まれてきた結果、今日にも続く繁栄の基盤が出来上がったと見ることはできないか。こうみると、19世紀のロンドンの金融ビジネスは今日の世界市場においても、大きな意義を持っていると言えよう。


引用:
ホブスン著、矢内原忠雄訳『帝国主義論 下』岩波書店、1951年、p.239。
R.ギルピン著、山崎清訳『多国籍企業論』ダイヤモンド社、1977年、p.93。
布目真生『マーチャント・バンキング』金融財政事業研究会、1976年、p.14-15。


ここの結論は、19世紀に築かれた金融ネットワークの上に、信頼関係とか、ノウハウとかがが積み重ねられてきた。そして、それが時代の変化に対して、柔軟に対応することを可能にし、競争力を有することができたのである。

僕の疑問は、ホントにそれだけかというのです。この議論では、何か見えないものについて考えていて、何か納得ができない。もちろん、このように見えない慣習とかも重要ではあるけれども、もっと、何か制度的な、金融システムの制度的な何かがロンドンのマーケットにあるのではないか。

その結果として、競争力が生まれてくるのではないかと、考えたりしているのです。

まぁ、その前に、金融というものをもっと、もっと、勉強しないといけません。日本人は、戦後、もの造りにおいて、経済成長をとげたと、だから、経済成長のためには、もの造りと刷り込まれているので、金融を軽視しがちな、制度的な欠点があります。

このあたりにも、意識的に、金融を勉強しないといけない、大きな動機があるのでしょうね。

政治を勉強するにも、社会を勉強するにも、経済とは切っても切り離せません。政経不可分です。その経済の大きな動力である金融を、どの程度、理解することができるのか。それによって、世界観や歴史観が大きく揺さぶられるかもしれません。

金融について、本気で勉強する必要性を感じます。(もちろん、理論を勉強することも必要でありますが、同時に、金融史とかの、その理論を俯瞰するような勉強も同時にすることが必要なのは明らかでしょうね)

きーーーんーーーゆーーーうーーー、勉強しなくっちゃ!!!

●数学奮闘記

集合・位相に悩む。数理論理学も勉強しないと。うぅぅーーーーー。


終わり・・・。
エクセルの基本的な使い方を習得!!!

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