今日も、公共経済学で上手くいかずに、泣きそうでした。相当、レベルの高い授業だと思います。休みの日に、集中的に勉強して、月曜日には、何とかしようと思います。
さてさて、今日は何冊かの本を読んだので、まずは、その記録から。
・川島・服部編『東アジア国際政治史』名古屋大学出版会、2007年。
↑読み終わる。ただ、再読しなければいけない・・・。政治史なので、何かしら、違和感を感じます。その違和感は、僕の最近の関心が社会とかにも向かっているからでしょう。だから、そのあたりを欠如しているのを読むと、違和感を感じるのでしょうね。
・関満博『変革期の地域産業』有斐閣、2006年、序章。
↑序章だけ、読む。今学期、関先生の授業を聴講しているので、その一貫として、近日中に、読みすすめようと思う。様々な「地域」の「現場」が実況中継されている。中央集権的な国から、「地方」へと大きく変容していると考えられている中で、彼の議論は、その「変化」に関心がある人には、スゴク参考になるのではないか。「実況中継」なので、経営とかを全く勉強していない方でも、読むことができます。(ただ、日本語が読めないと苦しいですが・・・)
・桐山他『東南アジアの歴史』有斐閣、2003年、2章。
↑ミャンマーやタイの19世紀以前の簡単化した歴史を勉強。これは、ルーティン読書である。
なかなか、本も読めないと痛感と反省と涙。。。
疲れてきたので、少し前に録画した映画を見ることに。
映画「僕の彼女を紹介します」
↑面白かったです。スゴク面白かったです。これまで、韓国映画を見る機会があまりなかったのですが、これを機会に積極的に見ていこうと思いました。(これまででは、「JSA」「殺人の追憶」「シルミド」を見ました。ただ、国際政治を学ぶ一貫として見ていました。)
今度、楽しそうな韓国の映画を見てみようと思います。何かしら面白そうな映画をご存知なら、教えてください(*^_^*)。。。(何となくですが、韓国映画というよりも、韓国の映画と言う方が、しっくり、します。)
チョン・ジヒョンさんがスゴク、キレイだとも思いました(●^o^●)。
その後、NHK教育の「知るを楽しむ」で見城徹さんの話を聞きました。「戦う」ということを、さっぱりと、定義されていたことが、スゴク印象的でした。
僕は最近、大学を出る方策について考えているのですが、滅私奉公のようなことはしたくないと、よく考えます。たとえ、それが社会のため人のためであっても、それはおかしいのではないかと思います。僕は、個人の犠牲の上に立つ正義か利益とかに対して、スゴク???です。
僕は、社会や人のために尽くすことと、自分の人生を楽しく充実させることとは、両立すると思います。だから、僕は、ある職場が滅私奉公のようなことを求められるところであっても、それに追随するのではなくて、その「滅私」を求める制度を批判していきます。
23時からは、NHKの「SONGS」を見ました。中村中さんが今回、取り上げられていたアーティストでした。
もちろん、これを見るまでは、知りませんでした。けど、表現するということなどについて話をしているのを聞いていると、何かしら自分に通底するようなところを感じました。
僕自身の中に存在する表現したいという渇望に何かしら響いたのかもしれません。最近は、あまり、考えませんが、高校の時は考えましたね。
高校の時に、組織というものに、絶望したので、絶望というのは、どうして、人間というのは、組織の中にいると腐るのかだめになるのかということを考えました。その結果、よく、アジア・太平洋戦争関係の本を読みましたね。ホント、今考えても異常なくらい読みましたね。濫読で、かつ、田舎の誰も教えてくれない中で読んだので歪みはひどくなりましたが、まぁ、考え続けました。
最近は、全うに社会の中で、生きていこうと考えているので、表現したいという渇望はあまりありませんね。あっ、少し前提にしてしまいましたが、社会で「全うに」生きるということと、表現への渇望は、トレードオフなのでしょうか?
ただ、僕の感覚からすると、表現に渇望がある人は、楽しい意味で少し「変」な人が多いのかもしれません。まさしく、「変態の森」の中にこそ、ウヨウヨいるのでしょうね。
少し書きすぎました。反省。

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