槙原「GREEN DAYS」を聞いているのですが、良い曲ですね。
さてさて、今先ほど、NHK教育「トップランナー」を見ていました。今日のゲストは、土屋アンナさん。彼女は、モデル・女優・歌手・結婚・出産と、スゴイ経験を、23歳の若さで、既に、経験している。
率直に、スゴイと思った。僕も22歳。何かしら、置いてけぼりにされているようなことを考えた。
さてさて、『敗北の逆説』の感想は延期。
WATERの感想も延期。
『欧州統合』は、気合を入れて、読みます!!!
映画「虫師」「EUREKA」を見る。原因は、『欧州連合』を読むのが辛すぎて、現実から逃避するために、一気に見る。
「虫師」は、明治の初期頃の時代を描いていると思うのだが、近代化や現代化の波の中で、それまであった文化や風習というのが断絶してしまうということを何となく考えた。
「EUREKA」は難しいですね。いい映画を観たいという方にはお勧めかな???
『欧州連合』にリベンジ!!!
2007/11/04
2007/11/02
休み満喫!!!
11月1日の午前中は、大学が休みだということもあり、映画を見に行きました。映画「クワイエットルームにようこそ」を見ました。蒼井優さんが出ています(^^♪。。。
この映画は、見る当初は、コメディー映画だと思っていたのですが、なかなか、深い映画だと思いました。というのは、監督・原作で松尾スズキさんという、僕のイメージではコメディー系の方が作ったからです。
少し感想を書きたいのですが、少し難しい映画で、「理解」するためには、もう一度見る必要があるでしょう。
簡単化して、この映画を説明すると、何かしらの精神的なダメージを受けて、「普通」には生きられない人たちが集められた病院の内部での話です。その病院は外部から完全に隔離されていました。
そして、主人公も、そこに閉じ込められるのですが、彼女がどうして、そこに入るに至ったのか、そして、その後のその内部での様々な出来事について書かれています。そして、最後は、彼女が、そこに入るに至った原因を相対化することができるに至り、退院して、話は終わります。
「普通」に生活できなくなるような精神状態になってしまうような原因というのは、相対化することしかできない。つまり、「解決」するようなことはないということです。一生それと付き合っていかなければいけないのです。
人によっては、その相対化が上手くでき、「普通」に生活することができるのでしょう。たぶん、おそらく、僕も、その相対化をそれなりには上手くできているのでしょうね。
でも、人によっては、その相対化が上手くできずに、精神状態を壊してしまうんでしょう。この映画でも、最後に、主人公よりも先に退院していた人が再び戻ってくるという場面があり、このことは、精神的な問題を「解決」することができないということを象徴しているのでしょう。だから、逆に、相対化するしかないということも示しているのでしょうね。
ちなみに、蒼井優さんは拒食症の役を演じていました。彼女、もともち痩せているけど、さらに痩せていたのが印象的でした。やつれていた、という感じでしょうか。どこかで書いていましたが、役作りのために、減量したとか。
お体には、十分気を付けていただきたいと思います。
彼女は、どうして拒食症になったのか。それは、世界システムというのが、ゼロサム的状態であることに「気づいた」からだという。つまり、彼女がモノを食べると、誰か世界で別の人は、自分よりももっと、それを必要としている人が、その分を食べられない。だから、彼女は、モノを食べられなくなった。世界の、そのシステムに「気づいて」しまったのだ。
こうして「普通」の生活ができなくなった彼女を、どのように考えますか???
