2007/10/18

卒論報告迫る!

金曜日に、卒論の4回目の報告があります。何か報告しないといけないので、ネタを探しているのですが、なかなか、どのようにまとめるのかで悩みます。今日は、これまでの報告を洗練させているという感じです。

・戦後日本の高度経済成長が日本社会を大きく変化させた[1]
  →いかに日本社会を変化させたか?

・ここでは、高度経済成長期の「国際化」に焦点を当てながら、その適応過程が、いかに日本社会を変化させていったのかについて見る。
 
・先行研究、特に、経済史分野では、政府と民間がいかにして高度経済成長を達成したのかについて検証しているものが多い。このような研究の場合、経済成長に焦点が当てられていて、その時代に生きた人々への言及が不十分となっている。政府と民間の経済成長への動きによって、その時代に生きた人々は大きな影響を受けている。もちろん、影響を与えることもあったであろう。この卒論では、政府と民間そして社会の3つの連関の中で、高度経済成長を見ていく。

・また、社会史においては、具体的な経済成長に関する言及が少なく、当時、政府や民間などの行動によって、社会が大きく既定されていたことを考えると、同様に、政府と民間、社会の3つの連関の中で、高度経済成長を見ていくことが必要であることはわかる。

・以上、この卒論では、「国際化」の過程を、日本の政府・民間と社会、そして外国が、どのようにして適応していったのかについて見ていく。
 
・注意したいこととして、外国を敵視するのではなくて、外資の導入によって、いかに日本の「近代化」や「現代化」が進んだのかという視点を入れていきたい[2]

[1]原朗は「農地改革を経て、高度成長による工業部門の急拡大の結果、明治以降もゆるやかに進行しなかった農業人口の分解が一挙に展開することになったのである。さらに長期的な観点からみれば、弥生時代に形成されてから連綿として続き、農地改革によってもなお解体されなかった農業共同体が、高度成長期の間に大きく崩れ始め、解体への道をたどることになったのである。その意味では、高度成長期における経済構造の変化は、農地改革・地租改革・太閤検地などを飛び越えて、はるか2千年前の弥生時代における変化に匹敵するといってもよいと思われる」と述べている(原朗「戦後50年と日本経済」)。

[2]具体的には、マクドナルドやコカコーラとかを見ることになるのだろうか?


ただ、卒論を考えていても、これを研究する今日的な意義が、不明確なので、辛いです。正直言うと、こんなの調べなくてもいいじゃない、って思っちゃうんですね。

僕の研究を真面目にすれば、きっと、高度経済成長期期の、歴史的な位置づけがクリアーになると思うんですね。つまり、その時代以前からの「連続」や「断絶」が整理され、そして、日本の「近代化」や「現代化」の過程が分かると思うんです。

しかしですね、これをすると、現在の何に、どのように影響するんですか?

確かに、過去の「国際化」の過程で、外資恐怖論があったことを確認し、今日の外資恐怖論が、いかに、浅はかなモノなのか、一面的なものなのかについて、指摘することができるかもしれない。しかし、それって、わざわざ歴史を使って示すべき事柄なのか!

歴史を研究することと、現在といかにして結びつけるのかについては、歴史を研究するものにとっては、とても重要な課題なのではないかと最近、痛感しています。

例えば、永原・中村編『歴史家が語る戦後史と私』では、歴史のための歴史に陥ったことに対する反省が、有名な歴史家を含めて、多く語られていた。

つまり、どうして「歴史を研究」するのかは、スゴク難しい問題だということだ。

特に、日本のようにナショナリズムの道具として歴史を使う必要のない国家にとっては、その解答を求めらるのは難しいのかもしれない。ナショナリズムの道具として、歴史が使われていたという話は、イギリス史の川北先生が言及されていた。よって、その道具の必要性がなくなった時に、歴史は、その必要性を見失ったというようなことが書かれていて、一番印象に残るものであった。

とかとかですね。



今日は、国立図書館に予約していた本が届いたので、それを取りに行き、直ぐに読んでしまいました。
奥山清行『フェラーリと鉄瓶』PHP研究所、2007年。

フェラーリとかのデザインとかをしていた方の本である。

内容は、想像以下であって、時間の無駄の可能性大。

ただ、磨けば光る原石を探し、それをプロデュースすることで経済を活性化していくことが重要だと考える人は一読の価値があるかも。

僕は、大きな話として、日本社会にしても国際社会にしても、資源の分配が上手くいっていないということが、重大な損失を招いていると考えている。よって、適切な分配を行うことで、社会の厚生を高めることが可能である。(この本の著者は、人材がいなくて衰退している地方の企業に対して、足りない資源、例えば人材とか人脈・金脈・ノウハウとか、を注入することによって、大きな活力を生み出そうとしている。経済的なパフォーマンスを高めようとしている。)

そのため、私は、この資源の最適化を行うことができる仕事に携わりたいと考えている。その根底には、人のために働きたいという考えがある。(どうして、そういう考えが可能になったのかについては、父からの様々な教えが影響していることは間違いない。)

どのような形の仕事なのかは、まだ、不明であるが・・・。勉強しなければいけない。

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