2007/06/29

「自由」を信じたい!!!

卒論報告 第2回目

1950年代の経済政策

・始めに
 今日、日本は経済大国としての地位にあるが、戦後すぐの段階では、戦争からの復興が進められた。そして、1955年頃になると、戦前の水準に回復したと考えられている。当時、日本では「自立」[1]した経済の構築が進められ、重化学工業を中心に産業構造を組み替えていこうと模索されていた。

そして、その日本経済の重化学工業化を進めるにあたって、「産業政策」と呼ばれた政策体系が準備され、それを進めるにあたって大きな役割を果たしたと考えられる。

ここでは、産業政策について、通産省の権限が縮小したということと、産業政策が日本の経済復興に一定の役割を果たしたということを確認したい。

・産業政策[2]とは?

産業政策とは、「市場の失敗」のため資源配分に問題が発生、または発生が予想されるとき、政府が産業部門間の資源配分、または個別産業内の産業組織に介入して、経済全体の厚生水準を高めようとする政策である。したがって、産業政策は、産業構造政策と産業組織政策に大別される(橋本『現代日本経済』p.73)。

この目標は、電力、海運などインフラストラクチャーの整備と、国際競争力の弱い重化学工業や新産業の保護育成にあった。

・産業政策の5つの側面
 (1)国際競争からの保護政策および国際競争力の育成政策
 (2)産業育成および資本蓄積促進政策
 (3)優遇金融政策
 (4)重点産業別育成、合理化政策
 (5)産業秩序維持政策

・(1)国際競争からの保護政策および国際競争力の育成政策の概要
 
外為法(1949年)は、国際競争からの保護のために、為替と貿易の国家による厳しい統制が規定されていた。輸入品は、自動承認制度と外貨割り当て制度のいずれかに区分され、前者は申請どおり輸入が認められるが、後者の輸入については通産大臣によって、外貨が割り当てられていた。この外為法が制定当時は、外貨不足の状況下のために、大部分の品目の輸入が外貨割り当て制度のもとにおかれていたために、この制度は、産業界に対する強い規制力を発揮した。この制度の下では、重要原材料の輸入が優先的に重化学工業に割り当てられて重化学工業の育成が進められる一方、重化学工業の完成品の輸入は厳しく抑制されて、国内の幼弱な重化学工業が国際競争から保護されていた。

外資法(1950年)は、導入された外資の外貨送金を保証したものの、同法の運用過程で外資の導入そのものが厳しく抑制され、日本企業、とりわけ育成過程の重化学工業主要企業を、外国資本の支配から保護する役割を果たした。

以上のような国際競争からの保護手段が整備されていった。これは、当時の日本のおかれた国際収支の制約や、外貨不足という状況に対処する役割も有していた。
 
1960年以降、日本の国際競争力が強化されていくことになると、貿易そして資本の取引が自由化されていったのは、当然のことであった。しかし、これは、産業政策を担当する通産省にとっては、強い統制手段を失ったことを意味した。

・(2) 産業育成および資本蓄積促進政策の概要

この政策の一般的な手段としては、税制上の優遇が成された。政府は、企業の投資と内部留保の増加(資本蓄積)のために、減価償却の割り増しや準備金の設定[3]などにより、法人税負担を引き下げたり、輸出促進のための減税をしたりした。

・(3) 優遇金融政策の概要
 
輸出促進のための日本輸出入銀行[4]の設立や、国内開発のための日本開発銀行[5]、中小銀行向けの中小企業金融公庫など各種の専門的な政府系金融機関が設立され、これらの金融機関から長期・低利・安定的な資金供給がなされた。

財政投融資も、社会資本の整備や、エネルギー産業及び基礎産業の活動のために使われる比重が大きく、これらの充実によって、産業育成に貢献した

・(4)重点産業別育成、合理化政策の概要

重要産業別の長期計画・単行法は、個々の重要産業を対象として、財政的金融的優遇や、機械や重要原材料の優先輸入と技術導入のための外貨割り当てなどから始められた。そして、産業の合理化計画を樹立し、通産大臣がその実施計画を決定し、その一方で、合理化のための共同行為について独占禁止法の適用除外とすることなどがされた。

・(5)産業秩序維持政策

産業内部の競争について、一定の枠をはめようというものであった。当時、一部の産業では、競争に伴う値下げの行き過ぎから倒産や失業が発生したりしていた。これを受けて、不況カルテルや合理化カルテルを許可制で認めるようになった。

結果、強調的な体質が日本産業に定着したというよりは、高度経済成長化においては、活発な競争が展開され、良好な市場パフォーマンスが見られた。

・まとめ
戦後直の段階においては、日本企業は技術的に、海外から立ち遅れていた。そのためのキャッチアップのためにも、設備の新設改良が喫緊の課題としてあった。しかし、資金的に困難であったことから、上で見てきた産業政策は企業の側にとっても望ましいものであった。

企業はこの産業政策という望ましい環境のもとで、積極性を失うことなく、経営者は一層の企業努力を注ぎ、技術進歩と競争を推し進めることになった。

ところが、60年代以後、企業の経営的基礎が確立し、自信が強まってくるにつれ、企業は政策への依存を低め、政府の干渉を好まなくなっていった。

また、IMF(52年)・GATT(55年)に加入することによって、日本が通貨や貿易についての国際的な取り決めに参加できるだけの経済力を回復したことを示すことになった。このことは、米欧から日本の為替管理や貿易統制の撤廃を求められることにつながった。