バカでしょうか。アホでしょうか。
僕は、スゴク彼女の気持ちが分かりましたね。「共感」というべきでしょうか。ただ、今なら、彼女を、もっと生産的に考えさせるような言葉を僕は話すことができます。
世界のシステムが悪いから、そして、自分はその中で偽善者になりたくないから、彼女はモノを食べないのでしょう。彼女は、そのシステムを所与として捉えていて、そのシステムは変わらないと考えている。だから、自分の「正義」を守るために、モノを食べないという形で世界から「逃げ」ている。
だから、彼女も、その世界システムから逃れようとして逃れていないのだから、逆に、そのゼロサム的な世界のシステムを支えている存在でしかないのではないか。もしも、その世界のシステムに怒りを覚えるのなら、そのシステムをもっと良いものに変えることができるように努力するべきなのではないか。
もちろん、その努力をすれば問題が世界のシステムが良くなるとは必ずしも言えないが。
ただ、おそらく、そうした方向性に彼女自身が進むほうが、「逃げ」ている状態よりは、彼女自身、そして世界のシステムにとって、良いであろうと、僕は思う。
どうして、僕は彼女に「共感」するのかと言えば、同じような状況に「陥った」ことがあるからだ。
自己分析を兼ねて、書いてみると、高校時代に、そのようなことを考えた。皆さん、ご存知のように僕は、和歌山の南の白浜出身であり、そこで高校卒業まで、育った。小学校、中学校は、地元の学校に通いました。成績優秀(音楽とか美術とか、体育とかダメだったけど・・・)で、また、スポーツは柔道をして、また、中学校の頃は、生徒会長として1年間も君臨した。学級委員とかも、やったりと、なかなか世話役だったのだ。もう少し言うと、当時は、まだ社交的だったのだ。
結果、地元の優秀な生徒が集まる、田辺高校の中でも、優秀な生徒が集まる、自然科学科に入った。僕が、歪んできたのは、その頃から始まるのでしょうね。
その学科は、周りを見ると、中学校の時に通っていた塾の奴らばかりだった。その塾は、地元では優秀な塾で、いろいろな中学校から多くの生徒が通っていた。
僕は、そこで社会の問題に「気づいて」しまったのだ。僕のクラスの親は、大体が、医者か、公務員か、会社の社長だったのだ。僕は、何かしら大きな社会の差別を感じた。「公正」ではないと感じた。そして、どうして周りの人は、その「事実」に気づかないのかと悩んだ。そして、自分は周りから「ヒッキー」になった。
僕自身、比較的に裕福な家庭にいて、そして、その事実をどのように自分の中で理解すればいいのか分からなかった。
僕は、その「特権的」な立場にあるなら、それを有効に使い、いい大学に入り、いい職業につき、そして、「公正」な社会を作らなければいけないと考えた。
だから、僕は、その第一関門である、大学受験に全資源を投入した。が、今から考えると、あまり「効率的」な勉強はできていなかった。もしも、「効率的」であれば、僕はハーバードにでも行っていたであろう。
まぁ、何とか最低の目標は達成したのであるが、失ったものも大きかったことは、大学に入ってから痛感し、そして「今」に至るのである。
社会には、いろんな人間がいて、その中には、社会の問題に、純粋に向き合ってしまって、結果、生産的でなくなってしまう人もいるんじゃないかと思う。僕も、その一人ではないかと思うし、あの彼女も、そうなのではないかと思う。
もし戻ることができれば、地元を飛び出し、いろんなものを見て、いろんな人と、対話し、考えを深めたかった。また、僕の苦しさを、少しでも理解してくれるような人がいて欲しかった。
だから、思うんですけど、自分は、彼らの彼女らを苦しみが分かる人になり、何かしらの形で話を聞いてあげたい。
そんなわけで、僕は、「効率的」で「公正」な社会を作りたいというところに、自分の関心が向かっていくのだろうね。「公正」な社会を作りたい。「効率的」じゃないと、そこの当事者は、スゴク苦しいから、それを解消していきたいとかね。
そして、東京に出てくる、問題なのは、和歌山の白浜だけではなく、日本中なのだということを発見。それなら、日本中を「公正」で「効率的」な社会にしてやろう。社会問題を解決する医者になってやろう。
まぁ、あの映画は、なかなか、自分にとっては苦しかったけどね。最近、自己分析をするように言われているので、それと合わさって、いろいろ考えさせられました!!!
書きすぎました・・・。
A4、4枚です(-_-;)。。。
進藤栄一『敗戦の逆説』の感想も書く予定だったんですが、体力が・・・。
友人に、この本を貸していただきました。感謝。
様々な戦後史像をクリアーに整理されていたので、興味深かった。また、歴史の「神話」を潰そうという試みも興味深いものである。
細かい事象ばかり、歴史を勉強していると溺れてしまっていたなかで、このような本を読んで、目から鱗が、という感じです。
そうそう、昨日、映画を見た後、六本木のミッドタウン東京にも行き、「WATER」も見ました。その感想は・・・。省略。
この映画は、見る当初は、コメディー映画だと思っていたのですが、なかなか、深い映画だと思いました。というのは、監督・原作で松尾スズキさんという、僕のイメージではコメディー系の方が作ったからです。
少し感想を書きたいのですが、少し難しい映画で、「理解」するためには、もう一度見る必要があるでしょう。
簡単化して、この映画を説明すると、何かしらの精神的なダメージを受けて、「普通」には生きられない人たちが集められた病院の内部での話です。その病院は外部から完全に隔離されていました。
そして、主人公も、そこに閉じ込められるのですが、彼女がどうして、そこに入るに至ったのか、そして、その後のその内部での様々な出来事について書かれています。そして、最後は、彼女が、そこに入るに至った原因を相対化することができるに至り、退院して、話は終わります。
「普通」に生活できなくなるような精神状態になってしまうような原因というのは、相対化することしかできない。つまり、「解決」するようなことはないということです。一生それと付き合っていかなければいけないのです。
人によっては、その相対化が上手くでき、「普通」に生活することができるのでしょう。たぶん、おそらく、僕も、その相対化をそれなりには上手くできているのでしょうね。
でも、人によっては、その相対化が上手くできずに、精神状態を壊してしまうんでしょう。この映画でも、最後に、主人公よりも先に退院していた人が再び戻ってくるという場面があり、このことは、精神的な問題を「解決」することができないということを象徴しているのでしょう。だから、逆に、相対化するしかないということも示しているのでしょうね。
ちなみに、蒼井優さんは拒食症の役を演じていました。彼女、もともち痩せているけど、さらに痩せていたのが印象的でした。やつれていた、という感じでしょうか。どこかで書いていましたが、役作りのために、減量したとか。
お体には、十分気を付けていただきたいと思います。
彼女は、どうして拒食症になったのか。それは、世界システムというのが、ゼロサム的状態であることに「気づいた」からだという。つまり、彼女がモノを食べると、誰か世界で別の人は、自分よりももっと、それを必要としている人が、その分を食べられない。だから、彼女は、モノを食べられなくなった。世界の、そのシステムに「気づいて」しまったのだ。
こうして「普通」の生活ができなくなった彼女を、どのように考えますか???
バカでしょうか。アホでしょうか。
僕は、スゴク彼女の気持ちが分かりましたね。「共感」というべきでしょうか。ただ、今なら、彼女を、もっと生産的に考えさせるような言葉を僕は話すことができます。
世界のシステムが悪いから、そして、自分はその中で偽善者になりたくないから、彼女はモノを食べないのでしょう。彼女は、そのシステムを所与として捉えていて、そのシステムは変わらないと考えている。だから、自分の「正義」を守るために、モノを食べないという形で世界から「逃げ」ている。
だから、彼女も、その世界システムから逃れようとして逃れていないのだから、逆に、そのゼロサム的な世界のシステムを支えている存在でしかないのではないか。もしも、その世界のシステムに怒りを覚えるのなら、そのシステムをもっと良いものに変えることができるように努力するべきなのではないか。
もちろん、その努力をすれば問題が世界のシステムが良くなるとは必ずしも言えないが。
ただ、おそらく、そうした方向性に彼女自身が進むほうが、「逃げ」ている状態よりは、彼女自身、そして世界のシステムにとって、良いであろうと、僕は思う。
どうして、僕は彼女に「共感」するのかと言えば、同じような状況に「陥った」ことがあるからだ。
自己分析を兼ねて、書いてみると、高校時代に、そのようなことを考えた。皆さん、ご存知のように僕は、和歌山の南の白浜出身であり、そこで高校卒業まで、育った。小学校、中学校は、地元の学校に通いました。成績優秀(音楽とか美術とか、体育とかダメだったけど・・・)で、また、スポーツは柔道をして、また、中学校の頃は、生徒会長として1年間も君臨した。学級委員とかも、やったりと、なかなか世話役だったのだ。もう少し言うと、当時は、まだ社交的だったのだ。
結果、地元の優秀な生徒が集まる、田辺高校の中でも、優秀な生徒が集まる、自然科学科に入った。僕が、歪んできたのは、その頃から始まるのでしょうね。
その学科は、周りを見ると、中学校の時に通っていた塾の奴らばかりだった。その塾は、地元では優秀な塾で、いろいろな中学校から多くの生徒が通っていた。
僕は、そこで社会の問題に「気づいて」しまったのだ。僕のクラスの親は、大体が、医者か、公務員か、会社の社長だったのだ。僕は、何かしら大きな社会の差別を感じた。「公正」ではないと感じた。そして、どうして周りの人は、その「事実」に気づかないのかと悩んだ。そして、自分は周りから「ヒッキー」になった。
僕自身、比較的に裕福な家庭にいて、そして、その事実をどのように自分の中で理解すればいいのか分からなかった。
僕は、その「特権的」な立場にあるなら、それを有効に使い、いい大学に入り、いい職業につき、そして、「公正」な社会を作らなければいけないと考えた。
だから、僕は、その第一関門である、大学受験に全資源を投入した。が、今から考えると、あまり「効率的」な勉強はできていなかった。もしも、「効率的」であれば、僕はハーバードにでも行っていたであろう。
まぁ、何とか最低の目標は達成したのであるが、失ったものも大きかったことは、大学に入ってから痛感し、そして「今」に至るのである。
社会には、いろんな人間がいて、その中には、社会の問題に、純粋に向き合ってしまって、結果、生産的でなくなってしまう人もいるんじゃないかと思う。僕も、その一人ではないかと思うし、あの彼女も、そうなのではないかと思う。
もし戻ることができれば、地元を飛び出し、いろんなものを見て、いろんな人と、対話し、考えを深めたかった。また、僕の苦しさを、少しでも理解してくれるような人がいて欲しかった。
だから、思うんですけど、自分は、彼らの彼女らを苦しみが分かる人になり、何かしらの形で話を聞いてあげたい。
そんなわけで、僕は、「効率的」で「公正」な社会を作りたいというところに、自分の関心が向かっていくのだろうね。「公正」な社会を作りたい。「効率的」じゃないと、そこの当事者は、スゴク苦しいから、それを解消していきたいとかね。
そして、東京に出てくる、問題なのは、和歌山の白浜だけではなく、日本中なのだということを発見。それなら、日本中を「公正」で「効率的」な社会にしてやろう。社会問題を解決する医者になってやろう。
まぁ、あの映画は、なかなか、自分にとっては苦しかったけどね。最近、自己分析をするように言われているので、それと合わさって、いろいろ考えさせられました!!!