以上のような国内・国外の変化によって、産業政策から、自由化への政策転換を図っていくことになったのである。

ここでは、産業政策について、通産省の権限が縮小したということと、産業政策が日本の経済復興に一定の役割を果たしたということが確認されたと思う。


既に読んだ本リスト:
1.香西泰「高度成長への出発」中村隆英編『日本経済史7 「計画化」と「民主化」』岩波書店、1989年。
2.菊池信輝『財界とは何か』平凡社、2005年。
3.城山三郎『官僚たちの夏』新潮社、1980年。
4.中村政則『戦後史』岩波書店、2005年。
5.中村隆英・宮崎正康「1950年代の産業政策」中村・宮崎編『岸信介政権と高度成長』2003年、東洋経済新報社。
6.宮崎勇『証言戦後日本経済』岩波書店、2005年。
7.森武麿他著『現代日本経済史』有斐閣、1994年。



文献リスト(これから読む本):
1.浅井良夫『戦後改革と民主主義』吉川弘文館、2001年。
2.伊藤元重『産業政策の経済分析』東京大学出版会、1988年。
3.猪木武徳『経済思想』岩波書店、1987年。
4.猪木武徳・安場保吉編『日本経済史8 高度成長』岩波書店、1989年。
5.内田公三『経団連と日本経済の50年』日本経済新聞社、1996年。
6.岡崎哲二、奥野正寛編『現代日本経済システムの源流』日本経済新聞社、1993年。
7.大嶽秀夫『戦後政治と政治学』東京大学出版会、1994年。
8.大嶽秀夫『高度成長期の政治学』東京大学出版会、1999年。
9.清川雪彦『日本の経済発展と技術普及』東洋経済新報社、1995年。
10.社団法人経済団体連合会編『経済団体連合会50年史』経済団体連合会、1991年。
11.小宮隆太郎他編『日本の産業政策』東京大学出版会、1984年。
12.斉藤道愛『高度経済成長と日本農業』立正大学経済研究所、1982年。
13.田代洋一他編『現代の経済政策』有斐閣、2006年。
14.チャーマーズ・ジョンソン著、矢野俊比古監訳『通産省と日本の奇跡』TBSブリタニカ、1982年。
15.通商産業省、通商産業政策史編纂委員会編『通商産業政策史』通商産業調査会
1989年-1994年。
16.鶴田俊正『戦後日本の産業政策』日本経済新聞社、1982年。
17.中村隆英「日本における産業政策の特色と評価」『週刊東洋経済』1974年6月18日臨時増刊。
18.三輪芳朗『政府の能力』有斐閣、1998年。
19.橋本寿郎『戦後日本経済の成長構造』有斐閣、2001年。
20.橋本寿郎他著『現代日本経済』有斐閣、1998年。
21.原朗「戦後50年と日本経済」『年報日本現代史』第1号、1995年。
22.原朗編『復興期の日本経済』東京大学出版会、2002年。
23.柳川隆、川濱昇編『競争の戦略と政策』有斐閣、2006年。


今度の予定

[完了]6月15日 第1回目卒論報告

[完了]6月29日 第2回目卒論報告
↓文献リストの本を読む。
8月9日から夏休み

↓青木昌彦『比較制度分析に向けて』を読み、制度について考えてみる
↓文献リストの本を読む
↓比較考察しながら読む。
↓意見の違いに注目しながら、読む。
↓自分の仮説をきちんと立てて、その仮説を検証していく。

9月ゼミ合宿において、中間報告(?)

↓文献リストの本を読む
↓比較考察しながら、考える

10月1日冬学期始まる

↓文献リストの本を読む
↓比較考察しながら、考える
↓意見の違いに注目しながら、読む。
↓自分の仮説をきちんと立てて、その仮説を検証していく。
↓文章を徐々に作り出す

12月21日卒論をまずは、完成させる


[1] 「自立」した経済とは、「財政も企業も家計も赤字であり、多額の外国援助に支えられてやっと国際収支のつじつまを合わせているような状態を脱出して、年々国民経済が最小限度のバランスのとれた形で循環しうる経済」だと考えられる(中村・宮崎「1950年代の産業政策」p.17-18)。
[2] この産業政策が高度成長に対して効果を持ったことは認められている。その極端な評価として「日本株式会社論」という海外からの評価がある。これは、政府(通産省)の有形・無形の施策が基本的に企業行動を規制しており、日本全体があたかも一つの株式会社のように組織されているという主張である。しかし、これは、市場経済に移行した日本では、企業は基本的に自由に意思決定していたので、この議論は成り立たない。
[3] 経費に参入されるべき償却費の増額を認めることによって、税法上の利益金を減らし、設備投資を行う企業に事実上の減税を行うことにした。
[4] 重化学工業製品の輸出を援助する役割を果たした
[5] 政府資金を原資として重要産業に対する低利かつ長期の設備資金を供給することが任務



今日の反省:
今日の報告が論文の要約でしかなかった。やはり、一回は、資料とかの一次文献に当り必要があった。通産省とか経団連、同友会、エコノミストの証言とかの幅広い声をきちんとフォローする必要があったのにも関わらず、怠慢のためにしなかった。反省。

次回までには、1950年代の経済政策を1次資料を用いながら、再構成。
また、戦後日本経済をできるだけ1次資料を使いながら、再構成。
あと、浅井『戦後改革と民主主義』及び、彼の最新論文。小宮『日本の産業政策』。チャーマーズ・ジョンソン『通産省と日本の奇跡』。鶴田『戦後日本の産業政策』。橋本『戦後日本経済の成長構造』『現代日本経済』。宮島『産業政策と企業統治の経済史』を読んで、報告。

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