書きすぎました・・・。
A4、4枚です(-_-;)。。。
進藤栄一『敗戦の逆説』の感想も書く予定だったんですが、体力が・・・。
友人に、この本を貸していただきました。感謝。
様々な戦後史像をクリアーに整理されていたので、興味深かった。また、歴史の「神話」を潰そうという試みも興味深いものである。
細かい事象ばかり、歴史を勉強していると溺れてしまっていたなかで、このような本を読んで、目から鱗が、という感じです。
そうそう、昨日、映画を見た後、六本木のミッドタウン東京にも行き、「WATER」も見ました。その感想は・・・。省略。
2007/10/29
継続は力なり。
昨日、今日と空がスゴク綺麗です。特に、昨日の朝に、サエキの通りを自転車でぶらぶらしている時に、前に、富士山がくっきりと見えたのには大きな感動を覚えました。何とも言葉にできない感情が沸き起こってきました。
同時に、あのように美しい景色を、美しいと見ている人たちは、どれだけいるのだろうかと考えました。心の余裕の問題なのでしょうか。その美しい景色を見ずに、通り過ぎていく人々とすれ違いながら、考えました。
一瞬でありますが、そのような人々を見ながら、自分は、一人なんだと感じたりしました。(これは、決して、マイナス的だけの意味ではないでしょう・・・)
さてさて、今日は関先生の授業があったので、その復習を書きましょう。重要ポイントを羅列していきたいと思います。
まずは、感想から。ある学生が授業が終わった言った言葉「NHKスペシャルみたいだった」。そんな授業でした。けど、授業のいろいろのところで、やはり、何かしら興味深い捉え方とかをしています。
まずは、中国の外資導入の歴史を書くと
1978年の改革開放
↓
1984年
↓
外資進出の第1期(89年の天安門事件)
↓
1992年(南巡講話)
↓
第2期(97年のアジア通貨危機を経て)
↓
2002年
↓
3期
↓
2007年以降続く
それぞれの特徴として、外資の進出の形態には3種類があるという。
合弁(外資と国内の合弁。外資の株式保有率25%以上)・合作(何でもあり!!!)・独資(外資100%)
第1期では、合作・合弁・独資の順。外資の進出のノウハウが不十分だったこともあり、制度的に不明確な合作という形態が取られることが多かった。
第2期では、合弁・独資・合作。ノウハウの蓄積から、徐々にルールが定着か。
第3期では、独資がほとんど。それは、2002年に独資内販自由化が認められるようになった(それまでは、禁止されていた)。
ただし、基幹産業や、エネルギー、通信、流通、金融などでは、独資を認めない。このあたりの事例から、このような産業の重要性について、再考する必要があるだろう。だから、グローバル化だからといって、安易に、全ての産業を自由化するのは、明らかに問題を抱えているのだ。
そんなわけで、2002年に独資の自由化が進行。結果、日本企業でも、その恩恵を受けた企業と、そうではない企業に分かれることに。
その恩恵を受けた企業の代表は、キヤノンだそうです(キヤノンですよ。キャノンではない!)。というのは、キヤノンはそれまで中国市場を市場だと考えておらず、積極的に進出していなかった。そのため、内販において制限のあった独資という形態でしか進出しておらず、中国はあくまでも生産拠点であった。ところが、独資制限の撤廃と、また、中国の市場の可能性が広がったことによって、逆にキヤノンは、チャンスを得ることに。というのは、中国におけるキヤノンの会社は全てキヤノンの会社であり、そのため、ガバナンスをしっかりした上で、経営戦略を進めることができた。
逆に、損をしたのは松下や三洋。これらの会社は、早期から、中国の市場に進出し、内販が許される合弁を立ち上げて、進出していた。中国の現地の会社と、松下などとの合弁であった。結果、独資自由化後は、合弁ということがネックとなり、ガバナンスが利かずに、統一した経営戦略に失敗することになった。それは、現地の会社は、地域によって別であり、結果、松下などの合弁会社は、それぞれ会社であり、競争における敵であった。
いろいろ書きたいことがありますが、分量が多いので、止めます・・・。
今日は、4時間目の授業が、突然(?)休講になっていたので、ショックを受けました。週1回の国際政治史の授業。スゴク楽しみにしていたのに・・・。予習も、していたのに・・・。映画「大統領の理髪師」映画「猟奇的な彼女」映画「君に捧げる初恋」が予習でしたけど・・・。「大統領の理髪師」は、60年からの韓国社会が描かれていたので、少しは参考になるかな???
明日は、ゲーム理論。
同時に、あのように美しい景色を、美しいと見ている人たちは、どれだけいるのだろうかと考えました。心の余裕の問題なのでしょうか。その美しい景色を見ずに、通り過ぎていく人々とすれ違いながら、考えました。
一瞬でありますが、そのような人々を見ながら、自分は、一人なんだと感じたりしました。(これは、決して、マイナス的だけの意味ではないでしょう・・・)
さてさて、今日は関先生の授業があったので、その復習を書きましょう。重要ポイントを羅列していきたいと思います。
まずは、感想から。ある学生が授業が終わった言った言葉「NHKスペシャルみたいだった」。そんな授業でした。けど、授業のいろいろのところで、やはり、何かしら興味深い捉え方とかをしています。
まずは、中国の外資導入の歴史を書くと
1978年の改革開放
↓
1984年
↓
外資進出の第1期(89年の天安門事件)
↓
1992年(南巡講話)
↓
第2期(97年のアジア通貨危機を経て)
↓
2002年
↓
3期
↓
2007年以降続く
それぞれの特徴として、外資の進出の形態には3種類があるという。
合弁(外資と国内の合弁。外資の株式保有率25%以上)・合作(何でもあり!!!)・独資(外資100%)
第1期では、合作・合弁・独資の順。外資の進出のノウハウが不十分だったこともあり、制度的に不明確な合作という形態が取られることが多かった。
第2期では、合弁・独資・合作。ノウハウの蓄積から、徐々にルールが定着か。
第3期では、独資がほとんど。それは、2002年に独資内販自由化が認められるようになった(それまでは、禁止されていた)。
ただし、基幹産業や、エネルギー、通信、流通、金融などでは、独資を認めない。このあたりの事例から、このような産業の重要性について、再考する必要があるだろう。だから、グローバル化だからといって、安易に、全ての産業を自由化するのは、明らかに問題を抱えているのだ。
そんなわけで、2002年に独資の自由化が進行。結果、日本企業でも、その恩恵を受けた企業と、そうではない企業に分かれることに。
その恩恵を受けた企業の代表は、キヤノンだそうです(キヤノンですよ。キャノンではない!)。というのは、キヤノンはそれまで中国市場を市場だと考えておらず、積極的に進出していなかった。そのため、内販において制限のあった独資という形態でしか進出しておらず、中国はあくまでも生産拠点であった。ところが、独資制限の撤廃と、また、中国の市場の可能性が広がったことによって、逆にキヤノンは、チャンスを得ることに。というのは、中国におけるキヤノンの会社は全てキヤノンの会社であり、そのため、ガバナンスをしっかりした上で、経営戦略を進めることができた。
逆に、損をしたのは松下や三洋。これらの会社は、早期から、中国の市場に進出し、内販が許される合弁を立ち上げて、進出していた。中国の現地の会社と、松下などとの合弁であった。結果、独資自由化後は、合弁ということがネックとなり、ガバナンスが利かずに、統一した経営戦略に失敗することになった。それは、現地の会社は、地域によって別であり、結果、松下などの合弁会社は、それぞれ会社であり、競争における敵であった。
いろいろ書きたいことがありますが、分量が多いので、止めます・・・。
今日は、4時間目の授業が、突然(?)休講になっていたので、ショックを受けました。週1回の国際政治史の授業。スゴク楽しみにしていたのに・・・。予習も、していたのに・・・。映画「大統領の理髪師」映画「猟奇的な彼女」映画「君に捧げる初恋」が予習でしたけど・・・。「大統領の理髪師」は、60年からの韓国社会が描かれていたので、少しは参考になるかな???
明日は、ゲーム理論。
2007/10/28
学んで思わざれば即ち罔し。思うて学ばざれば即ち殆うし。
樋口陽一「立憲主義の日本的展開」中村政則他編『戦後民主主義』岩波書店、2005年。を読みました。一読だと、もちろん、理解できません。反省。
ただ最後の文章が気になったので、書くと・・・
「高度経済成長以後、さらに『日本の形』は変わったが、『苦しみを持たない変革』から50年たって、『苦しみを持たない』ままに『近代』を手放してよいのかどうか。―――それが問題である。」
近いうちに再読しようと心に誓う。
ただ最後の文章が気になったので、書くと・・・
「高度経済成長以後、さらに『日本の形』は変わったが、『苦しみを持たない変革』から50年たって、『苦しみを持たない』ままに『近代』を手放してよいのかどうか。―――それが問題である。」
近いうちに再読しようと心に誓う。
2007/10/27
韓国の映画を見る。。。
昨日、ある友人と、お酒を飲みました。とにかく、「勉強しろ」と言われました。
さて、そんなわけで、お酒を飲んだので、その後、勉強するわけもなく、2本ほど、映画を見ました。
映画「間宮兄弟」
映画「君に捧げる初恋」
です。
「間宮兄弟」は、コメディー映画で、楽しむために見ました。実際に、面白かったです。だから、楽しむためには、見るのに最適だとは思いますが、どうも投下時間に対して、効用は少ないという印象も、今はあります。
次の「君に捧げる初恋」は韓国の映画です。こちらも、楽しい映画ですね。少し前に、映画「僕の彼女を紹介します」を見たのが、このように韓国の映画を見るようになった理由です。
この映画は、題名からも分かるとおりに、lovestoryですね。正確に言うと、コメディlovestoryですね(lovestoryをどのようにカタカナで書くのかを失念したので、英語で書きます)。
男と女の関係性の移り変わりが、描かれています。少し前に、韓国の映画は、朝鮮半島における韓国と北朝鮮との関係をモチーフにしたものが多いという話を聞いていたので、もしかしたら、この映画も、その線に沿ったものかもしれません。確かに、そう見ることもできるのかもしれません。
まぁ、そろそろ書くのを止めて、勉強します。
さて、そんなわけで、お酒を飲んだので、その後、勉強するわけもなく、2本ほど、映画を見ました。
映画「間宮兄弟」
映画「君に捧げる初恋」
です。
「間宮兄弟」は、コメディー映画で、楽しむために見ました。実際に、面白かったです。だから、楽しむためには、見るのに最適だとは思いますが、どうも投下時間に対して、効用は少ないという印象も、今はあります。
次の「君に捧げる初恋」は韓国の映画です。こちらも、楽しい映画ですね。少し前に、映画「僕の彼女を紹介します」を見たのが、このように韓国の映画を見るようになった理由です。
この映画は、題名からも分かるとおりに、lovestoryですね。正確に言うと、コメディlovestoryですね(lovestoryをどのようにカタカナで書くのかを失念したので、英語で書きます)。
男と女の関係性の移り変わりが、描かれています。少し前に、韓国の映画は、朝鮮半島における韓国と北朝鮮との関係をモチーフにしたものが多いという話を聞いていたので、もしかしたら、この映画も、その線に沿ったものかもしれません。確かに、そう見ることもできるのかもしれません。
まぁ、そろそろ書くのを止めて、勉強します。
2007/10/25
A Person of Leisure
今日も、公共経済学で上手くいかずに、泣きそうでした。相当、レベルの高い授業だと思います。休みの日に、集中的に勉強して、月曜日には、何とかしようと思います。
さてさて、今日は何冊かの本を読んだので、まずは、その記録から。
・川島・服部編『東アジア国際政治史』名古屋大学出版会、2007年。
↑読み終わる。ただ、再読しなければいけない・・・。政治史なので、何かしら、違和感を感じます。その違和感は、僕の最近の関心が社会とかにも向かっているからでしょう。だから、そのあたりを欠如しているのを読むと、違和感を感じるのでしょうね。
・関満博『変革期の地域産業』有斐閣、2006年、序章。
↑序章だけ、読む。今学期、関先生の授業を聴講しているので、その一貫として、近日中に、読みすすめようと思う。様々な「地域」の「現場」が実況中継されている。中央集権的な国から、「地方」へと大きく変容していると考えられている中で、彼の議論は、その「変化」に関心がある人には、スゴク参考になるのではないか。「実況中継」なので、経営とかを全く勉強していない方でも、読むことができます。(ただ、日本語が読めないと苦しいですが・・・)
・桐山他『東南アジアの歴史』有斐閣、2003年、2章。
↑ミャンマーやタイの19世紀以前の簡単化した歴史を勉強。これは、ルーティン読書である。
なかなか、本も読めないと痛感と反省と涙。。。
疲れてきたので、少し前に録画した映画を見ることに。
映画「僕の彼女を紹介します」
↑面白かったです。スゴク面白かったです。これまで、韓国映画を見る機会があまりなかったのですが、これを機会に積極的に見ていこうと思いました。(これまででは、「JSA」「殺人の追憶」「シルミド」を見ました。ただ、国際政治を学ぶ一貫として見ていました。)
今度、楽しそうな韓国の映画を見てみようと思います。何かしら面白そうな映画をご存知なら、教えてください(*^_^*)。。。(何となくですが、韓国映画というよりも、韓国の映画と言う方が、しっくり、します。)
チョン・ジヒョンさんがスゴク、キレイだとも思いました(●^o^●)。
その後、NHK教育の「知るを楽しむ」で見城徹さんの話を聞きました。「戦う」ということを、さっぱりと、定義されていたことが、スゴク印象的でした。
僕は最近、大学を出る方策について考えているのですが、滅私奉公のようなことはしたくないと、よく考えます。たとえ、それが社会のため人のためであっても、それはおかしいのではないかと思います。僕は、個人の犠牲の上に立つ正義か利益とかに対して、スゴク???です。
僕は、社会や人のために尽くすことと、自分の人生を楽しく充実させることとは、両立すると思います。だから、僕は、ある職場が滅私奉公のようなことを求められるところであっても、それに追随するのではなくて、その「滅私」を求める制度を批判していきます。
23時からは、NHKの「SONGS」を見ました。中村中さんが今回、取り上げられていたアーティストでした。
もちろん、これを見るまでは、知りませんでした。けど、表現するということなどについて話をしているのを聞いていると、何かしら自分に通底するようなところを感じました。
僕自身の中に存在する表現したいという渇望に何かしら響いたのかもしれません。最近は、あまり、考えませんが、高校の時は考えましたね。
高校の時に、組織というものに、絶望したので、絶望というのは、どうして、人間というのは、組織の中にいると腐るのかだめになるのかということを考えました。その結果、よく、アジア・太平洋戦争関係の本を読みましたね。ホント、今考えても異常なくらい読みましたね。濫読で、かつ、田舎の誰も教えてくれない中で読んだので歪みはひどくなりましたが、まぁ、考え続けました。
最近は、全うに社会の中で、生きていこうと考えているので、表現したいという渇望はあまりありませんね。あっ、少し前提にしてしまいましたが、社会で「全うに」生きるということと、表現への渇望は、トレードオフなのでしょうか?
ただ、僕の感覚からすると、表現に渇望がある人は、楽しい意味で少し「変」な人が多いのかもしれません。まさしく、「変態の森」の中にこそ、ウヨウヨいるのでしょうね。
少し書きすぎました。反省。
さてさて、今日は何冊かの本を読んだので、まずは、その記録から。
・川島・服部編『東アジア国際政治史』名古屋大学出版会、2007年。
↑読み終わる。ただ、再読しなければいけない・・・。政治史なので、何かしら、違和感を感じます。その違和感は、僕の最近の関心が社会とかにも向かっているからでしょう。だから、そのあたりを欠如しているのを読むと、違和感を感じるのでしょうね。
・関満博『変革期の地域産業』有斐閣、2006年、序章。
↑序章だけ、読む。今学期、関先生の授業を聴講しているので、その一貫として、近日中に、読みすすめようと思う。様々な「地域」の「現場」が実況中継されている。中央集権的な国から、「地方」へと大きく変容していると考えられている中で、彼の議論は、その「変化」に関心がある人には、スゴク参考になるのではないか。「実況中継」なので、経営とかを全く勉強していない方でも、読むことができます。(ただ、日本語が読めないと苦しいですが・・・)
・桐山他『東南アジアの歴史』有斐閣、2003年、2章。
↑ミャンマーやタイの19世紀以前の簡単化した歴史を勉強。これは、ルーティン読書である。
なかなか、本も読めないと痛感と反省と涙。。。
疲れてきたので、少し前に録画した映画を見ることに。
映画「僕の彼女を紹介します」
↑面白かったです。スゴク面白かったです。これまで、韓国映画を見る機会があまりなかったのですが、これを機会に積極的に見ていこうと思いました。(これまででは、「JSA」「殺人の追憶」「シルミド」を見ました。ただ、国際政治を学ぶ一貫として見ていました。)
今度、楽しそうな韓国の映画を見てみようと思います。何かしら面白そうな映画をご存知なら、教えてください(*^_^*)。。。(何となくですが、韓国映画というよりも、韓国の映画と言う方が、しっくり、します。)
チョン・ジヒョンさんがスゴク、キレイだとも思いました(●^o^●)。
その後、NHK教育の「知るを楽しむ」で見城徹さんの話を聞きました。「戦う」ということを、さっぱりと、定義されていたことが、スゴク印象的でした。
僕は最近、大学を出る方策について考えているのですが、滅私奉公のようなことはしたくないと、よく考えます。たとえ、それが社会のため人のためであっても、それはおかしいのではないかと思います。僕は、個人の犠牲の上に立つ正義か利益とかに対して、スゴク???です。
僕は、社会や人のために尽くすことと、自分の人生を楽しく充実させることとは、両立すると思います。だから、僕は、ある職場が滅私奉公のようなことを求められるところであっても、それに追随するのではなくて、その「滅私」を求める制度を批判していきます。
23時からは、NHKの「SONGS」を見ました。中村中さんが今回、取り上げられていたアーティストでした。
もちろん、これを見るまでは、知りませんでした。けど、表現するということなどについて話をしているのを聞いていると、何かしら自分に通底するようなところを感じました。
僕自身の中に存在する表現したいという渇望に何かしら響いたのかもしれません。最近は、あまり、考えませんが、高校の時は考えましたね。
高校の時に、組織というものに、絶望したので、絶望というのは、どうして、人間というのは、組織の中にいると腐るのかだめになるのかということを考えました。その結果、よく、アジア・太平洋戦争関係の本を読みましたね。ホント、今考えても異常なくらい読みましたね。濫読で、かつ、田舎の誰も教えてくれない中で読んだので歪みはひどくなりましたが、まぁ、考え続けました。
最近は、全うに社会の中で、生きていこうと考えているので、表現したいという渇望はあまりありませんね。あっ、少し前提にしてしまいましたが、社会で「全うに」生きるということと、表現への渇望は、トレードオフなのでしょうか?
ただ、僕の感覚からすると、表現に渇望がある人は、楽しい意味で少し「変」な人が多いのかもしれません。まさしく、「変態の森」の中にこそ、ウヨウヨいるのでしょうね。
少し書きすぎました。反省。
2007/10/24
The Road to Excellent man
今日は、電車に乗っていると、あまりの人の多さに、何かしら気分が最低に悪くなりました。人前にいると、最近、直ぐに、肩が凝ってきて、疲れる。。。
電車に乗らなくなったことから、ストレスへの耐性が失われてきたのでしょうか。
さてさて、今日も予習が上手くいかずに、ゲーム理論で泣きそうでした。難しい。。。次回金曜日はリベンジです。水曜日・木曜日と2日使って予習します。
そうそう、明日、公共経済学があり、こちらも予習が必須なのですが、これは、朝、気合でやろうと思う。
最近、精神的な余裕がなくなってきて、どうも、周辺が見えにくくなってきているような感じがします。今日も、知り合いとすれ違ったのですが、気づかず、気づいた時には、すれ違っていたという最悪なことをしてしまいました。反省、ごめんなさい。
どうも、視覚が下前になってしまいます。つまり、足元しか見ずに、歩いているということです。
今日の進歩としては、勉強の優先順位をつけて、優先順位の低いのを切ったりしました。そろそろ、悠長なことも言えなので、優先順位を付けて、勉強します。当分は、ミクロ経済と授業の公共経済・ゲーム・労働経済です。
あと、毎日一つくらい、中原中也の詩を暗記して、美しい日本語を勉強しようかと考えたりしています。
電車に乗らなくなったことから、ストレスへの耐性が失われてきたのでしょうか。
さてさて、今日も予習が上手くいかずに、ゲーム理論で泣きそうでした。難しい。。。次回金曜日はリベンジです。水曜日・木曜日と2日使って予習します。
そうそう、明日、公共経済学があり、こちらも予習が必須なのですが、これは、朝、気合でやろうと思う。
最近、精神的な余裕がなくなってきて、どうも、周辺が見えにくくなってきているような感じがします。今日も、知り合いとすれ違ったのですが、気づかず、気づいた時には、すれ違っていたという最悪なことをしてしまいました。反省、ごめんなさい。
どうも、視覚が下前になってしまいます。つまり、足元しか見ずに、歩いているということです。
今日の進歩としては、勉強の優先順位をつけて、優先順位の低いのを切ったりしました。そろそろ、悠長なことも言えなので、優先順位を付けて、勉強します。当分は、ミクロ経済と授業の公共経済・ゲーム・労働経済です。
あと、毎日一つくらい、中原中也の詩を暗記して、美しい日本語を勉強しようかと考えたりしています。
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